野間家の御曹司
破天荒な素間は、常に庄助を振り回します。いつもはくだらない町の噂拾いばかりなのですが、今回は神隠しの実態ということで、庄助は少しやる気になります。
(四)
「だから、あたしはこの子と飯を食いに来たんです」
「若旦那、そりゃあ困ります。この子、間の山の子じゃあありませんか」
宇治橋から五十鈴川を伝って街道沿いの店をやり過ごし、路地を入った料理屋の前で素間は女と言い合っている。
大杉の暖簾の前、困惑顔の女は年増だがなかなかの別嬪だ。
「それがなんです。この子はあたしの大切な……」余計な口を叩く素間に、「わてはここで」と身を引く庄助の脛を、素間はすかさず蹴り上げる。寝た子を起こされては庄助に反論の余地はない。
同火は二十一日間の物忌み。それじゃあ商売あがったりと頭を振る女に、腹が減ってるもんに飯を食わせるのが料理屋だろうと素間は一歩も譲らない。
火が穢れを伝える力を持つという認識から、伊勢の住人は穢人と同じ火で焚いた物の飲食を避ける。
穢人のための別火を持つ店はいずれ手頃な値段で飯を食わせる飯屋ばかりだ。品の良い料理屋は一軒もない。
「あたしはね、腹が減ってるんだよ。だから飯を食わしておくれ」
「ですから。若旦那お一人なら」
食い下がる素間に女も負けてはいない。素間を手こずらせる女には庄助の口の端も上がる。いいぞ頑張れと女に肩入れする庄助に、
「この子は特別なんだ」素間は意味深な目を女に向けた。
「それじゃあ……」まじまじと女に見据えられ、庄助は身を縮める。
「間の山の庄助さ」素間の言葉に女の目が泳いだ。「あらまぁ……」興味深げな女の視線に庄助は肩を落とす。色子疑惑は伊勢の町にまで行き渡っているか。
「わかったかい、お熊」素間の言葉に女がつい、と目を逸らせた。「けど……」女が上目使いで庄助を見る。
わては素間の色子やないで――。
言いたくて言えぬ言葉が喉に痞えた。町に出れば穢人は人でなし。余計な口は許されん。
「何しとんや、お熊」がらり、と開いた格子戸に庄助は目を向けた。
「はい。両手に花を愛でております」
お熊と庄助を両腕に抱えた素間がにっ、と笑う。
「こらまた若旦那」目を剥いた大杉の主は、「ようおいで、庄助」とにっこりと笑んだ。
*
「良い稼ぎになりますねぇ。庄助、お前、しばらくあたしと商いしませんか」
畳の匂いも新しい、こぢんまりした奥座敷。素間は膨らんだ巾着を手に紅い唇を綻ばせる。五つあった万金丹は完売、素間は三百文を手に入れすっかり上機嫌。
店を継ぐ気のない素間だが、気まぐれに万金丹を調合する。
伊勢名物万金丹と言えば、そもそもが野間万金丹。野間家の初代が金剛證寺の虚空蔵菩薩様から処方を賜ったものだと言う。跡を継いだ一族が商品化して大人気を得た、有り難い万病薬だ。
ただの腹痛薬だとは素間の言だが、伊勢おしろいと共に人気の土産物となっている。
今は伊勢の町に多く立ち並ぶ万金丹の店は、各々に自店の正当性を主張するが、何と言っても一番は野間万金丹。虚空蔵菩薩様縁の有り難い薬たる触れ込みは大きいだろうが、素間の影響は否めない。素間の気まぐれ万金丹は実に良く効くと評判だ。
薄毛の悩みから精力の衰え、女の月のものの悩みから子供の眼病まで、ありとあらゆる症状に的確に効く素間万金丹は、大いに野間万金丹の名を世間に知らしめている。
ただし、気まぐれな素間万金の発売日は定まらず品数も僅か。よって人々は野間万金丹に度々足を運ぶ。結果、常に行列のできる野間万金丹は、伊勢一番の万金丹店舗として名を馳せている。結構あくどい商法である。
