撤退
「……なん、で」
――二度と呼ばれることは無いと思っていた。
「どう、して……」
師匠は死んだ。
もう、その肉体に魂など存在せずアレはただの動く屍。
ただのキョンシーだ。
鈴はそう自分にずっと言い聞かせてきた。
「アタシの名前を、」
だからこそ、戦えた。
……戦えていたのだ。
「リ゛ン゛」
その口から濁った声音でまた名前が紡がれる。
「リ゛ン゛…………り゛、ン゛」
壊れたラジオのように、ひび割れくぐもり濁った声で何度もその名が口にされる。
「……師匠、」
鈴が地面に膝を折った。
つい先刻まで抱いていたキョンシーを討伐するという決意が揺らいだ。
真理を救わねばならないのはちゃんと理解している。
だが、キョンシーに――自らの師匠に名を呼ばれたことで精神に大きな波が立ってしまったのだ。
鈴の内にはキョンシー討伐の使命感と、師匠である村地延允と過ごした日々の記憶が渦巻き混沌としていた。
「リ、ン゛」
キョンシーが鈴に迫った。
もう後一歩で手が届く距離にまで。
鈴は自らの窮地であるというのに抵抗する様子すら見せない。
キョンシーの手があと僅かで触れそうになる、
「――鈴ッ!!」
その寸前で拓未がキョンシーを蹴り飛ばした。
鈴に注意を向けていたキョンシーは側面から行われた拓未の急襲になす術無く吹き飛ばされる。
「なに、ボケッとしてる! 死にたいのか!?」
未だ寸剄によるダメージは回復しきっておらず、吐き気と目眩に侵されながら拓未は鈴の救出に成功する。
「拓未、アタシ……」
眼前に現れた拓未に鈴は視線をくれるが、その眼にもう戦意というものはなかった。
あるのは困惑のみ。
「……俺が何とかする。お前は隠れてろ」
拓未も鈴の変化に気付いた。
この短い時間で何が起きたのか分からなかったが、拓未は鈴を戦力から外すことを決断する。
その様子からして、戦闘など不可能だろうと判断したのだ。
鈴のことは心配だったが、拓未は意識をキョンシーへと集中させる。
先刻は完全に侮っていたことで痛い目を見た拓未。
もうそこに油断も慢心も有りはしない。
吹き飛ばしたキョンシーへと目をやり戦闘態勢をとった。
「効いてるかどうかも解んねえな……」
地面に倒れていたキョンシーが起き上がった。
横面に思い切り叩き込んだ全力の蹴り。
改造人間の性能を存分に発揮した一撃を放った拓未だったが、その一撃が有効だったかは解らない。
キョンシーは先程と変わらぬ片足を引きずるぎこちない動きでこちらに向かってくる。
フラフラと体勢が安定しないのは、拓未の一撃のせいか元々なのか判断に難しい。
「……まぁ、俺は出来ることをやるだけだな」
拓未に出来ることは改造された自身の肉体を使った徒手空拳ただこれのみ。
鈴のように様々な術も使えなければ、カテナのように使い魔や魔法も使用出来ない。
鈴の加勢が望めなくなった今、拓未に出来るのは己の五体を駆使しキョンシーを打倒することだけだ。
キョンシーの牙を入手し、真理を救うために。
「ア゛ォォォ゛ォン!!」
黒妖犬が吠え猛る。
全速力で駆け出した漆黒の影がキョンシーに襲い掛かった。
「グァオッ!」
何の策略も用いない肉体性能に任せた怒涛の連撃。
それは拓未にとって全力の攻撃だった。
だが、
「グッ!?」
全てが完璧に防がれた。
真理の治療のために大量の血液を失い、寸剄によるダメージでボロボロとなった肉体。
やはり、完全な本調子とはいかず、本来の性能の五割にも満たない力しか出せてはいない。
だが、それでも全力は全力。
拓未の――黒妖犬の肉体性能はキョンシーを遥かに凌駕していた。
だというのに、その拳打は一撃として入らない。
「クソッ!」
技術の差であった。
肉体性能に依存した拓未の一撃は大振りなハンマーのようなもの。
動きも単純単調で直線的。まるっきり素人のそれだ。
それも当然。
拓未は格闘技経験も何もない普通の人間だったのだ。
それが突然、人間を遥かに越えた肉体に改造されてしまった。
戦闘技術など持ってるはずもなく、持っていなくとも関係無かった。
黒妖犬の力は並みの不死者などとは比べ物にならない。
純粋な肉体性能のみで簡単に駆逐出来たのだから。
だが、それがこの戦いの勝敗を分けた。
鈴の師匠である村地延允は功夫の達人であった。
祖父より教わった本場仕込みの功夫。
その武道の技術は生前の頃でも身の丈を越える大岩を破砕したほど。
そんな技術がキョンシーという不死者の肉体に重なったことで、
