慣れるということ
私たち夫婦は休日になると小学生の息子たち二人に留守番をさせて、ほぼ毎週の様に義母の住む《愛の園》に足を運んだ。その間、息子たちを二人きりで留守番をさせなければならない事にはかなりの後ろめたさががあり、休日を家族と共に出かけたりするといった楽しみを奪ってしまった義母を恨みもした。でもそれすらも仕方のない事なのだと自分自身に言い聞かせ、また息子たちも愚痴をこぼす事も無かった。幼いなりに、これまでの家庭内での様子を見てきた息子たちが我慢するという事を強いられてきた証拠だ。不憫でならなかった。でも仕方のない事なのだと二人共ちゃんと理解していた。親としてこんなに悲しくも情けない事は無かった。しかし誰を恨み誰に怒りをぶつければいいのだろう?私たちが選んだ道なのだ。それが最善の選択肢だと信じて。
自宅からは車で一時間程の山の麓にあるこの病院は、義母の住む閉鎖病棟だけではなくいわゆる寝たきりの老人や要介護の病人の為の病棟も併設されている。なので休日ともなれば見舞いや面会に訪れる人たちの車で駐車場もいっぱいになる。ある患者は車椅子で中庭を散歩させてもらったり、ある患者は喫茶コーナーで談笑している。時折行われる病院内の季節ごとの催事にも家族で参加している。そんな日はとても賑やかで、子供たちが笑いながら駆け回っている様子もうかがえる。そうして夕食の時間も終わり面会時間の終了を告げるチャイムが鳴ると、それぞれが散り散りに帰路に着き、また静かな時間が戻ってくる。
だが義母の住む《愛の園》は少し様子が違っていた。その頃にはまだ認知症などと言う言葉も無く、痴呆症あるいは呆け老人などと呼ばれていた。そういった患者の中でも特に家族を苦しめる症状が徘徊や妄想による様々な問題行動である。そういった患者を持つ家族の苦悩や悲しみや怒りにも似た感情は、おそらく私たち夫婦と共有できるものだろう。諦めと安堵…そういった思いの末にやっと辿り着くことが出来たこの《愛の園》に、どれだけの家族が救われた事であろうか?それでも私たち夫婦の様に休日のたびにここを訪れる家族はごく稀であると聞かされた。仕事の都合や家庭内の事情や遠方からの入所…中には片道三時間もかけてやって来る家族もいた。だから誰もそれを責める事など出来ないのだ。自ずとここで見かける顔ぶれも同じ家族が多くなる。それも僅かな家族なので、すぐに顔馴染みになった。だからといって特別会話を交わす訳でも無く、お互いに軽く会釈をする程度だ。ここでいったい何を語り合うべきなのだろうか?愚問である。
面会を重ねるにつれ、ここの住人の顔も少しずつ見分けがつく様になってきた。義母は殆ど何の反応も見せなくなっていた。『早く家に帰りたい』と言って困らせていたのは最初の二、三回だけで、すぐにここでの生活に慣れてしまった様である。ここの空間の中に溶け込んでしまったと言った方が正しいかも知れない。兎に角ここでの生活は毎日が静かに時を刻み(それすら定かではないのだけれど…)決まった時間に食事を摂り、決まった時間に消灯。そしてまた、決まった時間に穏やかな朝が訪れる。同じ介護服に身を包んではいるものの、ここの住人になる迄は皆それぞれが違った人生を歩んで来た筈である。ある住人は私たちを家族と思い込み、毎回『よく来てくれたねぇ。あいたかったよぅ。ありがとうねぇ。』と、私たちの手をギュッと握りしめ涙を流してなかなかその手を離そうとしない。ある住人は元大学教授だったらしく、自分の教え子が来たと思い込み私たちには理解出来ない専門用語で講義を始め、最後に必ず『解ったかな、諸君?』と言って口をへの字にする。ある住人は看護婦長にまでなった方で、ここでの住人の介護の方法に色々と口を出し、また要らぬ手を出してはスタッフを困らせる。時々、何の前触れもなく大声を出して暴れ出す住人もいて、落ち着かせる為と自傷行為や他の住人に怪我をさせない為にと個室に入れられ抑制される事もある。決してそれは非人道的な間違った行為ではなく、必要最低限の一時的な対応であるという事を私たちは理解していた。そんな風にしてそれぞれが違った人生を歩んで来て、今は同じ介護服に身を包み同じ空間で同じ饐えた臭いを放ちながら同じ時を過ごしているのである。
最初の頃は流石にその臭いに悩まされていた。面会を終えて帰宅する自分達の服にもその臭いが染み付いている様に思えた。ちゃんと説明を受けているにも関わらず義母のオムツが汚れたまま放置されているのではないかと不安に思い、そっと介護服の中を調べて見たりもした。でもそれは確かにケアが行き届いていないという様な事ではなかった。それでもその臭いによって『こんな所に私を閉じ込めておいて!』と責められている様な思いはなかなか消えなかった。それも足を運び続けるうちにさほど気にならなくなってくるのだから不思議だ。私たちは《慣れる》という事で負い目から逃げ出したかったのだろう。そうして自分達の選択を正当化したかったのだろう。誰にも責められる事なんて無いのだと。これまでどれほど苦しかったか、どれだけ悲しかったか、誰にも解らないじゃないかと、そう言い聞かせて自分を慰め、その為にもこうやって毎週のようにここを訪れているではないかと。それはとても悲しく虚しい言い訳でもあった。何故ならば私たちの選択肢は、幼い子供たちとの大切な休日を犠牲にしているという事実の上に成り立っているのだから。彷徨えるいくつものココロを集めたこの《愛の園》は、そういったいくつもの犠牲と共に存在しているのだ。
続く…
*注*
この物語は著者の体験に基づくものであるが、登場する人物、団体、場所等は、架空のものである。