したたかな御師の隠居が、穢れ祓いの万金丹たる訝しげな品に飛びついた理由も、素間万金丹の評判に基づいている。素間はただの放蕩息子ではない。
「在庫はありますか」とすぐさま飛びついた大杉の主もさすがに元御師。他家に先を越されてはならんと、買い占めを申し入れた。
「まったく。御師の商魂は逞しい。皆さん同じことを仰る。あたしは構いませんよ。常の野間万金丹が高値で売れれば親爺様のご機嫌取りにはなる」
しれっ、と言ってのける素間は、ご老人から銭を騙し取るとんでもない悪党だ。
ぽかん、と口を開けた大杉の主は、「嘘なんですか?」と目を剥いた。
「嘘も方便、効くも八卦、効かぬも八卦。何ごとも気の持ちようということです」
素間は適当な言葉を吐いてにこっ、と笑う。
「薬なんて皆、そんなもんですよ。万人に効く薬なんかありゃしない。穢れなんてもんは人の心の中にあるもんです。胃の腑がすっきりしたら、祓えたような気になるもんですよ、庄助、よーく覚えておきなさい」
なるほどその通りですなと、頷いた大杉の主は庄助に非難の目を向けたご隠居らを思っているのだろう。
大杉の主に従って暖簾を潜った庄助に、店先で饂飩を啜るご隠居らは眦を吊り上げた。
別火のない店で穢人に飯を食わせるのかと、いきり立ったご隠居に素間が取り出したのが穢れ祓いの万金丹。
素間の口車に載せられた隠居らは常の万金丹に高い銭を支払い、庄助を黙認したわけだ。
「わかったらさっさとおいで。せっかくの飯が冷めちまう」座敷の端に縮こまる庄助を手招く素間にはちょっと感謝して、
「飯が冷める前にはっきりしようじゃあないか。あたしの祝儀を横流しにした、あの童はいったい何者だっ」
膳についた庄助に素間は容赦なく扇を叩き付ける。素間に騙されてはいかん。
「あらぁ太兵やて。網受けはまだ不慣れやから、わてがちぃと助けたっただけやっ。お前、男やろ、一旦投げた銭にがたがた言うなっ」涙目でがなり立てる庄助に、
「男ですよ。お前が一番良く知ってるじゃあありませんか……」素間は余計な口を叩く。堪忍袋の緒が切れた庄助は箸を掴んで芋に突き立てる。素間の口に押し込んだ箸がぺっ、と吐き出されて庄助の額を突いた。
「この野郎っ」庄助が繰り出した拳が、「結構なお味で」頭を下げた素間の上を通過して、柱を打った。「痛ってーっ」叫んだ庄助の口を素間が塞ぐ。
「賑やかな子だね。ここは料理屋なんだからね、あまり騒ぐと出入り禁止になっちまうよ」
塞いだ手に歯を立てた庄助は、つんと鼻を突き上げた刺激に涙する。わさびは苦手だ。涙を零して素間を睨めば、
「別に泣くこたぁない。よし、あたしが食べさせてやろう」
素早く料理を刺した素間は、身を引いた庄助をこちょっ、とやって大量の料理を押し込んだ。苦しさに再び涙が零れる。こんなに泣ける食事は初めてだ。
「仲がいいんですねぇ」ぽそり、と呟いた主に、
「それはもうこれ以上ないほどに……」
物言えぬ庄助をこれ幸いと素間は勝手な言を吐く。
「噂は本当なんですか」遠慮がちな主に、
「人の口に戸は建てられません」素間は意味深な言葉で返す。
必死に首を横に振った庄助は、食い物が喉に詰まって思わず顎を引いた。
「そうですか」淋しげな笑みを浮かべる大杉の主に、
「あたしがついていれば、庄助の先は安泰です」
