じゃあ、行きますか。
その日はいつもと変わらない日常で、なんの変哲もない一日、のはずだった。
なのに、俺の視線の先にはいるのは、ゴブリンの軍勢。
そして、それらを率いているだろうゴブリンキングがいる。
俺の後ろには、誰もいない。いつもいるはずのアウラもリリィも、そしてトルエもいない。
どうしてこんなことになった。
それを説明するには少し時間を遡る。
「じゃあ今日もやりますか!」
俺はそういって『明日から治療始めます。値段は傷の具合を見て要交渉。』の看板を机の横に置く。
既に並び始めている客をアウラとリリィが整理し、それを俺とトルエが治療する。
トルエが来てから俺の仕事は随分と余裕が出るようになった。
トルエの回復魔法はどうやら優秀らしく、俺ほどではないにしろよく頑張ってくれている。
そこで、ふとギルドの入口にいる冒険者たちの集団が目に入る。なにやら緊張しているみたいだ。
「アスハさん、今日ってギルドで何かあるんですか?」
近くを通った受付嬢ことアスハさんに質問する。
「実は、この街の近くにモンスターの大群が現れたみたいで今日は討伐隊を組んでソレを退治しに行くんですよ。腕の立つギルドメンバーは皆さん行かれると思いますよ」
それって危ないんじゃ……?という疑問はあったが、なんだかんだ言っても、ここのギルドの人たちは意外にも優秀らしく、よくモンスターのお肉とかを貰ったりする。
俺たちの治療が一段落した頃、討伐隊は出発した。
「それじゃ、俺たちも昼飯にするか」
今日は久しぶりに宿の食堂にお邪魔させてもらった。やっぱり俺たちみたいな素人とは違ってプロのおっちゃんが作る料理は絶品だった。
おいしい昼飯に満足した俺たちはギルドに戻るが、なにやらギルドが慌ただしい。
「あ、ネストさんたち、いらっしゃったんですね!」
なにやらアスハさんが焦った様子で俺たちに寄ってくる。
「えっと、なにかあったんですか?」
「はい、実は先ほど討伐隊がモンスターの大群と接触したんですが、街を挟んだ逆方向に、もう一つモンスターの大群が発見されまして。討伐隊の皆さんも、大群と戦っていて戻ってこれないらしく……」
「え……。それやばくないですか!?」
「やばいんです!!今ギルド長と幹部の皆様方でお話なさってるんですけど、どうやら、打つ手がないみたいで……。今、討伐隊が頑張ってるみたいなんですけど、もしそれが間に合わなかったら…………」
そう言って顔を暗くするアスハさん。
普通に考えて、討伐隊が間に合う可能性は低いだろう。俺たちが昼飯を取る前に出発したから、まだ二時間も経っていないはずだ。移動時間とかも考えたら尚更だろう。
「俺たちがお力になれたら良いんですけど、討伐とか経験なくて……。すみません……」
俺をはじめとした、アウラやリリィ、トルエもモンスターと戦った経験など無いに等しいだろう。それに自分から危ないところにも行きたくない。
「そう、ですよね……」
なんだか気まずくなった雰囲気に耐えられず俺たちはギルドを後にした。
モンスターの大群のことは既に民衆にも伝えられているらしく、荷物をまとめるている者、家の前で泣いている者、いろいろな人たちがいる。
それは、俺たちがお世話になった宿屋なんかも例外ではない。
「ネストぉ、わたしたちどうなっちゃうの?」
リリィが心配そうに俺を見つめてくるが、俺には答えることができない。アウラやトルエも同じように顔を俯けている。
それで答えを察したのだろう。リリィの目に涙が溜まる。
「わたしイヤだ!だって、ここのみんないっぱいやさしくしてくれるもん!それなのに、それなのにみんないなくなっちゃうなんてイヤだ!!ねぇネストぉ、なんとかできないのぉ!?」
「…………ゴメン。助けてあげたいけど、俺たちには何も出来ないんだ……」
俺たちはろくに戦えもしない一般市民で、逃げることしかできない。足止めすることができたとしたら、それだけでも御の字だろう。
いや、待てよ……?足止め出来れば御の字……?別に倒さなくて良い……?
………………それなら、俺にも出来るんじゃないか?
もちろんリスクは大きいけど、街の皆が助かるかもしれないなら、それは賭けてみてもいいんじゃないだろうか?
「えっとゴメン!ちょっと俺用事思い出したから、先帰っててくれ!」
アウラたちを先に帰して俺は急いで準備を始める。俺が向かった先は武器屋。
動きやすい防具を用意し、顔バレ防止のためのコートも忘れない。
準備が整った俺は、今街の外にいる。ずっと奥に見える黒い点々のアレがモンスターの大群なんだろう。
「やっぱ、やめとけばよかったかなぁ……」
つい口から出てしまう弱音。
「ま、でもこれで街が助かってくれるなら満足、かな……」
そんなことを言ってみても、やっぱり怖いものは怖いし、やりたくないものはやりたくない。
…………でも、街の皆が泣いているのは見たくないし、アスハさんが暗い顔してるのだって見たくない。アウラたちが泣いてるのはもっと見たくない。
やりたくないことはたくさんあるけど、それでも俺は、『後悔』だけはしたくないから、『戦う』んだ。
モンスターとの距離が徐々に短くなる。どうやら、モンスターはゴブリンのようだ。単体では雑魚と言われるゴブリンでもここまで多いとさすがに驚異である。
俺の視線の先にはいるのは、ゴブリンの軍勢。
そして、それらを率いているだろう、ゴブリンよりも一際大きいゴブリンキングが見える。
俺の後ろには誰もいないけど、ずっと後ろには皆がいる。守らないといけないものがある。
俺は昔からの慣れ親しんだナイフを取り出す。それは、今まで何十回、何百回、何千回、何万回と自分の身体を傷つけてきたナイフ。
そして、今日初めて敵を傷つけるナイフ。
「じゃあ、行きますか」
俺は単身、ゴブリンの大群に向かって走り出した。