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その二

モテないのはスポーツ経験がないからとのことである。実はスポーツをしていたところでモテる訳ではないと思うが、その経験が心のへこたれなさには繋がって行く訳で、モテなかった場合も潔く負けを認められるということにそれでなるのだろう。なるべくなら気持ちの良い負け方をしたいものである。たとえ自分一人のものと思おうとしても恋愛をする以上は勝負の舞台へと彼らは躍り出てしまっているのである。残念ながら。


いやなら、お見合いで良いんじゃないかと思いますね。

 桜とは全てがソメイヨシノなのであると信じて生きて来たかつての私だった。実際にはそんなことはなく、一口に桜といってもそれには様々な種類があるのだとかつての私へ教えてくれた人は、確かに、誰だか居たようだった。思い出されない。教えてくれたはずのその人のことを私は思い出すことが出来ない。代わりに教えてくれたその内容ばかりは次々と思い出されて来る。カンザン、イチヨウ、キクザクラ。シダレザクラに、ヤマザクラ。他にウコンに、エドヒガン。フゲンゾウなどと言う名の桜もある。マメザクラは富士に咲き、カンザクラは冬に咲く。桜は人の意の如くに交雑のせられて新たに産み出されたものも数多くある、が、自然交雑という成り行きを経て新しく生まれて来るものも少なくはないという。知識ばかりのことである。私は、例えばカンザンのその実際の姿を見てみても、それが本当にカンザンであるのだと判るのではない。ヤマザクラは山桜。それなら山辺に咲いていよう。キクザクラは菊桜。花弁はきっと菊のような形をしているのだ。つまり名前からその実際の姿を類推することで、実際ではなく想像であるというその似姿を答え合わせのように頭の内へと保持することは出来る。が、しかしそのようなことは前述の通りに想像に過ぎないという諸々の桜の似姿なのであって、実際の桜の姿なのでは必ずない。だからだいたい覚えていることでも、ふと気を掠め去って行くばかりの程度が遠い警笛のように鳴り消えて、私は結局、何を見てもソメイヨシノと思う感動でだけで済ましてしまわれる。今ばかりも全くそうだ。初めて私は車の通りすがる道端の脇に、桜の一本生えているのを発見した。子供が絵に描いてみたようなありきたりの桜が一本。それはソメイヨシノであるのに、私にとっては決まっている。

「貴様には倫理ということがありますか。あの時、あのガキは結局は無事だったのだろうが、そんなことは結果論で、頭が取られるとわめいて、本当にそんなふうに見えているという時に、全然、車を止めてやらないで、助けて、救おうとしないなんてことが、倫理道徳観念に照らし合わせて、有り得ますか。ないだろうが。だから貴様は人でなしだぞ」

 私は口を呆とさせて、外を眺めていながら運転手へと言っている。いや否むに、私は運転手へと独り言ちている。どれだけ悪態吐きにかまけた心境で言葉を後ろから放り投げてぶつけてみたのだとしても、それで反応を示すことの決してないというこの運転手を相手にすれば、投げかけるどのような言葉も卒然と独り切りになって行く。だから私は奇妙な案配を感じ続ける。明らかにそこに居る、という相手へと話しかけている言葉が即座に独言化しているというのに、それは全く私の内から深く滲み出して来るような独言ではないのだから、ただひたすらにしてそれは、私と彼との中間の空無に落ちて行くというだけのもの悲しい軌道を描くのである。

「さては貴様、貴様に起こったのではないと決め打ったな。事態が俺にだけに向かって来て、だから、俺だけがそれに関係をするという事態なのだと、貴様は決め打った。それだから、ぜったい何んにもするもんかと不行為を決め込んだ。弱い心だぜ。それは狭い。確かにあのガキは貴様のことをなんか気にも止めちゃいなかったんだった。そうすると貴様は頁を捲っているというだけの奴で、ただ人を運んでいて、そうだ、頁を捲るみたいにして、ぱらぱらぱらぱらと、それだけしか出来ないという傍観者である。第三者。そうやって自分のことを決め打っていやがるのだ、かなりずっとの間に。きっと、あんたは、そうなんですね」

 私は欠伸した。今、眠いのではないのだから、これは所謂生欠伸なのであって、つまり私は再び車酔いの前兆を身体に顕し始めている。車酔いをする体質をした人物が、自ら故も知れずに車上へ在り続けなければならないというこの境遇はとても不幸だ。それは苛立たしいほど緩慢な速度をして、いつまでも続いている。それは、いつまでも、ということであるのなら、永遠だ。しかし永遠がその実態を明らめている今しもの経緯は、染々と退屈で、何一つ面白くのないことの連続である。例えば人知の辿り着く最終的の面帯域を想定してみるとして、それは最終的であり且つ、面状をした帯域なのであるから謂わば荘厳で、華美な曼陀羅のような一枚をそこに求めてみたいというのが私の欲望だ。しかし現状に於いて永遠を知るということの実際は、かったるい速度をした車の目的知られぬ走行上に顕れただけなのである。のであるのだから、私は永遠というものの実態を永遠それ自体の知らしめる退屈さからとくとくと注がれ続けているという訳なのである。つまり私という存在をそのような湯器ならしめている生ぬるい退屈さが、退屈な上に永遠であるという永遠の退屈さの下に、それぞれの天地で、互いを定義し返し合っているという面白みのない行き交いの挾間へと私を陥らせていた。そこには言葉が踊るだけだ。そうして先述の通り、退屈しのぎに踊り出て行くその言葉にさえも報いを与えるものは誰一人とて居ない。早くも、小僧のことが恋しいという気に、私はなって来る。実際に彼との邂逅は、退屈では必ず無かった。私はやる方ないという無力さに目を瞑ってみるのである。

