無堂の異能
葵達のミニバンは迷う事なく、天一族の里を目指していた。
「邪魔が入ると思ったけど、全然現れないわね」
葵が腕組みをした。
「私達に恐れをなして、里で震えているんじゃないですかあ?」
助手席の茜が呑気な事を言うと、
「まずいですね」
運転席の美咲は真剣な表情で呟いた。
「ちょっと引っかかっているのよね。あの薫が、護をおめおめと奪還されたのが」
葵は脚も組んだ。茜は薫の名前を出されて、
「え? それってどういう事ですか?」
自分が怯え始めた。
「薫さんは篠原さんをわざわざ天一族の里に乗り込んで助けてくれたのに、大阪ではあっさり連れ去られた。確かに妙ですね」
美咲の言葉に茜はますます震えた。葵は眉をひそめて、
「天一族は皆異能を持つ忍びと言われている。薫はムドウと言う男の異能が見抜けなかったので、迂闊に戦いを挑むのは危険だと判断したのよ」
「さっすが、お姉さんですね!」
茜が言うと、
「お姉さんはやめてって言ったでしょ!」
葵がムッとした顔で茜を睨んだ。ところが茜は、
「違いますよ。薫さんの事です。薫さんも、お姉さんですよね?」
あっけらかんとして言ったので、
「薫をお姉さんて呼ぶのも禁止!」
葵は助手席のヘッドレストを左手で叩いた。
「ひっ!」
茜はビクッとして身をすくめた。
(茜ちゃん、所長の事、もう少し把握してよ)
美咲は溜息を吐いてハンドルを操作した。
「いくらムドウと言う男が強いとしても、公安の人間を立ちどころに殺してしまうのは、あり得ない。何かの異能を使ったとしか考えられないのよ」
葵は後部座席に身を沈めた。
「篠原さんが何か知っているんじゃないですか?」
茜が言った。葵は窓の外を見て、
「今はそれが唯一の望みね」
茜はいつになく弱気になっている葵に不安を覚えて、美咲を見た。美咲は只頷いただけで、運転に集中した。
「月一族の者は着実にここへ向かっています。星一族の女が教えたのでしょうか?」
天音が小夜に尋ねた。
「違う。玄内が教えたのだ。あの下衆が!」
小夜はまるで条件反射のように激昂した。
(お母様は、望まぬ子と言った。それは私の事。私は長の娘であるのに、望まぬ子でもある)
天音は母を睨みつけた。
「お前は早く、篠原護と子をなせ。水無月葵の始末は私がつける。お前は関わるな!」
小夜は天音を水に言い放った。
「はい、お母様」
天音は一礼すると、部屋を出て行った。
(そこまで憎いのであれば、何故お母様は私の後、子を産まなかったのだ? それが理解できない)
天音には小夜の心がわからなかった。
「天音様、篠原護は薬で眠らせております。そして、一族に伝わる秘薬で、今度はうまくいきます」
篠原が閉じ込められている部屋の前で、無堂が跪いていた。
「そうか」
天音は扉を開いて入りかけてから、
「無堂、お前は許婚である私が他の男と契るのを何とも思わないのか?」
背中越しに無堂に訊いた。無堂は頭を下げて、
「いえ、別に。長の命令であれば、それを遂行するのが我が努めです」
天音はチラッと無堂を見てから、
「そうか」
後ろ手に扉を閉じた。無堂はそれを確認すると、フッと笑った。
「もうすぐ着きます」
美咲がナビを見ながら告げた。
「準備はいい?」
葵は茜と美咲に確かめた。
「はい」
茜と美咲は忍び装束に着替えている。葵も忍び装束に着替えていた。
(護、待っていて。絶対に助け出すから)
葵は一つ気になっている事があった。
(薫達が来ている様子がない。いくら気配を消しているとはいえ、ここまで姿を見せないのは妙だ)
葵は薫達が何かを企んでいるのではないかと勘繰っている。
(当て馬にされているの?)
