傍観
――ただ、見ていることしかできなかった。
銃声が響く。そのたびに船上を鮮血が染める。
迸る血は船の甲板だけでなく黒き獣の身も赤く染めた。
「……ッ、しぶといな」
もう何度目になるかも分からない銃撃を終えハインリヒが鬱陶しそうに呟く。
アサルトライフルに変えてから黒獣の頑健な肉体に損傷を与えられるようにはなった。
硬い獣毛を退け肉を抉る銃弾。
しかし、それは致命傷を与えるまでには至っていない。
どれも肉の壁の序盤で押し留められていた。
ならばと、ハインリヒは眼球や口腔といった急所とおぼしき比較的柔らかそうな部位に狙いを定めた。
しかし、そういった急所を狙うもののいずれも優れた動体視力によって腕等で防がれてしまう。
恐れていた近代兵器による攻撃もこの程度ならばしのげるとその時の拓未は楽観視してしまった。
だが、その認識は早々に崩された。
「ハッ、その方が面白いだろうが!!」
軽く鼻を鳴らして拓未に躍りかかるのは両の手に舶刀を携えたエドワルドだ。
両の舶刀を振るい切りかかる。
それを拓未は己の爪で相対する。
「クソッ!」
敵はハインリヒだけではない。
エドワルドもいるのである。
「……がら空きだ」
「――ッ!?」
一発の銃声。
後に続くは獣が放つ苦悶の声。
エドワルドとの応戦に気を取られた隙に銃弾は脇腹の肉を抉った。
「今度はこっちがお留守だぞッと!!」
「――グァッ!?」
舶刀の切っ先がハインリヒの銃撃で生まれたた傷に捻り込まれる。
そして、舶刀が引かれた。
「――――!!?!!」
声にならない声が漏れ、激痛にその場から飛び退る拓未。
本来であればエドワルドの操る舶刀等で改造された肉体に傷はつけられない。
いかに鋭く研がれた刃だろうと獣毛と皮膚が斥ける。
操る舶刀は名刀でも宝剣でも魔剣でもなければ、エドワルド自身剣術の達人という訳でもない。
傷付くことは無いはずだった。
しかし、そこに一点の傷が生まれたなら話は変わる。
ゼロから傷はつけられなくとも、生まれた傷を押し広げることは容易いのだ。
結果として、拓未は多量の血を流し膝を折った。
「ハッハッハー! 真っ黒だったのが嘘みてぇだなァ!」
膝を折る拓未を見下ろしエドワルドが嘲笑する。
そこには赤い獣がいた。
銃撃、斬撃、また銃撃。
軽く十度は繰り返された一連の連携攻撃。
拓未の肉体には見るも無惨な傷跡が無数に残され夥しい出血は黒一色だった肉体を深紅に染めた。
「……けど、解せねェな。あんだけ動ける癖して時たま鈍くなりやがる。なんだってェんだよ」
銃撃も斬撃も避けようと思えば避けられた。
しかし、拓未はそれをしなかった。
なぜなら、彼の後ろには絶対に守らねばならない存在がいたのだから。
「……木場、さん」
――ただ、見ていることしかできなかった。
網目の向こうで自分達を守るために必死で戦う拓未のことを日下真理は見ているしかなかった。
その背中を見ていたのは真理のみだ。
鈴は漁網が吊り上げられる際、運悪くカテナの入った棺桶に頭をぶつけ気を失ってしまった。
カテナも無理がたたり活動限界を迎え寝入っている。
起きて現状を認識しているのは何の力も持ってない日下真理ただ一人。
真理は見ていた。
拓未が無力な自分を――自分達を守ろうと奮戦する姿を。
拓未ならば、きっとこの窮地を救ってくれると真理は信じた。
――しかし、現実は残酷だ。
いまや拓未はその身を己の血で染め命を燃やし戦っている。
その現状は戦闘の素人である真理から見ても絶望的だ。
二人の骸骨の連携に拓未は翻弄され追い詰められるばかり。
反撃すら出来ず、ひたすらに打ちのめされていた。
――弱い自分を守るために、
「ここにいるのが、カテナさんなら……」
圧倒的な力を振るう吸血鬼の美女ならば、骸骨の連携など関係なく蹴散らしたろう。
「ここにいるのが、鈴さんだったら……」
不可思議な術と優れた体術を修めた道士の少女であれば、拓未の一助となり共にこの苦境を突破出来たことだろう。
「……なんで、わたしなんかがここにいるのッ……」
何の力にもなれない無力な自分を真理は呪った。
自分では拓未を救えず、手助けすらできない。
「……なんで、なんで、」
網目の向こうでは拓未が立ち上がるところだった。
幾度も傷付き血を流した。
だというのに、拓未は立ち上がる。
「……まだ、やるというのか」
「気持ち悪ィ野郎だな。まったくヨォ」
その姿に二体の骸骨も呆れを通り越したと声で表す。
「――…………」
骸骨の言葉など拓未には聞こえていない。
満身創痍。立ち上がれただけでも奇跡といえるが、拓未は腕を上げ戦う構えを見せようとする。
守る。という意思のみで行った無意識の行動だ。
その動きに呼応するように二体の骸骨にも剣呑な気配が再燃する。
再びの激突に真理は眼を覆いたくなったが、
「――……テメェ等、いったい何をしてやがる」
ドスの利いた低い声音が遮った。
「「……お、船長」」
二体の骸骨に加え、船上に溢れる無数の骸骨の視線が一点に向けられる。
そこには三角帽子を被った一目に他の骸骨とは一線を画す存在――この船の船長であるデイヴィッド・ソコルがいた。
甲板を悠々と進み腰に差したサーベルの柄に骨の指をカチカチと這わせて二体の骸骨と拓未のもとへと迫る。
「……聞こえねえのか? いったい何をしてやがる?」
低い声音が二体の骸骨に向けて放たれる。
その声には少し苛立ちが混じっている。
「ち、違ェんだよ船長ィ! オレ達は言われたとおりに陸にいたヒトのガキ共を捕まえたんだ。そしたらよォ!」
「……アレもついてきた」
エドワルドの弁明に続きハインリヒは騒動の元凶へと指を向ける。
満身創痍の赤き獣へと、
「ァん? 馬鹿かお前等、アレは――」
「「船長ッ!!」」
部下二人の言葉に呆れた声で応じたデイヴィッド。
何事かを言おうとするが、その言葉を掻き消すようにエドワルドとハインリヒが叫ぶ。
――拓未がデイヴィッドに飛び掛かろうとしていた。
「…………守、る」
もう拓未の意識は手放されかけていた。
飛び掛かったのは獣の本能だ。
この場に現れた最も警戒しなければならない相手を狩るべく肉体と獣性がおこした不意の行動である。
拓未の意識は無くとも獣の爪牙は敵を屑らんと走る。
「……躾のなってねぇ駄犬だ」
落ち窪んだ眼窩の奥に紅い陽炎のような輝きが生まれ、指を這わせていたサーベルが引き抜かれた。
――獣の右腕が宙空へ跳ね飛び、木場拓未の意識は刈り取られた。




