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Dead Heat Zone  作者: 中村英雄
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(……いい匂いがする)


 日下真理は微睡む意識のなかにあったが食欲を刺激する匂いに素早く反応した。

 数日間、逃げることに夢中でなにも食べていなかったので当然の反応と言える。

 多少満たされた睡眠欲をまったく満たされていない食欲がぐいぐいと押し退けてゆき、真理の意識は徐々に浮上していった。


(ここ、どこ?)


 今朝までの記憶はなんとなく覚えていた。

 逃げ疲れた自分は路肩に止められた廃車に背を預け意識を失ったはず。

 なのに、目が覚めてみればまったく見覚えのない景色が広がっていた。

 困惑するのも無理はない。

 雑多に物が溢れる室内を真理はキョロキョロと見回す。

 自分が暮らしてきた場所とは真逆と言える住環境。

 真理の暮らしていた個室には必要最低限の調度品しかなく整理整頓が為され掃除が隅々にまで行き届いていた。

 しかし、いまいる場所はお世辞にも整理整頓と清掃が行き届いているとは言えなかった。

 だが不潔というわけではない。

 室内は生活感に満ちていて、真理は不快に思うどころか興味が湧いてきていた。


「お、夜になる前に起きてくれたのか……あ」


 プレハブ小屋の外で調理をしていた拓未が手鍋を持って眠りから目覚めた真理に話しかける。

 しかし、すぐに真理へ背を向けてしまった。


「あ」


 プレハブ小屋の入り口に立つ拓未の背中を見て真理は瞬時に理解する。

 ――この人が助けてくれたんだ。

 黒髪黒目の一般的な日本人然とした容姿の木場拓未。

 集団のなかに紛れれば気付かれることは少なかった良くも悪くも平均点の男。

 それでも真理は拓未の姿を一目見て命を救ってくれた恩人だと理解した。

 気を失う寸前に見た背中を忘れるはずがない。

 後ろ姿だけで、顔を見たわけではなかったが拓未から感じられる雰囲気などから、女の勘とでも言うべき第六感がこの人だと告げているのを感じた。


「あの、助けてくれて本当にありが――」

「待った!」


 寝ていた布団から立ち上がり、キチンとした礼を言おうとした真理を拓未は振り返らずに声だけで制した。

 なにか気に障るようなことをしてしまったかと、真理は自分の行動を思い返した。


「……無事、目が覚めたんなら、それは良かった」


 少しずつ言葉を選ぶようにゆっくりと拓未は話す。


「それで、なんだが、その、あー」

「どうしたんですか?」


 不自然な態度で話す拓未に真理はいたって普通に尋ねた。


「えーと、落ち着いて俺の話を聞いてほしい」

「はい。なんでしょう?」


 命の恩人の言葉である。真理は素直に返事をした。


「…………あの、だな」

「は、はい」


 たっぷり間を置いて話す拓未につられ、真理も少し緊張してしまう。


「服を着てくれ」


 短い言葉が放たれる。


「へ?」


 拓未の言葉に真理は視線を自身の身体へと移してみる。


「――っ!?」


 次の瞬間、真理の悲鳴がプレハブ小屋のなかに響き渡った。



 ◆◆◆



「本当にすまなかった!」


 それはそれは美しい土下座であった。

 日本人が世界に誇るべき謝罪方法の最上級。

 ジャパニーズ土下座をお手本のような格好でかまし、真理への謝罪を口にする拓未。


「い、いえ、必要な事だったという説明は分かりましたから大丈夫です。はい……」


 自分が全裸であることを自覚した真理は、涙目になりながら赤面し言葉にならない声を出して取り乱した。

 その様子を背後に感じながら拓未は必死で全裸にしてしまった理由を説明。

 一応の落ち着きを取り戻した真理は拓未の服を借りていまに至る。

 如何せんサイズが合わないので、借りたTシャツは丈の短いワンピースのようになってしまい色々と危うい。

 なので、応急処置として別のシャツをパレオのように腰に巻き付けている。


「では、あらためて。助けてくれてありがとうございます!」


 真理はようやく感謝の言葉を口にすることが出来た。


「……おう」


 真理が送る純粋な感謝の念は真っ当な人間との関わりをここ数年味わってこなかった拓未には少々荷が重く、一言だけぶっきらぼうな物言いをするのが限界だった。

 真理はまだまだ言葉を連ねようとしていて、これ以上は耐えられないと拓未はすぐに話題を変える。


「そうだ。腹減ってないか?」


 手にしていた鍋の中身を披露する。

 料理名は雑穀粥ざっこくがゆとするのが適当だろう。

 長期保存が出来るように処理をした雑穀に乾燥野菜を一緒に煮込んで塩で味付けした代物。

 決して美味なものではないが、調理を施されている点を考えれば上等である。


