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癒しの空間の気が抜けないやつら 安賀谷編

作者: 五十嵐 涼

ガタガタガタ


襖を開けようとすると何ともいえない引っかかり感と大きな音が邪魔をしてくる。


築50年は越える家だから仕方がないし、それにこの男はその音を不快とは全く思っていなかった。


一人暮らしの生活では音が少ない。


それに、老朽化した家が奏でる音はこのおんぼろの平屋と共に歳を重ねてきた証でもある。


それが、彼にとっての慰めでもあり、喜びでもあった。


「ちーと暑さが落ち着いたな」


寝起きでボサボサの白髪頭と髭をわしゃわしゃと掻きながら、男は畳の上に敷いてある布団を几帳面に片付けていった。


作務衣を着て手際良く布団を畳む姿はまるで旅館の世話人の様だった。


それは彼の風貌もあるが、この家がただ古いだけでなく、小さいながらもきちんと手入れがされている庭と、部屋の中を飾る趣味のいい骨董品や和家具が置いてあるのがまるで隠れ家的な旅館の様だという所もあるだろう。


布団を片付け終わると、部屋の隅に置いてある棚の上に置かれた二枚の写真の前で彼は正座をした。


一枚の写真は着物を着た60歳くらいの女性、もう一枚には12、3歳のツインテールをした少女の写真だった。


「おはよう、和恵、美月。わしゃ、今日も生きておるよ。今日も生きておったわい。一体いつになったらわしはお前らに会えるんじゃろうな」


消えそうな声でそう呟くと、まるで頭を撫でる様にそれぞれの写真を撫でた。


ピロロリン


この家に似つかわしくない電子音がなり響いた。


見ると、充電器と繋がったスマートフォンが着信を知らせている。男はよっこらと立ち上がると、なれた手つきでスマホの画面を指先でスライドした。


「もしもし、お父さん?」

 

電話の向こうから聞こえてきたのは50代くらいの女性の声だった。


彼女はこの男の娘で、結婚と同時に群馬に嫁いでしまい、今もそちらで生活をしている。


東京で一人暮らしをする彼を心配して週に何度か電話をかけてくるのだが、こんな朝早くからかけてくる事は滅多になかった。


「なんじゃ?どうした佳代」


何事かと電話越しに男は少し動揺する。


「いやね、美月が、美月の手紙が見つかったって陸が。陸、昨日夜勤だったでしょ。そうしたら、不審な男が居たんで捕まえたらしいのよ。でも、その子美月と同級生だった男の子で。どうやら2人でタイムカプセルを埋めていたらしくって。それで、それを掘り起こしに来たっていってね」


