首無し男と薬売りの少女
人との距離感がわかってない人外が、初めて会った人間である少女に執着する話です。
成人向け描写はありませんが、一部無理矢理ものを食べさせられる描写などがありますので苦手な方はご注意ください。
まずいことになった。こんな真っ暗闇の中森で迷うなんて。
今日はお客さんがたくさん来てくれて、薬売りの仕事が早く終わった。いつもなら休日の朝にまとめて薬草の採集に行くのに、時間があるならと夕方に森に入ってしまったのが間違いだった。
朝と違って森の中は薄暗くて、道がよく見えない。違和感を持ちながらもそれを無視してどんどん薬草がありそうな場所へと足を進めた結果、見事に帰り道がわからなくなってしまったのだ。
しばらくは知っている場所に出ないかウロウロと歩き回ってみたけど、完全に日が沈んでしまったあたりで今日はこのあたりで野宿するしかないと諦めた。日中は見たことがないけれど、夜になったら獣が出てくるかもしれない。日が昇るまで、無闇に動くと危ないだろう。
はあ、とため息をついてその場にしゃがみ込む。お腹も空いてきたが、食べるものを持ってきていないので手元にはさっき採った薬草しかない。こうなったらここでじっとやり過ごして、朝になったらすぐに家に帰ろう。
「ん……?」
そう開き直って顔をあげた時、少し遠くにうっすらと明かりが見えた気がした。気のせい?いやでも、もし誰かが持っているランタンの明かりだったりしたら…そっちについて行けば森の外に出られる可能性がある。
人が持っている明かりなら、急がないと見失ってしまうかもしれない。少しだけ迷ったけれど、すぐに立ち上がって光の見えた方に歩き出した。
✳︎
10分程歩いて行くと、ようやく明かりの元と思われる場所に辿り着いた。目の前にあるそれは、一目で相当昔に建てられたとわかるぐらいには古めかしい館だ。
「こんなところに家があるなんて……」
期待していたようなランタンの明かりではなかったが、光があるだけマシだ。それに、家があるということは住人がいて、運が良ければ泊めてもらえるかもしれないとも一瞬考えた。しかし。
「どうみてももう人は住んで無さそう、だよね」
館を囲んでいたであろう柵は朽ち果て、壁面には蔦が蔓延り、庭の植物達も手入れされている様子は全く無い。大方館の主人が引っ越したか亡くなったかで、管理する人がいなくなってしまったのだろう。
それでも野宿よりは良いだろうと思い、とりあえず建物の中に入ってみようと試みる。館の大きな玄関扉のノブに手をかけると、幸い鍵はかかっていなかった。
扉を開けて中を覗く。やはり内装にも年季を感じたが、部屋全体や家具が思ったよりも綺麗な状態だったことに少し驚いた。雨風に晒されない分、劣化が遅くなっているのだろうか。
玄関を抜け、広間を通り、廊下に出る。館の中はかなり広く、部屋数も多い。結構なお金持ちが所有していた館なのだろうと思われた。
しばらく館の中を彷徨っていると、客室のような部屋が見えた。ドアに手をかけて中を覗き込んでみると、少しこじんまりとしているが予想通り滞在するのにちょうど良さそうな内装をしている。
「ここ、ベッドがあるし寝室だよね」
食堂や広間、倉庫なども道中で見かけたが、そのような場所に雑魚寝をするのも気が引ける。勝手に泊まろうとしている身で贅沢ではあるが、せっかくならよく眠れそうな場所で睡眠をとりたかった。
「ごめんなさい、一晩だけ寝床をお借りします……」
誰に向けてというわけでもないがなんとなく断りを入れてから、そっとベッドの上に横たわってみる。やはりベッドもかなり古いもののようで、乗った時にギィ、と軋むような音もしたけれど、意外と寝心地は悪くなかった。
歩き回って疲れていたのか、横になった瞬間に睡魔が襲ってくる。日が昇ったらすぐにここを出て家に帰らなくては、などと考えているうちに、私はいつの間にか眠ってしまっていた。
✳︎
コンコン、コンコン
「ん……、え?」