「そんな、助けてもらってそのうえ食事までご馳走には――」


 グ~と可愛らしい音が、真理の言葉を最後まで言わせず遮った。

 言葉とは裏腹に身体は正直なのであった。


「ま、大したもんじゃないけどさ良かったら食べてくれ」


 変なフォローは入れずに拓未はもう一度食事に誘った。


「……い、いただきます」


 全裸を見られたのとはまた違う羞恥心に耐えながら、真理は食事に与ることにした。

 食事を摂る二人。話題はどうしてあのような状況に真理が陥ったのか、という方向にいった。

 真理は訥々と過去を語りだす。

 拓未はそれをただ静かに聞いた。


「ごめんなさい。長くなってしまって……」


 気付けば、室内は茜色に染まっていた。

 まもなく日没である。


「いや、構わないさ」


 掛ける言葉が見つからなかった。

 いや、下手な言葉を掛けるべきではないなと拓未は思う。

 まだ父親や家族と呼べる存在を失って僅か数日だ。

 いまは他人がなにかを言うべき時ではないと判断した。


(……だが)


 真理の語った過去を聞いて腑に落ちない点が拓未のなかにいくつか出来てしまう。


(彼女の暮らしてきた『施設』とはなんだ?)


 この世界はとっくに終わってしまっている。

 統治機構など存在せず、都市機能は失われ、誰もが今日の糧を得るのも難しい世界。

 そんななか多くの子供を保護していた白い施設。

 疑問に思うなというのが無理な話だ。


「あ!」


 真理が突然声を上げる。


「どうしたんだ?」


 深い思考の底へと潜っていく寸前だった拓未も突然の声に正気を取り戻す。


「自己紹介。わたしたち、まだお互いに名前も知りません」

「あー、そういえば」


 言われてみると確かにそうであった。

 色々とドタバタしていたせいで、そんなことすっかり忘れていた。


「俺は木場拓未きばたくみだ」


 さらりと名乗る拓未。

 年齢も言おうかと悩むが、三十路間近のオジサンという認識は与えたくないので秘密にしておく。


「……木場拓未さん」


 真理はその名前をしっかりと自身の内に刻み込むように呟いた。


「わたしは、日下真理ひのしたまりです。よろしくお願いします。木場さん!」

「あぁ、よろしくな真理」


 こうして二人の自己紹介は終わった。


「ところで木場さん」

「どうしたんだ?」

「ずっと気になってたんですが、アレ(・・)ってなんですか?」


 真理が指差したのはプレハブ小屋の奥に佇む黒い棺桶だった。


「あー、あれねー……」


 オブジェだよ。

 なんて苦しい言い訳も考えたが即座に取り止める。

 まもなく日没。そんな嘘を教える意味はあまりない。


「ちょっといいか?」

「はい?」


 質問には答えず、拓未は真理をプレハブ小屋の外へと連れ出した。


「わー、畑だ!」


 本でしか見たことのなかったそれを生で見たことで真理は興奮する。

 拓未は自分でも頑張って作った屋上菜園だけに鼻が高い。

 しかし、本題は違うので興奮する真理を屋上の端へと誘導していく。


「うわ、凄いですねー」


 茜色に染まる街並みに沈んで行く夕陽が見える。


「まぁ、これが見せたかったわけじゃなくてさ。本題は夕陽が沈んだ後なんだ」

「どういうことですか?」

「あの黒い棺桶のこと。この夕陽が沈んだらちゃんと話そうと思う」

「……はぁ」


 真理はなんでそんなことをと不思議に思う。

 拓未にとっては、日が沈めばもう絶対に話さなくてはならない責務が発生する。

 そういうわけで、夕陽の沈む屋上の端に連れてきたわけだ。

 彼方に沈む夕陽は目に見えるカウントダウン。

 あの夕陽が沈むまでに拓未は覚悟を決めなくてはならなかった。


「あの、木場さん」


 真理が少し震える声で拓未を呼ぶ。


「……アレって、なんですか?」


 真理の指差す方向に拓未は視線を合わせた。

 もうほとんど沈みかけている夕陽に照らし出される街並み。

 茜色と黒色の対比コントラストも僅かに黒が勝っている。

 その黒い影のなかにそれはいた。

 距離が遠く、はっきりとは見えないが人の形をしていた。


「木場さん!」


 数が増えた。

 別の位置にある影のなかにも気付けばそれは立っていた。

 もう数えられるだけでも十体は越えている。

 だが、それらは決して茜色に染まる陽光の下には現れない。

 黒く染まった影のなかだけでその数を増やしていった。

 その法則性を拓未もすぐに気付いた。


「木場さん、アレっていったい」


 影のなかにいるそれらは自分達を見ているように感じられ、真理は恐怖に声を震わせた。


「……【感染者】か」


 日没までに残された時間はもう数分もなかった。

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