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中編



「だめね。気分を切り替えないといけないわ」


 結果の出ない悩みを振り払わなければ。

 ローラだってその為に一旦、席を外してくれたのだろう。

 切り替えて、次に戻って来た時には明るく最近読んだ面白かった本の話題でもできるようにしておかなければ。


 リーリアはぐいっとグラスを煽った。


 果実酒だけれど思いのほか強い酒のようで、喉にピリッという刺激が走る。

 次に頭がふんわり柔らかくなったみたいな、酔ったとき独特の感覚がわずかに全身を包んだ。


 一杯くらいで分別をなくすほどにはならない。

 けれど、頭を切り替えるにはちょうどいい。


 最後にころりと口に入って来たのは林檎の角切り。

 瑞々しいそれをしゃくりと咀嚼して、視線を前へもどした時。


 いつの間にか目の前に立っていた誰かから、小さな笑いが漏れた。


「意外にいける口なんだね」

「…………」


 ちょっとだけ酔えたと思ったリーリアの頭が、一瞬にして冴えた。

 心臓が、止まったかと思ったくらい驚いた。

 ――――知っている。

 低くて通る、甘く柔らかな色を含んだこの声。

 何度も何度も頭の中で反芻した、あの人の声だ。


「………へ?」


 まさか……まさか……と想いながら、そろそろと視線をあげていく。

 群青色の衣装の上にあった顔は、遠くからこっそり見てばかりいたものと同じで、近い距離の分、破壊力がすさまじかった。

 目が合うと、にっこりとほほ笑まれた。


 なぜ、彼がここにいる。


 なぜ、自分に話しかけてきている。


 混乱に泣きそうになりながら、リーリアはどうにか声を絞り出す。


「あ、あ、あ、あ、あの、なっ、何か!?」

「君を誘いに」

「おっ、お、お誘い? もしかして人違いではありませんか」

「合ってるよ」


 エディオは柔らかな……人によっては『軽薄な笑顔』とも呼ばれている笑顔をまた浮かべた。 

 次いでリーリアへ真っ直ぐに、手のひらを上に向けたそれを差し伸べてくる。


「よかったら、一曲お相手してもらえないかな。リーリア・ソルベージュ伯爵令嬢殿」

「っ!」


(……私の名前、覚えてくださってたの?)


 二・三度挨拶をかわした程度のあいだがら。

 ソルベージュ家の娘として名前くらいは知識として覚えているものかもしれないが、まさか顔と合わせて覚えていてくれたなんて。

 壁際から人の波のすき間を見つけて見つめるだけしかしていなかった自分を、知っていてくれた。


 その事実は、リーリアにとって信じられない程に嬉しいこと。

 しかもどうしてか、今リーリアはエディオからダンスに誘われている。


「っ……」


 差し出された綺麗な手に、ごくりと喉がなってしまった。

 ぐらぐらと頭が揺れる。


(だめよ……だめなの。彼は遊び人、関わってはいけないわ)


 でも、わけが分からないけれど誘われている。

 この手を取ってしまうのはいけないこと。

 分かってる。

 女遊びの上手な彼と、こんな交流は避けるべきだ。

 この場で今、手を取ってしまえば、周囲の人たちは『次のターゲットはあの子なのか』と認識してしまう。


 エディオ・ルータスに遊ばれた女の一人として、名前が広まってしまうのはいけないこと。

 そもそも今日のパートナーとして連れて来ていた女性はどこに行ったのか。


(だめ、なのに)


 こんな注目、受けたくない。

 これ以上目立たないためには、そつなく断るべきだ。


 しかし、憧れの人なのだ。


 断われない……いや、断わりたくない。


(いちど……一度だけよ)


 さっきのローラとの会話が脳裏によみがえった。

 そう、一度だけ。

 一度きりの思い出として、憧れの人と踊ってみるのもいいのではと、欲がでてしまった。

 だってこんな誘い、もう二度とこない。

 

「……よろしく、お、お願いいたします」


 伸ばした手も、精いっぱい出した声も震えてしまった。

 恰好のつかない自分が恥ずかしくて真っ赤になる。

 そんなリーリアの手をエディオは慣れた様子でスムーズに握り返し、片方の手に持っていたグラスを取って給仕へ返し、ダンスの行われているパーティー会場の前方部へとエスコートしてくれる。