にかっ、と笑う素間の横っ面は張り倒してやりたい。大杉の主もまた、庄助の大事なご贔屓だ。きちんと真実を知っておいて欲しい。
「そやな。芸人には色々と苦労があろう。隠居の身の儂にはしてやれることも限られる。若旦那がついていれば怖い物なしや。可愛がってもらいなさい、儂はお前が幸せならそんでええんや」
ちっとも幸せやないぞと思いつつ、慈愛に満ちた目が庄助の胸を熱くする。こんな目で見られた経験は一度もない。くすぐったい思いで口の中の物を飲み下し、「誤解です」とようやく飛び出した庄助の言葉を、
「ご隠居様、幸福大夫様がおみえです」
お熊の溌剌とした声がかき消した。
(六)
「さて。邪魔者が消えました」
箸を置いた素間の膳はきれいに空になっている。
「美味しかったですね」品良く笑う素間は胃の腑が収まって機嫌が直ったらしい。
「余計な口叩きやがってっ」と噛み付く庄助に、「何の話です?」素間は澄まして湯飲みに手を添えた。
「噂を認めてどないする」と噛みつく庄助に、
「認めてなどいません。あたしは人の口に戸は建てられぬと言ったまで」と素間は涼しい顔でのたまわる。
「庄助、あたしは腹が朽ちたんだ」言われなくとも見ればわかる。
「お前の網受けはもういい」十分遊んだから満足だろう。
「ここはね、料理屋なんだ」騒ぐと出入り禁止になる……。
「だから噂を事実にはできないよ」それが余計な口と言う。
「何で違うと言えんかっ!」
だんっ、と叩いた畳に、素間がぴょんと撥ねた。「あれあれ」呑気な声を上げた素間の手から湯飲みが飛び上がった。目を剥いた庄助の頭に今度は熱い雨が降る。
「わかったっ、もういい。なんや阿呆らしなってきたわ。早う用件に入ってくれんか」
ぽんっ、と投げ出した手拭いから小判が一つ。素間は目を細めて、「よく見つけたねぇ」とぱちぱち手を叩いた。
「わてを馬鹿にしとんのかっ」噛み付く庄助に、
「お前はそんなに賢くないから」素間は庄助の手に小判を握らせる。
「馬鹿にしとるやないかっ」「いいえ。慈しんでいるんです」
庄助に用事を言いつける時、素間は庄助の小屋に小判を置いていく。当人がお宝探しと銘打つ遊びは、既に四年も続いている。
「草鞋に貼り付けてありぁ馬鹿でもわかるわっ。探させるつもりならもっと真剣に隠さんかっ」
初めてのお宝探しは眠っている庄助の額に貼ってあった。その次は粥の中、下帯の間と、常に探さずともわかる場所にある。
「だって。見つけてもらえなきゃ意味ないだろ? 賢くないお前には毎度苦労する」
「だったら、直接言え」
毎日顔を合わせる素間と何故にまどろっこしい真似をせねばならん。
「だからお前は詮が無いと言うんです」
何でもあからさまでは機微がない。毎日顔を合わせるからこそ、密やかな部分は大切だと、素間は庄助を窘める。
二人の間に機微も密やかも必要ないと、庄助は単刀直入に訊ねた。
「んで? わざわざ料理屋なんぞに引っ張り込むってぇことは、いよいよ大事の仕事なんやろうな。お前のお遊びにはもう飽きたぞっ」
素間の用事は実に他愛ない。
○○町の△屋の三男の暮らしぶりを調べてこいとか、□町の長屋でお内儀らの噂話を集めておいでとか。あまりのくだらなさに庄助は一度、不満を申し立てたことがある。
「馬鹿だね。目付衆だって聞き込みができて一人前なんだ」素間はけろりとのたまった。
間の山の住人には、山田奉行所の与力同心の下で、捕縄、十手を持ち、捕り物に関わる目付衆がいる。常は宇治、山田三方会合の監視下にあり、行動を限られる穢人だが捕り物に関してその制限はない。堂々と伊勢各地を飛び回る目付衆は若衆の憧れだ。
