突然の嵐
夫の兄と姉たちは、それぞれ家庭を持ち都会で暮らしていた。下の姉は、早くに両親の故郷であるこちらで見合い結婚をして三人の子をもうけていた。そんな義姉が持てるだけの荷物を抱えて、子供たちと実家となった我が家にやって来た。『主人と喧嘩をして家を出て来た。今日からココにおいてもらうから!』田舎の家は広いだけが取り柄というか、私たち夫婦の離れの他に母屋には台所とトイレと洗面所はあるし、義父のベッドのある部屋と広い仏間と食事をする居間と客間、二階には誰も使っていない二間続きの和室と、冬になると洗濯を干すのに重宝する屋根裏部屋まであった。だから義姉と三人の子供たちがココで暮らすという事も、さほど問題はなかった。いや充分に気兼ねなく暮らせるのだ。義姉と私とは年齢も近いせいもあり、時折り実家を訪ねていたので友だちの様に付き合う事が出来るようになっていた。だから何も私が反対する理由もなく何も口出しするつもりも無かった。ただ、この日は嵐の前触れに過ぎなかったのだ。
これまでも義姉はしょっちゅうやって来ていた。何しろ自分の両親が故郷に帰って暮らし始めたのだから、当然の事ではある。時々、夫婦間の些細ないざこざや愚痴を実の母親に聞いてもらい、気が晴れたら帰っていくというごく普通のよくある話である。今回も本当はいつもの些細な事だったに違いない。落ち着いたらまた帰ってゆくだろうと、私も夫も両親も軽く考えていた。食事の準備も自分たちの分は義姉が自分で作っていたし、生活をするにあたっての不便なども何も無かった。家を出て来た理由も、夫は酒を呑むが煙草は吸わない…義姉は煙草は吸うが酒は吞まない…たったそれだけの事が、どうして《家を出る》というような話になってしまうのか?でもそれは単なるきっかけに過ぎなかったのであろう。その小さなきっかけが会話のたびに相手の理性を刺激し合い、怒りという感情を生み、それらがぶつかり合い、家を出るといった行動にまで移させてしまったのだろう。十年近くも連れ添い三人の子供をもうけて一つ屋根の下で暮らしてきた夫婦が、こんな風にいとも簡単に壊れてしまうものなのだろうか?暫く好きにさせておけばまた元の鞘に戻るだろうと皆がそう思っていた。子供たちはココから小学校(一人は保育園)に通いながら数日が過ぎた。義姉は少しでも家計の足しになるようにと、近くの結婚式場でのパートの仕事を見つけてきて働き出した。その頃になると本気なのか?と皆が不安になってくる。『そろそろ家に帰らないと取り返しのつかない事になるぞ!』と夫が嗜めても、そんな気はさらさら無いとの事。どうやら本気で離婚を考えている様子だ。
その日は、私たち夫婦にとっては特別な日であった。長男の初節句の日だ。私の実家から贈られてきた五月人形を床の間に飾り、朝から義母が赤飯を炊いてくれていた。私も形ばかりの祝いの膳を準備して手作りのケーキまで焼いていた。そこへ義姉の夫がやって来たのだ。そこから夫婦喧嘩の再開である。場所が自宅から実家に移動したのだ。終わりのない罵り合い、お互いの性格に対する不満、やる事なす事への文句、子供たちの泣き声と怒声が響き渡る。もう修羅場である。そのうちにお互いの両親や兄弟の悪口にまで発展してゆく。そうなると義母も夫も黙ってはいない。義父と私だけがそんな様子を遠巻きに眺めていたのだが、私自身の感情も次第に昂ぶってゆくのが自分でも解る。私はとうとう我慢出来なくなってしまった。両手で耳を塞いでも聞こえてくる怒声についに私は大声で叫んだ。『どうして今日なの?どうしてココなの?どうして息子の初節句をぶち壊す権利があなた達にあるの?もうやめて!聞きたくない!』私は泣きながら息子を抱きかかえて離れへと走って行った。そうして息子をベビーベッドに寝かしてから押入れの中に潜り込んで大声で泣いた。こんなに泣いたのは初めてかも知れない。自分でもびっくりするくらい大声で泣き続けていた。そうしなければ、この嵐が遠くに去って行ってくれない様に思えたから。
それから暫くして私は押入れから這い出し、少し落ち着いて耳をそば立てる。母屋からはまだ、それぞれの怒声が聞こえていた。暫くして夫が廊下をドスドスと足音をたてながら離れに入るなり私に告げた。『この家を出よう…』夫も目を赤くしていた。『えっ?』この人は一体何を言っているのだろうか?他人の(正確には身内ではあるのだが)夫婦喧嘩のせいで、どうして私たちがこの家を出なければならないのだ?『もういいんだ。この家を出て俺たちだけで暮らそう…』そんな事が実際に出来るのだろうか?寝たきりの義父は?年老いた義母は?あまりの話の展開に私は何が何だか解らなかった。確かな事は、突然の嵐によって息子の初節句が何処かへ飛ばされていったという事ぐらいだ。義姉は夫に自分たちを見捨てないでくれと泣きつき、私に止めるようにと懇願した。義母は義父のベッドの脇で泣き崩れているようだ。夫は私の両親に申し訳ない事をしたと謝った。勿論、私の両親は今ココで起こっている事など知る由もなかった。まだ信じられない光景に私の頭は混乱していた。だが夫が都会に住む兄に電話をかけ『俺たち、この家を出る事にしたから。詳しい事は明日また電話で話す。もう決めたんだ…』と言うのを聞いた時にそれは確信できた。一廻りも歳上の義兄の存在は、夫にとっては両親以上の存在だったのだ。結婚の挨拶も義兄の方が先だった。その時、義兄が夫に何を話したのかは解らない。でも事は既に決定したのだという事だけは私にも感じとれた。
続く…
*注*
この物語は著者の体験に基づくものであるが、登場する人物、団体、場所等は、架空のものである。