【皇国の慰安師外伝】ジャッキン!ジャッキン!
小学生の頃、怖いものとして、昔は「人さらい」というものがあったといいます。
バリエーションは様々ですが、黒い服を着たり、黒いマントまたは赤いマントの男が、子供をさらっていくというものです。
ここではその都市伝説を下敷きに、「皇国の慰安師」と同じ世界観で、ハンライ(並行世界であるこちらでは朝鮮に相当)の国民学校を舞台としたホラーを語ります。おつきあい下さい。
なお、世界観は同じですが、「皇国の慰安師」と、ストーリー上の関係はありません。単独でお楽しみいただけます。
※皇国の慰安師は、私たちの世界とは並行世界での物語です。
扶桑=日本
ハンライ=朝鮮
に相当します。歴史などはほぼ同じです。
私の名は林英吉。あの戦争が始まる少し前に生まれました。
批判を怖れずに言わせてもらいますが、この名前は扶桑名をハンライ語読みにしたわけではありません。林という姓は三代以上前からずっと名乗っているもので扶桑とは関係ないですし、他にも文吉といった名前はよく使われたものです。
当時はそもそも、扶桑のものが流行していたのですから、子供に扶桑風の名前をつける事も、流行りだったのです。
ああ。脱線してしまいましたね。
私が国民学校時代に体験した、怖い話が聞きたいという事でしたね。
ええ、いいでしょう。聞いて下さい。
あれは戦争がそろそろ終わるという、最後の年でしたでしょうか。
学校に、見知らぬ人がやってきました。私たちは放課後に講堂に集められ、その人が壇上に登るのを見ました。扶桑人の校長先生という触れ込みでしたが、私の学校の校長先生ではありませんし、話し始めたところは、ハンライ語に扶桑のなまりなど全くなく、創氏改名したハンライ人だろうと皆で噂しました。
校長というのも、箔を付けるための自称だったかも知れません。
この人はいかにも人の良さそうな笑顔で、私たちにこんな事を言ったんです。
「扶桑皇国は、いま、たくさんの兵隊さんを戦争に送り出しています。みんな、お国に勝って欲しいですね?」
はーい! と私たちは声を揃えました。
当然ですよ。当時はみんな、扶桑皇民だったのです。誰もが、お国の役に立ちたいと思っていました。ハンライは残念ながら徴兵はされていませんでした。だから、志願兵の枠に十倍もの男が押し駈けたものです。徴用令も最後の年まで適用されなかったんです。だいたい徴用令なんてなくても、みんな扶桑の鉱山や工場に働きにいったものなんだ! ハンライにいるよりうんと高い給料がもらえたんだから! 出稼ぎに行った者がほとんどだったんだ!
ああ……すみませんね。年甲斐もなく興奮してしまって。
まあ、そういうことなんですよ。壇上の人は続けてこう話したんです。
「小学生である諸君も、お国のためにできる事があるんです。内地の工場で、内地の小学生と一緒に働く事ができます。そうすれば、たくさんお給金がもらえるんですよ」
わああ、と凄い騒ぎになりました。みんな、行きたくてたまらなくなったんです。お国の役に立てて、しかもお給金までもらえるなんて! 小学生の自分たちが、ですよ。
内地の小学生と一緒に働くのであれば、なんとなく安全だという気にもなりました。
今まで、内地に出稼ぎにいく大人を、私だってたくさん見てきました。内地からの送金で家族は豊かに暮らせたりしていました。友達のなかにだってそういう家庭は随分ありました。
「内地で働きたい人は、これから配るものに、お父さんの印鑑を押してもらってきて下さい。印鑑がないと、だめですよ。いいですねー!」
はーい! と私たちは再び声をそろえて叫びました。
それにしても、まだ小学生なのです。
私は六年生でしたが、それでも、やすやすと親が許してくれるとは思えませんでした。
私は級友と額を集めて相談しました。
そして、こういうことになったんです。
親の名前は自分たちで書き込んでしまえばいい。いや、自分の字ではばれるから、お互いに紙を交換して書こう。そして印鑑は、そっと持ち出して、捺印してしまえばいいんだ。
そして、その通りにことは運びました。