よく舌が絡まらないなと感心する程まくしたてる様に佳代が言う。


もともと彼女は早口なタイプだが、それでも今の電話はあまりにも早過ぎる。彼女は興奮するといつもこうだった。


「とりあえず、手紙の画像送るけど、また近々そっちに行くから。その時お父さんにも見せるわね」


この電話で男が言った台詞は最初の「なんじゃ?どうした佳代」と、「ああ」と「おお」だった。


大抵いつもこんな感じで佳代が一方的に話して電話が終わっていた。


電話を切った後、すぐにスマホの画面には新着メール1件と表示された。


佳代が手紙の画像を送ってきたのだろう。


「美月の手紙か……」


男の手が止まる。


たった12年という短過ぎる人生に幕を閉じた最愛の孫娘が生前に書いた手紙だ、見たくない筈がない。


見たくて見たくてたまらないに決まっているのだ。


しかし、たった一人でその手紙を見てしまうと、愛する孫娘を失った悲しみに飲み込まれ、一人で生きる孤独に打ちのめされ、そして生きる気力を失ってしまいそうで怖かった。


散々迷ったあげく、彼はそのメールは見ずに作務衣を脱ぐと、外出用の着物へと着替えた。









木製の扉を引くと、いつものカランという音と共に女性店主の笑顔が出迎えてくれた。


「あら、安賀谷さんいらっしゃい」


「おお、美和くん、おはよう」


そう言うと彼は迷う事なくソファー席へと向かった。


「お、安賀谷さんおはようございます」


途中カウンター席には中肉中背の黒めがねの男が座っており、コーヒーをすすりながらパソコンを立ち上げてきた。どうやら彼も少し前に来たばかりの様だ。


「Qくん、小説は進んでおるかね」


「いやぁ、ちょっと詰んでいまして。なんか良いネタ無いですかねー安賀谷さん」


「ふぅむ、それは難しい事を聞くのぉ」


ドカッとソファーに腰をかけると安賀谷はそのまま腕組みをした。


そして、カウンターの端でシュガーポットに砂糖を補充しているおかっぱ頭の美少女を見てあっと閃いた顔をした。


「そういう事ならユウコくんに聞いたらどうじゃ、すごいネタを持ってそうじゃがな」


自分に話題が振られた事がそうとう気に入らなかったのか、少女は殺意の籠った目で安賀谷を見ると、背負っているギターに手をかけた。


「じじい、人の恋愛をネタだと思っているのか?ああん??」


「いやいや、滅相もない」


大慌てで安賀谷が首を振る。


「ユウコちゃん、ミルクコーヒー安賀谷さんに持っていってくれる?」


カウンターからコーヒーカップを美和が出してきた。


「はーい」


先ほどとは打って変わって可愛らしい顔と声でユウコが返事をした。


因に、このミルクコーヒーというのは単純にカフェオレに砂糖を入れたものである。


しかし、それをカフェオレと呼ばないのが安賀谷なりの拘りで、彼がお気に入りの作家カミュの「異邦人」に出て来る主人公がミルクコーヒーを飲んでいたからというものだった。


まぁ端的に言うとただのミーハーじじいが店員にまでその呼び名を強要させているという面倒くさいものだ。


「おら、じじい、持ってきたぞ」


言い方は荒々しいが、ユウコがコーヒーカップをテーブルに置く時の繊細さは文句がつけられないものだった。それはユウコなりに美和の作るものに対する敬意の表れであった。


ふんふんと安賀谷が鷲鼻を左右に動かしまずはその香りを楽しむ。


それからミルクコーヒーをそっと口につけようとしたその瞬間、店のドアが静かに開いた。


「あら、いらっしゃい」


美和がカウンターから来客を笑顔で迎える。


「お、長谷部くん、今日は早いね。って、あれ?今日は土曜日だろ?なんでスーツなんだ?しかもかなり汚れているけど、どうしたの?」


Qがパソコンのキーボードに指を置いたままドアの方を振り返って、少しだけ驚いた様な顔をした。


扉の前に立っていたのは20代前半の、清潔感のある短い髪に細身な体型をした青年だった。


彼はいつもニコニコしており、顔は決して良くはないが好感が持てる外見だった。


普段は就職活動中の学生みたいにカチカチなスーツの着こなしをしているのだが、今日はスーツもシャツもよれよれで、おまけに泥まで付けていた。


「あ、昨日の夜タイムカプセル掘りに行って来たのか!?で、そのまま公園で寝ちゃったってオチだろ?え?」


ユウコが突っ立っている長谷部にごすごすとギターをぶつけながら言う。


「なんじゃ、小学生時代の彼女には会えなかったのか?長谷部くんよ」


安賀谷の問い長谷部は「へへ」っと笑って見せた。


(そういえば、長谷部くんも昨日群馬に行っておったんじゃったな。タイムカプセルを掘りに………まさか、いや、まさかな)


ユウコになじられながらカウンター席に座る長谷部をじっと安賀谷は見つめた。


(そういえば歳の頃も美月と同じじゃったな。いや、まさか、そんな偶然があるものだろうか)


ドラマや映画じゃあるまいし、と言い聞かせつつもそれでも安賀谷は気になって仕方なかった。


長谷部に聞こうか迷っていると、カウンターで長谷部達が盛り上がっているのでなかなか会話に切り込めない。


安賀谷は会話の切れ目を待ちながら、気もそぞろに彼らの会話を聞いていた。


「お、なんだ、長谷部くん、美和さんにしてもらおうって魂胆だな?」


Qがニヤつきながら長谷部を肘でつついていた。


「ち、違いますよ!!」


(ぬぉ、さすが官能小説家。Qくんなかなかストレートな事を聞きよる)


会話を流し聞いていた安賀谷だが、途端に食いついた。


「まぁ、私でよければ」


さらりと美和が返事を返す。


「えええ!!???」


思わずその場にいる全員の叫び声がハモった。


因に、安賀谷だけは違う意味で捉えて叫んでいたのだ。


Qは、本当は「お、なんだ、長谷部くん、傷心を美和さんに癒してもらおうって魂胆だな?」と言っていたのだが、そわそわしていた安賀谷は「傷心」と「癒して」というキーワードを聞き逃していたのだ。


(ぬぉぉぉぉ!!!!美和くんはそんな簡単に男を受け入れてしまうのか!?あんな清楚な顔してなかなかやるじゃないか!美和くん!!すごい才能だ!!素敵すぎるぞ!)


