最期の時
いよいよ義母の体力は限界に近づいているのが、私たち夫婦にも解った。延命処置は最初から断っていたので全てを自然に任せると決めていた。かかりつけの医師に《最期の時》が近づいている事を告げられた時にも私たちはその言葉を冷静に、むしろ心穏やかに受け止める事が出来た。夫の兄や姉たちにも、あと数日の命であろうと伝えていた。オムツを替える度に痩せ細ってゆく義母の身体を、私は優しく拭いてやった。もうココに横たわっている義母は認知症で私たちを苦しめた義母ではなく、ただの小さな老婆となっていた。愛おしさが今更ながら込み上げてきて、もう少し世話をさせて欲しいと思う自分がいた。それでも医師の言葉は、確かな現実となってやって来た。ある日のお昼頃、いつもの様に唯一の栄養である《エンシュアリキッド》を吸い口で飲ませてやると『あぁ、美味しいねぇ〜』と言って私を見つめて微笑んだ。
暫くして心なしか呼吸が荒くなってきたように思え、義母は目を閉じて眠り始めた。意識はあるのだろうか?さっき見せた微笑みは、もう見られない。苦しいのか、眉間に皺を寄せて荒く呼吸をしている。医師からは『胸が呼吸のたびに苦しそうに上下し始めたら、もう長くは持ちませんのですぐに連絡して下さい。お身内の方にも来て頂いて下さい。もう、そう長くは持ちませんから…』と言われていたので、今がその時なのか?と判断して夫と医師に電話をかけた。そして夫の兄と姉たちにも取り敢えず連絡を入れた。しかし返ってきた言葉に、私は驚かされた。皆、仕事中だから今すぐには行けないと。何かあったら、また連絡してくれと。《何かあったら》とは、いつの事なのだろうか?亡くなってから来るという事なのだろうか?最期の時まで義母は見捨てられている…そんなに義母の事を煩わしく思っていたのだろうか?
その時は間もなくやって来た。息を引き取る時、少しだけ口をパクパクと動かしたが、言葉にはならず目も閉じたままであった。一度大きく深呼吸をして、そのまま静かに逝った。急いで帰宅した夫も、医師も間に合わなかった。私と息子たちが最期の時を看取った。痛いとも苦しいとも何も言わずに静かに逝った義母が、自身の最期の時に何を思っていたのかは解らない。自宅で死亡した場合は本来ならば《検死》という手続きを取らなければならないのだが、医師の計らいでその場で死亡を確認して診断書を書いてくれた。そうして『お疲れ様でした、よく看て差し上げましたね。もうお母様も楽になられましたよ…』と私に笑顔で言ってくれた。その時になって私は初めて泣いた。義母を哀れみ、夫を哀れみ、そして夫の兄や姉たちを哀れみ泣いた。夫も息子たちも泣いた。家族だけで泣いた。もっと義母の為に出来ることは無かったのだろうか?もっと義母は生きたかったのではないだろうか?それを私が強制的に終わらせたのではないのだろうか?色んな思いが頭を巡り、まだもう少し看させて欲しかったと心から思った。でももう全てが終わりを告げたのだ。そう、私たちは義母から今度こそ本当に解放されたのだ。なのにどうしてこんなにも虚しいのだろうか。やはり私も、ただの自己満足の為に自宅介護という道を選んだのかも知れない。でももう、終わったのだ。ただあと一つだけ私に残された仕事が待っている。まだ義母のココロは彷徨っているに違いないのだから。ココロの居場所に迷っているかも知れないのだから。
続く…
*注*
この物語は著者の体験に基づくものであるが、登場する人物、団体、場所等は、架空のものである。