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犬の肉球ブログ  作者: おのゆーき
【蓮編】 二 肉球の裏側
47/56

第二話

 蓮は少々混乱している。

 幸秀も驚きを隠せないようだが、沈黙を嫌うように口を開いた。

「うーん、よくわからんけど、とにかくあのコは、蓮を避けたり、捨てたりはしていないということか……とりあえずその点は、まあ、良かったじゃないか、蓮」


「え? あ、何と言うか、そんなことより……」

 しどろもどろな蓮を遮って、幸秀は続けた。

「とにかく、落ち着いて話を整理しよう。その、今聞いたストーカーやら何やらの変態じみた嫌がらせが実際にあった、という状況からみて、桃子さんは何らかの事件に巻き込まれている――それが成美さんの意見だ。一応ここで確認しておきたいんだけど、これはあくまで成美さんの推測ですよね。具体的な証拠は今のところはないってこと?」

「そうだけど……引っ越しの前後は連絡を控えるようアドバイスしたのも確かだけど、いくらなんでももう一月の中旬よ。引っ越してから一か月は過ぎただろうし、その間蓮にも私にもメール一つないのは不自然すぎるわ」


 成美の必死の訴えは、最後の方は涙声になっていた。真っ赤に充血した両目から涙が溢れ出しそうだった。それを見て蓮はただうろたえるだけだったが、幸秀は素早く床に置いてあったティッシュの箱を成美に差し出した。


「ごめんなさい、私のせいだわ。こんなことになってしまって」

「そんな、別に成美さんのせいじゃ――」なんとかなだめようとする蓮とは対照的に、幸秀は「うん、多少はあるかもな」と突き放すようなことを言った。


 その冷たい態度は蓮を驚かせた。幸秀は女性に媚びるようなタイプではないが、基本的には誰にでも優しいし、特に女性に対しては寛容だ。しかも相手は意中の人、成美である。

「おい、幸秀――」

 蓮は諌めようとしたが、思い止まった。幸秀は右手の人差指で、自分の下唇をつつくようにいじっていた。集中して考え事をすると現れる仕草だった。こういうときに邪魔をすると、幸秀は途端に機嫌が悪くなる。それに、今は既に少し機嫌が悪そうだった。


「蓮、お前は桃子さんの引っ越しの件、知らなかったんだろ?」

「あ、うん。初めて聞いた」

 あ、そうか――と蓮はようやく理解した。幸秀の不機嫌の理由、成美の「二人を信じることにした」というセリフ。つまり、今日まで蓮も幸秀も警戒の対象にされていたということだ。


「ごめんなさい。あなたたちを疑うつもりはなかったわ。ただ、桃子ちゃんてちょっと不器用なところがあるから、これはいいけどあれはだめ、みたいな『場合分け』はしない方がいいと思って」

「いいよ成美さん、確かにちょっとだけカチンときたけど、今はそんなことはどうでもいい。俺が確認したかったのは、まず、桃子さんが引っ越ししたという事実。そして、今ここにいる三人は、彼女がどこに引っ越したかを全く知らないということだ。彼女が今何をしているかはわからないが、少なくとも俺たちにとって彼女は行方不明と同じ、つまり成美さんの言った通りだ」


 幸秀の顔から、不機嫌な影はすっかり消えていた。今は冷静さと力強さが彼の顔を支配している。そのせいか、ついさっきまで軽い敬語交じりだった成美への話し方が、すっかりタメ口になってしまった。「さん」だけは忘れていないが、これは習慣だろう。

 そのことに気付いているのかいないのか、成美はそんな幸秀を眺めて、むしろ落ち着きを取り戻したようだった。


 蓮だけが不安定だった。幸秀の冷静な話の内容が、どうやら望ましくない方に向かいそうだと感じると、動悸が激しくなり、視界の両端の辺りがぐにゃりと歪み始める。

 いきなり幸秀の脳天唐竹割が蓮の頭頂部に打ちおろされた。

 成美が驚いて「ひっ」と短く声を漏らす。


「しっかりしろ、蓮。俺らはほとんど憶測だけで話してるんだ。俺はまだ自分の説だって捨ててない。今頃彼女は実家でぬくぬくとコタツに入ってみかんでも頬張っているかもしれないんだぞ。でも、もし、もしもだぞ――最悪の事態が起きていたとしたら、その時は今度こそ、お前がちゃんと助けてやらなくちゃな」