 ゆっくりと見開いた目は再び桜を見た。無論、先ほどとは別の桜だと思う。桜を今、車は通りすがった。すると又、別の新しい桜が植わっていて、それも通りすがった。田園の田園上に描いているように見えている、白んだ地平線らしい天地の境を、阻んでいるのが桜の幹、気付くとそれらが数本と植わっている。私は反対側にも目配せして、やはり数本生え伸びている桜のその凡庸な立ち姿を視認する。つまり辺りは、桜がちな辺りである。私はややこじんまりとして、丸っこく見えている桜の木々のそれぞれの凡庸さは先ず措いても、こうして変わり来た景色全体の在り方へは歓迎したいという気持ちを抱いた。目に移ろうものごとに新しい全景を得たいという求めは殆んど呼吸のようにしてされるものである。

「桜だね。桜というものには種類があるのだよ、貴様くん。貴様くん程度の知識分量では恐らく知りもすまいが、桜、と一口に言ってもそれには数多に種類があって、たとえばあれは恐らく、いや、必ずだ、必ずあれは、ほれ今通り過ぎたあれ、エドヒガンだね。俺は非常に詳しいよ。次いで右方向に見えて来ている、あのちょっと遠くの一本だな、あれなんかは微妙な違いだよ。貴様くん程度の眼力では殆んど同じものにしか見えないのだろうが、実を言うとあれは全然種類が他のものとは別で、学名を言うとテンプラアジシオエビイモネンシスと言って、シダレザクラの一種なのだが、西側ではあれをシダレナイザクラと呼ぶ。東側ではコヅツミと呼ぶが、それはあれがシダレザクラの一種であるということが学問上に知られる以前から東方諸地域を自生していたからで、実は西側には研究も進んで来た後に持ち込まれたのである。それで持ち込んだ者が桜学の第一人者であったものだから、通称も学に拠ったので、シダレナイザクラと西側では呼ばれたのだよ。つまり通称とは言うがそれは自然発生的に付いた名なのではなく、もっと学の先制した作為的な通称なのだ。しかし作為的とはいえ、シダレザクラというのが西に有名であったからこそそれと対となって広く親しまれる名へ自ずとなった。見た目はまあコヅツミと呼んだ方がそれらしいものだ。ところで、このコヅツミという名にも実は曰くがある。小包らしい見た目というところからそう呼ばれたというのは先ず一説、だが、地方に拠ればコヅツミというのは子包から来ているという。この説も桜学には未だに根強いのだ。子、包だぞ、貴様くん。子、包。子供、包、だ。さて貴様のように考える力量に乏しい者にはそれで少し寒気がして来るなんて感性反応も起こりようはないだろう。実に子包というのは、その名の通りに子供をその枝に包んでぶら下げたのである。何故、そんなことをしたのか。それは恐らく食うに困り果てた庶民の間引きと、地域の土俗的信仰から来る鎮魂とが結び付いた結果の行為であっただろう。これは民俗学的伝承に基づいた説だよ。先ず桜学の分野としてはそこまで重要なものではない、が後学の為にこれくらいの知識は貴様も修めておいて損はあるまい。人生は長いぞ。貴様のようなものが、おいくつかは判りかねるが、はたして貴様は、何歳ですか。男ですか、女ですか。車はどこで習った。運転な、運転。そんなに愛想が悪くて、教習所はどうして貴様になんか免許を与えたんだろうね。いや、そもそもこんなに直進しているというだけの運転に、免許なんてものは本来必要あるまいね。信号も無ければ、対向車もない。後続車もないし、それらはさっきから全然ない上に、俺はもう観念しているんだが、もう一生そんなものは有り得ないんだろう。なあ、あんたは一体、何者なんだ。それにこの車は一体、何なんだ」

 全体が話すということのプラクティスに過ぎないのである私の言葉は、続々と現れては空無に雪崩込んで行き、今はそこの吹き溜まりのような底部に鎮座をしている。日本の桜を愛でる風情というものにかつて信仰があったという可能性を追ってみるのも、それはそれで退屈しのぎである。私は底部へ光を当ててみた。平らかなところに幾本と植わる桜が走行に列れますますと増えて行く。そんな表を眺めていながら私は、コヅツミザクラに垂れ落ちた、白い子包みの袋を想像した。すると白い色は純白だった。小さな肉体を包んで膨らんでいる袋はどれも柔らかそうに揺れている。花弁は淡い、けれども桃色であるというその雲のような房である、それらが弱い風に吹かれるとそのとき、淡い色は一斉に痙攣をし出した。果たしてこのような想像の内に内発をして来る印象というものは、どうしても死をもたらすようなものではない。むしろそれは生誕の祝いであるように思われる。思われた。であるのならば、それはもう信仰の下に行われる生誕の祝儀であるより外に存在しようがなくなったのだ。私にとって。或いは私の内に示された、桜の木の白い子包みら自体にとって。

