玄内の願い
「護が拉致されたのは、その天一族にだ。どうだ、強がりが言えなくなっただろう?」
玄内は愉快そうに娘の顔を覗き込んだ。葵はムッとして玄内を睨みつけると、
「私は強がってなんかいません! 護が拉致されたなんて、油断していたからよ。だらしがないんだから」
ツンとそっぽを向いた。玄内は肩をすくめて、
「まだ話は途中だ。何故護は拉致されたか、わかるか?」
葵はまた父を睨みつけて、
「知らないわよ! もしかして、ハニートラップでも仕掛けたられたんじゃないの?」
すると玄内は目を見開いて、
「ほお、さすが、我が娘。その通りだ。あいつは天一族のハニートラップに引っかかって、連れ去られたのだ」
玄内の言葉に葵は眩暈がした。
(どこまで女好きなのよ、あのバカ……)
葵が呆れた顔をしていると、それに気づいた美月が、
「ここからはあくまで推測なのですが、護さんは天一族の繁栄のために連れ去られたのではないかと思われるのです」
「え? 天一族の繁栄? どういう事ですか?」
葵は美月を見た。美月は玄内に目配せしてから、
「つまり、その、護さんに天一族の子孫を作る手助けをしてもらうつもりなのではないかと」
「え?」
葵は一瞬キョトンとしたが、すぐに「手助け」の意味を察した。
「まさか、あいつに子作りをさせるつもりなんですか!?」
つい、ストレートな言い方をしてしまい、ハッとして赤面した。美咲も赤面してしまい、茜は目を見張っていた。
「まず、それが正解だろう。護は一族の中でも手練れだ。その子は優れた忍びになるのは間違いない。だからこそ、俺は葵の許婚に選んだのだからな」
玄内の言葉に葵はますます赤くなり、
「やめてよ! あいつと子供を作るなんて、想像しただけで悍ましいわ!」
身震いした。
「どうして篠原さんなんですか? 天一族には腕の立つ男性がいないのですか?」
美咲が玄内に尋ねた。玄内はフッと笑って、
「それもあるかも知れないが、それ以上に、護の遺伝子、すなわち、月一族の遺伝子が欲しいのだろう。そして何より、天一族は少子化が進んでおり、男が極めて少なくなっていると聞いた」
美咲はギョッとして母である美月を見た。美月は黙って頷いた。
「月一族としても、護さんの存在は大きいのです。お嬢様もご存じの通り、我が一族も決して天一族の現状を対岸の火事としていられない事情があります」
紅が言った。葵はハッとした。
「確かに、私達の世代だと、男は護の他、あと一人くらいしかいない……」
葵はようやく事の重大さに気づいた。
「お前にまだ伝えてなかったのだが、そのもう一人は先日、事故で死んでしまった」
玄内の言葉に葵はギョッとした。美咲と茜は顔を見合わせた。
「という事は、月一族には護しか二十代の男がいないって事?」
「そうなるな」
玄内は眉間にしわを寄せた。そして、
「もはや、護はお前の好き嫌いで判断していい存在ではないという事だ。なんとしても、奪還しなければならない」
玄内が葵を見た。葵は思わず唾を呑み込んだ。
「え? でも、天一族の子孫ができたら、返してくれるんじゃないですか?」
茜が不用意発言をした。
「何言ってるの、茜! そんな悠長な話ではないのよ!」
紅はムッとして娘を睨みつけた。茜は首をすくめて、
「すみません……」
葵の表情を見て謝罪した。
(所長って、何だかんだ言っても、篠原さんの事、好きなんだよね)
玄内は葵達を見渡して、
「護は恐らく、数多くいる天一族の若い女達と子作りをさせられ、それが終わったら、かなりの確率で処分されるだろう」
葵は息を呑んだ。美咲は口に手を当ててしまった。
「え? 処分て、どういう事ですか? きょせ……」
茜の不用意発言を紅が慌てて口を塞いで止めた。
「それですめばいいが、違うと思う。護は殺されてしまうだろう」
玄内は葵を見て告げた。葵の目に涙が浮かんだ。
「その上、天一族にはある伝説があるのです」
