第六拠点
* * *
7月4日。
ニュースは瞬く間に世界を駆ける。当然、公安省の関係施設では事件に関する詳細な情報が流され、そして、彼女の耳にも伝わった。しかし、それがどんな輩で、何を企んでいたかなど、今の彼女にとってはどうでも良いことだった。世界がどうであろうと、もはや関係ない。滅ぶも栄えるも勝手にすればいい。
いま思うところは、たったひとつだけ。
あの日の別れ際。あの男が叫ぶ声は、確かにそう聞こえたのである。
『ライトホープ』と、彼はそう言った。
そんな筈は無い。いや、どうだろうか。わからない。自分は彼の本名など知らない。彼のことを全く知らない。
しかし、あの男が『ノロ氏』であるかなど、もはや確かめようがないのだ。
もし本当に彼がそうであったならば、きっと自分は死んでも死にきれないだろう。
彼の差し伸べる手を拒み、彼を裏切った。
彼が『ノロ氏』であったと信じたい。けれど、それはつまり『ノロ氏』との関係を自ら破り捨てたことに他ならない……。
結局何をどう思い込もうが、否定しようが、すでに真実を確かめる術はないのだ。
「……君は、本当にノロ氏だっだのか? だとしたら、ボクは……、なんて事を……」
別れる直前まで、わざわざあんな悪態をついてまで振り切った結果がこれだ。
最悪だ。
ここは。全国十二ヶ所に拠点を構える公安省特別高等作戦群の拠点の一つ。
自衛隊から基地を引き継いだまま改装はほとんどされず、現状はありのまま軍事施設の装いだった。今後、自衛隊が太平洋軍として太平洋地域各国の軍と合併するのに伴い、公安省が強力に武装することで国内防衛力の補填とする計画だ。しかし実際のところは、自衛隊の誇る最新装備・技術・中核を担う人材はそのまま公安省にすり替えられており、太平洋軍に同化される軍事資源など何の中身もない形だけのものに過ぎなかった。
そして、中部エリア全域に睨みを利かすのは仮称〈第六拠点〉。囚われた右那は広い敷地内の中央、巨大な研究棟の地下に収容されていた。
見渡す限りの白い内壁は、眩しい照明によって通路の突き当たりまで照らし出される。同じように右那を閉じ込める部屋もまた床から天井まで全てが白かった。まるで彼女から影という逃げ場すら奪い、光の下注目に晒して全てを暴くと言わんばかりだ。
「……、ノロ氏。ねえ、どうして言ってくれなかったのさ」
部屋の隅に身を寄せ、体の全てを壁に預けた。見開かれた青い目は、ぴくりとも動かず、ただ漂う空気をじっと眺めた。
「なんで、どうして……、ああ、そうか。君に会うことはもうないのか……」
そこに白衣の研究者が現れた。
強化ガラス越しに右那の様子を伺い、外と中を繋ぐマイクスイッチに指を置く。
「気分はどうかね、コード02」
しかし、隅で膝を抱える右那はそっぽを向き、明確に拒絶を示す。
「ふむ、これだから子供は……」
白衣の研究者が溜息まじりにぼやくと、丁度その時もうひとり若手の研究員がばたばたと足音を立てて駆け寄った。
「主任! 見てください! ニュースですよ」
「一体何だ、そんなに慌てて」
「これです」
若手研究員はそう言うと画面を外向きに折り畳んだノートPCを掲げて見せた。
「昨日の事件の容疑者。もしかしたら特殊脳波の保有者だったのかも知れませんよ、ほら見てください、非公開の映像ですが……、この瞬間、スローで送ると、明らかに弾道を見て動いてます」
「うむ……、確かに」
「例のアプリの件、もしかしたら関係あるかもしれません。こんな男、公安省の実験体として使っていた経緯もありませんし……」
「どれ……」
研究者は画面をスクロールすると、件の容疑者にまつわる捜査情報を表示した。
「えー、なになに『野呂九郎太 無職 二十三歳』だと。いわゆるニートか。なんでこんな男が能力を……、いやまぁそれは、いずれわかるだろう。それにしても忌まわしい事件だな。こんな、社会に何の役にも立たない害虫のような男が、尊い命を何百も奪ったんだ」
「そうですね。私も胸が痛いです……、おや?」
若手の研究員は、右那の方に気が付いた。彼女が部屋の隅から移動し、強化ガラスごしにノートPCを覗きこんでいる。
