書いたことが実現する彼女と未来のことがわかる彼の恋愛は成就するのか
学業が本業である学生が情事にうつつを抜かすなどあってはならない。
男女間で成就もしないであろう将来設計を語り合う仲になるなど言語道断、許しがたい。これは私の掲げた崇高な持論であり。他人に強要する持論である。本質などとうの昔に見失った、哀れにも青春マジックにかかる者どもが犇めき合うこの学び舎で何を学べというのか。
俺はそうそうにネガネをかけた気弱そうな、名前すら曖昧である社会の教師からの、有難い授業の視聴権を放棄して思案に耽った。
こんな俺にも楽しみはある。
この七限目の終了のチャイムがなれば、俺にとってこの学校に来る意味とも言える時間が訪れるのだ。
それはある女性との逢瀬である。
おっと、俺がさっき真っ向から否定した、恋愛とかいう無粋なものと一緒にしてもらっては困る。学生がする恋愛とは大方、本物の愛とはかけ離れた劣情によって成り立っている。ならばそれを恋愛などとは言えない。そこんじょそこらの本物の愛さえ知らない年端のいかない若者どもが、ある種の勘違いで、それと間違いで男女の関係を持つに至ったとしてもだ、一体それは何処まで到達するのか。一年かそこらで別れるのが関の山。何故ならば彼ら彼女らが抱いていた思いとは本物の愛などではなかったのだから。
話は逸れたが、俺と彼女の関係とはそんな紛い物の愛で形成されてはいない。少なくとも俺からの愛は、一片の不純物すら紛れていない純度100%の愛なのだ。向こうはどうかは今のところ分からないが。故にこの関係を、俺の思いを他の学生達の恋愛なんかとは一緒くたに考えるべきでは無い。俺が思い描いているのは、もっと一段階上にある恋愛だ。
彼女に思いを馳せていると退屈に思えた授業も光の如し速度であっという間に過ぎ去っていった。チャイムが鳴った。しかし焦ることは無い。俺が取るべき行動は全て事前に決まっている。
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彼女は今日は図書館にいるはずである。逸る気持ちを隠そうとしない心臓に酸素を送り込んで、抑制を促す。そしてもう一度スマホを見て一連の流れを再確認した。ある程度の落ち着きを感じた俺は、目の前の図書館へと、そして彼女へと通づる扉を開けた。
とても綺麗な演出だった。
淡い日差しが窓から照らされ、その窓の隙間から風が入り込むとカーテンが舞った。その風から自らの綺麗に整った髪型を守ろうと頭に手をやる一人の女性。その姿と所作は俺でなくとも魅入ってしまうほど美しかった。
俺は彼女へと近づく。
『あかりさん、何を読んでいるんだい』
俺はそう問いかけた。彼女の視線が、本から俺へと持ち上げられて、俺はドキッとしてしまう。
『ああ、こうさん。私が読んでいるのはなんのことはないただの小説ですよ。ただオススメのコーナーにあった小説に、適当に目を通してしただけです』
彼女が読書好きなのは俺も知っている。というか彼女が読書好きだったから俺と彼女はこの図書室で出会えたのだ。
『そうだ、私今日は本屋に新刊を買いに行こうと思っていたんです。良かったら一緒にどうですか』
本来俺は今日の放課後に歯医者に行く予定があったのだが、昨日の夜のうちに親に頼み込んで日時を変更してもらっている。
『そうか、なら俺もついて行こうかな。特にこれといった用事もないし』
『そうですか、それは良かった』
ここまでは順調である。彼女と本屋デートなんて願ってもみない話だ。やはり今日一日受けたくもない授業に参加して良かった。
彼女は読書を切り上げて荷物をまとめる。そして、内容がお気に召さなかったのか、途中であったにも関わらずに本を棚に戻した。まあ、読書をしてくれていたという事実だけで俺にとっては十分だからいいけど。
扉付近で待機していた俺に向かって、駆け足で近づいてくる彼女の姿はとても愛くるしくてスマホの待ち受けにしたいほどだった、
『行きましょうか』