美月が口を開いた。
「伝説?」
葵はこぼれそうになった涙を拭って美月を見た。美月は頷いて、
「月一族の男と契って授かった子は無類無敵の力を持つ、と言われているそうです」
葵、美咲、茜は驚愕した。
「どうしてそんな伝説があるのを知っているの、お母さん?」
美咲は母親に尋ねた。美月は何故か苦笑いをして、
「ええとね、それは……」
意味ありげに玄内を見た。玄内は咳払いをして、
「三十年近く昔、まだ俺が葵の母の藍と夫婦になる前、修行の旅をしていて、ある女に出会った」
そこまで話すと、葵は半目になった。
(嫌な予感しかしない)
美咲と茜はまだ勘づいていないようで、真剣な表情で玄内を見ている。
「その女があまりにも美しく、しかも誘って来たので、そのな……」
葵は項垂れた。美咲は事の顛末を察して、目を見開いた。美月と紅は苦笑いをしている。
「女の情に絆されて、長居をしてしまった。気づくと、一年以上経っていた」
玄内は悪びれる事なく、話を続けた。葵は半目のままだ。
「女は身籠っていた。俺は女と結婚の約束をして、また旅を続けた」
玄内が言うと、
「結婚の約束!? 母とは許婚だったのでしょう!?」
葵が掴みかかった。
「お嬢様!」
美月と紅が葵を止めた。葵は仕方なくソファに座った。
「父の教えでな。据え膳食わぬは男の恥と言われていたので、拒むという選択肢はなかった」
玄内は葵を気まずそうに見た。
(そう言えば、祖父様も父に負けないくらいの女好きだったと聞いてる……)
葵は頭痛がして来た。
「その女性が、天一族の人だったんでしょう?」
葵は呆れ顔で尋ねた。玄内は頷いて、
「そうだ。しかも、頭領の娘だった」
葵は思わず、
「何ですって!?」
立ち上がってしまった。
「そして、現在の天一族の頭領だ」
玄内は言い添えた。
「じゃあ、私のきょうだいは天一族にもいるの?」
葵は腕組みして玄内を見下ろした。
「そういう事になる。俺がその女が天一族の者だと知ったのは、旅を再開した後だったのだ。驚いて女に会いに行ったら、俺の素性が知られていて、『我が一族はまた栄える』と長である父親に喜ばれた。俺は一度里に帰ると言って、天一族の集落から逃げ出した。追手は差し向けられる事なく、俺は無事に里に戻れた」
「結局、お父さんのせいで護は拉致されたって理解でいいのね?」
葵はソファに腰を下ろした。
「それだけではないと思う。長の娘が産んだのは、女の子だったらしい。だから、その子に護の子を産ませれば、伝説通りの子が誕生すると考えたのだろう」
玄内は熱り立つ葵を宥める仕草をした。
「やっぱり、お父さんのせいでしょ!」
葵がまた玄内に掴みかかろうとしたので、
「落ち着いてください!」
美咲が葵を押しとどめた。
「俺が頼めた義理ではないのはわかっている。だが、護と長の娘が契って子が生まれるのだけは阻止したい。父の最後の願いだと思って、引き受けてくれないか?」
玄内は頭を下げた。葵はそれを見て、
「お父さんに頼まれるまでもないわ。護は必ず助け出す。一族の宗家の威信にかけてね」
スッと立ち上がった。
「そうか。やってくれるか?」
玄内は顔を上げて娘を見上げた。
「お嬢様、一つ、お伝えしたい事があります」
美月が言った。葵は美月を見て、
「何でしょう?」
美咲と茜も美月を見た。
「天一族には、異能があるのはご存じですよね?」
美月は念を押すように訊いた。葵は頷いて、
「ええ。それが何か?」
眉をひそめた。
「その中でも、一番の使い手である天乃無堂という男がいて、その者は特に異能の力が強いと聞きました。お気をつけください」
美月の話に葵は美咲と茜を見た。
「承知の上です。私は誰にも負けません」
葵は美月をもう一度見た。
「美咲、しっかり、姉上様をお守りするのよ」
美月は美咲を見た。
「茜もね」
紅は茜を見た。
「はい」
美咲と茜は母を見て頷いた。