表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彷徨えるココロ  作者: NON ♪
10/17

悪魔の囁き

私は《自分の力だけではどうにもならない事がある》ということと《人の力を借りるとどうとでもなる》という二つの体験を、ほぼ同時期に体験した。かかりつけの医師やヘルパーさんに現状を報告しても、専門の病院に問い合わせても、兎に角全てが順番待ちの状態なのだ。それくらい私たち夫婦と同じような苦悩を抱えている家族が多いという事なのだろう。それでも私は諦めなかった。どんな手段も選ばなかったと言った方が正しいのかも知れない。待っている余裕など無かった。


私は、ある宗教団体が支援しているという市議会議員の男性に会う機会を友人を通して作ってもらった。このタイミングにこのチャンスを逃すわけにはいかない。私は約束の日に市役所内のその議員の部屋を訪れ、すがりつくように足元に駆け寄り訴え始めた。自分がどれほどその議員の活動に共感し、どれほど期待と感謝の気持ちと共に応援し続けているかといった事を。一夜漬けで頭の中に叩き込んだ台詞を、渾身の演技(猿芝居である)で語り続けた。そうして涙を流しながら義母の現状を訴え続けた。最後に『もう頼れるところは先生しか居ないんです!』と、手を握りしめ頭を擦りつけて懇願した。議員もウンウンと頷きながら私の話を聞いてくれていた。そうしてその議員は秘書であろう男性に向かって何かを伝えた。暫くすると市役所の福祉課であろう男性が現れて私が話した事を簡単に伝えると『早速、この方のお義母様が入居出来る施設を探してあげて下さい、頼んだよ!』あと少しだ。『しかし先生、順番待ちの方が大勢おられますので、今すぐにという訳には…』正論である。だが議員はその言葉を遮ってキツイ口調で言った。『何を言っているんだ!今ここにこうして私の事を頼って困り果てた方が直接相談に来ておられるのだぞ!直ぐに手配したまえ!』


《鶴の一声》とはよく言ったものだ。私は汚い手段で抜けがけをしようとしているのだ。してはならない事を既にしているのだ。もちろん金品等は一切渡してはいない。議員の喜びそうな琴線に触れる台詞を大安売りしただけである。それが功を奏して議員の心を動かし市役所の人間をも動かしたのだ。それでも私は後ろめたさすら感じなかった。『やった!』と心の中で万歳をしたくらいだ。私の心の中で悪魔が勝った瞬間である。そうして何ヶ月も順番待ちをしている家族を押し退けて私の願いが優先されたのだ。『これでいいんだろ?』と、悪魔の囁く声が聞こえた。でも私は動じなかった。これにしたって私は、私の出来得る限り精一杯に頑張った結果なのだから。誰に責められる事などあるものか。開き直りである。もう後には引けない。先に進むだけである。


そうして自宅から車で10分程の所にある老人福祉施設への入居が決まった。収入や介護可能者の有無や家族構成等、諸々の書類(悪魔に心を売った書類)に必要な事を記入して手続きを終え、いよいよ入居日が決まった。これでやっと平穏な日々が戻ってくるのだ。朝までゆっくり眠ることができるのだ。何よりその事が嬉しかった。入居日の朝、義母の不安げな顔をよそに私はたぶん、いつになくニコニコとしていたに違いない。『たくさんお友達が出来るといいねぇ〜』などと白々しい言葉を義母に投げかけながら車を入居先の施設へと走らせた。入居までに施設内の見学も済ませていたので、私たち夫婦は何の心配もなく義母を送り届けた。夫の兄や姉には事後報告だけを済ませていた。返ってきた言葉は、皆が揃って『金銭的な援助は無理だからね!』である。そんな事などどうでもよかった。今までだってそんな事は何一つとして、してもらってはいないじゃないか。それより入居先について何の興味も示さない事に驚かされた。そんなものなのかと。兎に角、私たち夫婦も義母から解放されたかったのだから今さら不満もなかった。施設の中庭には桜の木が植えてあり、春には満開の桜が見られるのだろう。まだ蕾の固い桜の木を眺めながら、今年は息子たちを連れてお弁当を持ってお花見に行こう。そんな事を考えながら義母の手を引いて歩いていた私は、まだニコニコとしていたに違いない。それくらい私の心は開放感に満たされていたのだ。まさかその開放感が、たった一日で終わりを告げるなどとは思いも寄らなかった。


続く…


*注*

この物語は著者の体験に基づくものであるが、登場する人物、団体、場所等は、架空のものである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