羅刹の穴
押していたはずの三姉妹(天乃天音・水無月葵・星薫)であったが、回復力が凄まじい天乃炎堂のせいで、返り討ちに遭ってしまった。
「く……」
葵は全身の痛みを堪えて起き上がった。
「まだ寝ていろ!」
そこへ炎堂の踵落としが襲いかかった。
「葵さん!」
天音が割って入り、炎堂を蹴り飛ばしたが、炎堂は側転して直撃を逃れた。
「死ね!」
そこへ薫が動いた。小刀を炎堂の両肩に突き立てたが、刺さり切る前に炎堂に逆に蹴り飛ばされた。
「ぐは!」
薫は防御できずにそれをまともに食らったので、口から血を吐いて仰向けに倒れた。
「ぬおお!」
炎堂は両肩に刺さった小刀を抜くと、
「お返しだ!」
倒れている薫に向かって投げつけた。
「そうはさせない!」
葵がそれを受け止めた。
「礼は言わない」
薫は立ち上がった。
「言ってもらおうとは思っていない」
葵は言い返した。
(相変わらずね、葵お姉さんと薫お姉さん)
二人の「姉」ができた美咲は二人のやりとりに呆れていた。
「何だ、今度はお前が俺を殺すのか?」
下卑た笑みを浮かべた炎堂は小刀を構えた葵に嫌味たらしく尋ねた。
「あんたは殺さない。あんたの後ろにいる黒幕を吐かせる!」
葵は薫に小刀を渡して、炎堂を睨みつけた。
「はあ!」
その時、天音が炎堂の後頭部にハイキックを見舞った。
「がは!」
炎堂は葵と薫に気を取られていたせいで、天音の動きを追えていなかった。前のめりに倒れ、這いつくばった炎堂に天音が更に攻撃を仕掛けた。踵落としである。
「がああ!」
それが炎堂の背骨に決まり、鈍い音がした。炎堂は地面に突っ伏して、動かなくなった。
「とうとうやったか?」
玄内が呟いたが、
「いいえ、まだです」
小夜が悲観的な事を言った。玄内はギョッとして小夜を見た。
「があああ!」
炎堂は雄叫びをあげ、グキッと音をさせると、飛び起きた。ずれた背骨が治った音だった。
「え?」
天音が反応するよりも速く、炎堂は天音を叩きのめし、次に葵に向かった。
「炎堂、いい加減、潰れなさい!」
葵は炎堂の右のミドルキックをかわすと、懐に飛び込み、両腕をクロスさせて、炎堂の首を捉えた。
「落ちろ!」
葵は全力で炎堂の頸動脈を絞めた。炎堂の顔の色が瞬く間に紫色に変色し、目が虚になった。
「ダメです、葵さん!」
小夜が何故か叫んだ。
「え? 何だ、小夜さん? 何がダメなんだ?」
玄内はもう一息で炎堂を落とす葵の攻撃に小夜が否定的なのを疑問に思った。
「待っていたよ、水無月葵! お前の力、全部もらうぞ」
気絶寸前のはずの炎堂がニヤリとして、葵の抱き寄せ、締め上げて来た。
「ぐうう!」
葵はその力によって炎堂の首を極めていた腕を脱力させてしまった。
「お前の鬼の行の力、全部俺によこせ!」
炎堂は葵の唇に吸い付いた。
「てめえ、俺の女に何するんだ!?」
篠原が激昂して、葵を助けに行こうとした。
「待て、護。そのままだ」
玄内が篠原を引き留めた。
「何言ってるんだ、親父殿!? 葵があのおっさんに穢されているんだぞ!? 助けに行かなくて、どうするんだ?」
篠原は玄内の手を振り払って行こうとした。
「葵さん!」
起き上がった天音が行こうとすると、
「待ちなさい、天音!」
今度は小夜が止めた。
「え? どういう事なの、お母様?」
天音も母の言葉に耳を疑った。
「もしかして……」
薫は葵が抵抗していないのに気づき、眉をひそめた。
「ああ、葵!」
篠原は葵が炎堂に力を吸われているのはどうでもよかったが、自分はあそこまで葵と濃厚なキスをした事がないと嘆いていた。相変わらずのスケベなバカである。
「そういう事なのね」
美咲も何が起こっているのか理解した。
「え? どういう事ですか?」
茜が美咲に訊いた。美咲は葵達を見たままで、
「もうすぐわかるわ」
茜に応じた。
「はあ?」
意味がわからない茜は首を傾げた。
(炎堂が人でなくなっていない理由がわかった。葵もそれに気づいたのか?)