(あ、ローラを待っていたのに)


 勝手に場を離れてしまうとローラが困るかもしれないと、はっと気が付いた。

 でもすぐに、少し離れた所でニマニマした顔でガッツポーズをしている彼女と目が合った。

 『がんばれ!』と口パクで応援もしてくれたので、恥ずかしくなりながらも頷きを返した。



 やがて辿り着いた前方部。

 楽団の弾く穏やかな音楽が後方にいたときよりも、近づいたぶんずっとはっきりと聴こえた。


「さぁ、こちらへ。……リーリアと、呼んでもかまわないかな?」

「は、はい」

「私のことも家名ではなく名前で呼んで欲しいな」

「エ、エディオ様……」

「うん」


 促されるままに、二人でダンスへと加わった。


「わ」


 リーリアの腰に、エディオの大きな手が添えられる。

 恥ずかしいような嬉しいような感情で一杯いっぱいで、初めのステップが遅れてしまった。


「すみませんっ」

「大丈夫だよ。落ち着いて、ほら音楽を聞いて? 失敗してもいいから、ダンスを楽しもう」


 腰を抱く大きな手が、ぐっとリーリアの体を彼の方へと引き寄せる。


「ひっ」

「あ、嫌だった? もう少し離れる?」

「いえ……みっともない声を出してしまって、申し訳ありません。驚いただけです」

「そっか」


 ダンスをするのに体を寄せ合わないなんて不可能だ。

 それでもこんなに近くなると、もう本当に心臓がもたない。

 温かな人間の体温が、服を通り抜けて伝わってくるのだ。


(あぁ、手が汗ばんでしまっているわ)


 体も固くなってしまって、次のステップも、その次のステップも、どうしても上手くいかない。


(どうしましょう。ダンス、本当は人並みには踊れるのに……がっかりされてしまったかしら)


 とても不格好なダンスに落ち込みながらも、リーリアは必死に足を動かした。


 ――――この一曲のダンスを一生の思い出にするのだ。


 きっともう二度と来ない、人生で一番幸せな瞬間が今なのだ。


 そう思いながら一曲のダンスを終え、お礼を言って離れようとした。

 でも、少し離れた体はすぐにまた引き寄せられてしまう。


「っ!? え、エディオ様!?」

「緊張してるみたいだ。楽しめなかったよね。もう一曲いこうか」

「え、あ、はい」


(あぁ……また断れなかったわ)


 惚れた弱みとはこのことか。


(でもこの曲で終わり。絶対に最後よ。誘われても、もう帰らなきゃと言って終わらせるのよ、頑張るのよ私!)


 今度は目の前の相手よりも、断りの文句を考える方に頭を使ってしまったのが良かったのだろうか。


 一曲目よりはずいぶんましに踊れた。


 ほっと胸を撫でおろしたリーリアだったけれど――――結局。


「楽しかったからもう一曲、いいかな? リーリア」



 という極上の笑顔でのお願いに、また頷きをかえしてしまうのだった。




* * * *



(私ってば、結局、最後まで一緒にいてしまった……)


 いつもは頃合いをみて帰るのに。

 誘われ続けて、断れなくて、パーティーが解散になる日付も変わった夜更けまで踊り続けてしまった。


 しかもどうしてか、今リーリアはエディオと同じ馬車で帰っている。

 「送らせて欲しい」というお願いを、またもや断われなかったのだ。


(だめよ。だめなの。彼と親しくなってはいけないの)


 親はきっと悲しむし、怒るし、嫁入り前に手付けになってしまったと噂も立つかもしれない。


(手付け……)


 ――――でも。


 頭の隅っこで、ほんの少しだけ。

 わずかに、人生で一度の思い出として一晩……というふしだらな想像をしてしまう。

 遊ばれてもいいやと考えてしまう悪い自分がいる。


(っ、いいえ……! だめだめだめ! 自分をしっかり持つのよ私!)



