波長 ‐1
邸宅の玄関を前に、月明かりが彼女らの足元を青白く照らしていた。
背の低い金髪の少女は右那、その先に立つ犬の面で顔を隠した女は珀斗という。白い袴にまわす太刀紐の帯から、腰に長大な刀を提げ、銀の装飾が施された鞘に刀身を納めていた。彼女は右那の少し前に立つと、背の高い体を真ん中から直角に折り曲げ、頭を下げた。
「右那様、申し訳ありません。あのような小汚いデリーターの進入を許してしまい」
「いいよ、別に頼んでないしね」
「よもや波長を持たない無能者が来るとは盲点でした。それでも、一時でもお屋敷を離れたのが間違いでした。でなければこのような事態には……。すみません」
「だから、いいってば。それに結構楽しかったよ、あの人と過ごした時間は。ご飯も美味しかったしね。それで、お出かけはどうだったんだい?」
「はい、やはり公安省は貴方の存在を嗅ぎつけていたようです。ある程度の戦力は排除しましたが、軍事戦略規模の大群を送り込まれるのは時間の問題かと」
「そう。まぁいいんだけどね。誰が来ようとさ」
日中に目撃したあの軍用ヘリはやはり公安のものだったと確信を得た。
今この国の中枢では、密かに進行する凶悪な社会現象を鎮めるのに躍起になっている。誰でも気軽に殺人、もしくは冗談の人殺しを実現させてしまうアプリが突如として出現。治安体制は水面下にて非常対応を余儀なくされた。日が昇れば、誰かの家に、街角に、河原に、公園に、新鮮な遺体が転がっている日常なのだ。
そして。その中心は紛れもなくこの邸宅にある。
少女は知っていた。全ての始まりと、自身の細胞が有する神の遺伝子を。
「やはりボクは死ぬべきなんだよね。まぁ今更死んでも何も変わらないけどさ」
「右那様! そんなことは絶対にありません! 貴方はこの世界に大きな希望を下さったのです。そんな貴方が誰そに否定される謂われなど、ノミの糞ほどもありません」
「そうかな」
「そうですよ」
「そう。まぁ何でもいいんだ。興味ないし。で、君はいい加減ボクを殺してくれる気になったのかい? ボクを餌にデリーター狩りするなんて建前は結構だけど、今度の敵は公安だよ? ボクの事が公安に解析されたら本当にまずいはずだよね。その前に殺処分しなきゃじゃない?」
「……」
「ありゃ、やっぱ正論は言うもんじゃなかったかな? ごめんよ答えに困ること言って」
少しの間を空け、珀斗は改めて口を開いた。
まるで今までの気迫は失せ、鈴虫の音にも負ける小さな声で彼女は言葉を紡いだ。
「……、右那様。どうして貴方は死を望まれるのでしょうか」
これに対し、右那の答えは明瞭きわまる。
「簡単なことだよ。生きる必要がないからさ。それに最近ね、最初で最後の友達も居なくなってしまったし。これで本当になんの意味もなくなったってわけさ」
「私としては、やはり気が進みません。しかしそれが定めであり、貴方ご自身がそれを望まれるのであれば……、もうこれ以上は、私の我が我儘になりますか」
「そうだね、君の我儘は全員のハッピーエンドを邪魔している。そして君自身さえも苦しめた。全くおかしなことだよ」
「……」
「これでいいのさ。終わりにしよう」
「承知しました。では、せめて最期は貴方に相応しい場所にて安らかにお送りします。途中公安に狙われることもありましょうが、この使徒、狛ヶ根珀斗が徹底的に排除しますのでご安心を」
「ありがとう、珀斗」
「……はい」
これ以上。もはや珀斗には何も言うことがなかった。止めても無駄だろう。すでに世界はそのように動いている。そして何よりこの少女が、右那自身がそれを強く願っているのだ。
「ところで、まさか徒歩じゃないよね? 珀斗」
「右那様……」
「え? いや、やだよ? ボク無理だよ?」
「お待ちください」
右那が見上げると、彼女の雰囲気はいつの間にか変わっていた。「車を用意しますので」とでも言うかと思えば、珀斗の面は邸宅の入り口に真っ直ぐ向けられていた。
「デリーターの波長を感知しました。排除します。ここでお待ちを」
誰だ? まさか今の今まで波長を殺して潜んでいたとでもいうのか。だがしかし、使徒たる者の感知力さえも欺く能力など聞いたことがない。なぜなら、使徒こそデリーターの備えうる全ての能力を持ち、更にその上をいく存在だからだ。それがなぜ……。
「出てこい、何者だ!」
警戒心を最大まで引き上げる。最悪のシナリオを想定するなら……、敵も使徒だ。
ゆっくりと、玄関の大きな木戸は軋みながら外側に開いた。
一人の男がよろよろと姿を現す。




