先の見えない引っ越し
結局、数日間の話し合いののちに義姉は離婚して実家で暮らす事となった。夫の兄や姉たちの話し合いには、私も義父も一切口出しもせずに傍観していた。何も言うこともすることも無いのだから。ただ義姉に離婚を決意させたのは、あの息子の初節句に放った私の叫びだったのかも知れない。そうして私たち夫婦は田舎の家を出る事になった。 義父母は、離婚して母子家庭となった義姉が同居して暮らす事となったのだけれど、なにせ狭い田舎のことなので様々な噂話しも流れるだろう。それに別れた夫や親族と同じ町内で暮らすことを義姉は拒んだ。その為いずれ田舎の家を売り、都会に出て義兄や義姉の近くで暮らすことを望んだ。当然の気持ちだろうとは思う。
先づ私たち夫婦は自分たちの暮らす小さなアパートを借りた。そうして夫の両親と義姉一家が暮らせる家を探し、義父が入浴出来るようにと浴室をリフォームして引っ越しを済ませた。夫の兄や姉夫婦の家からも、そう離れていない中古の物件だ。なので義父の入浴介助も手伝いに行ける。それで一件落着の筈であった。しかしそう簡単には行かないのが現実である。義母は度々、私たちの住むアパートを訪れては自分たちが如何に肩身の狭い思いをしながら暮らしているかを愚痴った。私はそんな義母の愚痴を鵜呑みにしていたわけではない。義姉にも言い分はあるだろう。母子家庭となって都会で仕事と育児をしながらの両親との同居は、ストレスも溜まるだろう。実の親子であるが故に遠慮ということもなく文句も言い合うだろう。私たちが田舎で暮らしていた時のような穏やかさは、もう無くなっていた。一番影響を受けたのが義父である。暑い夏の盛りに義父は体調を崩し、入院することになってしまった。引越しと環境の変化は思いの外、義父の身体に負担をかけていた。高熱と脱水症状に加えて、誤嚥性肺炎を併発していた。まだ引っ越しをしてからほんの数ヶ月だというのに。入院した時点で医師は義父の命の期限というものを家族に伝えた。だけど誰が誰を責めることが出来るのか…責められるべきは、むしろ私だったのかも知れない。あの日、私さえ我慢していれば良かったのかも知れない。
あまりにもあっけなく、その日はやって来た。結婚して以来、一度たりとも私の手を煩わす事もなく文句のひとつも言う事もなく、いつも笑顔で孫の頭を撫でていた義父の『ありがとうなぁ〜』と言う言葉が蘇る。それはもう義父の運命というしかなかったのだろうか。自由の効かない身体のせいで自分の意見も言えずにされるがままに都会への引っ越しを強いられ、あとはベッドにその身を横たえるだけの日々。時折り耳にするのは実の親子の喧嘩である。私は最期まで義父の笑顔しか知らない 。義父の葬儀を終えたとたん、義姉は実の母親との同居を拒んできた。仕事と子供たちの生活を母親の我儘に乱されたくはないという、それこそ勝手な言い分である。上の義姉は夫の両親と同居して団地住まいなので、結局義母は今度は義兄の家族と同居する事となった。私たち夫婦には既に二男も生まれており、この小さなアパートでの暮らしに満足していた。今でいう《ママ友》にも恵まれ、家族ぐるみで気兼ねなく往き来出来る付き合いが成立していた。平穏な暮らしが戻ってきていた。それも束の間の平穏な暮らしとなるのだけれど。
私の両親は健在で、まだ現役で働いていて私の姉と同居していた。姉は二人の息子たちを連れて、しょっちゅうあちこちに遊びに行ってくれた。躾にもかなり厳しく、母親の私以上に様々な事を教えてくれた。外出先でのマナーが殆どである。例えばファミリーレストランや公共の場では騒がない事、道を歩く時には必ず手を繋ぐ事、電車に乗ったら席が空いていない限りは座りたがらない事、人混みの中で走らない事、人に親切にされたらキチンと『ありがとう』と言う事、等々の当たり前の躾を徹底的に教え込んだ。優しくも厳しい叔母である。小学校に上がると、それぞれ息子たちは一人で実家に帰らされたりもした。その頃に住んでいた大阪から私の実家である神戸の西までの、約一時間の旅だ。TVで観る《初めてのおつかい》のような具合いだ。付かず離れず手助けはせず見守るだけの一人旅は、息子たちにとっては結構な冒険だったに違いない。おかげで二、三回繰り返すと、もう一人で一時間程の旅は出来るようになった。切符も自分で買い、二回の乗り換えも間違えずに。本当に姉には感謝している。
その頃、義母と義兄夫婦の生活にも暗雲が立ち込み始めていた。同居してまだ一年程だというのに。兄嫁が自分の夫である義兄に告げた。『もうこれ以上、義母とは一緒に住めない。これ以上同居を続けなければならないというなら、私は離婚するつもりでいるから…』結果は既に出ていた。たらい回しとは、こういう事なのか。負の連鎖。今度は私たちの番なのだ。場所を田舎から都会に移し、義父がもういないというだけの事である。私たち夫婦は義母と同居が出来る家を、また探さなければならなくなった。小さなアパートでの五人暮らしには無理がある。私たちはいったい何の為に田舎の平穏な暮らしを捨ててまで都会に出てきたのだろうか?これが結末なのだとしたら、これもまた義母の運命なのだろうか?『あんな我儘な義母と暮らしてたら、こっちまで頭がおかしくなるわ!』そんな風にまで言われると義兄も夫も何も言えなかった。どうしてだろう?私たち夫婦と田舎で暮らしていた頃には、そんな風に感じたことは一度もなかった。やはり義父の存在がなくなったせいなのだろうか?私は仕事のある夫に代わって一人で親子四人と義母とが同居出来る家を、また探すという日々を強いられた。本当に幾度となく繰り返される先の見えない引っ越しだ。でもそれすら単なる始まりに過ぎなかったという事に、私はまだ気づいてはいなかった。
続く…
*注*
この物語は著者の体験に基づくものであるが、登場する人物、団体、場所等は、架空のものである。