義父との対面
『親父に会ってくれないか?』夫のその言葉が実質的なプロポーズだった。日本海にほど近い、冬はスキーや温泉客で賑わう街に生まれた夫の両親は、都会に出て商売をしていた。脳梗塞の後遺症で右半身に麻痺を残した義父は商売を諦め、老後を生まれ育った故郷で暮らしたいと望んだ。夫の両親は二人とも大正生まれで私の両親とは随分と歳が離れているように見えた。夫は四人兄弟の末っ子だったのだけれど、兄と二人の姉は既に結婚して家庭を持っていたので夫が両親と同居していた。夫はそんな義父の願いを叶える為に、仕事を辞め友に別れを告げ両親の故郷へと帰って行った。暫くして新しい仕事にも生活にも慣れた頃に『サーフィンしにおいで!』との連絡があり、当時の波乗り仲間たち数名で訪れるようになった。皆、夫の母とは以前から見知っていたので何の抵抗も無く幾度か泊まりがけで遊びに行った。そんなある冬の日に『スキーに来ない?』と、個人的に誘われるようになった。私は心の片隅で、密かに夫の想いに気付いていた。それから数回、私は一人で夫の誘いにのって出かけて行った。
義父は和室のベッドに横たわっていたのだけれど、私を見ると右半身が麻痺した不自由な身体を起こして精一杯の笑顔で私を迎えてくれた。簡単な挨拶を交わして席を立とうとした時、義父は回らない言葉で私に『ありがとうなぁ〜』と言って左手で私の手を握りしめた。寝たきりになってしまった自分のいるこの家に、嫁に来てくれるであろう私に対しての感謝の気持ち。義父の『ありがとうなぁ〜』は私にはもう逃れられない呪文のように聞こえた。それなりの覚悟が必要であろう事は私だけでなく私の両親も感じており『本当にそれでいいのか?』と何度も問われたが、それは反対をする言葉ではなく『覚悟は出来ているのか?』という確認の言葉だった。何故、私の両親はそれほど反対しなかったのだろうか?娘の苦労も想像がついていたであろう筈なのに?今となっては不思議でならない。私は女姉妹の妹で、両親はもともと《家》というものに固執しないようであった。両親とも長男長女であったが本家の妹たちに家督を譲り都会に出ていたし、男の子を持たなかった為、今の家を継ぐという必要も無いと言っていたからかも知れない。半ば諦めたように『あんたがそれでいいのなら…』とだけ言った。
夫と付き合う前に、私はひとつの恋を終わらせていた。その事を両親も知っていたからだろうか?その彼は信州のとあるホテルでフレンチの修行をしていた。私は友人と二人で、ひと冬の間をホテルで住み込みのアルバイトをしながら時間の空いた時にスキーを楽しんでいた。本格的なフレンチフルコースを味わえるその小さなホテルは、冬場だけでなくいつも宿泊客が多く、かなり名の知れたホテルだった。そこから巣立った修行者の多くは、それぞれに店を構えるという様なホテルだった。私はアルバイトの期間を終えてからも、いわゆる遠距離恋愛という形で彼と付き合っていた。年に二度の長期休暇のうちの数日を共に過ごし、こちらからもまた年に数回ホテルを訪れていた。だけどそんな不自然な恋愛ごっこなど長くは続くものではない。お互いが若かったし、ひと時の熱病のようなものに過ぎなかったのだろう。ある時、突然に彼から別れを告げられた。『フランスに渡って本格的に修行をしたい。何年かかるか解らないから、それまで待っていてくれとは言えない。だからこの電話が最後の電話になる…』あまりにも突然な彼の言葉に、私は何も言い返せなかった。これはいわば《事後承諾》のようなものであり、何を言ったところで彼の気持ちは変わらないであろう。私は涙すら出なかった。最後に『頑張ってね』と言うのが精一杯であった。感傷的な恋愛ごっこは、こうして終わりを告げた。