「桜、多いな」

 例えばそうした想像の内にのみ在られる信仰の桜の姿、私にとってそれが純白の子包みをいくつも垂れ下げているというコヅツミザクラ、のその姿が、多量に現れ出でているこの界隈にふと一つきりでも顕現をして来るというのなら、誑かされているものは、世界に因って私が、ではない、私に因って世界が、である。そうであるのなら私がこうして故知れずのまま車上に在るということの世界的な仕組みのその端緒を、私は胸に手繰り寄せるようにこの手をしてぐいと掴んでみせたのだろうと思う。しかし、往々にして、頭に思い描いているというだけのことが世に実現をし得ないという戒めばかりなのである世界とは、そうした私の認識の通りに今まさしく故知られぬ車のひた走るこの世界のことなのだと判った。その訳は、コヅツミが何処にも顕現していないからなのではない。コヅツミのようなものは無論、顕現していない。そこへ現れ出でて来ているものは、ただ幾本と疎らに植わっていた桜の木々のますますと密となって圧し合うような一帯の群体だった。あっと息を呑んで、気付いた時には桜の森である。桜の森を裂いた傷のように横断している道なりを車はひた向いて走っている。呆気に取られる。見ても見ても桜であるばかりの景色が見ようとしても通り過ぎて行く。しかしそれでも見ようとして食い入っている目の内側から、ごく小さな桜の木がまた生え伸びて来そうなほどに景色は淡い色の房にまみれている。ここで感性ということを取り沙汰するのなら今、それはひっきりなしの桜の色味に喘いで、溺れている。桜は事だという気がして来た。桜という事が、どしどしと巻き起こって来る。窓ガラスの一区画に覗ける一面の花弁が事である。波めいて来た。一台の車なのではなく一艘の船なのであると思われた。そうであるのなら桜の森とは既に桜の海のことだった。

 気付かれることは、確かに桜とは花々であるのだという単純な事実である。花弁の撫で擦るような近くにそれを見て行くと、なるほど、確かにその形状は様々である。その色味はどれも、似通っていたのだとしても実は些細に違う。私はソメイヨシノであるだけの桜の波に呑まれているのではないと判る。私はエドヒガンであり得カンザンであり得、フゲンゾウなのであり得る種々の桜の波に今、呑まれている。私の感性は。しかし車は恐らく呑まれてなどはいないのだろう。波めいた桜の群体が本当に波として近辺世界を流れているのではない。私は無数の花弁に洗われて行く車の実体を思い浮かべた。するとその時に気付いたことは、私は私を乗せているこの車の外見を知らない、ということだった。車種に詳しくない。また車種に興味を持たない。故に車種には詳しくないのであって、内装など見てみても何処も何かの手がかりとはし得ない。それに内装など見てみたところでそれは特別、私へと何をか訴えかけて来るようなものではない。故に車種には興味を持たないのである。尤もそもそもが、窓開閉もドアハンドルも側にないという車の種類など考えてみても仕方がない。つまり私は、恐らく世界の何処にも類例のなく求めようのないものに積載されている。そうしてそのものは走り続けている。桜の波間をひた向いて。

 私はフロントガラスへ目をやった。するとそこにも無数にある花弁が集っていて賑やかだった。

「桜の波間をひた向いて」

 私は思うのだったが、例えば車の意思ということを考える場合に先ず、車の意思などということは考えられないので、それは即ち運転手の意思を考えるのである。また直に、そんな運転手の意思などということも考えるのは止して、改めて思うに、桜の波間をひた向いて、と言うには言ったが、今やひた向く先など全く見えないんじゃねぇか、と結論付けた。ひた向いて行く、と言うのなら、前方ということが前提としてなければならないのであるが全くない。見たところ、そんなものは全く有り得ていない。確かに花々とは打ち合い擦れ合いして、何か躍動的な物理反応のその様子は窺われるのではある。ところが、打ち付けるものであり、擦り付けるものであるはずの主体性が、桜か車か、どちらにあるものかの判断が、この雑然さからはとても付き辛いのだ。車は動いている。確かに動いているはずなのであるが、前が見えぬというところから次第に、動いていてもそうして動いている甲斐はないというような気分に私がなって来て、すると結局どちらが動き、どちらが動かされているものか、その判別もよく出来なくなって来てしまっているのだ。そうとなれば私の感懐も、桜の波間をひた向いて、などという呑気なものではなくなってしまう。むしろひた向かれず桜の園の海上に遭難をしてしまっているというこの車は、そこを走っているのだとしても迷走をしているのである。花弁の集りに迷い込んだ虫であるかのように。或いはもう車もが、大きな指に結われて身動ぎのならず、ただ桜の花弁らと共に揺れ合っているという花束の中なのかもしれない。それなら車はも早、走行をしてはいないということになる。私は黙ってみる。勿論、私は先からずっと何ごとも発してはいなかった。しかしながらその上で、黙ってみようとして黙することを内観し始め、そうして改めて黙るというところから私は、感覚を働かせ直したかったのである。すると数多い種のある桜の花弁が一堂に会しているその美しさに、とにかく状況はどうあれそれが美しいものであるのだとする判り方が働きかけた。道迷うさ中にふと身を休める木陰からそれを見上げて美に感じ入るというようなことかもこれは知れない。尤も私は本来から座しているというだけである。と、不安に思われた気持ちのあったという心のことが前面に押し出されて来て、それが誤りだった、少なくともに誤りだったというその可能性はある、と次第に落ち着きを取り戻し始めた。どうでも私による統制は効かせようのなかった車の走行に、元々から抱かれていて良かったはずの不安が今になってその首をもたげたというのが実情であろう。そうであるなら、車の進行状況はともあれ座しているというだけの私の状況それ自体は何も変わりはしないのだ。不安はそうして、忽ちに安らぎを取り戻す。するとただ花弁の賑わいに美しさだけを見て取るという鑑賞の猶予が生まれ始めて、それは一息にただそればかりであるという地平へ私を導いて行った。返す返すもそんな地平は私の尻にとり、車の後部座席であるというだけの狭小な居場所に過ぎないのだったが。

