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嗚呼(アア)、不思議。

作者: 原竜胆

 今年の夏休みは幽霊を視ない!

 それを目標にパワースポットに出掛けたのが一ヶ月前。従兄弟ん家に行っては毎年ユーレイに当たり、プールに出掛けては幽霊を目撃し。


 新オープンのプールやぞ。なんでユーレイいてん!? 高かったのに。入場料返せぇ。


 そんな、べそをかきながらの夏休みも通常運転となり、慣れっこ、倦怠期、いや今年こそ幽霊のない夏を。怖いのはテレビ番組のホラーだけで充分。

 何を隠そう怖いものは怖い。いつから視だしたのか。いまだに怖いのだ。

 誰にも言ったことがない。霊感はないのだ。なんならそもそもユーレイを信じていない。のぉぷろぶれむ。スピリチュアルとは無縁なのだ。怪しい、胡散臭い、騙している、そういうのは興味ありません。

 視えているのは幻覚で、たまに聞こえる聞こえてはならない声は幻聴で、そーです、おかしいのはこの胸、この頭ってわけ。なんでおかしなものを感じるのかな。感じるからしゃーない。

 子供の頃はぬいぐるみの声が聞こえていて、母が捨てようとするから本気で怒ったこともあるが、そう思ってしまうだけで、本当は生きていないし、動いていないことも知っていた。でも動いて見えるし話しているのが聞こえるし仕方ない。

 このあいだも体が勝手によけるから驚いて前を見たら、気づいていなかったけれど車が前から来ていて、知っててよけたみたいになったけれど、よけられたのがなぜだかだった。車がもっと近寄ればその時に気づいて目に入って結局よけていたのかもしれないけれど体が先にしたようだから。上手くゆえないけれど。車の音はたまたまか静かな今時の車なのか、しなかった、まあたまにあることだ。よけているなんてそんな訳分からんちんな事は覚えているのは一度だけど忘れてもいそうだけどそんなふうな把握できないことはよける以外にもいくらもあって、知っていることよりも知らないことの方が信用できる気もする。

 だけどまだ待たなければ。

 自分の言葉で言うのはまだ早い。秘密にしようと言うんじゃない。勘違いされないのとさせないののためだ、と思う。失敗を避けるみたいでずるいだろうか。

 ぬいぐるみだってトイなんとかと言う某アニメのように動いていたわけではなかった。人間とは違うのだから。人間のようには動かないのだ。その尊厳? が分かるだろうか。ぬいぐるみが人間のように動いたら違うのだ。ぬいぐるみはぬいぐるみのように動く。それが分かるだろうか。視たことがあるから分かるけれど。ぬいぐるみだから動く、のかもしれない。花ならばそんなふうには動かないだろう。あたかも存在が動いているかのような、それは、もちろんなぜか動作とは違う。でも違う違う言ってもどうだろう。わけ分かるかな。からかっているみたいか。

 ともかく、言葉は規定の流れをなぞる。本当はそうじゃなく言葉の響きがあるはずでも、大抵は走り出して思っていない方へいく。相手にも頭があるのだから仕方がない。でも自分が悪いようにも思う。相応しい言葉を言えないのか。言えたらどうなるのだろうか。

 何かが視えて幽霊のようだから幽霊と言っていて、死んだ人が見える自分だとは思っていなくて、パワースポットだのと思ってどこそこを事前の思い込みで視に行くのは嫌で、でもそれなのに計算してしまってパワースポットなら何も視えないかななんて。視たくなくて。そんなのを計算とはゆわないだろうけど。

 何も視えないのを期待して、すると着いてみれば、あのパワースポットはヒドかった。言いたくないけど。言わなくていいんだよね。ほんとはね。

 新しくできた友達に、キレイでいいことばかり起こるところを知っていると言う人がいて、そのパワースポットや、素敵だという喫茶店にも連れて行ってもらったけれど、どちらも、その……

 夏休み明けに学校で会う約束をして、同学年と言うから言われたクラスを覗きに行ったら「そんな人いないよ」と。

 流石に怖くなった。

 そう言えば素敵な喫茶店には別の人と行ったっけ? そこは素敵だった気がする。

 誰かのことを嫌ったんだろうか。忘れてしまったのかも。その人がその誰かってわけかも。自分のそこそこにやかましい気分屋加減には日頃から心当たりがあるし、キライ、なんてやらかした?

 あっというまに今年の夏は幽霊を視ないは、ぱあになった。夏は夏休みから、と思ったらしい。夏休み中ことあるごとに幽霊らしきものを視てなんだかくじけてしまった。夏に視ず次は秋にも視ないと目標を上げていこうとうっすら思っていたのでどうやら気がつけばずっ~~……と視ていないぞ! となるつもりだったらしい。もうやになってしまった。まだまだ夏休み明けで今年も夏もまだ続くのに。はぁ。

 好きだと思いながら嫌いだとも同時に思う相手がいて、それは同じ人のことで、好きで素敵なあの人のことを嫌いだと思う自分がいた?

 それは後で思ってしまっただけで本人には言っていないのだろうか。セーフ?

 その人は誰だっけ?

 友達に連れて行ってもらうか、友達と会って素敵なところに行くかは言い方の違いなだけかもしれないのに、なんだか違うみたい。

 自分で行っているかどうか?

 やっぱり素敵なあの人も素敵な場所もあったんだ。

 誰とどこにいても素敵にしよう、とそう思って、出掛けるときも、あるのに、そんなときはどうやらきっと自分の表れていることも表れていないことも利用しなくちゃならなくて、大変で、そして悲しくも、そのうちの弱いところはそんな時に輪を掛けて弱くなってしまうのだろう。

 そんなことを重ねていると、今度もまた弱さの続きではあるから、気になっていた不可思議にはやがて答えらしきものが出ている気がする。いい感じ。

 それも頑張りだけど。大変だし。

 一方で、素敵なことをするときの、力業で喜ぶ頑張りは、楽なような、大変なような、行き着く先が怖いような。

 パワースポットを、自分のなかで、良いところだって、しようとしたんだろうか。その理由が必要だった? それに使った?

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