とは言え常に捕り物があるはずもなく、犯罪の元となりそうな輩に張り付き、情報を集めるのも目付衆の仕事だ。そんな目付衆の役を請け負うのは牛谷の者であり残念ながら拝田にその役はない。よって素間自らがお奉行となり、庄助に目付衆を命じたわけだ。
報酬があれば付き合うものの、大人の素間にいつまでもごっこ遊びもどうかと庄助は思っている。
「お前はいい年をこいてと、思っているんだろうが。餓鬼の使いにしちゃあお前も薹が立ちすぎだ。お前も随分と役に立つようになったから、いよいよ事件捜査といこうじゃないか」
餓鬼の使いは頂けん。庄助は立派に素間奉行の役に立っている。
くだらん町の情報は素間万金丹の役に立つ。皆が求める売薬には行列が出来る。多少高価でも飛ぶように売れる素間万金丹は野間家の名を世に轟かせている。ある意味素間は立派な跡取りとも言える。だが目付衆に焦がれる正義の人庄助は、悪人(素間)の手先は心苦しい。できれば罰が当たる前に奉行所ごっことは縁を切りたいと思っていたが、事件と聞けば心も動く。人様の役に立てば大神様のお目こぼしもある。
「殺しか? 盗人か? 牛谷のもんを出し抜いたら、奉行所はわてに十手を預けるかもしれんな。拝田の親分なんてええ響きや」興奮を抑え切れん庄助に、
「ほんとにお前は馬鹿だねぇ。お前に捕り物ができるわけなかろう。目付衆にも仕来りがあるのさ。素人が勝手に手出しはできないんだよ」素間は素気なく水を差す。
「けど、これは大事件に繋がるかもしれん調べだよ。牛谷のもんに気付かれぬよう、しっかりおやり」
話は終わりとばかりに素間はさっさと腰を上げた。
「張り合うのかっ」牛谷に恨みはないが、憧れの目付衆と対決となれば心が躍る。庄助が目付衆を出し抜けば、拝田の親分も実現するかもしれん。
「まさか。気付かれんようにといったろ? ことは牛谷の秘密に関わるかもしれんのだよ」
さらり、とのたまって素間は襖に手を当てた。
「牛谷で神隠しがあった。お前、それを調べておいで」
「阿呆、そんなことできるかっ」慌てて素間の袖を引いた庄助を、
「お前の気持ちはわかるけれど。あたしにだって都合があるんだ」素間はそっと押しやった。
すっ、と開いた襖から大杉の主が顔を覗かせる。「もうお帰りか?」
「はい。ですがこの子があたしの袖を離さなくて……」素間の言葉に庄助は頭を抱えた。
(七)
光と闇が入り交じる、逢魔ヶ刻は神さんのお散歩の刻。伊勢では常識の忌み刻は、和御魂と荒御魂が出会う時刻でもある。
神域伊勢では、二つの神が出会う時刻には伊勢の住人誰もが外出を控える。間の山の芸人も同じだ。
「坊は姉ちゃんと二人きりか」人気のない逢魔ヶ刻の辻に物憂げな男の声。
「うんっ。母ちゃんが死んじまって今は」応える声は健気な童だ。
「父ちゃんはどうした?」
「いないよそんなの。だから母ちゃんが三味線弾けなくなって、姉ちゃんと二人で稼いでるんだ。でも姉ちゃんの目が見えなくなって……」
拝(太)田村期待の童(兵)に、盲(庄)しいた姉(助)ちゃんの出番はなさそうだ。
「偉いなぁ、坊」「おいらが姉ちゃんを守らなくちゃ」「くーっ、泣けるなぁ」
じゃらじゃらと銭の雨が降って、足早に足音が遠ざかる。
(わての廻りは悪人ばかりか……)
御高祖頭巾の頭を下げ、庄助は薄闇に溶けて行く旅人に手を合わせた。