 複合雑合に交錯し合っている桜の花叢を眺めていると、これは花が笑っているのだ、というように思われて来る。詩情である。しかし私個人にばかり濡れ落ちて来る詩情なのではないと思う。花の笑み、は、開かれた花を迎え入れる数多の心へと滴るはずの詩情である。そうして詩情とは、対象物へ自己本位的に積極的な介入を試みた結果である。花は笑む。花笑むというような古語にある花のような人の笑みとは、人のように笑ってみえる満開の花をインポートし直した表現である。それだから笑ってみえるという花を思う人の心にだけ笑みはその正体を明かしている。本当に笑んでいるのは人である。そう考えて、私は暫しの時を摘まんだ。摘ままれている時の中で花叢は一層濃くなった。ほの白い、又はほの赤い、という色の点々と付いた桜色は、直に影が射すのではないかと思われるほど濃厚になって来た。今、私には本当に、花が笑っているのだ、と思われている。そうなるとつまり、これは詩情ではない。単に花が笑っているか、そんな被害妄想を私が抱いているかのどちらかである。音は、わさわさと、擦れ合いをする優しげな、全体の音ばかりでそれは笑っていない。笑んでいるのはとにかく姿である。しかも姿が笑むばかりではなく何か声を上げて多様に笑っているという姿なのである。低く、高く、小さく、大きくと、多種多様である桜の成りの数だけ、笑みも花弁に充ちている。しかしながらそれらの笑みの多様さは桜というたった一つに傾倒をして、それを元にもっと大きな意味を束ね出しているのだと思う。私には、私の詩情をよそに笑んでいる桜の姿は見て取られるのだとしても、そうして笑んでいる花弁群体の笑みの意味をまでは測りかねていた。私の方の笑みを映しているという詩的投射の鏡のようである桜なのではそれはない、のであるのなら、その意味を知ることの困難はコミュニケーションを通してでしか取り除くことの出来ないだろう。

「桜よ、へいguys、笑っているだろう。そんなにして笑っている理由を述べよ」

 しかし花弁が人の言葉を解するというはずもなく、ただ打ち打たれ、擦れ合うという音を花弁は変わらず立てている、というその姿で笑んでいる、笑っているということも相変わらずに、姿ばかりが濃くなって私には感じられている。完全に、私は車の方はもう動いてはいないのだ、と思った。運転手を見た。ハンドルを握りしめている。その腕の影に足元を見ようとして身を乗り出すと足はアクセルペダルを踏んでいる、ように見える。私にそのように、見えているというその通りであるのなら、と顔を上げるとメーターは、車が必ず走行中であることを計測器に指針している。のであるのならば、車は走行をしている、で良いはずだ、と私は実感の伴わないままにそう思い直した。

 やはり車が走行をしているのであり、花の中を突破しているのであると考えるのならば私の、こうして対面している花弁とは、出会い続けては別れ続けているという一期一会の関係である訳だ。そうであるのなら笑んでいることへの問いは、それが問いなのである以上問答となって、一定程度互いの間隔を保ち合いする時が重要となって来る。こちらから通りすがるものへと問いかけてみても、そうして通りすがってしまっては答えを得られない。当然のことだった。だからとて、いつまでもこちらへ意図不明の笑みを投げ掛けられるという花の色美の密室に、私は閉じ込められていたいとも思わないのだ。桜は花々である。一様に見える桜にも種類のあることはも早実感された。それは見れば見るほど事実であった。しかし桜の花がそれぞれに美しいという時の止まったような真実の一面が、永遠に目前を引き続いて行くともなれば、永遠、たとえば人知の辿り着き得る面帯域という最終局面がこのような状況を満面に呈するのであったのだとしたら、それなら人知は何処にも辿り着かないでいた方が余程良い。その一面を以て、そこへの到着と共に生命を終えるのでなければ、約束が違う、華美なものでもただ一枚画であるのに過ぎない永遠は、生有るものにとって地獄のような苦しみを生んでいる。それでは約束が違う。

