前編
色とりどりのドレスが行き交う華やかなパーティー会場。
ダンスに興じる人もいれば、食事を堪能する人もいる。
または、人脈づくりや縁談探しなどの社交に躍起になる人も。
しかし伯爵令嬢のリーリアは、決まったパートナーもいなければ社交もうまくはない。
必要な挨拶をすませたら、壁際で友だちとおしゃべりを楽しむのが、いつものパーティーでの過ごし方だ。
「あら……ねぇリーリア。ほら見て、エディオ様がいらっしゃったようだわ」
「え? 本当?」
友だちのローラからの囁きにつられ、リーリアは会場の入り口に目をやった。
そこにいるのは、到着したばかりらしい長身で金髪の男性。
隣には真っ赤な髪と大きな胸が特徴の美女もいる。
注目を浴びるに十分すぎる、とても華やかな二人組だ。
「まぁ、エディオ様の今夜の衣装は群青なのね。ああいう色もお似合いだわ」
リーリアの唇から思わず出た感想には、この国のほぼ全員が同意することだろう。
とにかく国一番の美形の男性として、あのエディオ・ルータスは有名なのだ。
高い位置で結ばれているのは、柔らかくウェーブを描く長い金髪。
蒼い目元はいつも甘くほほ笑んでいて、色香がありつつも優しい空気をまとっている。
社交上手で話し上手。
くわえて若くして国王付き魔術師団の団長であり、侯爵家の嫡男。
容姿に地位に権力にと、全てを兼ね備えた極上の男。
そんな国一番に素敵な人にときめかないでいられるほど、リーリアは男慣れしていない。
男は顔じゃないとか言えるほど、達観もしていない。
本当に平凡すぎるほど平凡な十五歳の娘で、同じ年頃の友人と一緒になって頬を染め、格好良さについて盛りあがるような、そんな性格だ。
(格好いいものは格好いいのよ。心の栄養なの)
遠くから眺めているだけなのにドキドキ胸が高鳴って、自然と頬が赤くなってしまう。
そんなふうにうっとりとするリーリアへ、ローラが耳打ちをしてきた。
「リーリア。ほらエディオ様、今夜もまた違う女性を連れてらっしゃるわね。先週のパーティーでは隣国の公爵令嬢がご一緒だったでしょう? あそこまでの上玉を連れてたんだから流石に落ち着くかと思ったけれど、またパートナーを変えられたのね」
「えぇ。先週の女性とも仲睦まじくみえていたのに、もう別れてしまったのかしら」
「きっとそうよね。まったく噂通りの遊び人だわ。顔も最上のうえ、国王付き魔術師で侯爵家跡継ぎという家柄だもの、女なんてとっかえひっかえ出来て、まさに遊び放題なのは分かるけれどねぇ」
「ローラ。言い過ぎよ」
「あら失礼。ふふっ」
嗜めたものの、ローラは口元に手をあてて含み笑いを零すばかりだ。
なぜなら目立つ彼の話をするのはローラだけでないから。
罪悪感も抱きにくいのだろう。
周囲からもヒソヒソとした、「今日のお相手の令嬢はどちらの?」「相変わらず遊んでらっしゃるのね」「いい御身分だなまったく」という話題が聞こえてくる。
そんな好機の目や噂に気付かないはずもないのに、彼は堂々としていて笑顔を絶やさない。
真っ直ぐに前を見て、姿勢正しく優雅な所作でパーティーの主催者と挨拶をかわしていた。
(凄いわ。私なら、あんな注目を浴びる中心で笑っていられないもの)
リーリアなら、ひそひそ皆に言われた時点で、きっと泣いて逃げ出してしまうだろう。
パートナーをころころ変えるのだって良く思われない行為だと分かっているはずなのに。
それでも色んな異性と遊ぶことをやめないなんて不良みたいなこと、平凡な自分には絶対にできない。
どうしても人の目を気にしてしまう自分と違って、己のやりたいことを当たり前のようにする彼が、凄いと思っていた。
リーリアみたいな地味で控えめなばかりの人間が、少し不良めいた人に憧れる……こんなの、よくあること。
そのうえ皆が注目しているから、きっと自分一人程度の視線は気にもされない。
だからこそ、リーリアは安心してエディオに視線を寄せ続けられる。
自分の存在を気づかれたくはなかった。
目立つのは苦手だから、人に紛れていたかった。
紛れるのに、パーティーはこっそり彼を眺められる場としてうってつけなのだ。
そして一週間前の夜会との少しの違いを探して、一喜一憂もしてしまう。
「エディオ様、少し前髪が伸びたわね。いつもはひと月に一度切られるのに少し間隔を置いてるのか、それとも伸ばしてるのかしら」
「え、リーリアってばそこまで分かるものなの? すごい観察眼ね」