突然鳴り響いたノックの音で、すぐに目が覚めた。ドクン、ドクンと心臓が早鐘を打ち始める。もしかしたらこの館にはまだ主人がいて、今帰ってきたのだろうか。
確かに館の中が思ったよりも綺麗な状態だったことが気にかかっていたけれど、まさか今でもこんな森の奥に住んでいる人がいるなんて……
私は焦った。扉の向こうの人物からしたら、今の私は完全に空き巣にしか見えないだろう。扉が開けられた瞬間に取り押さえられたとしても、文句を言える立場ではない。それでも。
私は一度静かに深呼吸をし、扉の方へと向き直った。
「……あ、あのっ!」
私が声を上げた瞬間、鳴り続けていたノックの音がぴたりと止む。緊張で胃がキリキリと痛んでいたが、構わずに言葉を続けた。
「お、お家に勝手に入ったりして本当にごめんなさい!古い家だったから、もう誰も住んでないのかと思って」
扉の向こうからは何も返事がない。私の出方を伺っているのだろうか。相手が私に対してどんな反応をしているのかが全くわからず迷ったが、意を決して再び口を開く。
「その、貴方が迷惑だというならもちろんすぐに出ていくのですが……私、実は森の中で道に迷ってしまって。もし良ければ、ここに一晩だけ泊めてもらえませんか?」
不躾なお願いだとはわかっていたが、主人が優しい人である可能性に賭けた。勝手に家に入ってきた人間相手にわざわざノックをするような人ならば、対話の余地があるかもしれない。しかし、固唾を呑んで相手の返事を待っていても、一向に声は聞こえてこなかった。
流石に妙だと思い、ベッドから立ち上がって恐る恐る部屋の入り口の方へと近づく。もしかして部屋の前から居なくなった?いや、そんなはずは……と思いながら、そうっと扉を開けた。開けて、しまった。
「──きゃああああっ!??」
扉が開いて真っ先に目に飛び込んできたのは、背の高い男性の姿。しっかりと着こなされた黒いスーツに華奢な形の白い手袋、手に持った明かりの灯る白い燭台、そして……
「あ、な、なんでっ、頭がないの……?」
その男には首から上が無かった。本来なら小さな明かりに照らされて闇の中に浮かび上がるはずの顔が、どこにも無いのだ。
怖い。ここから逃げなきゃ。そう思っても体が動いてくれない。一目で人ならざる者だとわかるその出立ちに恐怖するあまり、私は叫んで尻餅をついたまま硬直してしまった。
「こんばんは。お嬢さん」
動けないでいる私に目の前から、低くてどこか機械的な抑揚をした声が語りかけてきた。口が無いのにどうしてだろう。いや、そんなことを考えている場合ではない。
「ここにお客様が訪れたのは、お嬢さんが初めてです。貴方を心より歓迎いたします」
「……へ?」
予想外の状況に予想外の言葉。既に頭がパンクしてしまいそうだった私は、つい間抜けな声を出してしまった。
「ですから、先程貴方が仰っていたようにここに泊まっていただいて全く問題ありませんよ」
「……え、っと」
状況が飲み込めないまま、なんとか冷静になろうとする。目の前の男は何故か友好的な態度をとってきているが、得体が知れないことには変わりない。とりあえずこの場を去るのがきっと正解だ。
「どこに行くのですか?」
「っ!」
部屋から飛び出して行こうとした私の腕が男によって掴まれる。放っておいてはくれないようだ。
「もしかして、居心地が良くなかったのですか。大変失礼いたしました。私は人間が喜ぶおもてなしというものについて疎いのです。何せ初めてのお客様ですから」
「、何も、しなくていいですっ!私もう、ここを出ていきますから」
「何故」
「……怖いから、です」
はぐらかすような余裕も無く、正直な理由が口から出てきてしまった。まずいかもしれないと思ったが、男は特に怒るでもなく少し考え込むような仕草を見せる。
「成程。それではどうすれば、貴方を怖がらせずもてなすことができますか」
「っそんなの、わかりません……というか、もてなす必要はないんです。私のことはもう放っておいてください……勝手に家に入ったりしてすみませんでした、では」
「そうですか。では、私なりに方法を考えてみます。こちらに来てください」
