《愛の園》への扉
「カチャッ!」という金属音がドアのロック解除を知らせる。ドアノブに手をかけた私は、いつものように一呼吸おいてからゆっくりとドアを開けて中に入る。再びロックのかかる音がする。「カチャッ!」
…と同時に、ここ閉鎖病棟独特の饐えた臭いが鼻をつく。正確には外部からこの病棟に入るまでには一通りの儀式のような流れをクリアしなければならない。最初に病棟の入り口で面会希望者の患者の氏名、面会人の氏名と患者との関係、住所、受付時間等を面会者リストに記入し、ナースステーション(こちらのドアも勿論ロック付きである。)で許可をもらい、その中を通り抜けなければドアの前に辿り着く事は出来ない。私物もここで預けなければならない。中にはここの住人に勝手におやつ等を持ち込む面会人がいるからだそうだ。ここでの暮らしには《不平等》という事は決してあってはならないのが決まりなのである。《平等》である事によってトラブルを回避し、平和な時を共有出来るのである。
初めてここを訪れた時に病棟担当のスタッフに言われた事を思い出す。『ご家族の皆様には予めお伝えさせて頂いているのですが、ご存知の通りここは一般病棟とは些か違っております。先づ病棟内の臭いに戸惑われる方が多くいらっしゃいます。しかしながらそれは患者様に対するケアが行き届いていない、という訳では決してございません。私たちスタッフは皆、出来得る限りのケアを全ての患者様にさせて頂いております。何と言いましょうか、この病棟全体に染み付いた臭いであるという事をご理解下さいます様に。よろしいでしょうか?』言い訳じみたその言葉は私たち夫婦だけではなく、ここを訪れる全ての家族、あるいは身内の者たちに毎回言い続けてきた《台詞》の様なものなのだろう。そして私たちにも優しい笑顔を向けながらも『心の準備は出来ていますか?』と問われているのだ。よろしくも何も、私たち夫婦にはもう残された選択肢など無いのだ。そんな事などどうでもいいくらい私たちは疲れ果てていた。私たちはただ黙って頷くだけであった。
ドアの内と外とでは、今まで想像もし得なかった異界が存在していた。《愛の園》という何とも陳腐に聞こえるこの病棟名は、ある意味とても的を得ている。私たちが生きる世界よりもずっと愛に満ち足りた世界に入り込んだ様に感じた事に、自分でも不思議に思えた。何故だろう?この世界の住人たちは、年令や性別や過去の地位や立場などを全て脱ぎ去り、皆が平等に時を共有しているからなのかも知れない。どの住人も同じ様な、後ろにファスナーの付いた《つなぎ》に似た介護服に身を包み同じ様な安全な上履きを履き同じ様な饐えた臭いを放ちながら暮らしていた。ただ違うのは、それぞれの介護服と上履きにそれぞれの氏名と番号がマジックで書かれているという事くらいだ。番号?と不思議に思ったが、その理由はのちに知る事となる。
病棟内は窓からの陽射しが降り注ぎ、とても明るく開放的な空間が広がっている。鉄格子の窓でなければ決して《閉鎖》されているといった印象は感じ取れない。窓に沿った長い廊下の端から端までシートが伸び、まるで電車の座席の様である。廊下を挟んだ向かい側には広い部屋が何部屋かあり、そこは昼間はフリースペースの様に自由に行き来する事が出来る。ただし個人の所有物らしき物は何もなく、その広い壁面にはカレンダーや絵などはもとより時計すら掛かっていない殺風景なものである。だけどそんな事を気にかける住人など一人もいないのだ。夜になると各部屋に布団が敷かれて寝室になる。ベッドは無い。たぶん転倒事故を防ぐ為であろう。一応男女は別の部屋になってはいるものの、ドアがある訳でもなく夜中に徘徊する者も多くいる様である。私たちが訪れた昼までさえ、廊下を何往復も休む事なく歩き続けている者がいた。だが誰一人として気にも止めてはいない。そういう病棟内に約100名ほどの住人が暮らしているのだ。あの臭いと共に。
長い廊下の端には二部屋ほど個室がある。その部屋にはベッドがあり、何らかの理由で抑制をしなければならない住人が時折り使用する為の部屋だ。食事は別のドアを出た広いホールで皆がそれぞれの為に作られたものを食べる為に全員で移動する。静かである。これだけの住人が暮らしているとは思えないくらい静かに時が流れている。誰も食事のメニューに文句を言う者もなく、黙々と自分に与えられた食事を食べている。食事介助の必要な者は別室での食事の様だ。時々、介助者による声が聞こえてくる。『はい、あ〜んして、まぁ上手に食べれたわねぇ〜、あともう少しだから頑張ろうねぇ〜』幼い子が食事をする時の様な優しい会話は、まるで保育園で見かけた光景の様だ。ここの住人になるまでに、いったい何人の者がこういった優しい言葉の元で食事をしていたのであろうか?ふと、そんな事を考える。私はどうだった?皆、そんな余裕など無かっただろう。毎日がまさに先の見えない闘いの様な日々だったに違いない。優しい言葉をかけながらの食事は、私たちにわざと聞こえるように言われている様に思えた。そんな事など無いに決まっているのだが、何か後ろめたさの様な思いが残っていてそう感じさせたのかも知れない。
廊下の天井には数字のランプがランダムに点灯している。オムツ交換のタイミングを知らせる為のランプである事を初めて知る。ここの住人はこの数字によってオムツの管理をされていた。住人は数字なのだと、改めて納得する自分がいた。そうして今日から義母も、ここ《愛の園》の住人になるのだ。それはたぶん私たち夫婦にとってもやっと辿り着くことが出来た、むしろ私たち夫婦にとっての《愛の園》だったのかも知れない。
五月にしてはやけに蒸し暑い午後のある日の事であった。
続く…
*注*
この物語は著者の体験に基づくものであるが、登場する人物、団体、場所等は、架空のものである。