一縷の望み
人でなくなる。その言葉に美咲と茜は動けなくなった。
(どうすればいいの? 葵姉さん)
美咲はまだ炎堂に挑んでいる葵を見た。葵は薫を助けようとして炎堂に攻撃をするが、炎堂は葵の動きを読んでいるのか、ことごとくそれを退けている。薫は炎堂に気を吸われて遂に倒れてしまった。篝と鑑の二人は、姉を見てオロオロしている。
「あ」
美咲はある事に気づいた。
(そうだ、その違い)
そして、母である美月を見た。美月はすぐに娘の意図を理解して、頷いた。
「よし!」
美咲は走り出した。
「え? 美咲さん?」
茜は美咲の考えがわからず、キョトンとした。
(やばいじゃん、薫ちゃん!)
篠原は顔を上げて、薫が息も絶え絶えの状態なのを知った。
(このままだと、ハーレムが……)
緊急事態にも関わらず、篠原は下衆な事を思っていた。
(俺に何ができる?)
邪念を振り払い、篠原は立ち上がった。
「ふあ……」
思っていた以上に薫に気を吸われていたので、立ちくらみをした。
「はああ!」
それでも篠原は月一族の呼吸法で態勢を整えた。
「護、援護して!」
炎堂を攻めあぐねている葵が叫んだ。
「おう!」
篠原は葵に向かって走り出した。
「篠原さん、邪魔です!」
その時、美咲の声が聞こえた。
「え?」
篠原が声のする方を見ると、大きな岩が飛んで来ていた。
「ウヒャ!」
篠原は咄嗟に身を屈めた。岩は篠原の頭上を飛び越え、炎堂に向かった。
「何!?」
炎堂は葵を退けていたが、岩が飛んで来たのでその場から飛び退いた。次の瞬間、岩が地面に落ち、土埃が舞った。
「姉さん!」
その隙に篝と鑑が薫に近づき、助け起こした。
「姉さん、私達の気を吸って!」
篝が涙を流して告げた。
「姉さん!」
鑑も泣いていた。
「すまない」
薫は二人から気を吸い取り、立ち上がれるようになった。
「おのれ!」
土埃から抜け出した炎堂が再び薫の気を吸おうとした。
「させるか!」
そこへ葵と篠原のダブルキックが炸裂した。
「ぐわあ!」
炎堂はまともに食らってしまい、地面を転げた。
「ぬぐぐ……」
ダブルキックの効果は大きく、炎堂は這いつくばって立ち上がれずにいた。
「思った通りです。炎堂は確かに強いが、防御力は小夜さんや天音さん程強くない。畳みかけましょう」
美月が岩を持ち上げて、炎堂に投げた。
「おい!」
炎堂は仰天して地面を転げ、岩をかわした。
「いい加減、降参しなさいよ、炎堂!」
葵が素早く炎堂に接近して、馬乗りになると、顔面を殴りつけた。
「ブハッ!」
炎堂は口と鼻から血を撒き散らした。
「葵、ダメだ!」
篠原が叫んだが、遅かった。
「バカめ、俺に接したのが運の尽きだ」
炎堂はニヤリとした。
「ああ……」
葵は炎堂に気を吸われてしまった。
「おお、さすが月一族の禁じ手の鬼の行だな。回復には持って来いだ」
炎堂は葵を跳ね除けると、一同から離れたところまで飛んだ。
「しくじった……」
葵は地面に腹ばいになって歯軋りをした。
「しっかりしろ、葵。お前が倒れたら、誰があのおっさんをぶっ飛ばすんだよ」
篠原が葵を抱き起こした。
「私がいる」
薫が一瞬の隙を突いて炎堂に突進した。
「愚かな、また気を吸われたいのか!?」
炎堂は薫の突進を無謀な策と判断し、せせら笑った。
「薫ちゃん、無茶だ!」
篠原が叫ぶ。しかし、薫はそのまま炎堂に近づいた。
「死ね、星薫!」
炎堂が右手を突き出し、薫の気を吸おうとした。
「何?」
だが、薫から気を吸えないと気づき、炎堂は動揺した。
「お前の当てにしていた憎しみの気はすでに私の身体には残ってはいない! お前に触れられなければ、気を吸われる事はない!」
薫は小刀を出すと、振り上げた。
「ダメ、薫、殺してはダメ!」
篠原に肩を借りて立ち上がった葵が叫んだ。
「ならば、鬼の気を高める!」