「おい、ハンドルを切れ」

 私は言った。

「右でも左でも良い。ハンドルを切りやがれ」

 やはり反応はなかった。止せば良いのに、こうなると判っていたのに、今、運転手から何の反応も得られないというそのことから堰を切ったように流れ込んで来るものは滂沱であった。堪え難さが殆んど私を立ち上がらせた。立とうというところが車内の低い天井に阻まれているのだから中腰である。それは居づらい。しかし堪え難さは座してなど居られないと私に思わせるほどのものだった。だから私は、立ち切られぬながらに身を大きくさせて、

「おい、貴様。貴様がハンドルを切らないのなら俺がやる。俺がこの車を明後日に突き飛ばしてやる。貴様はそこをどけ」

 私はそう言い終えてしまうか否かという瀬戸際には、自らの身を前方へと投げ出していた。身体ごとそっくりそのまま彼と入れ換えてしまうというようなつもりでしたそれは文字通りに身を捨て投げやる渾身のカージャックだった。しかし、とは言えこの世のことを厚かましく総べている物理原則は、私の身体を彼に溶かし込むというような超能力めいた荒業など認めてはいないのであって、つまり私は運転手へと身体ごとぶつかって行くというだけである。ハンドルさえ切り込んでしまわれればそれで良いのだ。桜の海から座礁する。後のことをなど考えては居られないのだからそれをしようとしている私が交通事故の懸念をなどは決してしようもないことだ。ハンドルへ飛び込み、それを握り、手ずから右方向へと身体の重みで一息に巻いた。その時、巻いた分だけのハンドルの戻りが凄まじい迫力で起こった。かかる私の身体ごとがまるきりに跳ね返って来たかのような重量の力が、こちらを瞬時に圧倒した。力は無力であった。私の自己であるようなハンドルの反発に、私自身が堪えられぬのである。助手席に仰向いて身体が、昼の布団のように反り返った。二本の腕が、突っ張ろうという宛もなくきちきちに伸びている。背中が力んだ。それでどうにかして体勢を整えようとしているのだ。

「貴様、何だっ」

 息も言葉も呑み込んでしまいながら、私は不器量に怒鳴った。吹き飛んだ顔は真っ赤だろう、熱い、喉も忽ちに熱くなって、掠れた痛みがとぐろを巻いている。傷を負ったマムシである。私はそのまま、私のことを痛がらせた運転手の面を睨み一つで打つ、もっと痛がらせてやりたいという恨みの思念を直通させながら、見た、見ている、見ているのであるというその時に、私は心ならずも時を摘まむ。その横顔を見忘れるはずはなかった。運転手は父であった。

 傷を負ったマムシは喉に居る。私はもっと死に瀕しているというようなナメクジとして梃子に上がった足をぬめりと、助手席に滑り込ませる。座り直した。見ている。どのように見てみても父は父、彼は運転手であった。

 果てしのなく見ている父の横顔を睨んだりはもうしない。私はただ、見続けているというだけである。そうして見続けて居ながら、一体これはどういうことだ、と私は思案に暮れている。父である。確かにそうである。しかし父であるということは一体どういうことなのだと思う。何故、父がここにこうして居て、私を乗せて車を運転しているものかのまるで判らない。その不可思議さは一通りのものではなかった。よしたとえそれが驚きなのにもせよ、故知れずという車上に一向こちらへとは何ごとも言わず、何ごとも持ち掛けずに済まして、ひたすら運転に徹したその操者が実は、父であった、突然に、父であった、というこの驚きは確かに驚きなのではある、が未だ実際、私に今しも抱かれているものとでは較べものにもならぬというくらいに、以上であるばかりの驚きなどは、私にとって必ず月並みなのだった。私の、父である。あらゆる人のあらゆる父なのではない。私の、父が私のことを乗せて、私と彼とのたった二人きりでドライブをしているというこの事態、状況なのである。それは極まりない驚愕を私へともたらしていた。父が、私のことを許しているはずなどは決してなかった。父であるという彼が、彼の許せはしない私のことを、彼の車に乗せているはずなど決してなかった。有り得ない。が、どのように見てもそれが父なのである以上は有り得ないと思わしい事態もここには必ず有り得ている。という訳で父なのである。私は身体をまさぐった。ふと思われたことは自らの年齢であった。もしかしたら、三十数年を生き長らえた私であるのだと強く自己暗示的に措定した上で、その幻に安住をして思い出されぬほどの長いあいだを息吹いて来たという幼い、ひじき小僧の年齢くらいなので未だ私は真実あるのかもしれない。何故ならばそれくらいの頃の二人であるのならば、このような状況にあることも少なくはなかったからである。相好の崩れた細い目と目尻とが、父の覗き込んで来る人懐こい微笑であったのだったが。と、そのように思ってまさぐっている手は直ちに否定的だった。小僧ぐらいの年齢をして措定する三十数年のその内に、父とのあのような不和を用意しているというような苦み走った人生の眼差しをあの頃の私ごときが観念の内に有しているとは考えづらい。考えづらい、と考察及ばせ、振り返られる過去があるという事実が既に、私の経年を自明のものとして物語っているのであるから、暮れている思案もそれで暮れてしまわれるだけの混乱を来しているのだろう、もはや車は桜の海を抜け出でて、あの変わらずの田舎道を直進するばかりであった。いずれにせよだ。父である。彼は未だ許してはいないのだと私は思う。しかし、間抜けな横顔である。