「一貫文くらいはありそうやな。庄助さん、こんでどないやろ」
蓙に散らばる銭を拾い集める太兵に庄助は顔を顰めた。
「十分や。ええからもうお帰り。じき日が暮れる」
神さんのお散歩に出くわせば……
「神さんに喰われるで」伊勢で神隠しを意味する合い言葉は民人の誉れ。
「庄助さんこそ。別嬪さんは狙われる」
だが人の増えた伊勢では人を喰うは人ばかり。伊勢参りから戻らぬ女子供の数は多い。
神隠しが誉れの伊勢でも、奉行所は犯罪防止に努めねばならん。
御師邸では夕刻に盛大な宴が開かれ、目付衆は手下を従えて夕刻に町へと繰り出す。
――夕刻の外出は控えるべし。
奉行所は神さんへの礼儀を匂わせつつ、犯罪への注意を促すお触れを出している。
仕来りに厳しい拝田村では、夕刻には女衆が童を確認に回る。素間の遊びに付き合う庄助と共に、太兵がいて良いはずはない。
「銭に困っとんやったら、わいに施しなんてせんでええんや」と、本日の稼ぎを差し出す太兵にこそ困りもの。
庄助の女姿は素間の仕事を請け負う時の衣装であり、太兵と物乞い芝居をするための衣装じゃない。
支度を調えこっそりと出てきたつもりが、不覚にも追尾に気付かず物乞い芝居とあいなった。太兵は庄助が稼ぎに出たと勘違いしている。
銭に困ってなどおらん。たまに初心に返るも修行だと庄助の苦しい言い訳に、ならば間の山一若衆の修行を見て帰ると、太兵は返す。
早く太兵を帰したい庄助は、母ちゃんの具合はどうだと太兵の泣き所を突いた。太兵の母、お静は数月前から寝込んでいる。
「素間さんに診てもろた」と笑う太兵に、庄助は頭を抱えた。
店を継ぐ気のない素間を、野間家当主は医者にしようと師をつけている。水庵先生は伊勢で有名な町医者だ。
頭の良い素間は既に医学を身につけ、是非に都で学ぶべきとの水庵先生の勧めを断って銭をもてあます芸人村で医者として活躍中だ。
高価な素間万金丹を手に、素間は祝儀を取り返そうと太兵の家に乗り込んだに違いない。
「精をつけて、薬飲んで、気長に養生すれば良うなるやろうって。薬は続けないかん言うから、わいはもっと働かんと」
(精をつけて養生すれば、誰でも元気にならんか)
だが、薬を続けると気長にが引っかかる。
(良くないのか)
そもそも顔色の悪いお静は太兵が網受け衆に決まって気が緩んだか。ならば太兵は傍にいてやるべきだ。
「お前にもお呼ばれを振ってくれるよう素間に頼んだるから。もうお帰り」と言う庄助に頭を振る太兵は頑なだ。
(弱ったな)庄助は闇が忍び寄る牛谷坂を見遣った。そろそろ本日、庄助が迎える予定の相手が来る頃合いだ。
「あのな、わての修行に童を付き合わせたと知れたら――」大目玉だと言いかけた庄助は、ひたひたと坂を昇る足音に口を閉ざした。夕陽と闇を縫って近づく人影に目を凝らす。「こらあかん」太兵が雑木林に飛び込んだ。
(太兵を巻き込むわけにはいかんわ)
出直そうと御高祖頭巾に手を掛けた庄助は、
「あんた、紫の君やないか?」
目当ての相手のめざとさに舌打ちした。
*
「へぇ。ほんまにおるんやな。話には聞いとったけど儂にゃあ縁のないお人やと思うとったわ。あんた伊勢の町の辻占やろ? ここらは穢所やで、町のもんが来る場所やない」
まじまじと庄助を眺め倒す男は庄助が情報収集にと狙いをつけた相手、牛谷の一番手若衆、茂吉だ。体格の良い童顔が金太郎の愛称で親しまれる茂吉とは、互いにしのぎを削る間柄だ。
