星薫の思惑
「姉さん、本当にこいつを殺すの?」
篝が薫に尋ねた。鑑は黙ったままだ。薫達は、進歩党の幹事長である平屋広俊を拉致して、高級ホテルの一室に監禁していた。
「もちろんだ。こんな男、生かしておいたら、また我らに害をなす。殺したところで、誰も困らない。強いて挙げるとすれば、後援会の連中が路頭に迷うか」
薫は後ろ手に手錠をかけられて椅子に固定され、タオルで猿轡をかまされ、頭頂部が寂しくなった紺のスーツ姿の老人を見下ろした。老人は震えており、涙を流している。
「お前の返事次第だ。何故天一族に加担した? 正直に話せ。騒いだら、即座に息の根を止める」
薫は老人から猿轡を解いた。老人は深呼吸をしてから、
「お前達には何度も邪魔をされた。アメリカとの取引でも、お前達は大統領まで脅迫して、辞任に追い込んだ。あのせいで、我が国はアメリカの信頼を大きく失ったのだ。だから、我々に伝手を頼んで来た天乃炎堂という男を利用して、ロシアに恩を売り、アメリカとの交渉材料にするつもりだったのだ」
薫を睨みつけた。薫はフッと笑って、
「そうか。なるほどな。つまり、このままお前を政界に居させると、何度も我らを潰そうと動くという事だな」
しゃがんで視線の高さを平屋に合わせた。平屋は目を見開いて、
「正直に話したんだぞ、殺すのは約束が違う!」
平屋は大声で異を唱えた。しかし薫は、
「助けるとは一言も言っていないぞ。返事次第と言っただけだ」
「悪魔め!」
平屋は震えながらも罵って来た。薫はスッと立ち上がると、
「国家予算を私利私欲のために流用して税金も払わない貴様にそんな事を言われる覚えはないぞ。やはり、死んでもらおうか」
平屋の顎をくいっと右手で上げると、左手で少なくなった髪を掴んだ。
「うわあ、やめてくれ! 何百万もかけて植毛したんだ!」
平屋はまた涙を流した。
「知った事か。その金も流用したものなのだろう?」
薫は更に強く髪を掴んだ。
「ひいい!」
平屋は痛みと悲しさで涙を浪浪と流した。
「もう二度とお前達に手は出さないから、命だけは獲らないでくれえ!」
泣き叫ぶ老人を蔑んだ目で見た薫は、
「お前達、だと?」
襟首を捻じ上げた。
「ああ、違う、貴女達には関わらないので、許してください」
薫に首を締め上げられて、息も絶え絶えになりながら、平屋は懇願した。
「はっ……」
薫はあまりにも身勝手で惨めな平屋の泣き顔を見て、手を放した。平屋は椅子に崩れ落ちるように座った。
「どうやら、ロシアにつなぎは取っていないようだな。もし取っていれば、何をおいても遂行しなければ、行方不明にされてしまうからな」
薫は平屋が炎堂達にハッタリをかましていると推測した。平屋の顔が引きつった。
「炎堂に教えてやろうか? お前は担がれたのだと。そうすれば、ロシアに狙われる事にはならないが、炎堂に狙われる事になるな」
薫はフッと笑った。平屋の顔が白くなった。篝と鑑は底意地の悪い姉を見て苦笑いをしている。
「それもやめてください。そんな事をされたら、警備をどれだけ厳重にしてもダメです。殺されてしまいます」
平屋は震えながら薫に訴えた。薫は平屋から離れながら、
「安心しろ。私はそこまで鬼ではない。炎堂には伝えないよ。私はな」
意味ありげに言い添え、
「行くぞ」
妹達に告げると、部屋を出て行った。
「じゃあな」
最後に出て行く鑑がニヤリとして平屋を見てから、ドアを閉じた。
「ああ、その、私はどうなるんですか?」
平屋はほっとすると同時に置き去りにされた事に気づき、問いかけたが、薫達は誰も戻って来てくれなかった。
「はああ……」
身動きが取れない平屋は、項垂れて溜息を吐いた。
夜になった。葵達は薫からメールをもらい、平屋が監禁されているホテルの部屋を見つけ出した。薫達が立ち去ってから、数時間が過ぎていた。
「よかった、生きてる」
憔悴し切った平屋を見て、茜は安堵した。美咲がすぐに平屋の拘束を解いた。
