黒き獣の覚悟
黒い毛皮を身に纏う獣頭人身の異形。
――狼男。
そう表現するのが相応しい姿に拓未は変貌を遂げた。
全身を黒い獣毛が覆い、頭部はヒトのものではなくなっている。
鋭い犬歯が並ぶ口と尖った耳、燃えるように紅い瞳を持つその姿は端から見れば狼にしか見えなかった。
だが、実際には狼とは似て非なる存在である。
――黒妖犬。
それこそが今の拓未を正確に表す呼称であった。
「……旦那、あんたはいったい」
しかし、そんなことを円治は知らない。
亡霊の群れた白い靄に突っ込んでいった木場拓未が次の瞬間には獣頭人身の異形に変わった。
それだけを理解するので精一杯だった。
「みんな、こわがってる」
「……うん。こわがってる」
アカリとアキラが不安そうな表情を浮かべ、円治に抱きついてくる。
落ち着きを取り戻したようで、その瞳に先程までの燐光は宿っていない。
「怖がってるって、亡霊がか?」
円治は双子たちに問いかける。
そうすると双子は首を縦に振ってみせた。
「……何を、怖がってるって言うんだ」
既に肉体を亡くし、この世ならざる怪異へと姿を変えた亡霊。
そんな存在が何を怖がってるというのか。
円治は双子に問いかけながらも、その答えに予想はついていた。
「「アレ」」
双子は揃って、同じモノを指差した。
異形と化した木場拓未である。
「……消えろ、哀れな亡霊共」
拓未は獣の口でありながら、ヒトの言葉を紡いでみせた。
「――アォォォォォン!!」
そして、再び獣は吠えた。
黒妖犬の咆哮は長い余韻を残しながら遠くまで響いていく。
その咆哮を受けて、白い靄で形作られていた亡霊が次々に霧散。
散り散りになって逃げていく。
黒妖犬、ヘルハウンド、バーゲスト、数々の呼び名を持つ英国に古くから伝わる黒き犬の伝承。
それら全ての伝承には『死』が関係している。
死と密接な関係にある黒妖犬の咆哮は亡霊たちの内に眠る恐怖を呼び起こし彼等を退散させた。
「……逃げたか」
倉庫内に拡がっていた白い靄は拓未の咆哮により全て消え去った。
元の寂れた景色に戻ったそこに円治たち親子の姿は見当たらない。
亡霊達が逃げていくのに乗じて裏口から逃げたのだ。
「……クソッ」
円治は舌打ちをして、ヒトの姿に戻ることにする。
身体を覆っていた獣毛は皮膚の下へと吸い込まれ、獣の顔もヒトの形へと徐々に変わっていく。
ものの数秒で木場拓未は普段の姿に戻った。
「……木場、さん」
真理はその一部始終を縛りつけられた状態ながら、一瞬たりとも見逃さなかった。
「真理、喋らないほうがいい」
見るからにツラそうな状態にある真理の身を案じて拓未は言葉を制した。
円治による乱暴な血液採取と亡霊による生命力奪取。
真理の身体はそれらの行為によりボロボロだった。
いつ意識を失ってもおかしくない状態にある。
「わた、し……」
それでも真理は喋ることをやめようとはせず、朦朧としていく意識のなか言葉を紡いだ。
「ま、た迷惑を……かけ、て……」
真理の意識はそこで途切れた。
「ごめんな……真理」
拓未は気を失った真理に謝罪をし、そして――
◆◆◆
「――木場さんっ!!」
大きな声で名前を叫び、真理は飛び起きる。
「ここって……」
汗ばむ身体に貼り付く毛布を引き剥がし、寝かされていた硬い床から真理は起き上がる。
まだ少しふらつくものの、頭を振って意識をしっかりと覚醒させた。
「目覚めたようだな小娘よ」
「……あ、カテナさん」
幾つかのランタンが床に置かれ、僅かな灯りに照らされる室内。
壁にもたれ掛かるカテナを真理は見つけた。
「カテナさん、ここは?」
「お前の暮らしていた地下施設。その深部だ」
階層にして、二十階層。
深部のなかでは比較的被害が少なく、用途が定まっていなかったために物一つない空間が拡がっている階層だ。
「……わたし、どうしてここにいるんでしょう。確か、木場さんが……」
黒い異形に変わった。
真理はその光景を思い出す。
円治に捕らわれ、亡霊が溢れる倉庫で起こった出来事は鮮明に記憶に焼き付けられていた。
「そうだ! 木場さんはどこですか!?」
室内にカテナの姿はあれども、拓未の姿はどこにも見当たらなかった。
「あの駄犬めはお前をこの場に連れてきて、いまは別の階層にいる。私に子守りを任せるなど、本当にふざけたヤツだ……」
廃倉庫での騒動から、まだそれほど時間は経っていなかった。
現在時刻は夜の九時を過ぎたところ。
拓未は円治を止めるべく、別の階層にて準備を整えている。
「じゃあ、わたし木場さんに――」
真理が、どの階層にいるとも知れぬ拓未のもとに衝動的に駆け出そうとしたその時、
「――行って、どうするつもりだ小娘?」
カテナが言葉を用いて、真理の動きを止めた。
「どうするって、助けて頂いたお礼を」
「……お前も見たのであろう小娘。あの駄犬めの真なる姿を」
燃えるような紅い瞳を持つ黒い獣人の姿が真理の脳裏をよぎる。
「カテナさん、木場さんのあの姿はいったい?」
「私の口から語るべき言葉はない。知りたいのなら、あの駄犬に直接聞け。ただし、それを望むのなら相応の覚悟をしろ小娘」
カテナは一冊の手帳を真理に手渡した。
「これは……」
「あの駄犬めは、獣の姿に変わることを嫌っている。それは自身の過去と向き直らねばならないからだ」
「木場さんの過去?」
「それでも、あの駄犬はお前を救うため獣に変じた。人前で獣の姿に変わるからには、駄犬はお前と二度と顔を合わさぬ覚悟を決めたはずだ」
それほどの思いを抱いてあの時、拓未は黒妖犬の姿を真理に晒した。
「……それでも会いに行くというのであれば、お前も自身の過去と対峙してみせろ。そうでなければ、拓未のもとには行かせられん」
カテナは真理の覚悟を問うた。
生半可な気持ちであるならば、黒妖犬の姿を晒した拓未に会う資格はない。
そのためにカテナは手帳を差し出した。
手帳の中には、真理が知りたがっていた全てがある。
真理自身のこと。施設のこと。父親のこと。知りたがっていた全てがそこにあった。
だが、それは同時に知らないほうが良かった真実までを知ってしまうことになる。
「……どうする、日下真理?」
カテナは真理に今一度問う。
「わたしは…………」
その問いへの答えなど、真理は既に決めていた。
「木場さんに会いに行きます!」