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『そういえば、今週末に駅前でお祭りがあるみたいですね』
『そうみたいだな。花火なんかもあがるみたいだ。ここら辺の祭りでは最大規模だから出店も沢山出るだろうな』
『こうさんは誰かと行くんですか』
私は極力さりげなくそう投げかけた。
自分で書いたから返答も決まってるとはいえ、恥ずかしさを感じないかというのは話が別です。
『いや、あいにく予定は入っていないんだ』
『なら私と行きませんか? 私もあいにく誰とも行く予定がないんです』
よし、変な感じにはなってない、と思う。あ、もしかして顔赤くなってるかも。私はさりげなく耳を自分の冷たい手のひらで包みます。
『いいね、いくなら花火が打ち上がる最終日だ』
『それがいいですね。今から楽しみです』
その当日の内容は、より時間をかけて綿密に練り上げないと。しかし楽しみすぎて今から顔がニヤけてしまっているのは、気づかれていないでしょうか。そこからも他愛のない決まったやり取りをして、本屋に着いてしまいました。
もう少しゆっくり歩いても良かったかも。
ああ、何故彼と一緒にいる時間はこうも短いのだろう。有史以来最大の謎であります。
『もう買う本は決まってるの?』
『はい、この恋愛小説を買いたくて』
私は入ってすぐに平積みにされていた、お目当ての恋愛小説を手に取ってそう言いました。この本は前から私の好きな作家さんの新作です。この作家さんの作品にハズレは無いですからね。
『興味がおありでしたら私が読み終わった後に貸しましょうか』
『じゃあお言葉に甘えて貸してもらおうかな』
そう彼が言った。恋愛小説の貸し借りの真髄は、読み終わったあとに行われる互いの恋愛観の語り合いにあります。より仲が深まること間違いなし。何より私が書きやすい。最近少々ネタ切れに困っていたところです。
そんなふうに思っていると、私たちの甘い空間に突如として横槍を入れる者がいました。
「おや、こうくんじゃない。昨日も本屋来てたのに連日でのお越し? 今日発売のこの官能小説でも買いに来たの?」
彼に親しげにそう話しかける者がいました。妙に距離が近いこの女は確か──そうだ、彼のクラスメイトで、自宅の本屋で手伝いをしてるとか...。この本屋を選んだのは失敗だったかもしれませんね。
「んなもん買うわけないだろ。俺には、会計時にその本を定員に差し出す勇気は無い」
「ええ、クラスメイトにちょっとあれな漫画の会計はさせるのに?」
「お前ちょっと黙れよ」
馴れ馴れしい女も、話してる彼も気に入らなくて、私はさっさと本の会計を済まして帰ってしまいました。どうせこの後は本屋で解散する予定だったし構わないでしょう。帰ってから少し自分の行いを反省したけど、やっぱり彼が親しげに喋る姿を思い出すだけで胸がモヤモヤするのでした。
だけれどいつまでも落ち込んでいる訳にもいきません。私には家に帰ってからやるべきことがあるのですから──
──それはとある小説サイトの更新。
といっても読者側じゃない。私は物語を創る側として、その小説サイトに半年前辺りから小説を挙げ続けてます。
有名なサイトには挙げていません。ホームページからして安っぽさが匂っているサイトに私は自作の小説を挙げています。何故私がそんな辺鄙なサイトに、土日以外一日も休むことなく投稿し続けているのかと言うと、それは一重にそのサイトには不思議な力があると信じているからです。
ここで私が書いている小説のジャンルを紹介したいと思います。
《恋愛》です。ですけれど閲覧数はそう多くありません。それもそのはず大して面白みのない小説を書いてますから。具体的に言うと、とある女の子と男の子の、学生同士の恋愛小説です。投稿を始めてから一度も大きい進展なんかはありません。恋愛のジャンルで正しいのだろうかと自分でも疑問に思うほど、なんの進展もありません。ただ、普通のことを、その二人が図書室あるい下校中に話し合うだけ。
けれどそれで構わないんです。
どうして? と思いますか?
