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参日目 2

 その日の夜。

 明日は土用の丑の日ということで、旅館が特別に鰻を用意してくれるらしい。今のご時世随分と手に入りにくいだろうに、ご苦労なことだ。

 あいにく僕はそれどころじゃない。寝床に入っても、胸の中の違和感が消えずに燻っている。

 まるで僕の中のもう一人の僕が、このままではいけないと警告しているような......。


 ......ちょっと待てよ。

 頭の中に島の地図を思い浮かべろ。


 何か、固定観念に縛られていないか?




 不意に、頭の中を閃光が駆け抜けた。


「......このままじゃ、不味い」


 僕は慌てて起き上がると、パジャマ姿のまま布団を蹴り、ドアノブに手をかける。



「どっか行くのか?」



 不意に後ろから声がして振り返る。

 いびきをかいて寝ていたはずのクラスメイト達が、全員起きていた。


「......あー、えっと」


 口の中で呟きながら、覚悟はしていた。彼らだって馬鹿じゃない。下手な誤魔化しが通用するはずがない。

 喧嘩は得意じゃないが、最悪殴って気絶させてでも黙らせなければならない。

 僕はそう思いながら、それでも頭を下げた。


「黙っててくれないか」


「......」


「これまで散々冷めた態度を取ってきたのに、身勝手なお願いだとは思ってる。......でも、僕はどうしても今、行かなきゃいけない所があるんだ」


 ぽかんとした表情をするクラスメイト達。

 もう駄目だ、僕がそう思った時だった。


「......いいぜ」


 一際大きなクラスの中心の男が、ボソッと呟いた。


「え、な、何で?」


 頼んでおいてどういう事だとは思うが、それほどまでに僕は期待していなかった。

 そもそも僕は彼らに何かを頼むということを想定していなかったのであって、そういうような人間関係を作っていなかったのだから当然だ。


「お前、いつも無表情で何考えてっかわかんねぇけど、今は違うから」


 お前のそんな表情初めて見た、と彼は笑った。他のクラスメイト達も、笑顔で頷く。


「早く行ってこいよ。今じゃなきゃダメなんだろ?」



 僕は、長い夢から覚めた気がした。

 僕が彼らをないがしろにして自分の殻に閉じこもっていた間、彼らは僕のことをいつも見ていた。

 侮蔑や恐怖ではなく、一人の人間として、ちゃんと見ていた。


 僕は彼らをしっかり人間として見たことがあっただろうか。

 いや、そもそも、この島に来るまで誰かを、一人の人間として見たことがあっただろうか。

 それでいて、世界が幸せをくれないことを嘆いていた。いったい僕は、どこまで馬鹿だったのだろう。



「.....行ってくる」


 僕はそうとだけ呟いて、旅館を飛び出した。

 足音が鳴るのも構わずに、ひたすら走る。走る。走る。



 最初の違和感は、そもそも陰陽師があの日あの場所にいたことだった。

 G20、つまり作戦決行日は九日後にも関わらず、もう島に上陸していたのは明らかにおかしい。

 当時は用意周到だと思っただけで流していたが、彼は十五年間姿を現してはいないとはいえ島中を騒がせた村長の息子だ。島の大人たちの中には、彼の顔を覚えている者も多いだろう。

 彼らに見られるリスクを冒してまで、そんなに早く島に着く意味がない。


 すると、次々と疑問が噴出してきた。

 村長の話。近づきたくもないはずの高校を計画の実行場所に本当に選ぶだろうか?あの時は、だからこそその場所を選ぶこともあると言ったが、本当にそうか?

 疫病を蔓延させるにせよ何にせよ、自分が島に留まっていては被害が自分の身にまで及ぶ。彼自身は島にいて安全なのか?