「えっ……?い、嫌っ!離して!」
再び部屋を出て逃げ出そうと試みたが、腕を強く掴まれてしまっているので、男のなすがままにどこかへと連れて行かれる。もてなしたい、怖がらせたくないと言いながらこちらの話は全然聞いてくれないようだ。
腕力で敵わないので、動揺しながらも大人しく男の後をついていく。しばらく進むと、先程見かけた食堂の前に辿り着いた。
「そちらに座って待っていてください、お嬢さん」
男はそう言うと食堂内の大きなダイニングテーブルを指し示し、自分はキッチンの方へ足を進めていく。
冗談じゃない。もはやこの場に1秒でも長く居たくなかった。男がキッチンに向かったのをきちんと見届けてから、足音を立てないように席を立つ。
もう少しで食堂から出られそうだ。そう思って少し気を緩めた瞬間、バタン、と大きな音を立てて目の前の扉が閉まった。
「なっ……」
なんで、と口に出す前に何が起こったのかを理解した。男が気配を感じさせることなく私の背後についてきていて、私の頭の上から腕を伸ばして扉を閉めたのだ。
「そう焦らずに。料理はすぐに出来ますよ」
相変わらず平坦で感情の読み取れない声だったが、外に出してくれる気は少しもないらしい。驚きでまだバクバクと鳴っている心臓を落ち着かせながら、私は仕方なく席へ戻った。
ほど無くして、キッチンから男が戻ってくる。両手には、この短時間でどうやって用意したのかと疑問に思うほどの料理を携えている。
「人間は皆料理を嗜むと聞いています。それが美味しいものであれば、殊更満足して幸福な気分になるのだと」
そう言って男は、私の目の前に数々の皿を並べ始めた。シチュー、パン、香草焼き、サラダなど種類はとても豊富である。全てを並べ終えると彼は私の向かい側の席に静かに座り、両手を広げて見せた。
「どうぞ、召し上がってください」
「……」
見た目はとても美味しそうで、漂ってくる香りも食欲をそそるものだ。お昼から何も口にしていないこともあって、正直食べたくないと言ったら嘘になる。しかし、得体の知れない存在が作った料理なのだ。考えなしに手を出してしまうわけにはいかなかった。
「お嬢さん?」
「……いら、ないです」
「貴方のために作りました」
「お腹、いっぱいで」
苦し紛れの嘘を呟いた直後、運の悪いことにぐぅ、と大きくお腹の虫が鳴いてしまった。動揺と恥ずかしさで顔が赤くなり、思わず俯く。
「何故、嘘をつくのです」
「う、これはえっと、……え、ひっ!?」
言い訳を考えていると、突然男が手を伸ばし私の顔を掴んできた。何か言う間も無く、男の指が私の口へと差し込まれる。
「ぁがっ……!」
そのまま親指を奥歯の方まで入れられ、口を閉じることができなくなった。手袋越しだとはいえ、男の指から全く体温が伝わってこないのが酷く不気味だ。
「お腹が空いているのなら、しっかり食事を摂るべきです」
「!?ひ、ひゃめへっ……」
カチャ、と食器が鳴る音がして、男が私に無理矢理料理を食べさせようとしていることにようやく気づいた。頭を横に振って逃れようとしても、力強く顔を拘束されているせいでびくともしない。
「っ、ぅっ……」
「大丈夫。そのまま飲み込んでください」
開かれたままの口にスプーンが差し込まれ、熱くてドロリとしたシチューが流し込まれていく。このまま食べてしまっては危ないという思いが何故か頭から離れなかった。しかし吐き出すことも出来ず、仕方なく口内のものを飲み込む。
「お味はどうでしょうか」
「……美味しい、ですけど」
そう返すと、男は心なしか満足げに見えた。調子づいたように、他の料理もどうぞと次々に食事を勧めてくる。一度食べてしまったらもう他を食べても食べなくても同じか、と私も少し諦め気味にそれを受け入れた。毒を食らわば皿までだ。
それに、出された料理はどれも美味しかった。空っぽのお腹が満たされていくのを感じる。けれど、料理を最初に口にする前感じた嫌な予感は、その後もずっと消えることがなかった。
✳︎
