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石と誰かの物語

火星の星なの

作者: 河 美子

石と誰かの物語です。

 ピンヒールの靴を買った。

 なんと7センチのヒールだけど、これを履くとものすごく美脚に見える。普段はスニーカーだから膝もきつい。

「何、このハイヒール」

 素っ頓狂な声を上げるのは妹のエリカ。

「お姉ちゃん、こんなの履いて大丈夫? スニーカーやサボしか履いてないのに」

「大丈夫だから買ったの」

「うっそー、これ履いて誰に見せるの」

「違うわよ、これ履くとすごくシャンとするの」

「履かせて」

 妹は制止する前に勝手に履いて玄関の前でポーズを決める。

「ダメよ、あんたには23センチは入らないでしょ」

「ぴったり」

「嘘よ、あんたは23.5でしょう。広げないで」

「ほら、ぴったりよ」

「早く脱いで」

 妹を押しのけて靴を奪い返す。心なしか広がった気がする。

「やめてよ、新しいのに」

「ふーん、お姉ちゃんが靴を買う時って好きな人ができた時だよね」

 この妙に鋭い嗅覚が妹にはある。

「放っておいて。別に意味はないんだから。バーゲンでたまたま安かったの」

「そうかなあ。こんな履き心地の悪い靴なんて見せるだけでしょう」

「あなたはそうでも私は違うの」

 にやにや笑いながら妹は私を覗き込む。

「陽菜さん、早く言ってしまいなさい。どこの誰を好きになったの?」

「うるさいわね」

 玄関で問い詰められたらすぐに話してしまいそうになる。妹は夢は刑事っていうからぴったりね。我が家は会社員の父と保育士の母、短大生の私に高校3年の妹。一つ違いだけど私よりずっと大人びている。

 その夜、母が真面目な顔をして私たちの前に座った。

「お父さんから大事な話があるの」

 無口な父が娘たちに向かって口を開いた。

「神戸のおじさんの店が倒産したんだ」

 神戸のおじさんは父の弟でブティックをしていた。奥さんとは二年前に離婚して子どもは二人ともおばさんが連れて行った。なぜそうなったかはよくわからない。でも、そのおじさんの店とどういう関係があるんだろう。

「実はあの店を開くときに保証人になっていて、倒産したとなるとその借金がうちにも掛かってくる」

「え、いやだあ、そんなの」

 エリカは大声で不平を言う。

「まあ、聞きなさい」

 父は妹に向かって言った。

「借金はおじいちゃんが土地や家を処分してあと足りない分を、うちが払うことになりそうだ」

「私たちの学校は?」

 恐る恐る聞いてみた。

「うん、大丈夫だよ。うちは夫婦で働いているし、そこまではしなくてもいいだろう。でも、家を建てるつもりだった貯金はなくなる」

「そんなあ、おじさんが払えばいいじゃん」

 母が妹の肩を抱きながら

「それで足りないからうちに来るのよ。最初から保証人は嫌だったのよ。でも、おじいちゃんやおばあちゃんにも頼まれたし、良治さんは他人には頼めないって」

「頑張ってやっていたが、光江さんが家を出た時に貯金通帳を渡してしまったというか、持って出たそうだ」

「そんな、ひどいわよ。無関係な我が家まで借金をとられるのに」

 妹をなだめながらも母もそうねと呟いた。

 父は淡々と語るがここ数日両親が夜遅くまで話し合っているのは気づいていた。

 ヒールを買ったことを後悔し始めた。バイトをして買ったのだけど、こんな実用的でない靴をどうして買ったのか、ただ付き合い始めたボーイフレンドの浩介に見せたくて一万円以上もするのに買ってしまった。普段は五千円前後の靴しか買わないのに。部屋に戻って自分の通帳を見ると、二十三万円超という数字が。意を決して父の前に持っていく。

「お父さん、これを使って」

 娘の通帳をじっと見ながら、父と母が顔を見合わせてから言った。

「いいんだよ、僕たちの預金でどうにかなるんだから。ボーナスから貯めていけばいいんだから。二人の小遣いやお年玉を貯めてきたものを使うほど僕らも弱気じゃないよ。気持ちはすごくうれしいけど」

「本当よ。どうにかなるわ」

 私は二人の預金を聞いたことがあった。確か、二千万円はあった。それがすべて消えてしまったのか。

「おじいちゃんたちも家を売るし、随分と大変なことになったが、幸いみんな健康だ。これからしばらく働けばまた少しずつ貯金もできるよ」

「おじいちゃんたちはどこに住むの?」

「市営住宅の空きがあってそこにうつるそうだ」

 あの大きな松のあるおじいちゃんの家。築山があって庭木の剪定をするのがおじいちゃんの趣味だったのに。

「おじさんはどうするの?」

「ああ、店も光江さんの才覚があって始めたものだし、良治ではどうにもならないだろう。仕方ないがしばらくはおじいちゃんたちと一緒に暮らすことになるだろう。良治のマンションも手放したそうだよ」

「なんてこと」

 本当にこういうことがあるのかと、他人事だった連帯保証人の話。ドラマや小説ではなくて我が家に降りかかった話。母の脱力感は大変なものだったろう。先ほどから涙がこぼれて止まらない様子だ。