それはその登場人物が私とこうさんだからです。そしてこのサイトに書かれた小説もどきの内容は、全て現実世界でも再現されるのですから。これ程素晴らしいサイトは他にはありません。
私は友達もいず、本が友達なんて思っていた根暗な女だったので毎日図書室に入り浸ってました。しかしそれはただ本を読むのが目的だっただけじゃありません。私と同じように毎日図書室に通う彼の姿を見ていたかったからでもありました。
そう、私は彼のことがとても気になっていたのです。
そこで、当時私は小説をいつか書いてみたいと思っていたので、思い切って彼との恋愛小説を書いてみようと奮起したのです。しかし書いてみたはいいものの、変に現実主義な私に、突飛した彼との恋愛がかけるはずもなく、その小説はただ男の子が女の子に話しかけるだけの薄い内容になってしまいました。
これではただの私の妄想です。
ですけど、せっかく書いたこの小説を無駄にするのは勿体ないと思う私と、そうは言ってもこんな完成度の低い小説が認められるわけないという私とがせめぎあった結果、ものすごくマイナーなこのサイトに投稿してみようと決めたのです。
誰に見られなくてもいいとさえ思ってました。その小説の内容は、ささやかな願いでしかありませんでしたから。例えるなら正月の初詣で、神様への頼み事は他の人には言わないのと同じような、そんな感覚でした。
そしてその、ささやかな私の願いはかなったのです。次の日も、相も変わらず図書室へと足を運んだ私が、上段に置かれていた目当ての小説が取れずに困っていたところ、横から伸びてくる手がありました。
そして──
『これが取りたかったの?』
と、私が書いた恋愛小説まんまの台詞を彼が言ったのです。私はすかさず、
『そうなんです。ありがとうございます』
と言いました。そしたら彼は、
『この人の書く小説面白いよね、君も好きなの?』
と、またまた私の思い描いていた通りの台詞を返してくれたのです。その日から私と彼は図書室で話すような仲になりました、といった感じです。
彼と仲良くなれたのは純粋に喜ばしい事なのですが、一つだけ懸念があります。それは、もし私が小説で、彼が私に告白するシーンを書いたとしたら本当にそうなってしまうのかということです。
ああ、いえ、この小説投稿サイトの不思議な効力を疑っているんじゃないんです。多分告白シーンを書いたらその通りになると思います。ですが、そしたら彼の本当の気持ちはどうなるのでしょうか。強制的に、好きでもない女を好きにしてしまうようなことが、あっていいのでしょうか。
そう途端に私は怖くなってしまいます。
だから私は進展のない恋愛小説を書き続けるしかないのです。
小説を書くのを辞める勇気もありませんから。
******
俺は家に着いてベットに身を投げた。
気持ち的には投身自殺の気分で身を投げた。しかしながら俺を迎え入れるのは柔らかい感触。俺は行き場のない、後悔やら自分への怒りやらで身を捩って、人には到底見せられない奇行に走った。
ああ、彼女の買い物に付き合うと言っておきながら彼女を放っておいてクラスメイトと話し込んでしまうとは。申し訳が立たない。元はと言えばあの女が悪い。よりにもよってあかりさんの前で、ちょっとあれな本を買ったことをばらすとは。おかげで弁明に必死になって彼女が姿を消していることに気が付かなかった。
確かに小説は彼女が小説を買うところまでで途切れてはいたけれど、印象が悪くなったのは間違いない。
俺はしばし天井を見つめてボーッとしていたが、いつまでもこうしてる訳にもいかない。俺には家に帰ってからやるべきことがあるのだから──
それは、とある小説の更新を確認することである。それは土日を除いて毎日更新される。ジャンルは《恋愛》だ。ネット小説を常日頃から読みまくっている俺はある日、見たこともない小説サイトを見つけた。そして新しく更新された小説、からその小説を見つける。