「わかったよ。ごめん。もう大丈夫――でもさ、もう少し手加減してくれよ」

 ズキズキする頭部をさすりながら文句を言う蓮を見て、幸秀は満足そうに微笑んだ。

 蓮も内心は幸秀の喝に感謝した。動揺しても何も解決しない。それに、昔と今は違うはずだ。


「なに今の? 今度こそ、とかなんとか……何のこと?」

 成美が怪訝な顔で訊いてくるが、幸秀はこっちの話だから、と言ってかわし、話題を戻した。


「えー、現状では桃子さんがどのような状況にあるか、全くわからん。想像力を働かせても不安を煽るだけで無意味だ。だから俺たちがまずやるべきことは、彼女の居場所をつきとめること、だな。変態ストーカー野郎を撃退する話はその後だ」

「でも、どうやって探すの?」

 申し訳なさそうに成美が言った。桃子の引っ越しを秘密にしすぎたことに責任を感じている風がある。


「それはこれから俺が成美さんや蓮に訊くことだよ――ああ、成美さん落ち込まなくていいから――細かいことを思い出して繋げれば、見えてくることもあるかもしれない。まず前提から確認するけど、桃子さんは本当に引っ越したのかどうか。まだ検討段階だった、ということは?」

「ないわ。日程も決まってるって言ってたし、彼女の部屋には、荷造り用の段ボール箱も用意してあったわ。蓮も見たんじゃないかしら」

「いや……僕は覚えてないな」

 蓮が桃子の部屋に入ったのは一度だけ、入った時は真っ暗だったし、出る時は遅刻しそうで猛ダッシュだった。覚えてないというより、おそらく見ていない。

「蓮は、他に何か思い出せないか? なんでもいいんだぞ」

「そう言われても、引っ越すとか、そういう会話ってしたことがないよなあ」

「鍋の話とか」

「鍋? なべ、ナベ……あっ!」

 幸秀はにやっと笑った。

「思い出したか。手掛かりを見つけるためには、そういう些細なことを一つ一つ引き出すしかないんだ」


 桃子がオーディションに落選し、酔っ払った彼女をマンションの前まで送った夜。

 桃子の部屋で今度鍋パーティを開こうと提案したら、彼女は断った。理由は「もうすぐ引っ越すから」だった。

 当時片思いだった蓮は、軽いショックを受けた。そして思わず尋ねたはずだ。遠くに行ってしまうのか、バイトも辞めてしまうのか。

 桃子はこう答えた。


『バイトは辞めないよお、むしろ近くなるもん。でもこれ以上は内緒』


 蓮と幸秀に共通の記憶だった。

「ちなみに、俺の記憶では、どうやらそれ以外に引っ越しに関するものはない。あとは二人に頼るしかない」幸秀はそう付け加えた。

「そうね、私の記憶では、桃子ちゃんから引っ越しの件を初めて聞いた頃、あのコンビニでバイトを始めたわ。引っ越す先のエリアにある程度見当をつけた上で、バイトを決めたのかもしれないわ」

「今の話を繋げると、あのコの新居は、あのコンビニの近くってことか? てことは、つまりは今俺らがいるこのアパートの近所ってことにもなるな」


 蓮は立ちあがって窓の外を見た。偶然通りを桃子が歩いているかもしれない。そんなことはあり得ないとわかっていても、幸秀に「座れ」と窘められるまで、真っ暗な外を見続けた。


