肉
――どれだけの月日が経った?
「み、水を……」
「食い物、なにか、食い物を、」
「……ころし、て、くれ……」
乗組員達が苦鳴をそこかしこで漏らしていた。
骨と皮だけの痩せさばらえた身体でだ。
最後に飯を食ったのは何日前だったか?
確か、偶然釣れた得体の知れない怪魚だったはずだ。
金属の鱗に覆われていて喰える身がほとんど取れなかったのを覚えている。
それでも久し振りの食事に船中が湧いた。
「おい、誰か来てくれ!」
「どうした!?」
「コイツ、腹が減ったからってあの海の水を飲んじまったんだよ!」
「馬鹿野郎がっ、こんなもん飲んだらどうなるかくらい分かんだろうが!!」
海面を見る。
ドロリとした粘性の高い黒色の水面がそこにはあった。
この異海に迷い混んでから海の様子は一定としない。
澄んだ青の日もあれば。
血のように真っ赤な日もある。
ここ数日はタールのような海模様が続いている。
「……遅かった」
「首の方を持ってくれ、安置所に運ぶぞ……」
また飢餓で乗組員が死んだ。
これで何人死んだだろうか。
船内に設けた安置所は直に満杯になるだろう。
「開けてくれ」
「……手早くな」
元は食料庫だった船室には何十とズタ袋が積まれている。
いずれ国許に帰れたならば相応の弔いをしてやろうと希望を持って安置所を作ったが、いまとなってはその希望が叶えられるかも怪しい。
このままこの安置所で朽ち果てるか、誰かの腹に収まるだろう。
前者はともかく、後者はどちらにも救いがない。
だから、見張りを立てたのだ。
安置所に死体が無事に納められるのを確認し宝物庫に足を向ける。
金銀財宝。室内に並ぶ食えもしない空虚な輝きを横目に奥へと進む。
曰く付きの品が並ぶ最奥へと。
物珍しさに冒険の対価と集めた理由は様々ながら、居並ぶ宝のどれもが常識では計れない神秘性を携えている。
このなかのどれか一つでもいいから、食料を生み出す魔法を持っていてくれ。
そう思わなかった時はない。
残念ながら、そんな都合の良い物ありはしない。
……ただ一つを除いてはだが、
「船長、お呼びですか?」
宝物庫の扉を恐る恐る開けながら入ってくる人影があった。
どこの港で拾ったかは定かではないが雑用として使っている小僧だ。
目当ての品をちょうど見つけたところ。
良いタイミングにきたものだ。
「おう、こっちだ」
呼び掛けに従って小僧はふらふらとした足取りでこちらに向かってくる。
他の乗組員達と同様にろくに飯を食えてないせいだろう。
「……それで船長。用ってなんですか?」
虚ろな目で小僧は問いかけてくる。
生気なんてものは欠片も感じられない。
「お前に頼みてえ事がある」
「頼み、ですか?」
不可解な顔をこちらに向けてくる小僧にオレは今しがた宝物庫の奥から見つけてきたソレを見せる。
「なんですか、ソレ? 干からびた果実か何かですか?」
確かに見た目はそうだ。
ぼろ布に包まれた干し果物。
もう喰い尽くしちまったが、船に常備してあった干し葡萄に良く似ている。
まぁ、大きさは拳大はあるんだが。
「これは東の大国から渡ってきた代物だ」
長い年月の経過で見た目は干からびてしまったが、その効力はいまだ健在だという。
「――不老不死を与える実だとさ」
「は?」
あんぐり口を開けた馬鹿面で小僧は驚きを露にする。
「そんな実、どうするんですか?」
小僧は実の効力が本当かどうかは問いもしない。
当たり前か。
この異海に迷い混んでから常識なんてもんは早々に打ち捨てなきゃならなかった。
いまさら、不老不死を与える実が出てきたところでその真偽なんて問うほどのことでもない。
「……どうするって、オレが喰うのさ」
「な、船長! そんなこと止めてください。死ぬならともかく、こんな海で不老不死になるなんて!?」
