黒妖犬は夜を駆けて、
「たん?」
聞き覚えない単語を聞いた言葉のまま口にする拓未。
――丹。
それこそが鈴の師匠であるキョンシーの特異性の源だった。
「……なるほど、仙丹を飲ませたか。だが、あぁ成り果てたという事はその仙丹は失敗作だったのだろう?」
「……えぇ、師匠は治らなかった」
丹。それこそは不死の霊薬。
世界各地で語られる不老不死をもたらすとされる伝説の一つ。
錬金術における賢者の石。
ギリシャ神話に語られるネクタル。
冥界下りを成し遂げた古代の王が手にしたという不死の霊草。
それらに並ぶ不老不死の霊薬。
仙人へと到達した道士が服用したとされる代物。
鈴はその調合法を古書から知り作製した。
そして、病床にある師に服用させる。
だが、その結果は悲惨なものだった。
丹を飲ませたのに回復することはなく、数日後に息を引き取ってしまった。
悲しみに暮れる鈴だったが、死亡からしばらくすると師は蘇った。
キョンシーとして、
「そうであろうな。一朝一夕で完全なる仙丹など造れるはずもない。もし、お前のような未熟者に仙丹が造れればこの世は不老不死に溢れているだろうさ。大方、記されていた製法に誤りがあったか……仮に正確に記されていたとしても、こんな不浄に満ちた土地で入手した材料で造られた仙丹が真の効力を発揮するとも思えん」
「…………」
カテナの吐き捨てた言葉は真を得ていて鈴は何も言い返せなかった。
「……駄犬、いまの話の通りだ。急がなければ間に合わなくなるぞ、」
「いや、専門用語が多すぎてちっとも解んねえっつの。それより、急いだ方がいいってどういうことだよ?」
鈴とカテナの話していた内容をまったく理解出来なかった拓未。
詳しい説明を要求したかったが、カテナの発した言葉に怪訝な表情を浮かべた。
「あの殭屍まだまだ進化の途上にある。いまはまだ陽光の下で活動でき、功夫や道術を操る程度で済んでるが放っておけば飛殭や妖仙の域に――真の獣と化したお前でなければ止められない怪物になるぞ」
「――ッ!」
拓未の表情が一気に険しくなる。
「……カテナ、お前の見立てだとそうなるまでにどれくらいの時間が掛かる?」
「遅くとも一月の内にはそうなるだろう。変化が早い。生きた人間――それも道士が出来損ないの仙丹で変異したという特別な殭屍。それが紅瞳の小娘の血を啜ったのだ。私の予測より早く到達する可能性だってある。それに、」
カテナは横目で真理を見た。
キョンシーの毒が全身を侵し苦悶に身を捩らせている。
「小娘を救うためには、まだ変化が浅い現時点でアレを打倒せねばならん。傷つき疲弊したお前より遥かに強いあの殭屍をな。はっきり言って、勝ち目は薄い」
カテナの救援が無ければ拓未も鈴も無事ではいられなかった。
拓未は防戦一方で一矢報いることすら出来ずに敗北した。
キョンシーはいまも刻一刻と変化している。
次に相対したときは先刻を凌ぐことは簡単に予想できた。
カテナの言う通り、勝ち目は薄い。
ほとんど皆無だ。
「それでも、お前は」
「行くに決まってるだろッ!」
「……フン、」
聞くまでも無いことだったかと、カテナは鼻で笑った。
真理を救う。
その決意が拓未の内で揺らぐ事はない。
拓未は自らが誓った覚悟を体現するかのように立ち上がる。
「行くのか?」
立ち上がった拓未にカテナは問う。
身体に残留していた剄を気脈に流したことで、自己修復機能は回復し立ち上がれるまでに患部を治していた。
だが、それだけだ。
戦闘に耐えられるまで肉体を回復させてはいない。
それでも拓未は向かうつもりだったキョンシーの元に。
「た、拓未……アタシ、…………」
鈴も拓未に声を掛ける。
しかし、言葉が続かない。
――二人で真理を助けよう。
その言葉のもとに決戦場を準備して戦いに挑んだはずだった。
師匠を葬る。その覚悟の元に戦ったはずだった。
それなのに、
――リ゛ん゛。
たった一言でその覚悟は打ち砕かれた。
真理を毒牙にかけた憎むべき相手。
人に仇なす不倶戴天の敵。
物言わぬただの屍。
そう思っていたからこそ、覚悟を保って戦えていた。
もう鈴の内に誓った覚悟は朧な影を残すのみ。
鈴に戦う意思は残されていなかった。
真理を助けたい。
その気持ちに偽りは無い。
それでも師匠と戦うのは嫌だった。
「……わかってる」
拓未は背中越しに言葉を投げる。
鈴を責めもしなければ慰めもしなかった。
拓未は往く。
黒き獣に姿を変え夜闇の先に待つキョンシーの元へ。