玄内は葵が炎堂に力を吸われているのを拒んでいないので、そう推測した。
「ははは! もう枯れたようだな、水無月葵。お前の唇、なかなかの美味だったぞ!」
炎堂は葵の鬼の行の力を吸い尽くして舌舐めずりすると、葵を放した。葵はそのまま、地面に崩れ落ちた。
「葵!」
遂に篠原が玄内の制止を振り切り、葵に駆け寄った。天音は小夜を見た。小夜は首を横に振り、動くなと示した。
「葵!」
篠原は倒れている葵を抱き起こした。
「護……」
葵はうっすらと笑みを浮かべて、篠原を見た。
「さあ、これで俺は更に強くなった! 俺こそが無双無敵の者だ!」
炎堂は高笑いをした。
「いや」
背後に薫が立っていた。
「何?」
炎堂はハッとして薫を見た。薫は間髪を入れず、炎堂に回し蹴りを叩き込んだ。
「ぐわあ!」
炎堂は吹っ飛び、地面を転げた。
「葵、今、きれいにしてやるからな」
篠原はハンカチを取り出すと、葵の唇を拭った。
「あのおっさんの涎、気持ち悪かったろ?」
篠原は葵の口紅が落ちる程擦り続けた。
「痛いよ、護……」
葵は顔を歪めて篠原の手を止めた。
「ああ、すまん」
篠原はハンカチをどけた。
「きれいにして」
葵が言うと、
「ああ」
篠原は葵にキスをした。貪り合うような濃厚なキスである。
「あれまあ」
玄内はそれを呆れて見ていたが、薫の回し蹴りで倒れて起き上がれない炎堂に目を向けた。
「バカめ、調子に乗るからだよ」
玄内がドヤ顔で言い放つと、
「一体何が起こっているんですか?」
美月が堪りかねて尋ねた。
「鬼の行のおかげよ」
代わりに美咲が応えた。
「え?」
美月と紅と茜が美咲を見た。
「炎堂が人でなくならなかったのは、鬼の行の気を吸ったからなのさ。それも、葵が昇華させたものをな」
玄内が引き取って続けた。
「そうなのか、葵?」
篠原がキスをやめて訊いた。
「そうよ。炎堂がいつまでも羅刹の完全体にならないので、変に思ったの。そして、鬼の行の気を吸われていく時にわかったのよ」
葵は身を起こして炎堂を見た。
「なるほど」
篠原も炎堂を見やった。
「く、くそう! 俺は負けぬ! 断じて負けぬ!」
炎堂はまだ立ちあがろうとしていた。
「寝ていなさい!」
天音が炎堂の首に手刀を叩き込んだ。
「がは……」
炎堂は白目を剥いて地面に突っ伏した。
「炎堂から羅刹の気が感じられません。鬼の行の気と打ち消し合って、消滅したようです」
天音が小夜を見た。
「そう。良かった……」
小夜は微笑んで玄内を見た。
「そうだな」
玄内は美月と紅の視線を感じながら、頷いた。
「護」
葵は篠原に手を借りて立ち上がった。
「何だ?」
篠原は葵を見た。葵は俯いて、
「今までごめんね。私、素直じゃなかった」
「気にしてないよ」
篠原は微笑んで応じた。
「貴方の事、大好き。護は?」
葵は目を潤ませて篠原を見つめた。
「俺もだよ」
二人はまた口づけをかわした。
「どさくさに紛れて、葵お姉さん、告ってましたね」
茜が美咲に囁くと、
「いいんじゃない、それでも。やっと長い冬が終わって、春が来たのよ」
美咲は肩をすくめた。
「さてと。あとはあの野郎の背後にいる黒幕の正体を聞き出すだけだな」
玄内は気を失っている炎堂を見た。
「そうですね」
美月と紅がヌッと近づいて応じたので、玄内はビクッとした。
「私は二番手でも構いませんよ」
天音が篠原に近づいて囁いた。
「え?」
篠原はピクンとした。
「いくら姉でも、護は譲れません」
葵が天音を睨んだ。
「冗談ですよ」
天音は微笑んで葵達から離れた。
「私も二番手でもいいぞ」
薫は不敵な笑みを浮かべて告げると、篝と鑑を伴って、姿を消した。
「護、許さないからね」
葵はにやけている篠原の脇腹をつねった。
「あいてて!」
篠原は大声を出した。
「もし浮気したら、ちょん切るからね!」
葵の最後通告を聞き、
「お、脅かすなよ。する訳ないじゃん」
篠原は苦笑いをした。