僵屍
拓未がまず気になったのは少女の服装だった。
黄色いゆったりとした中華風の衣服を身に纏っている。
道袍。それが少女の身に纏う衣服の正式な名称であるのだが、拓未にそんな知識はない。
胸元に太極図が描かれたその衣服を、なんだか珍しいなとしか思っていない拓未である。
「もう、待ってって言ってるじゃんっ!!」
しきりに背後を振り返り少女は走っていた。
星明かりしか光源がない暗い夜道である。
少女は自身が向かう先にいる拓未の存在をまったく認識出来てはいなかった。
逆に、拓未は改造人間の優れた五感により少女のことをはっきりと認識していた。
年齢は真理と大して変わらず肩ほどまで伸びた黒髪を二つ結びにしている。
黄色い道袍を身に纏い、自身の身体の半分はある巨大な鞄を背負った少女。
人間の状態であっても、拓未の眼は少女をきちんと捉えている。
――そして、その背後から迫る存在も。
「……アレって、なんだ?」
それは少女と同じく中華風と言える衣服を身に纏っている男だった。
黒い帽子に黒い服。胸元には手の込んだ刺繍も施されている。
その衣服に身を包んでいる男は明らかに死んでいた。
だが、動いて少女を追っている。
「……屍体、いや違う」
男の肌は青白く生気がまったく感じられない。
まだ距離はかなり離れているが、拓未の鼻には死人特有の腐敗臭も届いていた。
拓未は耳を澄ませるも少女の荒い吐息が聞こえてくるばかりで、男の呼吸音も鼓動も確認出来ない。
完全に男の生命活動は停止していると言ってよかった。
その上で動いているとなると不死者なのは確定的。
拓未は一瞬、屍体かと思うがすぐに自身の考えを否定する。
屍体にしては動きがおかしいのだ。
「跳んでやがる……」
男は跳んでいた。
両の手を揃えて前に突きだし、両の足を揃えて跳びながら移動しているのだ。
そんな動きを屍体は絶対にしない。
「って、見入ってる場合じゃなかった」
未知の不死者の存在に拓未は少女の危機を忘れてしまっていた。
いま謎の不死者に少女は追われている。
いまはまだ両者一定の距離を保っていて少女が襲われることもないだろう。
だが、その距離は徐々に縮んでいた。
少女は息を荒くしながら走っていて体力の限界も近い。
比べて男の方は変わらぬ速度で追ってきていた。
このまま誰の助けもなければ少女の運命は決まったも同然だ。
「待ってって言ってるのに、なんで待ってくんないのよ!この馬鹿師しょ――」
振り返りながら罵声を浴びせようとした少女。
しかし、その言葉は途中で途切れる。
拓未が少女の横を風のように通り過ぎて行った為だ。
「な、誰っ!?」
たまらず少女は立ち止まる。
こんな人気の無い場所に自分以外の人間がいるなんて思わなかったからだ。
「馬鹿っ! 早く引き返しなさい!」
少女は叫ぶ。
拓未が向かっていった先には危険が待っていると知っていたからだ。
拓未は少女の言葉を聞いていたが逆に走る速度を上げた。
「はぁ!? なにやってんのよっ!?」
少女は拓未の起こした予想外の行動に驚いた。
そして、ほとんど間も置かずに再び驚くことになる。
「どおりゃあっ!!」
拓未は走る勢いそのままに少女の後を追ってきていた男に飛び蹴りを見舞ったのだ。
男は身体をくの字に曲げて後方へ吹っ飛んでいく。
常人離れした威力を持つ拓未の蹴りを受けた当然の結果だ。
「な、な、な……」
突然の出来事に少女は開いた口から震えた声を漏らす。
「……痛ぅ、なんつう硬さだよ」
蹴りを入れた方の足を拓未は軽く擦る。
男を蹴った際に痛めてしまったのだ。
原因は男の硬い肉体だった。
男の身体はまるで鉄のような硬度をしていて、それを何の躊躇もなく拓未は全力で蹴ってしまったことで負傷してしまったのだ。