「…………」
小僧の言い分はもっともだ。
死ぬならともかく、こんな海で不老不死になるなんざ正気の沙汰じゃねえ。
この海では死だけが救いかもしれないのだから。
故郷への帰還という希望にすがりながら、毎日を飢えに苦しみ続ける。
果てに待つのは帰還か、死か。
そして、皆がもう思ってしまっているのだ。
自分達に待っている結末は死だけだと。
死だけが、この生き地獄から抜け出せる最後の希望なのだと。
だから、小僧は言ってるのだ。
不老不死になるなんて、馬鹿げた間違いだと。
「勘違いすんな。オレはただの不老不死になる訳じゃねえ」
「どういう、ことですか?」
「……人間ってのは、怖ぇ生き物でよ――」
オレ自身、この果実を手にした際に聞いた受け売りの話を小僧に聞かせてやる。
その国では古来から人がヒトを食らうのは普通のことだったらしい。
高貴な身分の者から、一般の市民に至るまで人肉を食らうというのは周知の文化だった。
人体の全ては食うだけに留まらず薬としても利用されたというほど。
そんな国だからこそ、その果実は呪い師により造られた。
「この果実を喰らったものはな肉になるんだよ」
「肉?」
「そうだ。尽きることない肉の身体に成り果てるんだとよ。……考えたもんだよな。豚や羊と違って人間は成長が遅い。量を取ろうとするには時間も数も必要になる。まぁ、食う為だけに飼育繁殖させられてた身分の人間もいたみたいだが、この果実があれば――」
「ちょっと待てよ!!」
「…………なんだ?」
「船長、アンタその実を食べるってことは、まさか……」
「……そうだ。オレを喰え」
「ッ!?」
小僧は見事にひきつった顔をしやがった。
「聞いた話じゃ、実を食ったら生き続けるだけの肉塊に成り果てるらしい。お前を呼んだのはな、オレが肉塊になったあと切り分けて欲しいからだ」
「……そんなことのために呼んだっていうんですか?」
「そうだ、」
酷な役回りだというのは分かっている。
オレだって、こんな役回りをまだまだ新入りの雑用になどやらせたくはない。
だが、センセイは老齢もたたって虫の息。
エドとヘンリーの野郎も立ち上がる気力すらないほどに疲弊していた。
任せられるのはコイツくらいしかいなかった。
「皆が助かるにはコレしか方法がねえ。分かったんなら、コレを受けとれ」
小僧に舶刀を手渡す。
「せ、船長! まだ、なにか方法が!!」
「……有るかも知れねえ。だが、時間が無ぇ。さっきもまた一人死んだんだ。悠長に考えてる暇はもう残ってねえんだよ」
「…………っ」
「オレが肉塊に成り果てたら、オレは海に身を投げたってことにしろ。肉は……そうさな、オレが宝物庫に隠し持ってたってことにしてくれ」
こうすれば、乱暴ではあるがオレの不在と肉の出所は問題無いだろう。
「……船長。やっぱり、自分には……」
舶刀を持つ小僧の手が震えていた。
「お前も船乗りなら根性見せろ。優しい言葉を期待してるんなら諦めな。そんな気の聞いたモン、こっちは持ち合わせてねぇんだ。…………アバヨ」
「っ、船ち――」
そうして、オレが実を口にしようとした時、
「――獲物だ! 獲物が揚がったぞぉー!!」
甲板からの声が響いた。
「獲物?」
「……お前はここで待ってろ。続きはオレが戻ってからだ」
小僧を宝物庫において、オレは声のした甲板へと上がっていく。
「あ、船長。数日ぶりに獲物が掛かりました!」
「野郎共、久し振りの飯だ! 引けえ!!」
「えいさー!」
「ほいさー!」
「えいさー!」
「ほいさー!」
痩せさばらえた身体のどこにそんな力が残っているのか、漁網がするすると甲板に引き揚げられた。
「飯だ。飯ィ!」
「馬鹿! 火を通さなきゃ喰えねえだろうが、誰か火を焚いてこい!」
