学生の本分は勉強であり、テストは力試しで、確認のためのものなのです
カッコッ、机をシャーペンで叩く。
そんなことをしていても、目の前のプリントの空白が埋まるわけもなく、私は深い溜息を吐き出す。
途中までダラダラと書いていた公式は、答えが出されないままに投げ出されている。
――投げ出したのは、私だが。
「おいおーい!手が止まってますよー」
コンコン、と丸めた教科書で机を叩かれて、私は視線をそちらに向ける。
そこには無駄に整った顔があって、眉を下げながら私を見て笑っていた。
そういう彼の手元の参考書も、殆ど手を付けられることなく止まっている。
私は数学。
彼は現代文。
それぞれテスト前ということで、お互いの苦手分野を勉強しているのだが、正直に言って全く進む気配を見せない。
「お前さぁ……何でその公式使って、その途中式になるわけ?おかしくね?」
「……じゃあ、何で本文読んでその答えになるわけ?おかしいよね?」
私のプリントを覗き込みながら、間違いを指摘してくる彼に対して、私も同じように参考書を覗き込んで間違いを指摘する。
私の苦手教科は数学だし、彼の苦手教科は現代文。
そして、私の得意教科は現代文で、彼の得意教科は数学だ。
お互いにお互いの欠点を補うために、この勉強会が存在する。
私達はお互いの指摘に対して、顔を見合わせてから苦笑を漏らす。
それから消しゴム片手に、指摘された場所を何もなかったかのように消し去る。
別に赤点ってわけじゃないけれど、少しは点数を上げていきたいものだ。
「数学、嫌い」
「俺も現文、嫌い」
溜息が二つ重なる。
ガッシガッシと消しゴムをかけて、そのカスを指先で机の空きスペースへと飛ばす。
私は完全なる文系だし、彼もまた完全なる理数系だ。
私は、数学にXとかYとか出てくる意味が分からないし、彼は、物語の主人公の気持ちなんて理解も出来ない。
先入観を持っているから、と言われてしまえばそれまでだろうけれど。
数学にしても現代文にしても、将来的に社会に出た時に絶対に全て使うかと問われれば否だ。
数学の小面倒な計算なんて、今ではパソコンで出来てしまう時代になっているし、そもそもシグマとかいつ使うんだ。
現代文にしても、普通に登場人物の気持ちが分かっても営業先の人間の心を、瞬時に理解出来るわけじゃない。
――つまりは、そういうことなのだ。
社会に出て使う、というよりも、視野を広げたり選択肢を広げたりするためにあるのだと思う。
中学校までは義務教育だったけれど、高校生にもなれば自分の進みたい方向を見据えてやれよ、って話だったり。
「何で現文なんて好きなの?」
「逆に何で数学なんて好きなの?」
お互いに手が上手く動かない。
手というよりは、頭が働いていないのかも知れないけれど。
ほぼ、目の前の問題を解くということを諦めている。
先にシャーペンを放り投げたのは私で、シャーペンを持っていた手で麦茶が注がれたガラスのコップを持つ。
水滴が付いていたそれが、手の平を冷やす。
それを見て、今度は彼がシャーペンを手放した。
「言葉は綺麗だよ。人も殺せる、簡単で手軽で軽々しく扱っちゃいけないもの。だから魅力的」
カラン、と麦茶の中の氷が崩れる。
氷の溶け始めた麦茶は少し水っぽくなっていた。
それでも残すのは勿体ないので、全て飲んでから新しいものを入れよう。
「明確な答えなんてなくて、濁せて偽らる。それでいてそんな言葉で描かれる物語は、現実世界とは隔離された綺麗でちゃんと枠組みが作られてる」
だから、好き、変に掠れた声でそう告げれば、彼は目を細めて私を見た。
何を考えているのは分からない目で、ふぅん、と二、三回頷く。
私はコップを傾けて、彼が数学が好きな理由を問い掛けた。
あー、と軽く唸る彼は、隙間を埋めるように茶菓子に手を伸ばす。
甘い物が苦手なくせに、掴んだ茶菓子はいちご大福。
ペリペリと包装を剥がしながら、何でもないように数学が好きな理由を教えてくれる。
「お前と逆だよ。明確な答えが絶対に出る。不変的なそれが、絶対だから分かるんだよ。絶対的な答えがないやつほど、分かりにくくて面倒だ」
本当に逆だったので、これでよく話が噛み合って、お互いに好き合って付き合ってるもんだと、自分達のことながら感心してしまう。
彼もそう思っているのか、私の顔を見て笑う。
いや、それこそ逆に、真逆だから好き合っているのかも知れないけれど。
人間っていうのは、どうにも貪欲な生き物だから、自分にないものを求める。
次から次へと手を伸ばすのだ。
だから、ないものを持っているお互いを眩しく感じて、惹かれ合っても不思議ではないのだろう。
冷静に自己分析をしていると、彼が私の頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。
おい待て、お前のその手、いちご大福持っていた手だろう。
白い粉絶対付いてんだろ。
そんな抗議の思いを込めて、私は彼を睨み上げる。
「そんな顔しないで、食っていいよ」
半分くらい食べられたいちご大福が、私の目の前に差し出される。
ほぼ強制で手渡されたそれを見下ろしながら、甘い物苦手なら食うなよ、という言葉を飲み込む。
それでも出てきそうになるので、残りのいちご大福と一緒に飲み込んだ。
そんな私を見て、一瞬だけ目を丸めた彼だったけれど、クスリ、と笑って自分の分の麦茶に手を伸ばす。
愛おしそうに目を細めて笑う彼は、計算が得意だから、何度かこれも計算なんじゃないか、と思ったこともある。
それでも、出来る限り相手の気持ちを理解出来るように、観察したり言葉の意味を色々考えてみたり。
まぁ、無駄だったけど。
学校で教わる勉強って、割と役に立たない。
結局のところ自分で身に付けようとしないと、経験値として加算されないわけだし。
人間関係に至っては、教科書なんてないし。
学校という閉鎖空間で勝手に学ぶものだったりする。
「テスト、だるいなぁ」
「そうだね。まぁ、授業もなくて早く帰れるのは、凄く楽だけど」
ごくん、と喉を鳴らしていちご大福を飲み込む私の言葉に、彼は確かになぁ、と頷く。
空っぽになったコップ片手に、立ち上がって彼の空いたコップを受け取る。
「まぁ、学生の間だけだし。も少し、頑張るか……」
新しい麦茶を入れに行こうとした時に、呟かれた彼の言葉に、私ももう少し頑張ろうかな、と思った。