食事を終えた後、男はこちらが拍子抜けするくらいに何もしてこなかった。風呂に入ることを勧められ、風呂を出たら寝巻きが用意されており、待ち構えていた男に先程の寝室に案内され、とむしろかなり丁寧にもてなされている。
まだ警戒していたとはいえ、私が逃げようとすることをやめたからかもしれない。私は、男の人外めいた風貌と力の強さ、こちらの話を聞いてくれない態度から大人しく「もてなし」を受けていた方が良いと判断していた。
用意された寝巻きに身を包み、ベッドへと横たわる。一度身体を休める体勢になると、今まで緊張で忘れていた疲れがどっと押し寄せてきた。一瞬、このまま寝て朝まで過ごしてしまおうか、という考えが頭をよぎるがすぐにそれを打ち消した。
のこのこと寝てしまったら、あの男に何をされるかわからない。御伽話に出てくる怪物がそうするように、気を抜いたら取って喰われる、なんてこともないとは限らないのだ。
眠気と闘いながら、ベッドの中でじっと部屋を抜け出す機会を伺う。人ならざる存在が眠りにつくのかどうかはわからないが、せめてこちらがもう眠っていて動かないと思い込ませる必要があると思った。
*
……体感で、1時間ほどは経っただろうか。部屋の窓から見える空は先程よりも更に暗くなっている。そろそろ、出てもいい頃かもしれない。
極力音を立てないように、そっとベッドから出て寝室の扉を開ける。先程は気にならなかったが、廊下を歩いているとどんなに足音を殺していてもキィ、と軋む音が鳴ってしまうのが心臓に悪かった。
それでも静かに時間をかけて進んでいくと、ようやく玄関の扉まで辿り着いた。また安心で気が抜けそうになり、はっとして後ろを振り向く。けれど、視界に男は映らなかった。
胸を撫で下ろして扉に手をかける。今日は本当に長い夜だった。まだあたりは暗いけれど、頑張ってこの館から出来るだけ離れよう。そして朝になったらすぐに家に帰るんだ。
よし、と自分を勇気づけるように呟いて、扉を開けようと手に力を込める。しかし、そこで異変に気がついた。
「っ、出られない……!?」
扉は、どんなに強く押しても引いてもびくともしなかった。ここに入ってきた時は簡単に扉が開いたのに。予想外の事態に焦りが生じる中、内側から鍵をかけたのだろうかと咄嗟に鍵穴を探すが、信じられないことに鍵はどう見ても老朽化によって壊れているようだった。
何故扉が開かないのかがわからず、余計に焦りと不安が増す。もう物音を気にする余裕もなくて、力任せに扉を叩き、ドアノブをがちゃがちゃと動かしていた。どうして、どうして開かないの。お願い、開いて──
「こんばんは」
「っ!?」
聞きたくなかった無機質な声が耳に入る。全く気配を感じなかったのに、いつの間にかすぐ後ろにあの男が立っていた。はっとして振り返った瞬間に、ぐっと腕を掴まれる。
「離してっ!私、私は……」
「残念ですが、外出なら出来ません。寝室に戻りましょう」
「なん、で……っ、いやだっ!もう戻らない、私は家に帰るの!」
「貴方はもう帰れませんよ」
「……え」
「貴方も館の一部になったからです、私と同様に」
「っまさか、そんな」
そんなはずない、と言おうとして、すぐにある考えが頭をよぎった。思い当たる原因は1つしか無い。無理矢理食べさせられた時、とても嫌な予感がしたあの料理。あれには…一体何が入っていたんだろう。
吐き気を覚え、思わずその場に崩れ落ちて膝をついた。男はそんな私を見て、目線の高さを合わせるようにしてゆっくりと座り込む。そしてあろうことか、まるで慰めるかのように頭を優しく撫でてきた。自然と身体が強張り、手を払いのけようかとも思ったが、正直もうそんな気力も無かった。
「大丈夫。ここでは痛いことも辛いこともありません。悠久の時を幸福に過ごすことが出来るのですよ」
「……そんなの、いらない……どうして、こんなこと」
「理由など簡単なことです」
絞り出すように小さな声で呟いた私に、男は小さな子どもに対して穏やかに諭すように言う。
「貴方はこの館の最初で最後のお客様ですから。私が永遠に、もてなして差し上げたいのです」