人魚
「……人魚?」
拓未はソレの外見的特徴から最も近いモノの名を呟いた。
ヒトの上半身に魚類の下半身。
肌こそ蒼いがその外見は幼い頃に絵本やアニメで目にしたことのある人魚そのものだ。
「あれが人魚だと? 冗談も大概にしておけよ駄犬」
カテナは拓未の言葉を否定する。
世の中に広く流布している人魚のイメージ。
それは大きな間違いだと知っていたからだ。
本来の人魚というのは人面魚に近い。
ヒトの顔持つ巨大な魚。
それこそが人魚という化物だ。
数メートルの巨体で海を往く船を襲い人間を喰らう。
生粋の怪物。
間違ってもあんな少女の容姿をしてはいないのだ。
「ヒトの上半身に魚の下半身。そんな外見の人魚なぞ人間が勝手に作り上げた想像上の産物だ。実在などしない」
「……だったら、アレはなんなんだよ」
「…………私が知るものか、」
実在しないはずの、蒼の肌持つ人魚。
二人はソレを注視していた。
海面にただ佇むだけのソレを、
「……ァ」
人魚の視線がカテナと拓未を捉えた。
瞬間、水面に波紋がたつ。
「――ッヌゥ!?」
「――カテナッ!?」
――人魚がカテナを襲った。
まるで水の中を泳ぐように空中を滑り瞬時に移動してきた人魚はカテナに掴み掛かった。
両腕が顔面を掴もうとするがカテナは即座に対応し自身の片腕で防ぐ。
「……アイツ、まっすぐカテナに向かっていった」
拓未とカテナの立ち位置はほとんど変わらなかったが、拓未のほうが若干ではあるものの人魚との距離が近かった。
もし襲うのであれば距離が近い拓未のほうが襲いやすいはずだった。
「……カテナを狙った?」
危機察知能力というのは大抵の存在に備わっている。
小型の草食動物が大型の肉食動物に敵わないと本能的に理解しているように、不死者にもその能力は備わっている。
カテナという格の違う不死者の存在は、下位の不死者を本能的に遠ざける。
それなのに、人魚はカテナに向かっていった。
「フン、愚かな魚だ……」
人魚はカテナの片腕を両腕で捉えていた。
「生臭い手でこの私に触れた罪。その命で償うがいい」
カテナは空いている手に殺気を込める。
人魚は薄く口角を上げた。
「死――」
「――カテナ、そいつから離れろ!!」
拓未がカテナの腕が振り下ろされる寸前に叫んだ。
「……イタ、ダキマス」
だが、その忠告は遅かった。
「なんだと!?」
カテナの腕に人魚が噛みついていた。
両腕でしっかりと押さえつけた腕に歯が沈んでいく。
「ッ!」
凄まじい咬合力は肌を裂き肉を千切り骨にまで到達せんとした。
しかし、カテナはそれを許さず人魚に組みつかれた腕を振るった。
力任せに強引に人魚の拘束をほどく。
噛みつかれた腕の肉が千切れはしたものの人魚を吹き飛ばすことに成功した。
「カテナ! 大丈夫かっ!?」
片腕の一部が削げ落ち白いものが露出するカテナに拓未は駆け寄った。
「騒ぐな。たいした傷ではない」
傷口は瞬時に修復された。
吸血鬼の持つ高速再生能力の効果だ。
一瞬前まであった無惨な傷跡は跡形もなく消え去っている。
「……しかし、あの魚」
カテナの瞳が吹き飛ばした人魚に向けられる。
酷道のひび割れたアスファルトに叩きつけられた人魚。
傷の一つも負っていてよかったはずだが、生憎とその身体に外傷は見受けられなかった。
「オイ、シイ……」
代わりに喜色満面で口中の肉を楽しむ姿が目に入った。
「喰ってる、のか? カテナの肉を……」
クチャクチャと咀嚼音を起てて肉を喰らう人魚に拓未は背筋を冷たくした。
「……モット、」
咀嚼音が止まり人魚がその瞳をカテナに向けた。
「モット、チョウダイ!」
カテナに再び狙いを定めた人魚が空中を泳いで迫る。
「――雷よっ!!」
そんな人魚を突如として雷が襲った。
少しの距離も詰めることなく人魚が地面に落下する。
「鈴!」
「道士娘か、」
雲一つ無いこの夜に雷を発生させた少女の名を拓未は呼んだ。
「鈴、お前起きてたのか」
「起きてたんじゃなくて、起きちゃったの! あんな不気味な気配を感じて寝てなんかいられないわよ」
鈴は拓未とカテナが人魚の存在に気づいた時には目を覚ましていた。
感じた事の無い不気味な妖気。
それに警戒し、眠っていた真理を起こし退避させ、装備を整えるのに時間が掛かってしまったのだ。
「で、アレはなんなのよ?」
桃木剣を肩に担いで鈴は嘆息しながら質問する。
雷によって麻痺したのかビクビクと震え地面に這いつくばった人魚。
それを指差し問い掛けた。
「いや、俺も良くはわからない」
「私も右に同じだ。あんな魚は過去に見たことがない」
「はぁ~!? なんなのよソレ!」
鈴の見立てでは軽く数百年は活動し続けているカテナをして知らないと言わしめる未知の存在――人魚。
そんなものにどうやって対処すればいいのかと憤慨する。
「見たところ、貴様の招雷術。アレも大して効いてはいないようだな」
「……みたいね」
人魚は雷のダメージから回復しつつあった。
麻痺から回復すればまたコチラに向かってくるのは予想できる。
三人は対策を考えるも、いかんせん相手の情報が少なすぎた。
結局は力任せの近接戦を仕掛けることで決着しかけるが――
「――火だ! 火を使え!」
低い男の声が三人に届く。
無精髭を生やした金髪の白人。
昼間に助けた男がふらふらとした様子で三人に向けて言葉を投げた。
「アイツらは火が苦手なん、だ…………」
そう言葉を吐き終えるや男は再び意識を失った。
「火が苦手……か」
男の言葉を拓未は信じてみることにする。
特に有力な対抗策が無い現状。試す価値は十分にあった。
拓未は鈴に目配せする。
鈴はその意図を察して、黄色のお札を数枚取り出した。
手に持って霊力を込めるやお札は端から発火する。
「哈ッ!!」
手に持つお札が人魚に向けて放られる。
いまだ麻痺から回復出来ていない人魚にお札は貼り付き火を燃え移らせる。
「ァアァァア!?」
人魚の全身を炎が包みこみ盛大に燃え上がる。
焼け焦げる匂いと断末魔の悲鳴に拓未と鈴は苦い顔を浮かべた。
男の言葉通り、人魚は火が弱点であった。
あっけないほど簡単に人魚は葬られた。
「……あの男、いったい何者なんだ」
その夜、残されたのは異臭を放つ消し炭と男についての疑問だけであった。