歩くことに支障はないものの、しばらく戦闘で足は使えないと見てよかった。
「ちょっと、アンタ!」
「へ?」
「なんてことしてくれたのよっ!!」
少女は危機を救ってくれたはずの拓未をキツい口調で責めだした。
「アンタのせいで、師匠が吹っ飛んでったじゃないっ!」
男が蹴り飛ばされた方向を指して少女は激怒している。
「師匠って、あの不死者が?」
「……不死者なんて無粋な呼び方はヤメテ。師匠は僵屍なんだから」
「きょ、し?」
聞き慣れない単語に拓未は頭のなかで疑問符を浮かべながら問い返した。
少女の発音もあってかなり聞き取りにくい単語だ。
「ま、知らないのも仕方無いかもね。師匠も日本じゃマイナーだって言ってたし。言いにくいなら、キョンシーで良いわよ」
「キョンシー……」
拓未にも聞き取りやすく少女は発音を変えて言い直した。
「というか、アンタ何者? キョンシーの師匠をあんな風に吹っ飛ばせるなんて……」
少女は拓未を訝しんだ。
それもしょうがないことである。
突然、現れて不死者を一方的に蹴り飛ばす人間など怪しいことこの上ない。
「あ、そういえば名乗って無かったな。俺は木場拓未」
拓未は自身の名を名乗り握手を求めて右手を前に出した。
「……ふーん、拓未ね。アタシは鈴よ。ただの鈴」
少女――鈴は拓未の手を取って握手を交わした。
「……さっきは怒鳴っちゃったけど、けっこうピンチだったのよね。ありがと、拓未」
少し照れくさそうにしながら鈴は拓未にお礼を言う。
「いや、こっちこそゴメン。俺も君の師匠を……」
拓未は鈴の師匠を吹き飛ばしてしまった。
師匠と呼んでいることから鈴は弟子であるはずだ。
蹴飛ばした拓未を怒って当然である。
拓未は鈴の師匠を本気で蹴ってしまった。
人間状態とはいえ、改造人間の全力の一撃である。
その結果は拓未自身が一番良く解っていた。
「アンタ、暗い顔しちゃってるけど、まさか師匠をどうにか出来たと思ってるわけ?」
「いや、だってそりゃ……」
拓未は自身の一撃を思い返す。
反撃を受けたわけでもなければ、防御されてもいない状態で放った完璧な一撃だ。
大抵の不死者であれば屠れている。
「拓未。アンタ、けっこう不死者との戦闘に慣れてるみたいだけど、キョンシーと戦うのは初めてでしょ?」
「え、あぁ……」
「そうだと思った。言っとくけど、キョンシーはそんな簡単には倒せないわよ?」
「は? それっていった――」
ドムン。
「……これは」
ドムン。ドムン。
拓未の耳はその音を捉えた。
「この音は」
ドムン。ドムン。ドムン
遠くからこちらに迫ってくる一定の間隔で響く音。
「嘘だろ……」
音の正体は、鈴の師匠――キョンシーだ。
拓未が放った全力の一撃をまともに受けたというのにキョンシーは平然とした様子で跳びながら向かってきていた。
「キョンシーは頑丈なのよ。剣や銃なんかじゃ倒せないし、アンタの蹴りなんかじゃ無傷でしょうね」
鈴は背負っていた鞄を下ろし柔軟運動を始める。
「でも、アンタなかなかやるみたいだし、ちょっとだけ協力してよ拓未」
「協力?」
「師匠を止めるの。いまは暴走しちゃってるけど、普段は師匠おとなしいんだから」
「……おとなしいって」
自身の蹴りを受けてピンピンしてるキョンシーを見てしまっている拓未。
おとなしい。という姿はまったく想像出来なかった。
「本当なんだから! このお札をおでこに貼ったら師匠はおとなしくなるんだから!」
鈴は一枚のお札を取り出す。
長方形の黄色い紙に赤い文字が描かれたものだ。
「アタシ一人じゃ無理だけど、アンタが協力してくれれば出来るわ」
鞄の中から一振りの木剣を鈴は取り出した。
それは桃の木より削り出された桃木剣と呼ばれる代物だ。