「ガ、ア゛ヴ」
「くッ!? 強い……」
単純な性能では圧倒的に劣るキョンシーが黒妖犬を圧し負かすという現状をつくり出していた。
拓未の超高速の連撃はことごとくキョンシーの掌打により払い撃ち落とされた。
そして、拓未の四肢を突然の熱感が襲った。
「な、熱ッ!?」
外部からではなく内部から発生した謎の熱感。
それを感じたと思うや四肢から力が抜けた。
熱感は強まり、まるで血管に溶けた鉛でも流し込まれたように感じる頃には四肢の感覚が消え去った。
「……いったい、何が!?」
極大の虚脱感と熱感に膝を折る拓未。
「……あれは、浸透剄」
戦闘を見ていることしか出来なかった鈴であったが拓未の様子から何が起きたのか瞬時に察する。
――名を浸透剄。
体内で練り上げた内功を相手に送り込み肉体を内側から破壊する技だ。
使用には相手に触れる必要があり、拓未は連撃の際に掌打で打ち払われた瞬間に喰らったものと推測された。
一撃一撃を払う際にごく少量ずつ打ち込まれた浸透剄。
それは時間を掛けて拓未の四肢を毒のように侵食し自由を奪った。
「クソッ!?」
拓未は必死の抵抗を試みるが四肢はまったく動かない。
残っている感覚は胴体部と頭部だけであり首を上下左右に動かすしか出来なかった。
「ガ、ァ゛」
キョンシーが間近に迫る。
拓未はまったく動けず、鈴も茫然自失としていた。
未だキョンシーは健在であり、拓未は何とか首だけでも抵抗しようと低く唸り犬歯をぎらつかせる。
「――咲け、『蒼薔薇』」
氷の華が夜の闇に咲いた。
「カテナ!?」
気付けばもう辺りは闇に包まれていて、とっくに日没を迎えていた。
拓未は危機的状況を打破してくれた者の名を叫んだ。
カテナがそこにはいた。
「……贄も無しでは、あの程度が限界か、」
キョンシーを封じ込めた氷の華を一瞥しカテナは拓未に目を向ける。
「フン、無様だな駄犬」
地面に膝を折った拓未に文字通りの上から目線でカテナは笑みを向けてきた。
「……悪い、助かった」
拓未はカテナに感謝の言葉を告げる。
今回、カテナには作戦への手助けを断っていたというのに危機を救ってもらったのだから。
「ただ、アレは大丈夫なのか?」
氷漬けになったキョンシーに拓未は目線だけを向けた。
鈴の話では陰の気の塊だというカテナがキョンシーと接触すれば進化が加速するという。
窮地を救ってくれた手前で言いにくいが、カテナの魔法によって進化が加速し救う手立てが無くなった。なんてのは最悪だった。
「恐らくは問題無いだろう。ただ、あの殭屍は……」
カテナが何事か言おうとした時だった。
「エ゛あ゛」
氷塊の内より濁った声が響いた。
「あル゛ぱぢ、マ゛ブオ゛」
「――その呪文は!?」
カテナは氷塊内から響いた言葉とも思えない濁った声が口にしようとした単語を理解し、拓未と鈴を掴むと氷塊から距離を取った。
次の瞬間、氷塊は内部から破壊された。
「な、なんだ!?」
拓未はカテナの腕にぶら下げられたまま驚愕の声を上げる。
「リ、ン゛」
キョンシーが氷塊から抜け出し、再びその名を口にする。
「……功夫だけじゃなく、法術まで」
氷塊を破壊したのはキョンシーだった。
それも肉体の力でもなく、功夫の力でもなく、霊力を使用した法術による破壊。
「…………退くぞ、駄犬」
「はぁ!?」
カテナの口から撤退を意味する言葉を聞き、拓未は抗議の声を上げようとした。
「この状況でお前は勝てると思ってるのか?」
「ッ!」
自身は四肢の機能を完全に奪われた。
鈴は戦意を喪失している。
カテナも魔法まで使用してくれたがそれは破られた。
勝てる見込みなど皆無だった。
「……わかった。けど、真理が」
拓未は撤退に賛成する。
意地を張ったところで状況が好転するはずもなかったからだ。
とりあえず鈴と自身はカテナにより抱き抱えられた状態にあるが、真理は近くの廃屋に寝たままだった。
撤退するならば、真理もいなければ意味がない。
「……私が触れるのは不味いらしいからな、使い魔に運ばせるとしよう。だが、影響はゼロではない。そのことを忘れるなよ?」
「あぁ、感謝する」
カテナが使い魔を作成する。
影によって編まれた蝙蝠数十匹が廃屋に飛び立ち眠っていた真理を回収した。
「行くぞ」
短い言葉を発してカテナはその場を離脱する。
使い魔もその後を追随していった。
こうして、拓未はキョンシーに敗北を喫した。
「……リン゛」




