番外編
ある夏の日…
義母は、一心不乱にスイカを食べている。私の存在など目に入ってはいないのだろう。小ぶりではあるものの、旺盛な食べっぷりである。半分に切ったスイカにスプーンを突っ込んでは、シャクシャクと種ごと口に運ぶ。服も手も顔もテーブルの上も、スイカの果汁でベタベタになるのも構わず、休む事なく食べ続ける。私はそんな義母を止めようともせず、黙って見つめている。もう赤い果実の部分が無くなって、まるで白いボウルの様になったスイカが皿の上に乗っかっている。それでも義母はスプーンを使って皮の部分までこそげ落として食べようとしている。そこで私は義母のスプーンを取り上げて言った。『綺麗に食べたねぇ〜』
義母は、何事もなかった様に私に言う。『晩ご飯は、まだなんかぇ〜?』満腹中枢というものが麻痺しているのか、それとも今さっきまでの事をもう忘れてしまっているのか、たぶんその両方なのだろう。『もう少ししたら外が暗くなるから、それまで待っといてね?』解ったような解らないような…不思議そうに私を見つめて義母は言う。『あぁ、お腹がペコペコなのに…』そう言ってセロハンを剥いで裸になった大量の《黒飴》が入った巾着袋に手を突っ込み、数個を取り出して口の中に放り込む。『いっぺんに食べたら、喉を詰まらせるよ〜』そう窘めても、義母は黒飴で頬を膨らませたまま『美味しいねぇ〜』と笑顔で応える。
『あんたも食べるかぇ〜?』そう言って巾着袋から、ひと摑みの黒飴を私に差し出す。それはもう、糸くずやら埃やらがへばり付いていてネチャネチャとしている。『ありがとね〜』と、私はその塊を掌に受け取る。義母は嬉しそうに私を見ながら『遠慮せんでもええんやぇ〜』と、口からヨダレを溢しながら言う。掌の上に乗せられた黒飴の塊を見つめながら、私は涙がこぼれ落ちそうになるのをじっと堪える。
近くの畑から飛んで来たのか、真っ白い蝶が一頭、ベランダの網戸に止まって羽根を休めている。今の義母の化身のようだ。いつまでも網戸から離れずに、時が永遠に止まっている様な錯覚に陥る。けれど夕闇が迫って来て、時の流れに気付かされる。
義母は口の中に黒飴を入れたまま、ウトウトと居眠りを始めた。私はそっと義母の口に指を入れて未だ残っている黒飴の塊を取り出し、スイカの果汁とヨダレだらけの口元を拭いてやった。網戸の方を見やると、もうそこには蝶の姿はなかった。暗闇が部屋の中にひっそりと忍び込む。義母のココロは、春の訪れと共にその闇の中を彷徨い始めていた。
暑い夏が始まる、ある日の出来事。