安賀谷両方の鼻の穴からジェット噴射の様に荒い鼻息を吹き出す。


バァン!!!!


すると激しい音を立ててドアが開いいた。


安賀谷はまたどうせ舞華が来たのだろうと鷹をくくっていたがそこに居たのは何とミニスカワンピース姿の鬼頭だった。


しかも今日は両隣にマネキンをセットし3人組のアイドルユニットPerfumeになっていた。


(はてさて。いつも渋めチョイスの鬼頭くんが何故に今回はPerfumeなんて最近のキャピキャピ系なんじゃろか……はっっ!も、もしや、Perfumeは3人組!つまり、3人で、3Pでお願いしますって事なのか!!??そういうアピールなのか、鬼頭め!!なんていやらしい男じゃ!!!)


もはや安賀谷の鼻息はロケットを飛ばせる域まで達していた。


「はい、はい、当店では呪詛もお断りですーーー」


安賀谷が妄想で興奮していると、ユウコがいつもの様にドアを荒々しく閉めた。


「いやぁ、今日の鬼頭さんは怖かったねー。あまりの怖さに何のコスプレか分からなかったよ」


Qがビクビクと怯えながら、もう閉まった扉をまだ見つめていた。


「今日のはわしは分かったぞ、Perfumeじゃな。わしゃ、かしゆかが好きじゃ」


彼の頭の中では長谷部と美和と鬼頭が大変な事になっていたのだが、安賀谷は平然を装ってみせた。


しかし、ごまかしきれず髭を撫でながらも顔はニヤニヤしてしまっている。


「それにしても今日の鬼頭はやばかった、あれはさすがにやばいわ」


めずらしくユウコがビビっている様子を見て、安賀谷の妄想は暴走と化していた。


(ユウコくんが怯えておるではないか!!あやつ、ユウコくんも乱交パーテーに混ぜる気だな!!!う、羨ましいぞ!!!!羨まし過ぎるぞ!!!わしも混ぜろーーー!!!)

 

安賀谷の妄想が絶頂に達し、何十年かぶりに彼の下半身が再稼働しそうになった。


「はいはいはーーーーい、みんな呑んでるーーー??」



ドアが再び勢いよく開き、そこに登場したのはスリップ姿の舞華と顔面が青紫になった西村だった。


舞華の下着全開の姿を見て、安賀谷のそれは一気に沈静化してしまった。


(舞華くん!!キミは何も分かっておらん!隠さなければ意味が無いのじゃ!隠れてこそのパンチーなのじゃ!!!!)


美和と舞華が楽しそうに会話している姿を恨みつらみの目で安賀谷睨んでいた。


睨みつつも心の中で号泣していた。


「ほらーーユウコちゃんも呑むーー」


泥酔状態の舞華がユウコにまで絡みだした。


「えーーーでも私、未成年ですし」


「じゃあ、髭ジジイ呑めや」


いきなりビシっと指差され、安賀谷は慌てふためく。


「わ、わしか!?た、助けてくれ美和くん」


カウンターへ逃げ込もうとしたが、舞華に髭を掴まれるとそのまま一升瓶を口に突っ込まれた。


「ごぼごへごぼーーーー!!」


(わしゃ、酒は呑めんのじゃーーーー!!)


安賀谷の叫びはもう誰にも届かなかった。






「ぐへ〜やられたわぃ〜」


完全に目が座り、千鳥足になりながらも家に着くと安賀谷は2人の写真の前で正座した。


「ただいま、和恵、美月〜」


酒臭い口でろれつも回っていないが、何とかそれだけは言えた。


(そう言えば長谷部くんに何かを確かめたかったのじゃが、なんだったかの〜?)


考えようとしても頭の中がぐるぐるメリーゴーランド状態でどうにもならない。


「なんじゃったかの〜〜、まぁええか〜〜」


正座したままそのまま畳に倒れ込む。


「和恵、美月、わしゃ、もう少しこっちにおってもええか〜?」


すると、2人の写真が微笑み、そして頷いた様に見えた。


「ありがとう、ありがとうな」


そう言いながら安賀谷は夢の中に落ちていった。




翌日、安賀谷が目を覚ますと不思議と彼はきちんと布団の上で寝ていたのだった。





                              安賀谷編 おわり


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