「父さん」

 私は呼んだ。反応はなかった。当然か、と思う。家を出てから口を聞いた試しはない。閉ざした唇がへの字に線を結んでいる。だが今は怒っているのでもないと直感でそうと判る。この呑気な不平面に幾度と苦しめられて来た子供心が僅かに疼いた。悪意のない男であると父を見ていて思う心が、その悪意のなさに他者の心への無頓着さを呼び付けているという父の性格的構造を、疎み、蔑もうとさえしていた。かつての日々の、それが青年の心というものである。僅かに疼いた。それならそれは、昔日の思い出のようには私に置き去りにはされなかったものだったのである。そうして置き去りにされていたはずの昔日の思い出というものも又、記憶の暗い淵から漂い始める霞みのように、心へと伴って浮揚し出している。それは今ようやく差し戻された宛先不明の郵便物のように、思い出されたその思い出自体の懐かしさをふいに私へと覚せしめている。或る心がきっかけとなって眠れる記憶に作用をするというのなら、何も思い出されないという記憶の不作用は、そこに何するものもない空虚な心ということを反って証明していたのかもしれない。私一人の人生に失望とは大仰に過ぎると思われている本心から、しかし人生への失望は確かに私にあったのだと認めざるを得ない。それはそこかしこに在り、心を楔のように打ち、いくつもの段階に於いて真剣に、私へと知らしめて来たのである所謂現実というものだった。望む心を打ち貫いて来る現実のことを楔と呼ぶだろう。そこから溢れ出して来る血を失望と呼ぶだろう。そうであるのなら、私は、人生のあらゆる段階で失望ということを必ず覚え、それに心身を必ず濡らして来たのである。人は先ずそうした経験から心へと何するものもないという空虚を会得して行くものだ。普遍である。常である。全く心の空虚とは、私一人だけのものではないという世界のことを計量するには長けている。しかし、それを味わおうとする楽しみ方を心の空虚は決してさせはしないものなのだ。このように思うのである時、未だこのように思うのではなかった頃の私の父への反抗の姿に、ただ若さ故のあやまちを見る、しかもそれをただ瑞々しいものとして見る、のでなければ今になって胸に何事かを思い出してみるという行いの甲斐など全く有り得はしなかった。そうだろう。父の横顔を見て居ながらかつての日々を思い出すということにかまけている私は、そうして心安らかだった。たとえ、未だ彼が私のことを許してはいなかったのだとしても。又或いは私の方こそが、彼のことを未だ許してはいなかったのだとしても。

 ああ、思い出した。完璧に。父と、二人きりで北海道の摩周湖へ行くという旅の計画があの時ふいに無くなったのである。それだから私たちは、あの約束を今になって互いに果たし合うという車上の人同士なのである。するともう、ぬりかべはどすんと退いているのだ。

「あのときは苦労してたね。設計事務所が潰れて、警備の仕事をしたりして、母さんは変な色のランドセルを売ってたね。たまの休みも急に入った仕事でよく潰れた。昼働いて、夜も働いてさ。父さん、あなたは家に始終居なかったよ。だからあの時も北海道には行けなかったんでしょう。でも正直に言うと、俺は残念じゃなかったんだよ。全然。あの頃の俺は全然、それで残念なんかじゃなかったんだよね。だって摩周湖ってさ、まず遠いんだよ。それにちょっと子供の俺には観光としてその場所って渋すぎたよ。あの時の俺ぐらいの歳のガキでね、仮に何かに乗りたいったっていつも乗ってるマツダの車なんかじゃ勿論ない訳よ、乗りたいってならジェットコースターとかだから。摩周湖に、ジェットコースター無いし、摩周湖まで車なんて、どうかしてるし、正直に言って残念じゃなかったっての、意味はイヤだったってことだからね。そう、でも今は行っておきゃ良かったって思いますよ。この世の見てみるべき美しいものなんてありふれていちゃいないんだから」

 父は黙っている。私は父を黙って見ていた。それから、

「摩周湖ってのは空の色で青いんだろ。知ってるよ。だけどこの目でそれを見てみるということには賛成です。そう本心から思えるんだから、むしろ今になってようやく向かうんで、そっちの方が絶対良かったんだな」

 違う。そんなことではない。そんなことを言いたいのではない。本心は、お喋りの肯定的なコミュニケイションの表層をより糸のように伸ばした神経の先で繰ってみせる。そうして本心はその裏で、開かれないドアをそれでも開こうとして、どん、どん、と叩き付けている。出られないと思う。それなら入って来て欲しいものだとも思う。しかし父は、黙りこくったまま彼のハンドルを握りしめていた。窓さえもが閉じたまま、父へ無自覚な離反を示したあの頃の空気というものをそこに封じ込めている。これでは何もかもが駄目だという気がする。父と差し向かうことの難しさは、運転席と助手席との位置関係からそのように感じられるという訳ではない。久しく疎遠であった仲とは言えその仲とは、父と息子との仲なのである。私は彼の息子として彼の望んでいることを恐らくは察している。それも明瞭に察している。謝罪である。一つ頭をし垂れるという謝罪が、彼の本心に勝利を衝いて響かせるようなものでなければならない。いじましいほどに弱って、平身低頭であるという私の敗北こそが彼には是非とも必要なのだと思う。彼はそれを求めているのだと思う。彼にとって報いることの少なかった社会の代価として私の敗北を父が求めている。恐ろしいほどによく判る。殆んど、見えている。父のその漫然な様子に隠されたものは、私にとっては常に隠されてはいないものだった。だからこそ私は、謝ることをなど決して出来はしないで居たのだ。