「どうした? 気になるのか」
研究者は再び内部との音声通話をつなげた。
「野呂、九郎太? のろ、くろ? ノロ、氏? ど、どうして、どうしてこんな……、こんなことに……」
崩れるように右那はその場に膝をついた。
「なぜ、……君が死ぬんだ」
ここに確証を得た。彼こそがノロクロ、〈ノロ氏〉だ。彼は業を積み、強力な力を得るために戦って、その果てに死んだ。
「いやだ。そんなの嫌だよ。……、どうして死んじゃうんだよ……」
その行いが誰の為、何のために行われたものか、自分だけが知っている。
「どうして」
殺したのは。
「誰が殺したんだ」
世界だ。
「誰がノロ氏を殺したんだぁああああああああああああああ!」
世界を許さない。
滾る力が足元から頭の天辺へと抜けるように、全身の気が吹き上がった。
周囲の空気が渦を巻くように歪な流れを形成し、長い金髪が激しい気流にはためいた。
第三の目が開く。
眉間から額にかけて縦に亀裂が走り、血液が吹き出す。その奥より、青白く燃える炎のように、新たな瞳が煌々と揺らいだ。
手をかざし、眼前の二人を第三の目に据える。二人は喋る間もなく赤い飛沫と化して木っ端微塵に弾け飛んだ。
壁を破壊する。
駆けつけた数名の白衣の者たち。睨み付け、またしてもばらばらに吹き飛ばした。
人間など脆弱な生き物を殺すのは簡単だ。何も道具はいらない。大気に漂う波長を操り、人間の体ごと四方に分断すれば、彼らの体は容易く壊れる。
「ノロ氏を返せ。滅びヨ。ニンゲン、許サナイ」
気流を全身に纏い、上階へと進んだ。
視界に入った人間を片っ端からバラバラにした。徹底的に殺す。もう階段を登るのも面倒くさい。上に手をかざし、研究棟そのものを揺らす。
四方に亀裂を、建物全体を揺らし、そして全てを波長で覆い尽くした時点で、かざした右手を強く握りこむ。
研究棟は弾け飛んだ。
外は真っ赤な光に包まれていた。悲鳴のような警報がけたたましく空に絶叫している。彼らは、一体どこから敵が現れたのかも定かでないのだろう。
視界に入った車両を気の向くままアルミ缶のように潰し、空を駆ける乗り物もそのまま下に叩き付けた。
ものの数分で特別高等作戦群第六拠点は火の海となった。敷地のあちらこちらから黒煙を噴き出し、猛り狂う炎が形あるもの全てを呑み込んだ。
「ニンゲン、コロス、ニンゲン、ホロボス」
そして、おおよそ人影がなくなった時だった。一人の女が彼女の前に立ちはだかった。
白い袴に犬の面、黒い髪をなびかせて崩壊した研究棟を細いブーツで踏みつけた。
こいつもまた下らん人間。しかしそう思って波長を流すと、これは違った。自らの力で波長に対抗し、優しく、いなすよう華麗に通り抜けた。
女は目の前で止まると、その場に片膝をついて頭を垂れた。
「ナニモノダ」
「右那様、珀斗です」
「ハクト?」
「使徒として貴方の傍に仕えると誓った者。狛ヶ根珀斗が参りました」
「ハクト、……ハくと、はく、と」
「このような事、あの男も望んではいないでしょう。お戻りください、右那様」
「珀斗」
彼女から伝わる温かい気が体を真ん中から包み込むようだった。
気が付けば第三の目は消退し、その代わりに溢れんばかりの感情が、二つの目からこぼれ落ちそうだった。
「珀斗、ボクは、……ボクは! う、うう。ボクは、ノロ氏を、うぐ、う」
「右那様、大丈夫です。大丈夫ですから」
「はくとぉ、はくとぉ。う、うぐ、うぁぁ」
そして彼女は両手一杯に、その小さな体を抱きしめた。
「右那様。私はここにいます。私は貴方から離れませんから」
「はくとぉ、ありがとう。でもボクはね、ボクは、また沢山殺しちゃったんだよ、う、うう、こんなんじゃ、ノロ氏だって。ノロ氏だってボクを……」
「行きましょう、右那様。じきに敵の増援が来ます」
彼女が数年間にわたり暮らしていたマクスウェル邸、その地下に放置された大量の遺体が、右那自身がやったものであると一体誰が知っていよう。
その事実を知る狛ヶ根珀斗は、右那の言う言葉、死にたいということの意味を最も理解していたのだろう。
かくして、破壊された第六拠点を後に二人は姿を消した。




