第二話
「限界近いっすぅ」
なんて言う所は、さすがに可愛らしい。
パソコンの前で、時折ボート漕ぎのような前後運動を見せるようになった美沙の姿で、蓮はようやく彼女を年相応に見られるようになった。
チャットサイトに亜衣が現れるのを待ち続け、成果が得られないまま時刻は四時を過ぎた。皆疲れて口数が少ない。
幸秀は眠気覚ましにブルーワーカーで筋トレしているが、かえって消耗して眠くなるのではないか、と蓮は突っ込みたかった。
さすがに可哀そうだから美沙はもう寝かせることにし、押入れを開けて毛布を取り出そうとすると、背後から美沙の声がした。
「うぅぃーっす。毛布はもうふよう、なんつって」
だめだ、こんなダジャレを言うようでは、彼女はとっくに限界を超えているに違いない。危険を感じて蓮が振り返ると、美沙は両手で懸命に目をこすって、眠気と戦っているようだった。
「無理しなくていいよ、美沙ちゃん。あとは僕たちで見るから」
「みっさー、っす。で、違うっす。みんな集合っす。やっと現れてくれたっす」
全員が息を呑み、いや美沙だけが大きな欠伸をしている間に、四人がパソコンの前に揃った。
一人のチャットレディの待機画面が大きく映し出されている。
プロフィールの写真同様、首から下だけの映像なので顔はわからないが、鎖骨の辺りに蝶々のタトゥーを発見した。間違いなく亜衣なのだろう。
亜衣は青色のベビードールを着用している。スケスケなので黒い下着が丸見えだった。これを男女四人で真剣な眼差しで覗き込んでいるのは、思えば妙なシチュエーションだ。
幸秀は「おお、いい体してる、ムネもある」と素直な感想を述べた途端、無言のままの成美に思いっきり頭を叩かれた。
「さっさと始めるっす。先に誰かに入られると厄介す」
美沙はテキスト、あるいは音声で会話ができる「チャットモード」と、ただ相手の部屋を覗くだけの「覗きモード」と二つあるボタンのうち、前者をクリックすると、後の操作は成美と交代した。彼女がこの中で最もタイプが速いはずだった。
画面が切り替わり、チャットが始まった。
『おはようございます』
突然スピーカーから声が流れた。向こうはマイクで話してきたということらしい。
蓮は初めて亜衣の声を聞いた。女性としてはやや低めの、濁りはなくて澄んでいるが、抑揚の乏しい無機質な音色だと思った。
「あ、あ、あ、どうすればいいの」
成美が緊張しまくっている。
「なんか打てばいいっす」と美沙が助言しても、成美は焦ってうまく入力できない。
『あれ、マイク聞こえませんか?』
亜衣は話すと同時に、タイプも併用して尋ねてきた。
「なるネェ、慌てなくていいす。取り敢えずじぶんの言う通りに打つっす」
再び美沙の指示が飛んだ。
〈大丈夫です。マイクきこえます。おはようございます〉
成美は美沙の言う通りに打った。ちゃんと打てたので、少し落ち着いてきたようだ。
『ヒデジロウさん、でいいですか? はじめまして――ですよね?』
数秒のタイムラグの後、亜衣が口を開く。
美沙は会員登録する際、ネームを勝手に「HIDEJIRO」にした。成美のカードで入会したが、幸秀の分身ということにしたらしい。費用は男子組が負担しろ、という含みもあるのかもしれない。
〈はじめまして〉と成美も受け答えを打つ。
『よろしくおねがいします。ヒデジロウさんは、今起きたところですか、それともこれから寝るところですか?』
〈ずっと起きてました〉
『じゃあ徹夜ですか、大変ですね。お仕事だったんですか?』
〈いや仕事ではなくて、〉と打ちかけると、美沙が制止した。
「なるネェ、全然話が進まないっす。亜衣さんはこっちがスケベ男だと思ってるんすから。このままだとエッチ突入しちゃいます。サクッとこちらから名乗るっす」
「そうね、そうよね――のんびり世間話してるわけにはいかなわ」
成美は素早く文を削除し、改めて入力し直す。慣れてきたのか、指使いはかなり滑らかになっていた。
〈ごめんなさい。実ははじめましてじゃないんです。私、成美です〉
『……え、誰?』にわかに亜衣の声のトーンが低くなった。
〈渡瀬成美です〉
『本物?』
〈はい、試してもらってもいいです。実は美沙ちゃんも一緒です〉
『ああ、美沙がここを教えたのか』
「……怒ったかしら」成美が呟いた。これは賭けだ、という美沙の言葉の意味が蓮にもわかった。これはかなり気まずいのではないか。
亜衣は黙ってしまった。成美が何か打とうと指を動かすと、「ちょっと考える時間あげるっす」と美沙が止めた。やがて亜衣は大きなため息をついてから言った。
『あのなあ、ここって誰でも〝覗きモード〟で覗きたい放題なんだぞ。今は誰もいないからよかったけど、実名で会話するのはやめなよ』
態度だけでなく、話し方まで変わって蓮は驚いたが、女子組の様子を見る限りでは、これが普段の亜衣らしい。
『何か話があるなら、2ショ、マイクにカメラ持ってきな』亜衣はそう付け加えた。
「何? 何のこと」
成美は困惑したが、美沙が回答の指示を出したので、次の通り打った。
〈全部可能です。十分間ください〉
美沙はチャットを終わらせた。
「おい、どうなったんだ? まだ何も話してないじゃんか」
幸秀が不思議そうな顔で言った。
「改めて十分後に待ち合わせ。とりあえずは話はさせてもらえそうっす」
「よかったわ、怒ってるかと思った」
成美がほっと肩をなでおろした。
「あまり機嫌がいいとも思えないっすね。亜衣さん、ふんだくる気っすよ」
「え、どういうこと?」
「2ショにカメラにマイクを要求してきたっす。2ショはツーショット――つまり他人が入れなくなる、二人っきりを楽しむサービスっす。覗きモードでも入れないっす。それからカメラとマイクは双方向サービス――お互い顔を見ながら音声でやりとりする、要するにテレビ電話状態っす。その方が話しやすいすけど、料金アップになっちゃいます」
「この際仕方ないわね。でもカメラとマイクはどうするの?」
「持ってきてるっす。チャット経験者だから、一通りあるっす」
美沙は例の巨大バッグから機材を取り出し、いそいそと準備を始めた。
「なあ、俺達ってホント、やることがないというか、役に立たないというか……」
「うん」幸秀のぼやきについ蓮も同意してしまう。
「あとで紹介するから、亜衣ちゃんに嫌われないよう、挨拶の練習でもしてなさい」
成美に言われ、よけい項垂れてしまう蓮だった。
約束の時間が来て、亜衣と再会した。
亜衣はもうセクシーなコスチュームではなく、いかにも部屋着といった感じのスウェット姿に着替えていたが、今度はちゃんと顔を見せてくれた。
バランス良く整った眼鼻に、切り込むような角度で刻まれた眉が印象的で、なるほど成美が言っていた通り、クールという表現が似合うと蓮は思った。
「桃子、成美関係の人脈って、どうしてみんな美人なの?」
幸秀は今日、何度も驚いている。
(第三話につづく)
お読みいただきありがとうございます。
何とかギリギリ九月中に更新です。
今回を含め、この辺りは延々と会話が続く関係で切りどころが難しく、妙に短かったり長かったりと、量的なバランスの悪い回が少し続くと思いますので、ご了承ください。