「普通じゃないかしら。今の前髪だと目に影がかかってらっしゃるの、物憂げな雰囲気がでていいわよね」
いつもながら彼から目が離せない。
そんなリーリアの脇を突っついてきたのはローラだ。
ふわふわのオレンジ色の髪を低い位置で纏めて肩から前へ流した髪型の彼女は、少し吊り上がり気味の目元をさらに吊り上げて言う。
「リーリアってば。そんなふうに見てばかりいないで、いい加減に声をかけてみればいいのに」
「な、な、なに何言ってるの!」
リーリアはぶんぶんと首を横へ振る。
「声をかけるなんてとんでもないわ。絶対にありえない」
「でも貴方、社交デビューした三年も前からずーっとエディオ様を見続けてるでしょ? 引っ込み思案のくせに彼の出席しそうなパーティーにだけは絶対にきて。それでも挨拶をニ・三度した程度なんて、いい加減に呆れちゃうわ」
「た、たまたまよ。たまたま良く同じパーティーに出てるだけよ。別に狙ってわざわざ合わせて来てるわけではないわ」
さらに勢いよく首をぶんぶん振るリーリアへ、ローラは片眉を上げて顔を近付けてきた。
「ふぅん? たまたまねぇ」
「えぇ、本当にたまたまよ。たまたま、同じ夜会に出ているのを見かけた時にだけ、格好いいなぁって思って少し眺めてるだけなの。そんなに真剣に思ってるわけではないわ」
「絶対うそ」
「嘘じゃないわ」
「……実は私、リーリアがエディオ様の非公式ファン倶楽部の会員番号一桁なのを知ってるのよ?」
「な! なんで……!? どうやって!?」
「以前、あなたの家に遊びに行った時、机の上に飾ってあったわ」
「まぁ! あれを見ていたの!?」
なんてことだ。いつもは隠していたのに、確かにうっかり出したままにしてローラを招き入れていたことが過去にある。
それでも小さなものだしこれまで指摘もされなかったから、バレてないと思ったのに。
「……で、でも違うの! 違うのよっ。 あれは付き合いで……そう! お付き合いで必要だったからよ。私が入りたかったわけじゃないの!」
誘われたから、断わるのも失礼だと思って一応入っただけ。
ただの付き合い上の参加だとリーリアは主張した。
本当に、別にそんなに本気で好きなわけじゃないのだと。
「ふーん? でもね、私、知ってるの」
「ま、まだあるの? 何を知ってるのよ……」
ローラは桃色の唇を引き上げ、意味ありげに笑いながら言う。
「リーリアが、エディオ様をモデルにした恋愛小説を書いてるってことをよ」
「な! な……!? なっ!? なぜっ!?」
「ふふ。不良めいた金髪の美青年と、深窓の令嬢との恋物語。素敵だったわぁ」
「ひぃっ」
あれはファン倶楽部の会員だけの会合で交換しあったもののはず。
何がどうして流れてローラのもとまで行ってしまったのだ。
しかもしっかり読まれているなんて、恥ずかしすぎる。
もう誤魔化しも思い付かず、はくはくと声の出ない唇を動かすしかない。
顔は真っ赤になってしまっている。
「ほーら、それだけ好きなんだもの。一度くらい勇気をだして声を掛けてみるべきだと私は思うわ」
「で、で、でも……だめよ。だめ……だめなのよ」
リーリアは眉を下げ、首を横へ振る。
「もう!」
焦れたようなローラは、怒っているような表情をしている。
きっと何年も見ているだけのリーリアに苛立っているのだろう。
いつも少し物言いがきついところがあるローラだけれど、ここまでではなかった。
彼女は、気が強いけれど人が傷つくことは言わない。
自分にはない明るさと強さがリーリアは好きだった。
エディオに対しての思いだって、今までここまで突っ込まれたことなんてなかった。
でもそうやっていつになく本気な、少し怒った口調さえだして促されたって、リーリアは頷けない。
絶対に無理だ。
近付くなんて畏れ多い。
それに……。
「……エディオ様は、観賞対象だからいいのよ。話しかけたとして……万が一にも仲良くなったとしても、その後に遊ばれて捨てられた女として噂になるなんて、まっぴらだわ」
「それは……そうよ。私も友だちがそういう目に遭うのは嫌よ」
エディオの世間での評判は、国一番の美貌の持ち主。
そして、国一番の遊び人。
国一番の女好き。
国一番の悪い男。
不良魔術師なんてのもある。
容姿を称えるもの以外、良くないものばかりだ。
ただの噂というのではなく、本当に見るたびにパートナーの女性が変わっているから、女性関係に関しては間違いない。