炎堂は葵から吸った鬼の行の気を増幅させた。
「む?」
薫はその気に何かを感じて立ち止まった。
「水無月葵、お前の間抜けな策のおかげで、俺は更に強くなったぞ。鬼と羅刹の融合。もはや俺を倒せるものなどいない!」
炎堂の顔つきが変わった。
「人でなくなった……」
小夜が呟いた。天音は母をハッとして見た。
「おいおい、何してるんだよ、葵? もうそいつは只の羅刹じゃないぞ。鬼の行の力を上乗せした化け物だ」
玄内が言うと、
「うるさいわね! そもそもの始まりは、お父さんでしょ! 何か考えなさいよ!」
葵はムッとして父親を睨んだ。
「えっと……」
それを言われるとグッと詰まるしかない玄内である。
「詰まるんかい!」
絶句した父を見て、葵は怒鳴った。
「もう殺すしかありません。薫さん、お願いします」
小夜が薫を見た。薫は小夜をチラッと見て、
「もとよりそのつもりだ」
小刀を構え直した。
「やはり、最初に始末すべきは、玄内、貴様だ!」
炎堂は更に目を血走らせ、吐く息もどす黒く見えた。
「い……」
殺人予告をされた玄内は顔を引きつらせた。葵はそれを見て、
(父を狙うなら、その隙に!)
玄内に向かって走り出した炎堂の横合いから攻撃を仕掛けた。
「温いぞ、水無月葵!」
ところが、炎堂は葵の動きを予測しており、葵に向き直ると襲いかかって来た。
「うはっ!」
葵は炎堂の逆襲に驚き、飛び退いた。
「逃さぬ! 月一族は根絶やしだ!」
炎堂は葵に迫った。
「お前は私が殺す!」
その時、薫が炎堂の右横に現れ、小刀を炎堂の右脇腹に突き立てた。
「ぐう!」
小刀は根元まで刺さり、炎堂は呻き声を上げてよろけた。
「すぐには殺さない! のたうち回って死ね!」
薫は次に炎堂の右太腿を刺した。
「があ!」
炎堂は左を下にして倒れた。
「次は右肩だ!」
薫は容赦なく刺し続けた。
「薫、ダメ! 殺さないで! そいつの背後にいる連中を聞き出したいから!」
葵は薫を止めようとしたが、
「うるさい!」
薫は小刀を振るって葵を遠ざけた。
「うぐぐ……」
炎堂は地面に這いつくばり、大量出血によって動かなくなった。
「やっちまったのか?」
篠原が呟いた。美咲は俯き、美月は娘を抱きしめた。茜は涙ぐんで紅を見た。紅は娘を抱きしめた。
「いえ、まだです! 炎堂は死んではいません!」
小夜が怒鳴った。葵はギョッとして倒れている炎堂を見た。薫も炎堂の気が高まるのを感じて、飛び退いた。
「本当に化け物だ……」
薫は目を見張っていた。炎堂はゆっくりと立ち上がった。地面には相当量の血があったが、炎堂は不敵な笑みを浮かべていた。瀕死の重傷には見えない。
「どうなっているんですか?」
茜が小夜に問いかけた。小夜は首を横に振って、
「わかりません。鬼の行の気を高めた時点から、すでに私が父から聞いている羅刹を超えています。もうどんな存在になったのか、見当もつきません」
小夜の言葉に茜だけではなく、美月も美咲も紅も唖然とした。
「葵さん、薫さん、助太刀します。炎堂を止めましょう」
ずっと状況を見ていた天音が進み出た。
「この魔物を止められるのは、私達三姉妹です。天と月と星の力を合わせれば、どんな魔物でも倒せるはずです!」
天音は自分の気を高めた。
「天音……」
その娘の姿を見て、小夜は目を潤ませた。
「わかりました、お姉様」
葵は頷いて応じた。
「それしかないな」
薫は不満そうな顔をしていたが、同意した。
(この三人なら、あの化け物にも勝てそうだな。いや、勝ってもらわないと、とんでもない事になる)
篠原は自分が加われない事を情けなく思ったが、
(レベルが違い過ぎるから、仕方ないか)
肩をすくめた。
「どこまでも愚かな者共よ。我が力は無類無敵。貴様ら如きが束になってかかって来ても、無駄よ!」
炎堂は高笑いをした。