「お前様は茂吉さん。うちはお前様を待っとりましてん。本日、目付衆の手伝いでおはらい町に行ってはりましたやろ。そろそろお帰りの頃合いやと」
太兵の視線を背で感じつつ、袂から取り出した水の珠を手の平に載せれば、茂吉が小さく息を呑む。夕陽を受けて輝く水の珠は野間家の家宝。野間家当主は息子のお遊びに気付いていない。
「龍の目や」呟いた茂吉に、庄助は胸を痛めた。
茂吉が近頃占いに凝っているとは既に承知。見目と違って金太郎は意外にも繊細だ。
悪玉(素間)の手先となり、茂吉を利用するのは心苦しい。だが、拝田の庄助が牛谷を探るには他に術はない。間の山芸人として伊勢を盛り立てる拝田と牛谷は互いに主張し合う間柄だ。
今や伊勢名物ともなった網受けは、そもそもが鳥屋尾左京なる者が編み笠を槍の先に縛り、高らかな大音声で参宮者の気を引いたのが始まりだ。見事な槍使いが参宮者の賞賛を集めた槍の名人鳥屋尾左京は牛谷縁の者であると牛谷は主張する。
対して拝田は、間の山芸人とは拝田一族を示す呼称であり、我らは古から大神様に仕える芸能の神縁の者。
そもそも間の山の賑わいはお杉お玉が始まりであり、とびきりの美人姉妹と伝わる二人は拝田の者である。芸人の女が巫女として客と閨を共にするのは古の倣いであり、おかげで拝田村には見目良き者が多いと村長の話にはおちがつく。
言い合えばきりのない互いの主張は平行線で、見かねた神宮側が両村に平等に権利を割って今に至る。両村の主張は今も根強く各々の村に残っている。
拝田、牛谷が共にあっての間の山。甲乙つける必要はないとは素間の言だが、村人の数と、お市お鶴の人気がぱっとしない事実から牛谷はいささか意固地になりがちだ。
素間すらも受け入れぬ牛谷は排他的。故に牛谷の内情を探るには唯一、庄助がその人となりを知る茂吉しかいない。茂吉は実直で気の良い男だ、しかも女に滅法弱い。
「きれいやなぁ。そらあんたの目ぇか」
食らい付いた茂吉に胸を痛めつつ、紫(庄)の(助)君は見えぬ目を彷徨わせて「へぇ」と返す。
巷で話題の辻占の君は盲目の美少女。墨色の衣に蜘蛛の巣をあしらった派手な図柄に、紫の御高祖頭巾という人目を引く出で立ちが話題を呼んでいる。頭巾の色にちなんで〝紫の君〟と呼ばれる辻占は、素間のお遊びに付き合う庄助の変装だ。
夕刻の辻で二人きり。女に弱い茂吉は、牛谷を案じる辻占少女にきっとぽろり、と事情を語ると踏んだ庄助だが。
「あんた、どっかで会うたことある?」意外にも冷静な茂吉に舌を巻いた。
ここで紫の君の正体を知られるわけにはいかん庄助は、
「お前様はお忘れでしょうが。何度かお前様の夢で」と、神秘的な言葉を放ってみる。
「夢……そ、そうかっ。儂の願掛けは通じとったんやな」
願掛けにも凝っていたかと魂消つつ、思案げな茂吉には何か思い当たる節があるらしい。
ここは素直に従うべしと、神妙に頷いた紫(庄)の(助)君に、
「そうか、儂にもついに……」何故か茂吉は興奮気味だ。
「そやったらなおのこと。こないなとこにおったらあかん。そろそろ日が暮れるで。お帰り、人に喰われる前に」
少女の身を案じる茂吉は良い奴だ。
(ごめんな)と胸の内で手を合わせた庄助は、手にした水の珠を押し頂いた。
「間の山の大事は我が大事。牛谷の茂吉は我が御子と同じ。お前は茂吉を助けて共に――」
辻占の君が紡ぐご神託を、「なんとっ。大神様までもが」感極まった茂吉の声が押しやった。
素間にいいようにこき使われ、庄助はどんどん、どつぼにはまっていきます。