思えばあれが運命の分岐点であっただろう。
その小説は一見つまらないものだったかもしれない。だが、こと俺にとっては評価が真逆であった。何故ならばその小説の内容は俺にとってとても身近に感じられたからだ。その小説は俺の決意を後押しした。いつも図書室にいるあの女の子に話しかけようという、かなり前からの決意を。
次の日に相も変わらず懲りずに図書室に向かった俺は彼女の動向をずっと伺っていた。傍から見れば不審者そのもので、実際、図書委員は明らかに俺を変質者を見るようま眼差しで見ていたが、そんなことは気にもとめない。
そしてやっと、機会が訪れた。偶然にも昨日見た小説の通りの機会が。だから俺は迷うことなく話しかけれたのだった。
それ以来ずっと、欠かさずにその小説の更新を確認している。俺は確信している。
この小説は預言書と同等の代物なのだと。そうでなければ説明がつかない。逆にそう考えれば辻褄があう。というか深く考える必要なんてないのだ。この小説のおかげで意中の彼女との距離を縮めているのだから
──と、まあそんなふうに思っていたのだが、進展らしい進展はこの半年間訪れなかった。まだ時期尚早だと言うのか。
いや、わかっている。自分から動き出さないものに勝利は勝ち取れないという当たり前の摂理はわかっている。だけれど一体どうしてこの小説を無視できようか。そうだ、私は怖いのだ。この小説に従っていればまず間違いないのに、自らの行動でそれが壊れてしまうのが。白状しようとも。
しかし中々行動に移すのは難しかった。
預言なのだとしたら、従わずに行動するのは余計なことなのではないか。
だが、俺は彼女との会話において“自分の言葉”で喋っていないのでないか。だとしたらこの歪な関係性は一体いつまで保たれるのか。
もし小説に、彼女への告白シーンが書かれたら時は満ちたと自信を持って俺は彼女に告白してしまうのか。そんな小説を利用するのではなく、小説に己を左右されるような駒に成り下がっていいのか。
けれど結局書かれている会話を使えば、彼女との会話内容に困ることもない訳で...
自問は留まらない。
そして、俺は決断をする。
機会は次の祭りだ。
そこで俺は“自分の言葉”で、決着をつけよう。
******
『楽しかったですね、花火大会』
「そうだね、とても綺麗だったし、屋台も全て満喫出来たよ──ところで一つ、大事な話があるんだけど」
目の前の彼は真剣な面持ちでそう言った。対する私はと言うと、酷く動揺していた。だってそんな台詞を、私は書いていないのですから。考えましたが、私は予め用意してあった台詞を言いました『もう暗いですし、お気をつけてお帰りください』と。
他の言葉は出てきませんでした。
その状況にこの台詞は適していないなんてことは分かっていたのに。
「君が好きなんだ、付き合って欲しい」
私はまたもや驚かされました。というより理解できませんでした。唐突に予定外のことが起こった上に、彼の口から有り得ない言葉が飛び出したものですから当然といえば当然です。
私は何も言えませんでした。
そして迷った挙句、当初の順序通り、『それでは』と言おうと決めました。
わかっています、全く場に適した台詞じゃないことは、そんなことはわかっています。
私は台詞を言おうとすると──
「君の、“君自身の言葉”で答えて欲しい」
と彼は言いました。
私は、
私は──
私の想いは────
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事の顛末を語るなんて野暮なことはしません。それに恥ずかしいですし、他人に聞かるようなものでもありませんし。
ですけれど、これだとあまりにも締まりませんから、これだけは伝えておきたいと思います。
あの後、私の書く小説のジャンルは《恋愛》ではなく、ただの面白みのない、とある二人についての《日記》になったとだけ、伝えておきたいと思います。
良ければ評価してね