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犬の肉球ブログ  作者: おのゆーき
【蓮編】 三 パピヨンの憂鬱
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第二話

「限界近いっすぅ」

 なんて言う所は、さすがに可愛らしい。

 パソコンの前で、時折ボート漕ぎのような前後運動を見せるようになった美沙の姿で、蓮はようやく彼女を年相応に見られるようになった。


 チャットサイトに亜衣が現れるのを待ち続け、成果が得られないまま時刻は四時を過ぎた。皆疲れて口数が少ない。

 幸秀は眠気覚ましにブルーワーカーで筋トレしているが、かえって消耗して眠くなるのではないか、と蓮は突っ込みたかった。

 さすがに可哀そうだから美沙はもう寝かせることにし、押入れを開けて毛布を取り出そうとすると、背後から美沙の声がした。


「うぅぃーっす。毛布はもうふよう、なんつって」

 だめだ、こんなダジャレを言うようでは、彼女はとっくに限界を超えているに違いない。危険を感じて蓮が振り返ると、美沙は両手で懸命に目をこすって、眠気と戦っているようだった。


「無理しなくていいよ、美沙ちゃん。あとは僕たちで見るから」

「みっさー、っす。で、違うっす。みんな集合っす。やっと現れてくれたっす」

 全員が息を呑み、いや美沙だけが大きな欠伸をしている間に、四人がパソコンの前に揃った。


 一人のチャットレディの待機画面が大きく映し出されている。

 プロフィールの写真同様、首から下だけの映像なので顔はわからないが、鎖骨の辺りに蝶々のタトゥーを発見した。間違いなく亜衣なのだろう。

 亜衣は青色のベビードールを着用している。スケスケなので黒い下着が丸見えだった。これを男女四人で真剣な眼差しで覗き込んでいるのは、思えば妙なシチュエーションだ。

 幸秀は「おお、いい体してる、ムネもある」と素直な感想を述べた途端、無言のままの成美に思いっきり頭を叩かれた。


「さっさと始めるっす。先に誰かに入られると厄介す」

 美沙はテキスト、あるいは音声で会話ができる「チャットモード」と、ただ相手の部屋を覗くだけの「覗きモード」と二つあるボタンのうち、前者をクリックすると、後の操作は成美と交代した。彼女がこの中で最もタイプが速いはずだった。


 画面が切り替わり、チャットが始まった。

『おはようございます』

 突然スピーカーから声が流れた。向こうはマイクで話してきたということらしい。

 蓮は初めて亜衣の声を聞いた。女性としてはやや低めの、濁りはなくて澄んでいるが、抑揚の乏しい無機質な音色だと思った。


「あ、あ、あ、どうすればいいの」

 成美が緊張しまくっている。

「なんか打てばいいっす」と美沙が助言しても、成美は焦ってうまく入力できない。

『あれ、マイク聞こえませんか?』

 亜衣は話すと同時に、タイプも併用して尋ねてきた。

「なるネェ、慌てなくていいす。取り敢えずじぶんの言う通りに打つっす」

 再び美沙の指示が飛んだ。


〈大丈夫です。マイクきこえます。おはようございます〉

 成美は美沙の言う通りに打った。ちゃんと打てたので、少し落ち着いてきたようだ。


『ヒデジロウさん、でいいですか? はじめまして――ですよね?』

 数秒のタイムラグの後、亜衣が口を開く。

 美沙は会員登録する際、ネームを勝手に「HIDEJIRO」にした。成美のカードで入会したが、幸秀の分身ということにしたらしい。費用は男子組が負担しろ、という含みもあるのかもしれない。