だからどれほど顔が良くても、国王付き魔術師団団長で侯爵家嫡男という地位をもっていても。
両親はリーリアにはこう言いつける。
「彼に関わってはいけないよ」ーーーーと。
娘を愛する親であればこそ、たとえ地位があろうとも浮気に泣かされると分かり切っている相手を娘に差し出さない。
反対に、権力と地位を欲するタイプの親ならば、一夜の関係でもいいからと娘を使って繋がりをもたそうとする。
彼の美しい顔や、楽しい会話術に魅せられた女性たち、自分を絶対に選んでもらえるという自信に満ちあふれたタイプの女性たちも、花に群がる蜂のように集まって来る。
リーリアの両親の言うことは、間違っていないと思う。
遊び人で浮気性で不良めいた男になんて、近づいてはいけない。
真面目で優しい相手にしようねと言う言葉はきっと正しい。
リーリア自身、いくら伴侶を探している年頃だからって彼だけはダメだと当たり前に思う。
だからリーリアは、彼に近づかなかった。
人気者である一方で、派手な女性関係から目の敵にされることも多い人なのだ。
リーリアの家族や親戚友人には真面目な人が多くて、みんなが不良な彼に眉を顰めている。
みんな揃って関わってはいけないと言う。
でもただ一人だけ――――友だちのローラだけは違った。
こうしてもう一歩近付いてみることを勧めてきたのだ。
リーリアの、心の底にひっそりと沈めている想いを掘り起こすみたいに。
「彼は、近づいてはいけない人よ」
「……分かってるわ。リーリアが言う事はもっともよ。ああいう遊び人にはあまり関わるべきじゃない。キズモノにされて泣かされるだけだもの」
そうだ。だから遠くから見るのが一番いいのだ。
「でも……ずっと何年も思い続けている貴方を見ていると、一度くらいと思っちゃうの。恋のお相手というのではなく、その……せめてダンスとか、お喋りとか、誘いに行けばと思うのよ。あの人なら気軽にうけてくれそうだし」
「……ローラ」
みんなが彼に近付いては行けませんというのに。
ローラだけは、こうしてせめてひと時の思い出くらい作ってはと言う。
リーリアがどれだけエディオに憧れているのか知っているからこそなのだろう。
曖昧に笑って返すしかないリーリアに、ローラはため息を吐いた。
「……まぁ、最終的に決めるのはリーリアだけどね。――でも私は! 本当に一度は頑張ってダンスにくらい誘ってみるべきだと思うわ! きっと一生に一度の素敵な思い出になるもの!」
それから苦笑して、「じゃあもうこの話はおしまいね!」と彼女から話を切り上げてくれた。
どうやってもリーリアが今は頷けないことを察したのだろう。
ローラはなにか美味しそうなデザートを見て来ると言って、料理が並んでいる方へ見に行った。
リーリアは彼女を待ちつつ、壁にもたれかかり給仕から受け取った果実酒を一口のんだ。
そうしてぼんやりと会場を見渡す。
無意識に、きっとすぐに見つかるだろう目立つ彼を探して視線を動かしていた。
そんな自分に気づいて、自嘲のため息が漏れる。
「いつまで……あと何年、こんなことを続けるのかしら」
伴侶は真面目で一途で優しい夫がいいに決まってる。
うっかり交流をもってしまって、流れで一夜の遊び相手になんてなって、自分の価値を下げることも絶対にだめ。
だって自分は、彼からの願いをきっと断われないから。
分かってるから、あの人には決して近づかない。
憧れているだけ。そこまでで止めるべき。
「まぁ、ただ声をかける勇気を私が持ち合わせてないだけとも言えるけれど」
なによりリーリアは外から見た彼を格好いいなと思ってるだけだ。
噂ばかりで本当の性格も、考え方もなにも知らない。
もしかしたら真面目な部分もあるのかも。
色んな女性といるけれど、既にどこかに本命がいるのかも。
ほぼ何も知らないひと。
それでも憧れずにはいられない、そんな自分が、とても虚しいなとも思うのだ。
(やめちゃえばいいのに。こそこそいつまでも追いかけて、バカみたい)
なにがきっかけだったのかはもう覚えてない。
地味な自分とは正反対に彼の周りはキラキラ眩しくて、とにかく惹きつけられた。
最初は顔で、でも見ていると仕草や物腰、声や笑い方もいいなと思って、気が付くとどんどん好きな所が増えていって、目が離せなくなっていた。
まともに話したことさえないのに、焦がれてしまった。