 しかし父が、そのような父であるというだけであるのならば、私はドアをぶっ叩いて、そこから抜け出そうとなどとは試してもみはしないはずだ。窓をかきむしるようにして誰彼構わずに助けを呼びたいというくらいな気持にもならないだろう。だが、それらの全てが実際に起こって来ているというこれまでの状況からして、父はただ彼の心にこじらせてしまったことを私に対して反映しているだけというようなつまらない人物なのではない。それは似たような境遇にある人物の誰しもがその通りにつまらぬというだけの人物なのではなかったのだとしても、私にとって一人きりである父の彼に対して私がそうと感じ取るのであるこの時には、彼へ掛けたいという期待の程も当然に、他ならぬ父ということからひとしおなものだったのだ。

 それでも本心から、負けてみる、などということが私に可能なのだろうか。いや否むに誰しも、負けて、みる、ことなどは本心から出来るものではない。この語義的な矛盾は心理的な矛盾と全く同期している。やはり不可能だと思った。仮に今滑らしているという通りの表層的なコミュニケイションを突端まで行き渡らせて、敗北し、そうして父との親密な交流を取り戻してみたのだとしても、それではいずれ私の再度の離反も避けられずにして起こって来ることだ。そうなれば決定的である。少なくとも現状に於いて、私にはそう思われる。二度目は決定的で、三度目はもうない。未だ手付かずである修復可能性をみすみす台無しにする訳にはいかないだろう。私はふいに黙って、しかしやはり父を見ていることは見ている。云年と経た上で見る彼の面は、経た年月の分だけに老いて見えるか。不思議と私は、あの頃のままである父の横顔を見ているのだという気がする。人というものの老いて行くその行き方は、他者にも自身にも必ず思いがけないところがあるものだ。そうした人生定理に照らし合わせてみれば、父はそう判り易いような老い方を彼自身にはさせずに済んで来たようである。となると、彼の現状は詳らかには知れず、しかし根本精神はあの時から変わりないという意味に於いて今日までの安泰を保って来たのだろうと私には思われた。私はふと首を伸ばした。バックミラーに映っている自身の顔を確認した。それからどうしても、老い、という経年の証明作用は、その経年の内容を少なからず反映するものだとしか思えなくなった。であるのならば、あれ以来から今日までという特定期間の上に、必死になって身を軋ませて来た私の方が甚だ老いてしまって、これで負けか、とふと思うと笑ってしまうのだ。笑ってしまったのは外でもない、実のところ、私は内心では既に、父の身をもってして来たはずの言い分こそは必ず正しかったのだと知っていたのである。

 そうして、四の五のと言わせぬお手本らしい正しさから逃れ出したいという一心が、かつての私の反抗だった。それはそれで多面に於ける一面の真実であった。たとえ一面に於いては多面を測ることなど必ず不可能なのだとしても。

(これでもそれなりに走っては来たのだ)

 以来来し方ということを思えばこそだ。言い訳なのではない。走り続けるということは車にも出来ない。ガソリン車ならばガソリンを差し入れねばならぬし、人ならば休息が必要だ。或いは私という存在は今、休息の局面にあるのかもしれない。つまり私は父との二人旅であるここに休息を見出だし、かねてから走らせていた自身の一面の真実へ、とうとう別れを告げるという機会を得たのかもしれない。それは誰の作為にも因るものではないと思う。偶さか、再会を果たしたというところに湧いて吹き出した機会だ。それなら、と思った。すると本心といえどもそれ自体、多面なものであるというその丸い姿が判って来るようだった。本心から謝れないという私が、本心から謝ることで父との和解を果たしたいと望んでいる。心的交流の氷解を望む心も又本心なのである。やはり私はこの機会に彼へ、本心から謝ってみる、ということをしなければならないのだ。たとえそれが、本心から負けてみる、ということを私に暗に了解をさせつつのことであったのだとしても、だ。