〈はじめまして〉と成美も受け答えを打つ。


『よろしくおねがいします。ヒデジロウさんは、今起きたところですか、それともこれから寝るところですか?』

〈ずっと起きてました〉

『じゃあ徹夜ですか、大変ですね。お仕事だったんですか?』

〈いや仕事ではなくて、〉と打ちかけると、美沙が制止した。


「なるネェ、全然話が進まないっす。亜衣さんはこっちがスケベ男だと思ってるんすから。このままだとエッチ突入しちゃいます。サクッとこちらから名乗るっす」

「そうね、そうよね――のんびり世間話してるわけにはいかなわ」

 成美は素早く文を削除し、改めて入力し直す。慣れてきたのか、指使いはかなり滑らかになっていた。


〈ごめんなさい。実ははじめましてじゃないんです。私、成美です〉

『……え、誰?』にわかに亜衣の声のトーンが低くなった。

〈渡瀬成美です〉

『本物?』

〈はい、試してもらってもいいです。実は美沙ちゃんも一緒です〉

『ああ、美沙がここを教えたのか』


「……怒ったかしら」成美が呟いた。これは賭けだ、という美沙の言葉の意味が蓮にもわかった。これはかなり気まずいのではないか。

 亜衣は黙ってしまった。成美が何か打とうと指を動かすと、「ちょっと考える時間あげるっす」と美沙が止めた。やがて亜衣は大きなため息をついてから言った。

『あのなあ、ここって誰でも〝覗きモード〟で覗きたい放題なんだぞ。今は誰もいないからよかったけど、実名で会話するのはやめなよ』

 態度だけでなく、話し方まで変わって蓮は驚いたが、女子組の様子を見る限りでは、これが普段の亜衣らしい。


『何か話があるなら、2ショ、マイクにカメラ持ってきな』亜衣はそう付け加えた。

「何? 何のこと」

 成美は困惑したが、美沙が回答の指示を出したので、次の通り打った。

〈全部可能です。十分間ください〉

 美沙はチャットを終わらせた。


「おい、どうなったんだ? まだ何も話してないじゃんか」

 幸秀が不思議そうな顔で言った。

「改めて十分後に待ち合わせ。とりあえずは話はさせてもらえそうっす」

「よかったわ、怒ってるかと思った」

 成美がほっと肩をなでおろした。

「あまり機嫌がいいとも思えないっすね。亜衣さん、ふんだくる気っすよ」

「え、どういうこと?」

「2ショにカメラにマイクを要求してきたっす。2ショはツーショット――つまり他人が入れなくなる、二人っきりを楽しむサービスっす。覗きモードでも入れないっす。それからカメラとマイクは双方向サービス――お互い顔を見ながら音声でやりとりする、要するにテレビ電話状態っす。その方が話しやすいすけど、料金アップになっちゃいます」

「この際仕方ないわね。でもカメラとマイクはどうするの?」

「持ってきてるっす。チャット経験者だから、一通りあるっす」

 美沙は例の巨大バッグから機材を取り出し、いそいそと準備を始めた。


「なあ、俺達ってホント、やることがないというか、役に立たないというか……」

「うん」幸秀のぼやきについ蓮も同意してしまう。

「あとで紹介するから、亜衣ちゃんに嫌われないよう、挨拶の練習でもしてなさい」

 成美に言われ、よけい項垂れてしまう蓮だった。


 約束の時間が来て、亜衣と再会した。

 亜衣はもうセクシーなコスチュームではなく、いかにも部屋着といった感じのスウェット姿に着替えていたが、今度はちゃんと顔を見せてくれた。


 バランス良く整った眼鼻に、切り込むような角度で刻まれた眉が印象的で、なるほど成美が言っていた通り、クールという表現が似合うと蓮は思った。

「桃子、成美関係の人脈って、どうしてみんな美人なの?」

 幸秀は今日、何度も驚いている。



(第三話につづく)


お読みいただきありがとうございます。

何とかギリギリ九月中に更新です。


今回を含め、この辺りは延々と会話が続く関係で切りどころが難しく、妙に短かったり長かったりと、量的なバランスの悪い回が少し続くと思いますので、ご了承ください。


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