「なんだっていい! 早く、食わせてくれ!」
「あぁ、待ってろ! いま…………って、こいつは……」
沸き上がる歓声は次第に戸惑いのどよめきに変わった。
オレは群がる船員達を掻き分け漁網の元に近づいた。
そこには、
「人魚、なの、か?」
半人半魚の異形がそこにいた。
上半身は美しい少女。しかし、下半身は魚のそれ。
その姿は絵物語に描かれる人魚そのものだ。
「……ん、ぅぅ」
弱々しい呻き声を人魚は漏らした。
見れば、怪我をしている様子。
ところどころ焼けただれた上半身の皮膚、引き千切られたかのような身体の欠損。
痛々しい限りだ。
「……船長、どうしましょう」
「とりあえずはオレが引き取る」
怪魚でもなんでもいいから喰らいたいと思っていた船員達も、漁網に掛かっていたのが傷ついた人魚とあっては食欲を霧散させられたらしい。
それも当然か、上半身の見た目は十代の少女だ。
別の欲は湧こうとも食欲など湧くはずはない。
ただ、それはここにいる奴等だからだろう。
まだ漁網を引き揚げるだけの体力が残されていた船員達だからそう思えるだけだ。
これが立つ気力さえ残っていない飢餓の極致にある船員達なら或いは……
オレはそんなことを考えながら、人魚の少女を抱えて宝物庫に足を向けた。
「……戻ったぞ」
「船長、上で何が……って、その娘は?」
「コイツが獲物の正体だよ。良く見ろ。人間じゃねえ」
「え? ……うわ! 下半身が……ってことは、人魚?」
「……だろうな」
宝物庫の床に人魚を横たえる。
「それで、どうするんですか?」
「問題はそこだ。つい、連れてきちまったものの考えてなかった」
あのまま甲板に置いていくのも躊躇われ、流れのままに連れてきてしまったものの、どうするべきか。
「怪我、してるんですね。一応の処置は自分が、」
「あぁ、任せる」
小僧が自分の衣服を裂いて簡単な応急処置を始めた。
と言っても、血の拭き取りに止血のための圧迫くらいしか出来ることはない。
食料だけじゃない。この船に資財は殆ど残されていない。
弾薬の類いは異海を生き抜くために消費され、その過程で医薬品も底をついた。
悪いが、人魚の少女を救う手立ては残っていない。
「っ痛!」
「ん? どうした?」
「あ、いえ。思っていたよりも鱗が鋭くて指を……」
見れば、小僧が指先から血を流していた。
人魚の手当てをしていた際に下半身の鱗で運悪く切ってしまったらしい。
「……ぁ、……血の、匂い」
「船長っ」
「……目が覚めたみてえだな」
小僧とオレは目覚めた人魚から距離を取った。
「血……肉、……お願い、食べ、させ……」
理由は明白だ。
その紅い瞳に食欲という見慣れた眼差しが込められていたからだ。
「……絵物語とは違うな。どうやら、コイツはヒト喰いの化物みてぇだ」
「……みたい、ですね」
「お願い、一口……血、……肉、」
幸いにも人魚は怪我のせいでまともに動けないらしい。
芋虫のように這うばかりでこちらに危害を加えられそうにない。
「……肉、食べ、させ……て」
「…………いま決めたぞ。コイツの使い道」
「え?」
「コイツを肉にする」
「船長、それって!?」
小僧が声を荒げた。
「なにか問題があるか?」
「問題もなにも!」
小僧の視線が床を這いずる少女の姿をした異形に向けられる。
「見た目に惑わされるな。見ただろう? 聞いただろう? コイツはヒトを喰おうとする化物だ。人間じゃあないんだよ」
「……でも、」
「コイツがオレ等を喰おうとしたんなら、その逆をして何が悪い?」
宝物庫の奥からオレは鎖を持ってくる。
「これもまた曰く付きの品だ。英国の北西部に現れたっていう邪精が身に付けてたという鎖。これで、アレを縛るぞ」
「…………船長、自分は」
「……もういい、オレがやる」