「父さん」

 私は言った。それから言い淀んだ。まごまごとしそうになった。言い訳から始まりそうになる。しかし、そんなことでは駄目だと思う。ええい、ままよ、というような捨て鉢の気味が二度、三度と内心に奮われた。ふいに私は、私の負けを、父が大喜びして高笑うのではないかと有り得ぬようなことを危惧した。或いはもっと、含むような嘲笑いにその横顔は歪み吊られるのではないか、と。それも又有り得ぬことだとはいえ、もし有ってみたのだとしたら恐ろしかった。分けても尤もらしいという点で私にとって癪になるのは、父が表面上そうとは思わせぬその内側に、勝者の暗い笑みを忍ばせて、ふいに殊更優しく振る舞うようになるというような彼の反応であった。それは有り得るのだ。誰しもに有るというような不可抗力のことなのだからそれは有り得る。と思い出すともう、そうなるのだとばかりに未来が思われ出す。やはり駄目だ。しかし駄目だ駄目だ、と否定は両翼にし合うもので、私はでんでん太鼓のように振り回された。ところがでんでん太鼓は望んでいるのではなかったのか。一つこれと決めてその為に奮い立ったのではなかったのか。ええい、ままよ、はも早四度目である。そうして五度目、六度目となって、殆んどもう決死であるという私は、

「ご、めんなさい」

 頭を垂れた。決死という割には出て来る声はか細いものだった。上手く発語することも出来なかった。父は、父を見ると光が射し込んで来て、父はと言っても、眩しくて彼を見られない。明け広がった土地に新緑の木々の並びから、全てを照り返させる日光がぎらぎらと光っているのだ。目が灼かれる。その目でフロントガラスを見る。円らである全ての輝きが、円らである目の炎に充てられている。私の目は今、灼き尽くしている血眼なのである。

「あのね、父さん、そんな黙っていちゃ困るよ」

 私は頭を押さえながら言った。頭痛がした。とびきりの日の光が一直線に貫通をしたのであるとき、灼かれたものは目ばかりではなかったのだろう。

「僕は、悪かったです。何がどう悪かったなんてことは、ごめんだけれど、説明させないで下さいよ。精一杯、やってみたんです。よく判りました。でも少し認めて下さい。ほんの少しで良いので、締め出さないでやって下さい、僕も自分の人生というのを考えなかったのではないのです。ああ、頭いてぇ」

 その時、電話が鳴った。サムスンのギャラクシーから、てんーてれてんーてんー、鳴って来る。そうか、とふと思う。当然、スマホはポケットに入っていたのである。私の灼熱の目は聡明そうに発光をする有機ELに冷めた。そうして見やると冷めるものは目ばかりではなくなった。発信者に、父、と表示されている。父、と表示されているからには、私の父である父の連絡先を、父、と入力をして保存したのである連絡先からのそれは発信である。疑いようのなく、そうである。私は隣に居る父を見た。見ようとした。しかし余りにも目映いのである夏の光が、私の視線を遮断し続けて間断ないのだ。諦めて私は電話に出た。

「あっ、出た」

 父の声がする。確かに父である。余りに突拍子のないようなその声に、私はため息を吐いた。

「あのね、父さん。平坦な道だって、ながら運転は危険ですよ。事故なんて起こるときには簡単に起こるんだから」

「なんだって?」

「事故です」

「なんで知ってる」

 父は驚いているようだった。それから彼は叔父の名を出して来た。ふいに私は隣を確認したいという猛烈な衝動に襲われた。

「いや、叔父さんは関係ないよ」

「それならなんで知ってる。ああ」

 と言うと父は、虫の知らせというもんが本当にあるんだな、と低く呟くように言った。私はその時に、確信した。父は動揺しながら喋っている、が、隣の父は一言ですら発していない。私はふいに火の玉を吐き出すように嗚咽じみて来て、

「なに、どうしたの」

 と口早に言った。電話越しの父はまた困惑し始めたようだった。しかし私はそんな彼の戸惑いを丁寧に拭い取ってやりたいというような悠長な気持ちには到底なられなかった。

「何かあったね」

「ああ」

「何があったの、言って」

「母さんがな、事故で」

「待って、大丈夫なんでしょ」

「今はまだな。しかし重体で、判らん」

 父は泣き出した。判らん、ちょっと判らんのだ、とおいおいと泣き出した。それならもう覚悟をしなければならないと彼は判っているのだ。

「しかし、まだ判らんのだし、お前は来なくたって良いんだ」

「行くよ」

 私はありったけの心をして答えた。

「仕事はどうする。してるだろ。休みは貰えるのか。忌引きとは違うからな」

「行くよ。必ず行くよ」

 私は再び火の玉を吐き出した。今すぐ行くよ、だから今すぐ俺を助けてくれ、と私は言い出しかねなかった。

「判った。しかし、まさか来てくれるとはな」

 ここで声を落とす父は意味深長だった。私はありとあらゆる危急存亡の為に万感募り来る心から、

「母さんのことだって、父さんのことだって、僕はまたたく間に飛んで行きたいよ!」

 と殆んど一喝をするようだった。父は、ありがとう、と言った。それから、ありがとうございます、と言い直した。父は、もう想像の中でしか知らないであろう私の姿に、社会的に健全立派なものを見て取ったのかもしれない。それは私に言わせれば幻に過ぎないのだったが、たとえば本当に彼がそのような幻想を思っていたのだとしても、それを甲斐甲斐しく解きほぐしてやって誤解を改めるというような心的の猶予は今、私にはなかった。

 そうして私たちは通話を終える。スマホを持つ手が鉛のように膝元へどさりと落ちる。私は振り向いた。

「だから、貴様は、何者なんだ」

 既に光を追い越している車内には、謂わばひじきであるというだけの面をした運転手が鎮座をしているのだった。

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