「それに、さっき師匠を吹っ飛ばしたってことはアタシを助けてくれるつもりだったんでしょ? だったら、当然協力してくれるわよね?」
有無を言わさぬ鈴の物言いに拓未も覚悟を決める。
「わかったわかった。手伝ってやる。それで、俺は何すりゃいいんだよ?」
「師匠の注意を引いて。アタシがその隙を突いてお札を貼り付ける。そしたら、師匠はおとなしくなるから」
鈴は桃木剣を素振りし握りを確かめ準備を整える。
もうキョンシーとの距離は数メートルも離れていない。
「あと、拓未。アンタはキョンシーとの戦闘が初めてなんでしょ。だったら、牙と爪に注意しなさい」
「牙と爪?」
拓未の闇を見透す眼が、迫るキョンシーの顔と手に視点を合わせる。
見れば、長く伸びた二本の犬歯と青紫色をした鋭い爪が確認出来た。
「もし、噛まれたり引っ掻かれたらキョンシーの毒に侵されるわよ。そしたら、アンタも数日中にはキョンシーの仲間入りなんだから」
「……感染、するのか」
多くの不死者と同じくキョンシーも増殖するということを知り、拓未は気合いを入れ直した。
不死者の特徴の一つに増殖という性質がある。
彼等は何らかの方法によって数を増やしていく。
屍体であれば人間に噛みつき自らの体液を侵入させ、じわじわと毒素により弱らせ死亡させる。
そして、死亡した者は屍体に成る。
感染者も同じく自らの体液を侵入させる方法を取り、他に自然生殖により数を増やしていく。
キョンシーも似たような方法で増えるらしいが、拓未には関係無かった。
改造された肉体はもう一般的な人間のそれとは異なっている。
屍体だろうと感染者だろうが、拓未は毒素に抗えるのだ。
「それなら、お札を貼る役を交代した方が良いんじゃないか?」
「あら、どうして?」
「いや、そのお札って額に貼るんだろ?」
鈴が言うには黄色いお札を額に貼ることでキョンシーはおとなしくなるという。
だったら、その役目は大変危険なものとなる。
額を狙うとなれば、顔に手を近づけなければならない。
噛まれる危険性がかなり高くなるのは簡単に予想出来た。
「拓未、アンタって相当の自信家かお人好しみたいね。アタシのこと心配して言ってくれたのかもしれないけど、お断りするわ」
鈴は桃木剣を舞うように振るった。
それは鈴が修めた演武の型の一つで流麗な動作に拓未は息を飲んだ。
「アタシは道士よ。心配されなくたってキョンシーの扱いには慣れてるんだから」
演武を見せられたことで鈴のことを普通の女の子と思っていた自身の認識が間違っていたと気付く。
あの演武は一朝一夕で修得出来るようなものではない。
何年も何年も反復練習を重ねに重ねなければ行えない努力の賜物だった。
「それより、来るわよ……」
「あぁ、わかった」
もう鈴の心配を拓未はしていない。
実力はあの演武で証明されたも同然だったからだ。
注意して見ると、鈴の身のこなしは無駄がないように拓未には見えた。
優れた身体能力に依存した拓未とは違う、武術を修めた者の佇まい。
拓未はそれをひしひしと感じた。
「行くわよ!」
「おうっ!」
鈴の合図で、二人は同時に走り出した。
拓未はキョンシーの気を引くべく鈴の前に出て攻撃を行う。
「っらあ!」
キョンシーが鉄のような硬度を持っているのを踏まえ、拓未は力を抑えて殴りかかる。
拓未の拳はキョンシーの胴体分に見事直撃。
「……痛ぇー」
拳を壊さないように注意し力を抑えた一撃であったが、拓未の拳は悲鳴を上げる。
まだまだ殴れはするもののかなりの痛みが拳を襲っていた。
だというのに、キョンシーには何の効果もない様子。
拓未が手を出したことで跳ぶのを止めはしているが、ダメージは感じられない。
「ゥ!」
「うぉ!?」