「これ以上は絞れないか。まあ、近所であれば、見知らぬ街よりはマシと考えよう。特に蓮はここの生まれだから、土地勘はあるだろう。やりようはあるさ。他には?」

 蓮は必死に記憶を探るが、何も出ない。

「そう言えば」と成美はこめかみを両手で押さえながら唸った。まるで頭部から直接記憶を捻り出すような仕草だった。

「両親……そう、私が訊いたのよ。今までに引っ越しの予定日や新住所を誰かに教えたかって――ご両親には伝えてあると、確かに言ってたわ」

 それならば話は簡単だと、三人は一瞬だけ盛り上がったが、誰も実家の連絡先を知らないことが判明した。


「そうだ、履歴書に書いてあるかもしれないな」幸秀はバイト先に電話し、オーナーに桃子が持ち込んだ履歴書の内容を確認してもらった。

「だめだ、実家の住所は書いてないらしい」

 たちまち元の重い空気に逆戻りする。幸秀は再び指で下唇をいじり始めた。


 少し気になっていたこともあり、念のため蓮は幸秀にもう一つの可能性を尋ねてみた。

「帰省してるっていう、幸秀の説はどうするの? 実際、桃子さんは僕にはそう言ってたし」

 集中しすぎて聞こえていないのか、反応しない幸秀の代わりに、成美が答えた。

「桃子ちゃんが実家に帰ってる可能性はまずないと思うわ。たぶん嘘をついたのよ、しばらく会わなくても納得してもらえるように。桃子ちゃん、蓮に嫌われたくなかったのね」


 結局実家で暮らしているという説は、やはりあり得ないだろう、ということになった。

 一時的な事情によって帰省しているとしても、それが連絡がつかないことの理由にならないし、付き合い始めたばかりで、まだ舞い上がっているような状態の桃子が、蓮を避けることもあり得ないらしい。仮にあり得たとしても、成美との連絡まで絶つ必要はない。

「どうやら話が行き詰った感じだな」不意に幸秀が割り込んできた。「これでここにいる三人の情報は出尽くした、ということかな。収穫は少ないけど、とりあえず共有しておこう」


「これからどうすればいいかしら」

「うーん、実に単純だけど、集まった情報を手掛かりに、心当たりを聞き回るしかないな。ちょっと時間が遅いけど、やれるところにはやってしまおう」

「でも幸秀、桃子さんは誰にも内緒で引っ越したんだよ」

「両親には話してるだろ。それに俺も蓮も、彼女から引っ越しの話を聞いていたじゃないか。彼女が引っ越しを内緒にしたのは、成美さんと相談した後のことだ。本人に自覚がなくてもそれ以前に誰かに何か話している可能性はあるよ。それに運が良ければ彼女の実家の連絡先だって判るかもしれない」


 蓮は納得し、早速携帯を握りしめた。が、幸秀は少し待てと制し、成美に顔を向けた。

「それから成美さん、もうある程度事情を話せる人には解禁ってことで、協力してもらえる人にはお願いしよう。ということでいいよね?」

 成美は黙って頷いた。

 続けて幸秀は念のため、これから連絡する知人のリストアップを提案した。ミーナという正体不明の人物が絡んでいる可能性がある限り、誰に何を話したかは把握するべきだ、ということだった。


 このリスト作りは拍子抜けするほどあっけなく終了してしまった。

 蓮の心当たりが一人、成美の心当たりが二人。たったの三人だけだった。


「……少ないね。幸秀」

「まあ、俺たち、元々バイト先の知り合いってだけだしな」

「私も、桃子ちゃんとはオーディション仲間って関係だから、学校の交友関係とかは全く分からないわ……」


 さすがに蓮は心細くなった。蓮の提出した「心当たり」は、まず間違いなく何も知らないだろう。リストアップされた三人の名は、バイト先のコンビニの杉内オーナー、雪村亜衣、伊原美沙とある。成美の出した二人は面識こそないが、なんとなく耳覚えがあるような気がした。


「亜衣ちゃんは桃子ちゃんの高校時代からの友達で、桃子ちゃんはなんでも彼女に相談していたわ。でも二人は少し前に喧嘩して、絶交状態になってしまったの。その余波で、私も亜衣ちゃんとは連絡がつかなくなっている。悔しいわ、彼女なら絶対何か知っていると思うのに」