紙が集められたのは、翌々日の放課後です。印鑑をもらって、内地へ行くことに決めた子供は、そのまま教室で待つように言われました。
私の教室では、私を入れて四人ほどでしたでしょうか。
いくらなんでも、小学生を遠い内地へ行かせたがる親はいなかったんです。
ああ。最近、新聞で証言していた人ね。強制徴用されたと証言したというんでしょ。でも、証言をよく読んでごらんなさいよ。朝鮮人の村長に無理強いされて、みたいに言っているじゃないですか。どうせ、徴用で内地にいけば、たくさん給金がもらえるって説得されたんですよ。ばかばかしいです。
女は、高い給金がもらえる、お国の役に立てるとかいって、近所の男や親戚に騙されて慰安所に行かされたのが多いです。男は慰安所にはいけないから、出稼ぎ。なにが強制なものですか。みんな欲があるから行ったんだ。
すみませんね。年を取るとどうも興奮しやすくてね。
ええ、それで、私たちは教室で遊びながら待っていました。
軍艦の絵のあるめんことかね、ベーゴマとかね、内地とそのあたりの遊びは変わりゃしません。
まあ、ルールは若干、内地とは違ってたかもしれませんねえ。
そうやって遊んで、いくら待っても、誰も来ないんですよ。
おかしいな、まさかぼくたち騙されちゃいないよね。ヨンチョルという友達が不安そうに言いました。
でも、小学生なんか騙して何になります? 一文にもならないでしょ。
私たちはもう少し、待ちました。
もう真っ赤な西日が窓から差し込んでいて、教室は真っ赤に照らされていました。
じき、空は暗くなってしまいます。
その時、ピタッピタッと濡れたゴム長で歩くような音が廊下を近づいてきたんです。
私たちは思わず震え上がりました。
いったい、何が来るんだろう。
みんながたがた震えていましたが、教室というのは逃げ場がないものです。
ついに教室の戸が、がらりと開き、あの扶桑人校長が入ってきました。
背中には大きな袋をかついでいます。
その袋から、小さな手がひとつのぞいていました。
私は校長をじっと見つめ、そして、校長が手に巨大なハサミを握っている事に気付きました。
うわあああっ。
誰が悲鳴をあげたのだったか。私かもしれません。
皆、算を乱して逃げました。教室の中を、机を突き倒したりしながら右往左往し、教室の外に出ることはなかなか考えつかずに転んだり何かにぶつかったりしながら逃げ惑ったのです。
そのうち、きゃあっという声がして、ヨンチョルが捕まった事がわかりました。
ヨンチョルは胴の半ばを抱きすくめられてじたばたしています。
校長はにやりと笑うと、はさみをチョキン、と開きました。
ああ。あの音。私はいまだにハサミの音が苦手です。
そして、校長はヨンチョルの手をハサミの刃で挟んだかと思うと、今度は、ジャキン、というような凄まじい音がしました。
残照に赤く照らし出される教室の、真ん中あたりに立っていた校長の顔は、血のように赤く染まっていました。
ヨンチョルはぐったりとうなだれています。
教室の床には血溜まりができて、そのまんなかに、白い手が転がっていました。
ぎゃあああっ。
私たちは人間とも思えないような悲鳴をあげ、ますます右往左往して逃げ惑いました。
その間にもヨンチョルは頭を下に逆さにされていました。
ジャッキン。
不気味な音が響き渡ります。ヨンチョルが何をされたのか見たくなどありません。ええ、たぶん、足を切られたんでしょうね。きっとそうですよ。
私は教壇の下に潜り込みました。
ソヒャンも一緒でした。
私たちが教壇の下に逃げ込んだのに気付いたのか、テヒも入れて、と言ってやってきましたが、三人は入れません。私たちは無情にも、テヒを追い払ったんです。
そのまま、教壇の下でがたがた震えていると、テヒの甲高い悲鳴が聞こえました。
「助けてえっ、助けてえっ! あぁん、あぁん、お母さん、お母さーん!」
ジャッキン。
ああ、あの不吉で邪悪な音。ハサミなんてこの世から一つも残さずなくなってしまえばいい。
ごとん、と重いものが落ちる音がしました。
ジャッキン。
……ごとん。
