認知症への道のり
最初に私たち夫婦を困らせたのは、義母の被害妄想だ。自分の通院している病院で色んな事が起こっている様子だ。無論、全て妄想である。『私の上着が無くなった。誰かが私の靴を隠した。財布のお金を盗まれた。皆んなで悪口ばかり言う。看護婦が意地悪して順番を後回しにする。先生が私の病気を悪くする薬を出す…』等々。その度に義母に『そんな事ないからね!』と言い聞かせる。夜中に起き出して診察を受けに行くと言い出す。窓のカーテンを開けて暗い外を見せて説得する。それでも納得のいかない義母を、病院の前まで連れて行き『ほら、もう電気も消えてるし入り口も閉まってるでしょ?明日の朝になったらまた来ればいいから、今夜は帰ろうね〜』そう言って連れて帰る。一度や二度ではない。私は医師に診断を仰ぐ。
医師との会話はいたってマトモであるのだ。おかしな事は言わず、ちゃんと会話も成り立っている。戸惑う私に医師は認知症の簡単なテストのような質問を義母にしてみる。『今日は何月何日ですか?ここへは誰と来られましたか?ご自分の生年月日はいつですか?住所と電話番号はわかりますか?』ちゃんと答えられる。何を聞き出すのだ?といった表情だ。質問は次へと進む。『3.5.8.6.2…これを逆に言えますか?』『机の上にボールペン、ハサミ、セロハンテープ、聴診器、体温計が有りますね?』医師はその中のひとつを隠してもう一度聞く。『何が無くなったか解りますか?』もう答えられない。『朝は何を食べて来ましたか?』それも答えられない。あぁ、やっぱりか…私は目の前が真っ暗になっていった。そうして医師は私に告げた。『アルツハイマー症の始まりですね。これから進行してゆくと、色々と問題行動も増えてくるでしょうから、ご家族の方はなるべく目を離さないようにしてあげて下さい。また症状が悪化してきましたら報告して下さい。その都度、対処法を考えるしかないですねぇ〜』治療法は無いのかという私の質問に医師は短かく『残念ながら…』とだけ答えた。今では進行を遅らせる薬も開発されつつあるが、その頃は『残念ながら…』なのであった。不安そうに私と医師を見つめる義母に、私は精一杯の笑顔で答えてやるしかなかった。『お義母さんももう歳だから、つい物忘れが多くなってきてるんだって。仕方ないよね〜』義母は私に『そうかぇ?悪いねぇ〜』と謝った。胸がシクシクするのを感じた。
そのうちに様々な症状が出始めた。鍋の空炊きをしてしまうのでコンロの元栓を閉めて布巾で見えない様にして《故障中!》と書いた貼り紙をした。義母は『困ったねぇ〜』と嘆く。私も同じ様に困った顔をして見せる。使う度にその繰り返しは、かなり面倒だったけれど火事にでもなると大変なので仕方がない。入浴を面倒がるようになると『たまには一緒に入って洗いっこしよう!』と言うと義母は『子供みたいな事を言って困ったもんだねぇ〜』と笑う。以前にも同じ様な台詞を聞いた。そう、田舎暮らしの頃に大雪にはしゃいでいた私に、義母はそう言って笑っていたっけ。トイレの手拭いで汚物を拭くようになる。ペーパータオルを設置して常にトイレをチェックする。食欲が異常に増してくる。満腹中枢が機能しなくなってくるのだろうか、余分な食料を買い置き出来なくなる。これはとても不便だった。冷蔵庫の中を漁るので、ほぼ空の状態にしておかなければならない。それでも自分の寝床で頭から布団を被って何やらゴソゴソしている。義母が部屋を出た時に掛け布団を剥いでみると、七味とうがらしや胡麻や鰹節等が散らばっている。調味料のケースも場所を変えて隠す。仏壇が物置きのようになってゆく。義母にとっての《大切な物》を何でも突っ込んでいくので、位牌も蝋燭立てもおりんも線香立てに溜まった灰まみれになってしまう。それもまた取り出して場所を変える。肌着や靴下などの衣類を何枚も重ねて着るようになる。着ぶくれて汗まみれになりながらダルマさんのようにチョコンと座って動けない。トレーナーをズボンのようにしてはいて、ずり落ちないように腰紐で縛りつけている。その度に『そろそろ洗濯しようね〜』と言っては脱がす。もう滅茶苦茶である。義母の頭の中が壊れてゆくのが判る。
次に始まったのが徘徊だ。少し目を離した隙に外に出かけてしまい、ご近所の家に勝手に上がり込んでしまう。押入れから布団を出して寝ようとしたり、冷蔵庫の中を物色して食べていた事もある。その頃には私はご近所の方たちにも私の友人にも義母の認知症のことを説明していたので、皆が親切に教えてくれる。《隠す》と言うことを私はしたくなかった。それは義母を否定する事だと思っていたから。でも結果として正解であった。誰もが義母を見守ってくれていたのだから。近所の駄菓子屋では《黒飴》を二、三袋も買ってくる。買うといっても現金ではなく何故かハンコを持って店に行き、それで貰って帰ってくるのだ。何度も繰り返すうちに駄菓子屋のおばさんが私に言ってくれる。『大変だろうけど、開封してないのを持ってきてくれたら、またそれを渡してあげるから気にせんときね〜』『いつも済みません…』と頭を下げる私に、おばさんは『誰も好きで呆けてる訳じゃないんだから、そのうちに私も同じ事するようになるかも知れんしね〜』と笑って許してくれる。もう涙が出そうになる。徐々に私は疲れてきていた。息子たちも幼いながらもそんな義母の異常な行動に注意を払って報告してくる。まるで、彷徨い始めた義母のココロの見張り番のように。哀しい事だけれど、そうして私を手助けしてくれているのだ。
幻覚や幻聴のような症状も現れ始めた。『誰かが私を殺しにやって来る。この家に火を付けて燃やしてやると言っている。ほら玄関をドンドンと叩いて壊そうとしている。早く逃げなきゃ危ない!』もう何を言って聞かせても納得しなくなっていた。毎晩のようにそれは繰り返された。自分の部屋のある二階と、私たちの寝室のある三階と、一階の玄関を何往復も階段を昇り降りしては私たちを起こして訴え続ける。どこにそれだけの体力があるのだろうかと不思議でならない。そうして裁ちバサミを持ち出して玄関のチェーンを切ろうとする。『早く!早く逃げなきゃ!』そのうち息子たちも『うるさい!』と叫ぶ。それはそうである。寝かしてもらえないのだから。皆が限界に近づいていた。長い間続く睡眠不足と、義母の行動を気にかけながら家事をこなす生活のせいで、私も体調を壊しかけていた。何とかしなければ家族が、家庭が壊れてゆく。義母のココロと同じ様に。
続く…
*注*
この物語は著者の体験に基づくものであるが、登場する人物、団体、場所等は、架空のものである。