キョンシーが反撃をしてきた。
前方に伸ばしていた両腕を横に振って見せただけだが、その威力は計り知れなかった。
ブォンという風切り音を伴い振るわれる、鉄と変わらぬ硬度の腕など凶器でしかない。
拓未もたまらず身体を捻り避けた。
「これは、マズイ、だろっ!」
キョンシーの反撃は続いていく。
腕を横にだけでなく、上に下にと振るってくる。
たまに両腕を突き出してくるのも厄介で、人間の身体なんて貫通してもおかしくない速度だ。
「しっ!」
拓未も隙を見て反撃するが、加減した攻撃ではキョンシーにダメージを与えられない。
「あぁ、やりにくいっ!」
かなりの苦戦を拓未は強いられていた。
鈴の前では変身も叶わず、人間状態での全力も封じられている。
拓未が苛立つのも無理はなかった。
「拓未! 避けなさい!」
「は? うぉあ!?」
背後からの声に拓未が振り返ると桃木剣が眼前に迫ってきていた。
しゃがむことで拓未は桃木剣を回避する。
拓未の頭の上を滑るように移動していった桃木剣はキョンシーの肉体へと打ち込まれる。
「ガウゥッ!」
桃木剣の一撃を受けたキョンシーは怯んで距離を取った。
「ハぁっ!」
凛々しい掛け声を発し鈴が桃木剣を手にキョンシーに挑みかかる。
拓未の時と同様にキョンシーは腕を振って応戦した。
「危ない!」
拓未が叫んだ。
改造人間の動体視力と身体能力を使い拓未はキョンシーの攻撃を防いでいた。
だが、いまキョンシーと戦っている鈴にそんな能力はない。
容赦なくキョンシーの攻撃が鈴を襲った。
「心配いらないっての!」
キョンシーの攻撃を鈴は桃木剣で防ぎきってみせた。
真正面から攻撃を受けてしまえば木製の剣などすぐに折れてしまっただろう。
だが、鈴は桃木剣をキョンシーの腕に這わせるようにし攻撃を受け流していたのだ。
「ゴメンね師匠っ!」
そして、鈴は攻撃後の硬直を見逃さず桃木剣でキョンシーを攻撃した。
刃を持たない木製の剣なので、切るというよりも打ち据えるという感じである。
もう、鈴一人で決着するのではないかと思うが、そう簡単に事は終わらない。
鈴は拓未と違い普通の人間、それも年若い女の子だ。
拓未のように無尽蔵といえる体力は持ち合わせておらず、その顔には疲労の色が滲んできていた。
「変われ、鈴!」
タイミングを見計らい、拓未は鈴とキョンシーの相手を交代する。
鈴の疲労に気付いたからだ。
「お前ほど上手にキョンシーの相手は出来ないから、早めにケリをつけてくれよ!」
「言われなくても、そのつもりよ!」
桃木剣の先端にお札を着けて鈴は動いた。
キョンシーと交戦する拓未の肩を踏み台にして跳躍。
キョンシーの頭上にまで一気に跳んだ。
鈴はキョンシーの頭部に桃木剣を持っていない方の手を伸ばす。
目の前に手が現れたことでキョンシーはそれに噛みつこうとした。
「よっと!」
噛みつかれる寸前、鈴は桃木剣を持つ手に入れ替えてキョンシーに桃木剣を噛ませ、その口を封じた。
これにより噛まれる心配は消える。
「……おとなしくしなさい。馬鹿師匠」
桃木剣の先端に貼っていたお札を手に取り、鈴はそれをキョンシーの額に押し当てる。
すると、今まで暴れていたのが嘘のようにキョンシーはおとなしくなり直立不動となった。
「終った、のか?」
その場に座り込んで拓未は息を吐く。
力の加減等、慣れないことをし過ぎたせいで変な疲れが襲ってきていた。
「お疲れさま。助かったわ拓未、ところで……」
鈴は拓未にお礼を言い、気になっていたことを口にする。
「アンタ、なんでこんなとこにいるの?」
それはこっちの台詞だ。と、言葉を吐きたかった拓未だが口には出さない。
いまはもう少しばかり、休憩していたい拓未なのであった。