葵は薫ならそれくらいは平気でやってのけると思った。
(薫が妹だというのは嫌だけど、そんなところは気持ち悪いくらい父に似ている)
玄内は直接的な戦いよりも、謀略に長けている。それが薫と似ていると感じたのだ。
「着きました」
美咲がミニバンを停止させた。道の先には大きな茅葺き屋根の屋敷が見えている。
「力の出し惜しみはしない。最初から全力で行くわよ」
葵はすでに鬼の行を発動していた。
(さすが、水無月葵様。あの鬼の行を瞬時に発動できるまでになっているなんて)
美咲は葵を目標として修行を重ねているが、また突き放されたと思った。
「もちろんです。薫さんが警戒する相手ですから、薫さんと同じくらい強いんですよね?」
茜はまた地雷を踏んだと美咲は思った。
「私程ではないだろうけどね」
葵はムッとしながらも、茜を睨みつけて言い返した。
「そ、そうですね……」
まずい事を言ったと察したのか、茜は顔を引きつらせた。
「行くわよ、二人共!」
葵が走り出した。美咲と茜もそれに続いた。すると、屋敷の中から無堂が現れた。
「あんたが天乃無能なの?」
早速葵が挑発した。
「いいえ、私は天乃無堂です。有る無しの無しにお堂の堂と書きます。お見知り置きを」
無堂は微笑んで応じた。
(うわ、超絶イケメン! 大原さんの方がずっとかっこいいけど)
茜はそんな事を考えていた。
「悪いけど、瞬殺させてもらうわ!」
葵は更に呼吸を深くして、鬼の行を一段階上のレベルにした。
「凄い、鬼の行って、まだ上があるの?」
美咲は思わず立ち止まった。
(私達が加勢するまでもない。今の所長に勝てる人間などいない。あの薫さんでも、無理だろう)
美咲はそう思い、観戦する事にした。
「あれ、美咲さん、加勢しないんですかあ?」
茜が美咲のそばに立ち止まった。
「要らないと思うから」
美咲は苦笑いをして茜を見た。
「まあ、そうみたいですね」
茜は肩をすくめた。葵は速度を上げて、一瞬美咲達の視界から消えた。
(凄い!)
美咲と茜は葵のレベルの違いに驚き、溜息を吐いた。勝負は刹那で決まる。そう思った。
「遅いですよ、葵さん」
葵が渾身の正拳突きを放ったが、そこには無堂はいなかった。
「え?」
葵はまさか無堂が自分の攻撃をかわすとは夢にも思っていなかったので、出遅れてしまった。
「終わりは貴女ですよ」
無堂が囁き、葵の肩を右手で触った。
「は……」
その途端、葵の視界がブラックアウトした。視界が戻った時、葵は地面に仰向けに倒れていた。
「命までは取りませんよ。貴女は私の子を産むのですからね」
無堂は葵の右の頬を舌で舐めた。葵はそれがわかったが、瞬きしかできなかった。
(何が起こったの? 何故、身体が動かないの?)
無堂は葵を抱きかかえると、屋敷へ戻り始めた。
「所長!」
呆然としていた美咲が我に返った。
「所長!」
少し遅れて茜が叫んだ。無堂は振り向きもせず、屋敷の中へ消えた。次の瞬間、たくさんの銀色の忍び装束の一団が現れ、美咲と茜に襲いかかって来た。
「邪魔だあ!」
怒りに震えた美咲が、近くにあった大木を右手で抜くと、襲いかかって来た忍び達を一振りで吹き飛ばした。それを見た後続の忍び達が立ち止まった。
「どけえ!」
今度は茜が走り出し、次々に忍び達を倒して行った。
「月一族を舐めるな!」
美咲と茜は忍び達を全滅させると、屋敷へ飛び込んだ。
「は!」
篠原は冷たいものに触れられて、意識を取り戻した。それは天音の右手だった。
「ひっ!」
よく見ると、天音は何も着ていない。
(で、でかい……)
バカな篠原は、またそこに反応してしまった。
「はっ!」
そして、自分は手首と足首に枷をはめられ、やはり何も着ていない。
「さあ、今度こそ、貴方の子種を頂戴致します」
天音は不敵な笑みを浮かべると、篠原に馬乗りになった。
「や、やめろーっ!」
篠原は葵の激怒した顔を思い浮かべたが、無駄な抵抗であった。