「あああ……」
平屋はそのまま床に倒れ込んだ。老人にはきつい仕置きだったようだ。
「貴方にはたくさん聞きたい事があるんだけど、取り敢えず病院に連れて行ってあげる。名医に知り合いがいるので」
葵はニヤッとして平屋を起こした。
「名医?」
平屋はキョトンとしたが、
(それって、多分、菖蒲さんの事ね)
美咲は平屋を憐れんだ。
「ああ、姉さん? 今から急患を連れて行くので、頼むよ」
篠原がすぐに姉である皐月菖蒲に連絡を入れた。菖蒲は何か文句を言っていたが、篠原は無視して通話を切ってしまった。
「岩戸先生、平屋幹事長は無事に救出しました。これから、病院にお連れします」
葵は進歩党の元最高顧問の岩戸老人に連絡を入れていた。
「すまんな、葵ちゃん。平屋にはきっちり説教しておくから」
岩戸老人が応じた。
「はい。では、失礼します」
葵は通話を終えた。
葵達はホテル前で玄内達と合流して、菖蒲が勤務している大学病院へと向かった。
「これに懲りて、私達にちょっかい出すの、やめなさいよね」
美月と紅は一足先に探偵事務所へ戻ったので、平屋は篠原と並んで中部座席に座らされた。茜と美咲は後部座席で、葵は助手席である。
「露骨に残念そうにしないでよ」
葵は玄内がしょぼくれているので、ムッとした。
「そのジイさんを乗せるために、美月と紅が先に帰ったんだろう?」
玄内はルームミラー越しに平屋を睨んだ。
「仕方ないでしょ? 護は残らないと菖蒲さんを制御できないし、美咲と茜は菖蒲さんのご機嫌取りに必要だし。美月さんと紅さんも、菖蒲さんの面倒い臭さは知っているから、むしろ会いたくないでしょ?」
葵は呆れ気味に玄内を嗜めた。
「まあな。菖蒲はどうしてあんなにひねた子になったのか、不思議で仕方がない。両親共、穏やかな人間なのにさ」
玄内は不満そうだが、納得するしかなかった。
「すみません、姉のせいで」
篠原は詫びているが、全然すまなそうではない。むしろ、菖蒲に一番会いたくないのだ。
「きっと、お前のせいだな、護。お前が篠原の家に養子に行ってから、菖蒲は性格が悪くなった気がする」
玄内の口は止まらない。篠原は苦笑いをして、
「そうですか? でも、養子縁組を決めたのって、確か親父殿ですよね?」
反論した。玄内は笑って、
「そうだったな。じゃあ、俺が悪いのか? そりゃあ、すまない。菖蒲に謝ろう」
「ややこしくなるから、そんな話はしなくていいわよ!」
葵がすかさず突っ込んだ。美咲と茜は顔を見合わせている。
「何だかんだ言って、菖蒲さんて篠原さんが大好きですもんね」
茜が口を挟んだ。
「俺は大迷惑なんだけどね」
篠原は肩をすくめた。その間中、平屋は居た堪れない顔でしょげていた。
「迷惑とか言ってないで、うまく菖蒲さんを制御してよね」
葵は篠原を見た。篠原は嬉しそうに、
「任せとけ。俺は心にもない褒め言葉は得意だから」
胸を張ってみせたが、
「という事は、私に言った事もそういう事なのね?」
葵が半目で見て来たので、
「いやいや、葵には俺は嘘を吐いた事がないから」
「言ってるそばから嘘吐いてるじゃない!」
葵は目を吊り上げた。
「そんな事ないよ。俺を信じてくれよ。世界で一番葵の事が好きなんだから」
篠原は真顔で告げた。
「恥ずかしいからやめてよね!」
葵は顔を赤らめて前を向いた。
(葵お姉さんたら、照れてるのね)
美咲は二人のやり取りを微笑ましく思っていた。
「あれ、美咲さん、どうしてそんな楽しそうな顔をしているんですかあ?」
美咲の様子に気づいた茜はにやついて尋ねた。
「葵お姉さんと篠原さん、やっぱりお似合いだなって思ったのよ」
美咲は小声で茜に伝えた。茜はニンマリして、
「そうですね。今日一日で、二人が急速に仲良くなったですよね」
篠原と葵を見た。
「何だ何だ? 二人で葵の悪口言ってるのか?」
篠原がニヤリとして振り返った。
「何て事言うんですか!」
美咲と茜は口を揃えて篠原に抗議した。