「…………」


 ガタゴトと揺れる馬車の音。


 それ以外の音がない静かな夜の空気を感じつつ、こっそり深呼吸を繰り返した。


 そうして少ししてから、リーリアはなぜか正面ではなく隣に座っている彼の横顔をそっと窺う。

 馬車の明かり窓から差しこむ月光で、エディオの金髪は淡く光っているよう。

 ふんわりと香って来る香水は、清涼感があるハーブ系のもの。

 賑やかなパーティーで見る時とは違う、静かな横顔だ。

 そういえば笑顔ではない彼を見るのは初めてかもしれない。

 そんな珍しい彼の表情をこんなに近くて、今自分だけが独占しているなんて。


(本当に、夢の中にいるみたい)


 緊張しているけれど、でもこの静かな空気感のおかげで少しだけ落ち着けた気がする。

 リーリアは、ふと疑問を口にした。


「エディオ様。伺ってもよろしいでしょうか」

「ん?」


 正面を向いていた彼が、小首を傾げてこちらに目をむけた。

 目が合うと、落ち着きかけていた動悸がとたんに戻って来てしまう。


「あの、今夜連れていらした素敵なパートナーがいらっしゃいましたよね。彼女はどうしたのかと、今さらながら思いまして」

「あぁ、あの人はなんか好みの男を見つけたとか言って、開始五分で離れていったよ」

「えっ。それでいいのですか? パートナーなのですよね?」

「いやいや、姉に紹介されただけで、実は今日会うのが初めてだったし。なにより会場に着くまでの会話で合わないなぁってのはお互いに分かったから」

「そ、そうなのですね」


 それでも一緒に来たパートナーとあっさり離れてしまって大丈夫なのだろうか。

 真面目なリーリアからすると、無理やりあてがわれた一夜のパーティーの相手であっても、最初から帰る時まで付き添いあうものだと思うのだ。

 ただ本人たちが同意しているなら口を出すべきではないのだろうと、リーリアはもう一つの本当に聞きたかった疑問の方口にした。


「それで、お連れ様と別行動になったのは分かりましたが、どうしてその後に私をお誘いくださったのでしょうか」

「あー……それは…うん……」

「エディオ様?」


 エディオは、急に気まずそうに視線をさまよわせた。


 なんだか耳元が赤くなっているし、指をもぞもぞさせている。

 余裕のある微笑みと堂々とした態度以外の彼は、やはりとても新鮮だ。

 でもリーリアには、なぜ彼がこんなに戸惑っているのかわからない。


「あの、すみません。答えにくいことなら無理に言わなくても……」

「いや! 大丈夫! 大丈夫だから! 今日こそちゃんと言おうと思って誘ったんだし! ちょっと無理やり馬車にも乗ってもらったんだから! 絶対言うから……!」

「は、はぁ?」

「少しだけ待ってもらえるかな。気持ちを整えさせて」

「はい、どうぞ」


 良くわからないが、リーリアはエディオの気持ちが整うのを待つことにした。


 彼はなにやら胸に手を当てて深呼吸してから、ぶつぶつ真剣な顔でつぶやいている。


「……こんな場所で一世一代の告白はあれだな」


 おとなしく待ち続けるリーリアへ、顔を振り向けてきた。


「リーリア。少しだけ……三十分ほどだけ帰るのが遅れても大丈夫だろうか」

「……? えぇ、先に返した当家の御者に今夜は遅くなると連絡させてありますし。問題ありませんが」


 さすがに朝帰りは困るけれど、三十分程度なら大丈夫だ。


「そうか。良かった。では少し、付き合ってほしい」


 わずかにほほを染めながら、エディオはおもむろに指を「パチン」と鳴らした。




 次の瞬間。



「へ?」



 リーリアは、満天の星空が広がる空に浮かんでいた。



 足元には、なにもない。


(もしかして、空の上にいる……?)


 それを理解したとたん、出したことのないほどの絶叫が喉から飛び出た。



「ひっ! っ、いやあぁぁ――!!!!」

「大丈夫だよ」

「無理! 落ちる落ちる! 落ちる! 何これっ! いやー……!!」

「大丈夫。絶対に落ちないから。リーリア、落ち着いて、ね?」

「無理です! ひっ、え……え? え!?」


 耳元でエディオの声がするのに気づいたと思えば、どうしてかいつの間にかリーリアは彼の腕に抱かれていた。


「えっ!?」


 乙女の憧れ、お姫様抱っこの状態だった。




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