船倉
――天井の木目が視界いっぱいに広がっていた。
「…………ァ?」
朦朧とする意識に正常に思考するだけの余裕はなく、木場拓未はか細い呻きを漏らしながら木目を睨み続けた。
「おや、ようやっと起きたかヨゥ」
拓未の覚醒に気付き嗄れた声が上がる。
「あんだけ痛めつけられて挙げ句にゃソコルの奴に右腕まで撥ね飛ばされたってのに、一日で目ェ覚ますたぁお前さんつくづく人間離れしとるヨゥ」
自身のすぐ近くで響く声を認識するも、拓未は言葉の意味を理解出来なかった。
いまだ意識は微睡んでいて発せられる言葉を脳が処理できず酷いノイズのように乱れて聞こえた。
「あぁ、安心するといいヨゥ。取れっちまった右腕はくっつけといたからな」
拓未の思考力の低下には気付かず嗄れた声の主――白衣を身に纏う骸骨の船医は感覚鈍い拓未の右腕を示した。
肩口に乱雑な縫い跡を残してはいるが、斬り飛ばされたはずの右腕は確かに繋がっていた。
「白衣なんか着ちゃいるがワシャただのヤブ医者でな、この白衣だって最近の医者が着とるから格好つけに着とるに過ぎんのヨゥ。でも、問題は無いだろうなぁ」
肩口を縫い付ける糸に骨の指を這わせ船医は軽い調子で抜糸した。
「……一日でほぼほぼ治癒とは大した不死性だヨゥ」
同じように船医は拓未の身体中に刻まれた縫い跡から糸を外していく。
疼くような小さな痛みに拓未は呻き声を小刻みに上げるが船医は黙々と作業を続け全身の抜糸を完遂した。
「化膿した様子も無い。何百年かぶりの治療だったが、上出来といって良いかな」
船の乗組員は不死者の骸骨のみ。
船医が活躍する場面はない。骸骨の船員は病気に掛かりもしないし怪我とも無縁なのだ。
久々の仕事を終え船医はどこか満足げだ。
「…………こ、こ……は、」
ようやく朧気ではあるが視力と聴力を回復し、途切れ途切れに言葉を発した拓未は現状を把握しようとする。
「船倉だヨゥ。悪いがお前さんは暴れそうだったんで船室はあてがってやれなんだ。だから、代わりに船倉へ運ばせて寝てもらってるのヨゥ」
そこは大量の木箱が並ぶ空間だった。
拓未はその空間の隅に寝かされ治療を受けていたのである。
薄ぼんやりとした照明器具の明かりに照らされる室内は酷く雑然としている。
「傷病人を治療するにゃ最悪の環境だが文句は言わんでくれヨゥ。ワシャ、ソコルの奴に言ったんだが」
「――センセイ、そいつ目ェ覚ましたのか?」
船医がこの場の不備に愚痴をこぼそうとした時、船倉に一体の骸骨が姿を見せた。
「おぉ、エドか。ちょうど目を覚ましたところヨゥ」
「へェ、それはそれは……」
エドワルドである。
ずかずかと船倉の奥へ足を進めエドワルドは床に伏す拓未に白骨の顔を近づけた。
「よォ、ワンころ。覚えてるか? オレ様のことをよ?」
「……ぉ、まぇ……」
白骨の顔ではなく陽気な声に聞き覚えがあった。
自身の肉体を切り刻んだ張本人を忘れられる筈がなかった。
「ァん? なんだって?」
弱々しい呻き声の混じる言葉を発する拓未にエドワルドは怪訝な顔をする。
「エド、そう逸るな。まだ話しが出来る状態じゃない。まだ一日しか経っとらんのだからヨゥ」
「ハッ、弱っちいな。あの程度の怪我もまだ回復出来てねえのかよッ」
「無茶を言うなヨゥ。散々と痛めつけたのはどこの誰だったかな?」
「……そ、そりゃ、あん時はなんも知らなかったんだから仕方ねェだろうがセンセイ」
「はぁ、まったく反省は無しか。お前さんは昔ッから……」
やれやれという様子を船医は見せエドワルドは狼狽した。
そんな様子を拓未は朦朧とした意識で見ていた。
聴力も視力も徐々に快復に向かってはいるが全快には程遠く会話は半分も聞き取れない。
しかし、その眼はやがて一点に向く。
「というか、お前さん何しにここに来た。ワシになんか用があるんじゃないのかヨゥ?」
「ん? あぁ、そうだったセンセイ、これ洗っといてくれよ。大分汚れちまってさ」
エドワルドが汚れた布の束を船医に手渡す。
「なんじゃい、血だらけじゃないかヨゥ。こんなもの洗濯するより新しいもんに新調した方がマシだろうに……」
「いや、センセイ。船長の命令なんだって。捨てるのは勿体無ェから洗っとけってさ」
「ソコルの奴の命令か、ケチ臭いのはいつまで経っても変わらんな。まったくいつからワシャ掃除夫になったのやら……」
「仕方ねぇじゃんセンセイ。センセイ以外、まともに洗濯出来る奴がこの船にはいねェんだからさ」
「これだから荒くれもの共は……」
渋々といった様子で船医はエドワルドから汚れた布束を受け取った。
拓未の視線はその布束に注がれる。
大量の血で汚れた布。そこに微かに元の色合いを拓未は感じとる。
それは服だ。
一人の少女が着ていた衣服。
――それが血で染まっていたのである。
「…………ま…………り」
その服を身に纏っていた少女の名を拓未は呟く。
そして、
「――――!!!!」
船倉に獣の慟哭が響いた。