かわいそうに。ヨンチョルもテヒも、巨大なハサミでばらばらにされているのです。
ちらっとのぞき見た教室の床は血の海でした。あちらこちらに、白いものが散らばっているのがわかりました。
ピタッピタッ。
今はもうわかります。あの濡れた足音は、血の海を踏んできたからです。
それが近づいてきたかと思うと、髪を振り乱し、真っ赤な口を開け、にやにや笑っている校長が、教壇の下を覗き込んだのでした。
「ココニ、マタ、フタリ」
赤い唇は白い顔の中で、血を吸った蛆のようにうごめいているんです。
「ミツケタヨ」
ソヒャンがつかまりました。
私は無我夢中で教壇の下から走り出ると、目の前の戸は、開いているではありませんか。校長が入ってきた戸です。
私は必死にその戸から廊下へ走り出ました。
廊下はもう薄暗く、誰もいません。
後ろではまた、ジャッキン、という音が響きます。そして、ごとん、というものが落ちる音も。
私は命からがら、走り始めました。
怖くて怖くて、たまが縮み上がるとはあのことです。
ちらっと、通り過ぎる他の教室を見れば、そこも血の海ではありませんか。
「うわああっ!」
私は悲鳴をあげ、あわてて両手で口をおさえました。
私がどこにいるか、わかってしまう!
まだ、背後では、ジャッキン、という音が聞こえます。小さいけど、聞こえるんです。
私は途中で何度か転びながらも、必死に、昇降口から外へまろび出ました。
ばくばくいう心臓をおさえてなだめ、ギンギンと痛む横隔膜のあたりをこらえるため、少し体を折って、立ち止まりました。はあはあと荒い息をつきました。
何とか少しおさまって、後ろを振り返っても、良かった、誰もいません。
ですが、私の教室の窓から、黒い人影が見下ろしているのがわかりました。校舎は二階建ての立派なもので、私の教室は二階にあったのです。
夕陽の、最後の赤い光をいっぱいに浴びて、校長の影は黒々と、そこにそびえているようでした。
その時、すぐ耳元で、ジャッキン、という音がしたような気がしたんです。私は一目さんに走って家まで逃げたのでした。
翌日のことです。
教室は何事もなかったように整然としていました。血の池もどこにもありません。
ですが、ヨンチョルも、ソヒャンもテヒも、欠席ではありませんか。
机はぽっかりと空いているのに、先生は何も言いません。ヨンチョルくんは風邪を引いてお休みです、というような事も言わないんです。いつもだったら、言うのに。
その翌日も、三人の机は空いたままでした。
そのまた翌日も。
そしてその次の日も。
そのうちに、このあたりの学校で何人もの小学生が人さらいにあった、という噂が流れました。
そんな……。
あの校長は人さらい?
いいえ、そんなものじゃないと思います。人さらいが子供の手足をちょん切ったりするでしょうか。
そして、次の週になりました。
おかしなくらい、ヨンチョルたちの欠席について、誰も話題にしませんでした。私だって怖くて、口に出せませんでしたが。
放課後になり、先生が言いました。
「今日は、皆さんに大事なお話がありますので、これから講堂に集まって下さい」
はーい、と私は手をあげました。
「はい、何ですか。イン・ヨンギル君」
「ぼくたちは、何のお話を聞くんですか」
先生はちょっと難しい顔をなさいました。
「徴用といって、お国のために働く人を集めるためのお話です。内地では、小学生もみんな工場や田んぼへ、勤労動員で働きにいっているのです。私たちもがんばらなくてはいけません」
耳元で、またしても、ジャッキン、という音がしたような気がしました。
今度は何人が消えていくんだろうと。
けれども、それは夏休みに入る少し前の事でした。ええ、終戦間際だったということです。
私はその日、講堂に誰が来て、どんな話がされたかよく憶えていません。
でも、それ以上消えてしまった友達はなく、徴用の話はいつしか立ち消えになってしまいました。
いったい、あの扶桑人校長はなにものだったのでしょう。
人だったのでしょうか。
それとも……。
私にはわかりません。ただ、夏の学校というと思い出すこと、それは耳元で響く、ジャッキン、という音なのです。