 走って走って、饅頭屋の前に......僕に最初に幸せをくれた、彼女の住処にたどり着いた。

 非常識を承知で、昔ながらの引き戸を乱暴に叩く。いつ教師にバレて連れ戻されるか分からない。


 幸い、彼女の母親は怪しみながらも戸を開けてくれた。


「あの、もう店じまいなんですけど.....って、貴方、うちの子の......」


「こんな時間にすみません。説明は後でしますから......とにかく、姫を早く呼んでください!」


「ええ?そんなこと言われても......」


 出会って数日で夜中に家にまで押しかける僕の姿は、彼女の母親の目にはどのように映っているだろう。

 ここで門前払いを食らったら、ジ・エンド。せっかく幸せを僕にくれたこの島は、滅ぶ。しかも、僕と僕の大切な人たちを乗せたまま。


「お願いします!」


「......分かったわよ。十五分だけよ?」


 何かを察してくれたのか、母親は困ったような顔をして姫の名を呼んだ。十五分もいらない、十分で説明は終える。

 そして、僕の仮説が正しければ、勝負は明日なんだ。


「ハル君、こんな時間にどしたの?」


 けれど、ぬうっと僕の目の前に現れた彼女は何故か、バスローブ一枚だった。胸元からはそんなには大きくない胸が今にも零れ落ちそうになっており、僕は慌てて目を逸らす。


「......まず服を着ろ」


「んー?子供のハル君にはちょっと刺激が強すぎたかな?」


「......いや、やっぱ良いや。時間もないし」


 不可抗力で紅潮した僕の顔を暖かい手でぷにぷにしながら、彼女は嬉しそうに笑う。

 どこまで狙っていて、どこまで天然なのかさっぱり分からない。彼女はずっと、僕の予想を裏切ってばかりだ。


「で?どしたの」


 彼女の顔から笑いが消える。もともとこんな時間に家を訪れた時点で、ただ事ではないことは分かっているのだろう。


「......間違ってた。僕の推理は、根本から全部間違っていたんだ」


 僕は語る。敵の本当の作戦は、疫病を撒き散らすなんて生ぬるいものじゃなかった。物理的にこの島を滅ぼす気なのだ。



 そもそも、僕がXデーを8月7日だと考えたのは、一番近い凶将が白虎だったからだ。

 そこが思い込みだった。

 島に悪い事をしようとしているのだから、凶事を呼ぶ凶将に限定して考えていた。

 だが、彼の本当の目的は、おそらく違うのだ。


「敵の狙いは、最初から『鬼門封じ』だったんだ」


 鬼門封じ。

 陰陽師が主に行う術で、鬼が出入りすると言われる北東の方角を札などで封じることで凶事を防ぐというもの。その効果は絶大で、実際に京都の東本願寺などでは鬼門の方角の部分を凹ませるように建てられているほど。

  縁起を気にする家などでは、今でもそこそこ一般的に見られる風習だ。


「......でも、鬼を封じるんだから良いことじゃないの?それでどうやって島を潰すのさ」


 そう、僕ならもっと早くこの可能性に気づけた。

 でも、それで島を滅ぼせるはずがないと思っていたから、いつの間にか頭の中から消えていた。

 僕は確かに聞いたはずなのに。大きな手がかりを、あの資料館で。



「......忘れたのか!大シャチ様は、そもそもは鬼なんだ!」



 鯱神島には、今でも神様によって島が沈む呪いがかけられている。それを大シャチ様が支えているから、この島は皆を乗せていられるのだ。

 だが、鬼門が塞がれてしまえば、結界が出来て大シャチ様は島から追い出される。


「鬼門は北東の方角のことだ。北東の十二天将は貴人。季節は土用、干支は丑。つまり呼び出すのに最適な日は、土用の丑の日......明日なんだよ!」


 姫の顔がみるみるこわばっていくのが分かる。僕らが失敗すれば、明日、この島は海の底に沈む。

 しかも、問題はこれだけではない。


「当日の敵の場所はわかってる。港から発着する船の中だ。方角は北東、しかも沈む行く島を眺めながら自分は逃げられる。......だが、奴が計画を実行している時、そこはもう海の上だ。警察は使えない!」


 一応村長に頼んではみたが、村長はもともとそこまで権力のある人間ではなく、荒唐無稽な理由で駐在さんを動かすほどの力はないらしい。

 警察に期待できないとなると、僕ら二人が船に乗り込み、敵と対峙するしかない、ということになる。


「明日、船が出発するのは昼の12時きっかり。その時までに何とか抜け出してくるから、姫も待っていてくれ」


 まくし立てる僕に、姫は頷くことしかできない。この島には姫の母親もいる。見知った人も大勢いる。それに、この島は姫の生まれ故郷でもある。

 重圧は僕よりもはるかに大きいだろう。だが、彼女の協力なしにはここまで出来なかったし、島を救うこともできない。


「......島の命運は僕と君にかかってる。怖いよね。......僕も怖いよ」


 姫に説明するうちに、ぼんやりだった事の大きさが差し迫った問題としてはっきりと見えてきた。神にまで文句を言っていた僕が、たかが一人の人間相手に足の震えが止まらない。

 自分でも笑ってしまうほど、僕は弱かった。


「......大丈夫。私がついてる」


 でも、彼女は違う。

 姫はずっと、僕よりも大きな重圧を抱えながら、それでも笑う。冗談も言う。それがどれほど苦しいことなのか、今の僕にはよく分かる。

 彼女に会えたから、僕は変われたんだ。


 だから、大丈夫。

 全部、きっとうまくいく。

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