鎖を手にし人魚を縛る。
「コイツっ、暴れるなってんだ!」
「アァ! ……や、メ!!」
「クソっ!!」
人魚を殴り付ける。
すると、一瞬ではあるがおとなしくなる。
その隙に身体に鎖を巻き付ける。
だが、またすぐに暴れ出す。
そして、オレはまた殴り付ける。
ただただ、その行為を繰り返した。
それは奇しくも、オレが嫌だからと逃れた私掠船の大半で行われていた仕事と同じであり、他者を虐げる行為であり、自らの魂を汚す行いだった。
知らず、涙が溢れていた。
目の前の人魚はヒト喰いの化物。
頭ではそう理解していても、人魚の口からはヒトの言葉で慈悲を乞う言葉が紡がれていた。
言葉は次第に慈悲を乞うことがなくなり、代わりに謝罪を述べてきた。
「ごめんなさい! ごめんなさい!! 助けて!」
――心が軋む。
オレはいま大勢の仲間を救うという大義の元に動いている。
オレは正しいことをしている。
オレは間違ってない。
そうやって、己を鼓舞しながらオレは、
――拳を振り下ろした。
「…………ハァ、ハァ、ハァ」
「ゴベ、……ん、ナ……ザぃ…………」
ようやく、人魚に鎖を巻き付け終わった。
もう這いずることさえ叶わない。
オレは実を取り出す。
「――……イ、ヤ」
人魚は殴られ続けたことで歪み腫れ上がった顔をこちらに向けていた。
視線はオレの手元にある実に向けられている。
「ヤダ! ヤダ! ヤメテ!!」
まるで、実の効力を知っているかのように恐怖に顔をひきつらせ人魚はもがいた。
「…………黙れ、」
オレはそんな人魚を押さえつけ、その口に実をネジ入れる。
「――ッェ!!」
しかし、実はすぐに吐き出された。
「クソっ!!」
オレはもう一度、実を飲み込ませようと試みる。
――また、吐き出された。
ならば、もう一度。
――また、吐き出された。
もう一度。
もう一度。
もう一度。
――結果は同じだ。
「…………クソっ」
「…………ァァァァァ、たす、けて……ぇ」
人魚の涙声が宝物庫に響いた。
「……船長、」
「なんだ…………笑いたいなら、笑えばいい。醜悪なオレを蔑み貶せ」
「……自分も手伝います」
オレは小僧の顔を見た。
「これ以上、船長一人にツラい思いはさせられません。だから、手伝います」
その顔は泣きながらも笑っていた。
「でも、自分は肉を喰いませんから。船長のお手伝いが出来るのはこれで最後です」
器用なことをするもんだと思った。
「船長、自分を拾っていただき、ありがとうございました」
「…………ご苦労」
小僧が人魚を動かないように取り押さえ、片手を手首まで人魚の口に押し込んだ。
唇の端が切れ、頬の肉を裂いて夥しい血が迸る。
「ンンンァ!! グォァィ!」
言葉にならない声を喉から漏らす人魚。
塞ぐことさえできない口の中にオレは実を落とす。
今度は吐き出されることはなく、実は胃の腑へと落ちていった。
小僧もそれを確認し口から手を引き抜く。
「――…………ヤ、ダ、」
人魚が言葉を口にした瞬間、その体積が軽く倍化した。
美しかった少女の面影は消え去り肉の塊に成り果てる。
内側から鎖を押し退けようと圧迫する肉の波。
邪精の鎖は千切れはせず代わりに肉へと食い込んでいく。
オレはその一部に舶刀を差し入れる。
鎖に縛られた醜い肉塊という見た目からは想像し得ない薄紅色の肉が切り取れた。
「……これで、皆は助かりますね」
「……あぁ」
片手で持つには余りある肉を手にオレは宝物庫の外へ出る。
これだけあれば生き残った船員の腹を満たすことは十分に可能だろう。
「では、行ってくる」
「はい。自分はここにいます。生きてる間はここで彼女の番をしてます。では、船長……」
宝物庫の扉は静かに閉められた。
「……すまねぇ」
――オレは肉を片手に甲板に上がった。