それから二年以上が過ぎた頃に、彼から電話があった。『久しぶりだね。昨日帰国して来たんだけど、未だ独身?』頭の中が真っ白になってゆく。どうして今頃?しかもどうして今日?私は少しの間、沈黙していた。暫くして彼が尋ねる。『どうしたの?』どうしよう?『会えないかな?』何て答えよう?そんな時に義父のあの呪文のような『ありがとうなぁ〜』と言う言葉が頭の中で響いた。そうして私は彼に伝えた。なるべく自分自身が動揺していることを悟られない様に、ゆっくりと『あのね、私ね、明日北海道で結婚式を挙げるの。だから会えない…』『えっ?』本当は映画のワンシーンの様に今からでも私を連れて何処かへと逃げ出して欲しかった。だけどそんな非現実的な事など起こらないに決まっている。私は目を閉じて彼の言葉を待った。『そっか…じゃあ幸せにね。おめでとう!』ほらやっぱりね。当たり前じゃない。『ありがとう…』そう言って彼が受話器を置く音を確認してから、私もぎゅっと握りしめていた受話器をそっと下ろした。明日、私は皆が憧れるというジューンブライドに向けて北海道に旅立つのだ。20代半ばの初夏の夜は、青春に終わりを告げる雨の音がしていた。いつも雨。肝心な時はいつも…
結婚して数年後に、もう一度だけ彼と電話で話した事がある。共通の友人から伝え聞いた連絡先に電話をしたのだ。彼は琵琶湖の畔りにフレンチレストランを開業するという。私はお祝いの品を贈り、今度は私が『おめでとう!』と伝えた。メニューの話しやお店の内装の話しをしながらも、余りにもギクシャクした会話に自分でも涙が出るくらい滑稽な思いがした。それが彼と話した最後である。でもその時、私は未だ夫より彼への想いの方が強いという事を感じていた。数年後、夫と息子たちと琵琶湖にバス釣りに行った時、偶然にもそのレストランの前を通った。とてもお洒落な佇まいの小さなレストランは、頭にイメージしていた通りだった。そしてそのレストランのすぐ裏手で家族とバス釣りをしていたのだ。勿論、私はそんな事は夫には伝えなかった。ここに住んでいるのか…と思いながら、ぼんやりとレストランの外観を眺めていた。このレストランのどこかの壁に私がお祝いに贈った《モザイクで細工された、湖に浮かぶ舟の額》が飾ってあるのを本当はこの目で確かめたかったのだけれど、そんな事はもう終わった事なのだ。私はまるで少女のように彼と付き合っていた頃の写真を未だに《中原中也》の詩集に、そっとはさんで持っている。そして時々その写真を手にする。そこには少し照れ臭そうに私の肩に手をかける彼と、恥ずかしそうに微笑む少女のような私が写っている。もう戻れない時間を再確認して、私は本を閉じる。
その後、風の便りに彼の結婚相手の事を耳にした。それは全くの偶然に過ぎないのだろうが、私の中学の後輩であり、下の名前が私と同じであり、私の実家のすぐ近くに住んでいた女性だという事を知る。彼と電話で話をしながら、彼の苗字の下に自分の名前を走り書きしていた事を思い出す。何もかもが滑稽過ぎて、私は結婚してから飼い始めた芝犬に彼の名前をつけてやった。もしかすると偶然が重なり、私が実家に帰った時に会えるかも知れない。可能性はゼロではないのだ。 彼との想い出は本当に私にとっては宝物のような時間だった。この後に訪れる現実とは全くかけ離れた、夢のような時間だった。これも運命などという言葉でひとまとめにしてしまうと、それまでの事ではあるが…私にとって何より救いなのは、あの信州の名の知れた小さなホテルが、今ではもう存在しないという事だ。オーナー夫婦が自分たちの目標を他に求めて新たな旅立ちの為にそのホテルを売却し、今は伝説のホテルとして名を遺しているだけなのだ。それで良かったと、私は妙に納得したものである。
続く…
*注*
この物語は著者の体験に基づくものであるが、登場する人物、団体、場所等は、架空のものである。