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彷徨えるココロ  作者: NON ♪
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田舎暮らしを愉しむ

彼からの電話があった翌日、私たちは友人の立会いの下に挙式を挙げる為に北海道へと旅立った。それから一週間程、道内を観光してから夫の両親の待つ田舎へと帰って行った。いよいよここでの生活を始めるのだ。夫の両親との同居生活は思っていたほど苦にはならなかった。寝たきりの義父の世話の殆どは、義母が今までと変わりなくこなしていた。一日置きの入浴介助の時には夫が身体を支えて手伝い、着替えは義母が準備していた。食事も義父の分は義母が三食とも準備していたし、義父も左手にスプーンを持ちパジャマが汚れないようにエプロンを掛け、慣れた手つきで食べていた。トイレもベッドの横にあるポータブルトイレで用をたして義母が後始末をし、私の手を借りるといった事はまるで無かった。私の《覚悟》など必要もなかった。


私たち夫婦は母屋と廊下で繋がった、一見離れのような所で暮らしていた。結婚が決まってから増築されたそこは、トイレと洗面所が母屋と別にあり二間続きの和室と庭に面したフローリングの明るい部屋があり、そこからは母屋に続く小径と庭が見渡せる。庭といっても半分は畑として義母が何かしらの花を育てていた。洗濯も義母は義父の着替えだけを別にしていたので、私がするからと言っても頑なに拒んだ。夫に話すと『その方が気が楽なんだろうから好きにさせておけばいい』と笑って答えた。そんな訳で嫁姑の関係というものも何の問題も無く、近所の方たちともすぐに馴染むようにしてくれた。


部屋のすぐ横にある農道を少し登ると小さな神社があり、長男が生まれてからの私の散歩コースとなった。毎日ベビーカーを押して坂を登り、神社に参ってからすぐ先にある小学校の校庭を見下ろす道を抜け、田んぼの畦道を行くと牛小屋がある。そのすぐ隣にあるニワトリ小屋の前にあるお地蔵様に手を合わせ、広い田んぼをぐるっと一回りして家に帰り着くというコースがお決まりであった。小一時間程のそのコースを終えると、ちょうど洗濯が終わっているといった具合だ。洗濯物を干して掃除を終えると、もうお昼を知らせるチャイムが役場の方から聞こえる。昼食は私が簡単なものを用意して義母と二人でTVを観ながら食べる。義母はそれから昼寝をした。その間に駅前にある唯一のスーパーに買い物に行き、夕食の準備をする。そんな毎日の繰り返しである。何という平穏な日々なんだろう。田舎暮らしとはいうものの住めば都で、特別不自由な事は何も無かった。


ただ、お風呂を炊くという作業は慣れるまでは少しばかり大変だった。いつから見ていなかっただろうか、両親の田舎でさえ既にその頃は給湯器が備え付けられていた。我が家は薪で炊くのだ。最初に細い枝に火を点け、丸めた新聞紙を燃やし、割っておいた薪を焚き口に入れてゆく。浴槽の水は山からの湧き水を引いており、夏は冷たく冬は温かい。この湧き水は勿論無料で、食事以外の洗濯や洗い物や庭の水やりにと重宝した。まるで《北の国から》の世界のようだと思った。薪は近所に住む親戚が製材所に勤めていたので、無料で調達してくれていた。それを斧ではなくチェーンソーで程良い長さにカットしてから斧で薪にしてプレハブ小屋に入れておく。大助かりであった。私も義母のやり方を見ながら自分一人でも風呂を薪で炊くという技を身につけ、風呂焚きは私の当番になったのだが、私はその仕事が何故か好きだった。夏と冬とでは薪の量も違う。薪で炊いた湯は冷めにくく、身体の芯まで温まった。


田舎の、ましてや農家の多いこの辺りの夜は早い。私たち夫婦も自然とそんな生活のリズムに合わせて夜は十時前には眠たくなり、朝はすぐ横を通るトラクターの音で五時過ぎには目が醒める。時折り玄関や勝手口やガレージの入り口に、どこかの農家の方が作られたであろう野菜や果物が置かれている。本当に有り難い田舎暮らしである。

ある日の事、ちょっとした事件のような事があった。義母がどうしても出かけなくてはならない用があり、たまたまその日は月に一度お寺のお坊様がお参りに来てくれる日と重なってしまった。義母は毎月の事だから、お坊様も分かってらっしゃるからと言って、私には何もしなくてもいいと告げた。仏壇の前に、お布施とおしぼりと氷を浮かべた冷茶を乗せた盆を置き、義母は出かけて行った。程なくしてお坊様が参って来られたが、私は義母の言葉に甘えて離れで息子にミルクを飲ませていた。すると仏間から『チーン!』と、おりんの音がして十秒も経たないうちにそのお坊様が帰ってゆく姿が窓越しに見えた。不思議に思った私は義父の部屋へと向かった。義父は私の顔を見るなり、お盆の方を指差しながら声にならない笑いで顔をくしゃくしゃにしながら言った。『これで三回目じゃ〜』何という事だ!どうやら義父のことを呆けてしまっていて何も解らないとでも思っているのだろう。おしぼりやお茶には手も付けず、蝋燭と線香すら灯さず、お布施だけが消えていた。ほんの十秒程の出来事である。呆れて義父を見返すと『婆さんには内緒にしとってくれや〜悲しませたくないからの〜』私は蝋燭と線香を灯し、お布施だけか消えた盆を片付けた。義父の優しさがお坊様を許し、義父の思いやりが義母を悲しませずに済ませたのだ。そんな風に義父は、自分の世話をしてくれる義母を心の中で労っていたのだと知った。


その年の冬は記録的な大雪という年で、私は生まれて初めて屋根の雪下ろしなるものを体験した。義母は朝から玄関までの小径の雪かきをし、夫はガレージの前の雪かきをし、私は何だか冒険心のような心境にワクワクしながら屋根の雪下ろしをした。掌の上に降る雪をジッと見つめると、本でしか見たことの無い雪の結晶が本当に見えるのだ。感動である。飼い犬の芝犬と庭の雪をラッセルしながら進んでは笑っている私を眺めながら、義母は『やれやれ、子供みたいな事をして』と、ため息をついていた。それでも私は庭のあちこちに何かしらの小動物の足跡を見つけては義母に『これ、何の足跡かなぁ〜?』などと尋ねてまわった。義母はベビーカーに乗せられた息子に向かって『あんたのお母さんには困ったもんだわなぁ〜』と笑いかけている。本当に子供に戻ったように楽しかった。そんな風にして私たち夫婦は、夫の両親と共に平和な田舎暮らしを過ごしていた。二度目の春が来るまでは。


続く…


*注*

この物語は著者の体験に基づくものであるが、登場する人物、団体、場所等は、架空のものである。

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