「オーナーは無断欠勤されている関係で、何度か彼女に連絡を試みて失敗したよ。もう、あまり期待できないな。一応話はするけどね」

 幸秀の見解は蓮のそれと同じだった。


「ということは、あとはこの、伊原美沙って人だけか」

「美沙ちゃんには二、三日前に一度携帯で話したけど……。最近は会ってないし、どうしているかも聞いてないって言ってたわ。普段から頻繁に連絡しあったりはなかったようだけど」

「寂しい話だけど、とにかくこの伊原ってコにもう一度話を聞くのが先決、というか唯一の道か」

 幸秀に促されて、成美は携帯を取り出した。時計を見て少し躊躇したが、思い切って通話ボタンを押した。時刻は午前零時を過ぎていた。

 蓮と幸秀は、ひたすら成美に注目している。他にすることもない。オーナーには後で直接話しに行こうと決めた。


 何度かの呼び出し音の後、相手が電話に出た。

 蓮も幸秀も、声を拾おうと、成美の携帯に密着寸前まで耳を近づけた。


『あいー。なるネェですかー?』

「うん、成美です。ごめん美沙ちゃん、もう寝てたかしら?」

『いえいえー、起きてたっすよ。じぶん、お風呂上がりっすー。ふう』

 相手の声ははっきりと聞こえる。何というか、のんびりと間の抜けた声だと蓮は思った。


「あのね、美沙ちゃん、夜遅くに申し訳ないんだけど、ちょっと聞きたいことがあって――」

『もしかして、センパイのことっすかー』

「そ、そうだけど、よくわかったわね」

『だって、この前もそんな話してたっすよ。なるネェ、その時と同じで心配事まる出しの声っす。センパイもなるネェも、その辺はとってもわかり易いす』

「そ、そうかしら――」

 成美は調子が狂って困った表情になっていた。幸秀もこのやり取りを少し楽しんでいるようだった。気を取り直して、成美は会話を続けた。


「えっと、まず確認したいんだけど、あれから桃子ちゃんと連絡取ったとか、何か気がついたこととか、ないかしら」

『連絡はないすね。気がついたことというか、ちょっと気になってることはあるっす。実はじぶんも明日あたり、なるネェに電話しようと考えてたところす』

「なに、何かしら」途端に成美の声にも表情にも緊張が走った。

『その前に確認っす。結構深刻っすか?』

「え?」


『センパイと仲良しのなるネェが、じぶんにこんな電話を二回もしてくるってことは、センパイがいなくなったってことっすか。それとも、引っ越し先がわからなくて何か困ってるんすか? それに、亜衣さんも音信不通すよね。これって深刻な事態っすか?』

「このコ、鋭い!」

「引っ越しのことを知ってる?」

 幸秀、蓮、双方の口からほぼ同時に思わず声が漏れた。この美沙というコは耳もいいらしい。すかさず『誰ですか?』と問い詰めてきた。

 仕方なく、成美はかなり大雑把に二人を紹介してから、本題に戻った。


「えっと、まず、私は深刻な事態だと、そういう可能性があると考えているわ。それから美沙ちゃん、引っ越しの件だけど、どうして――」

 動揺して要を得ない成美の話し方に業を煮やしたのか、美沙の声が大きく強く踏みこんできた。

『これからそっちに行くっす。電話じゃ把握しにくいすから』

「でもこんな時間だし……」

『大丈夫。「若い」すからっ。どこに行けばいいすか。それから、そちらにパソコンありますか?』

 幸秀は首を横に振った。

『では、持っていくっす。詳しいことは後で話しますが、ちょっと気になっているのは、センパイのブログっす。なんか変なんです』



(第三話につづく)



お読みいただきありがとうございます。

伊原美沙ちゃんも登場し、ようやく動き始めております。

のんびりペースでいきますが、今後もどうかよろしくお願いいたします。


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