「あのね、学校は止めてもいいよ」

「いいんだよ、生活は変わらないさ。ただ貯金がないからそこは大変だけど。母さんには本当に申し訳ないよ」

 父は泣いている母を見つめながらうなだれた。

「お父さん、本当にこの通帳預けておくから。困ったら使って。バイト代も入れるから」

 そう言うと、母の方が声を上げて泣いて部屋を出て行った。エリカはすぐ使ってしまうからたった数千円しかない通帳とにらめっこしながら泣いていた。

「私って本当にダメなやつ」

「そんなことないよ」

 妹を抱きしめた。やっぱり妹は可愛い。

 翌日、ヒールの靴を袋に入れて、レシートを持って靴店に行った。

「これ返品したいんです」

「あら、お似合いでしたのに」

 店員はすぐに応じてくれそうにない。

「家が倒産したんです」

 その一言から、あわてて店員は返品の手続きをしてくれた。こんなに効き目のある言葉なのか。なんだかつまらない。握りしめたお札を財布に入れてハンバーガー店のバイトに向かう。

「おはよう」

 バイト先の浩介はいつものさわやかな笑顔だ。

 急に涙がこぼれてきた。

「どうした」

「後で、話を聞いて」

「あ、ああ」

 私の涙など彼は見たことない。本当に驚いて戸惑っているようだ。

「僕も話があるから」

「うん」

 バイトが終わっても授業に急ぐため、会うのは7時となった。学校は友だちと卒業旅行の話の続きだったが突然キャンセルすると言う私の話にみんなブーイング。昨夜の話を伝えるとみんな無言になった。

「陽菜、大丈夫?」

「うん、やめることも考えたけど、両親の預金を出すことで決着するらしいの。それでも、これからはバイト代も入れようと思う」

 沈んでいく友だちの表情。自然とそこには居づらくなって席を立った。

 昨日までの華やかな話はこんなにもあっけなく終わるのか。セブ島に行こうと貯金していた。もうそんなことは無理だ。母のうつ症状も気になる。今朝は起きれず、保育園を休んでいた。

 急に勉強もしたくなる。昨日までは公務員の勉強なんてそこそこしかしなかったが、今日は質問までしたくなる。こんなにも大切な時間だったのかと今更ながらのんべんだらりと暮らしていたことに腹が立つ。

 ノートもしっかり取って、待ち合わせ場所に行く。

 浩介とは書店の中にあるカフェで待ち合わせ。彼はもう来ていた。

「待った?」

「ううん、僕も今来た」

 こうやってゆっくり話すのは三回目。付き合いだしたばかりの私たち。向かいあうと話しづらいので隣に座る。

「実はね、連帯保証人に父がなっていて。父の弟の店がつぶれたので借金がうちにかかってきたの」

 浩介は目を見開いて事の成り行きを聞いていた。何も口を挟まずに私の話を聞き続けた。泣いている母のこと、祖父母が家を明け渡すこと、そしてなぜか靴の話。見せたかったヒール。

「大変だな。でも君のお父さんはつらいだろうね。お母さんにも申し訳なく思うだろうし、おじいちゃんたちのことも心配だろうし」

「うん、でも、私たちの学校や生活は変わらないからって。でも、そういうわけにもいかないよね、貯めてきたお金がパーになるんだもの」

「そうだね、僕だったら相手を殴り倒しそうだな。でも、自分の弟なら仕方ないか」

「うん、なんかショックで震えが止まらない」

 隣り合って座っていたから、浩介が手を握ってくれた。震えていた手を握られると、涙があふれてきた。

「大丈夫だよ、君たち家族は。乗り越えられるさ」

 頷きながら浩介の手を握り返した。

「そんなときに決まらない話だけど、僕の話はね、これ」

 ポケットから出てきたのは黒い石のペンダント。

「なあに、これ」

「君へのプレゼント。タイミング悪いね」

「え?」

「実はね、この石磨いたの、僕なんだ。科学博物館に勤めてる父が昔から石を集めていてね、ダイヤとかエメラルドとかではもちろんなくて、黒曜石とか雲母とかなんだ。でも、その中からきれいな石を選んでもらったんだ。これ、ヘマタイト」

 きらきら光る石だが、不思議に心惹かれる。

「勝負運とか、自信を持つとか言う意味があって、アスリートが持つことが多いんだって。それに火星でもヘマタイトは見つかってるよ。夢があるだろ」

「これ、火星の?」

「違うよ、探査機で見つけたのはNASAにあるよ、これはイギリス産」

「ふーん」

「宝石というほどではないけど、今の君には向いてるかな」

「そうだね、すごくいい石」

 早速身に着ける。

「あ、いいねえ」

「ありがとう。本当にうれしい」

 ヒールではないけど、スニーカーとシンプルなグレーのセーターによく似合う。

「うん、いいよ、似合う」

 満足そうな浩介。これをせっせと磨いていたと思うと可愛いし気持ちが嬉しい。

 店を出ると、自然に手をつなぐ。さっき初めて握られた手。それが二人を引き寄せていくのか。いつもより話もどんどん弾む。胸で揺れるヘマタイト。

 二人でこんなに話をできるなんてぎくしゃくした二回目までのデートが嘘みたい。

 浩介が磨いたヘマタイト。

 自信を持たせるって、本当みたい。

 母にも貸してあげようかな。


 エリカにはやめとこう。

 

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