第一話
桃子について何も知らないことを告げても、成美は帰ろうとしなかった。
何時になっても構わないから待っている、話がある、相談がある、たぶんお願い事もある、桃子の件で――ということだったので、バイトの終わる時間にまた来てもらうことにした。
桃子の件でと言われ、蓮の胸騒ぎが強くなった。
「実家の住所を教えるから、東京に連れ戻してきて。それができるのは、あなただけなの」なんて言われるのだろうかと、都合のいい願望だけが脳内を巡っている。
幸秀も俄然機嫌が良くなった。これは蓮の胸中とはかなり異なる理由による。
幸秀の恋はこれからどうなるのだろう。彼が成美に気があるのはよく知っている。幸秀自身、それを蓮の前では隠そうともしない。
今のところ、二人の仲に進展は見られないようだが、蓮が気にする『幸秀の恋』には、別の成分も含まれている。今現在、幸秀には付き合っている彼女がいるのだ。同じ大学の同級生で、構内では結構仲良くしているところを見かける。そのことは、成美はもちろん桃子にも話していない。
午後十時になって、オーナーと交代する。深夜にオーナーが一人きりになるときは、蓮か幸秀、あるいは二人で零時か一時くらいまで手伝うことも多いのだが、今回は勘弁してもらった。オーナーは少し寂しそうだった。
店の前で待っていた成美と合流する。
「お待たせ」と幸秀は、これから飲みにでもいくような気軽さで声をかけたが、成美は小さく目礼するだけだった。彼女は真面目な話をするためにここに来た、ということがわかる。幸秀もその辺りは目ざといもので、余計なことはせず、すぐに次の行動に移った。
「さて、これからどこで話すか、だけど――長くなりそうですか、成美さん?」
「そうね、場合によっては」
「いっそのこと、俺のアパートにしたらどうだろう。散らかっているけど、気兼ねはいらないし。すぐ近くなんです」
幸秀の提案に、成美は少し驚いたようだった。即答せず、眉間に深い皺を刻んで、考え込んでいる。どうやらかなり躊躇しているようだ。
それを見て幸秀は蓮に耳打ちした。
「やっぱ、いきなりアパートはまずかったかな。警戒されちゃったよ」
「そう思うなら、目の前で大声の内緒話はやめろよ。余計あやしまれるぞ」
蓮は、わざと成美にも聞こえるように言った。
「いいわ。幸秀の部屋に行きましょう。二人を信用することにしてるから」
成美の承諾を受けて、幸秀はコンビニに戻り、お茶やらお菓子やらを買い始めた。
成美は黙ったまま、幸秀の様子を外から眺めている。
「大丈夫ですよ。僕も幸秀も変なことはしませんから。その辺は信用してください」
なんとなく沈黙が重苦しく感じて、蓮は少し軽めの口調でそう言ってみた。
成美の反応は存外そっけなく、私の言った信用というのはそういう意味で使ったのではない、と短く答えるだけだった。
*
幸秀の部屋には何度か来たことがある。八畳洋室1Kの学生用アパートであるが、キッチンと言っても、申し訳程度の小さなコンロ一つと小さな流しが、玄関と居室までの、ひとまたぎで超えられる程度の短い廊下の脇に据え付けてあるだけ。居室との仕切りもなく、実際はかなり1Rに近い。
あまり物を置かないため、中はそれなりに広く感じる。掃除もそれなりにしており、男の一人暮らしとしては、まずまずきれいな部類に入るのではないだろうか。
ただ、収納スペースが不足しているため、床にいろいろなものが転がっている。成美を誘う際、汚れているとは言わず、散らかっているとだけ断りを入れたのは、常套句でも謙遜でもなく、単なる事実だ。
特に目を引くのが、鉄アレイやブルーワーカー、アブシリーズの類など、筋力増強関連グッズの数々。「雨の降る日は自宅で筋トレ」が幸秀のモットーだったりする。
成美も部屋に入るなり、物珍しそうに筋トレ機器を眺めた。特に鉄アレイが気に入ったのか、実際に手にとって重さを試したり、メーカーを確かめたりしていた。
壁に立てかけてある小さなちゃぶ台を幸秀が用意し、三人がそれを囲むように座った。座布団は二つしかないので、幸秀はそれを蓮と成美に渡し、自らは押入れからタオルケットを取り出し、折り畳んだまま床に敷いてその上に腰を下ろした。
「いきなり押しかけてごめんなさい」という成美の言葉から、話は始まった。
「念のためもう一度訊くけど、最近、桃子ちゃんから連絡は?」
蓮と幸秀は首を左右に振った。
「バイトにも来ないの?」
二人は首を上下に振った。
「蓮、あなたにも連絡はないの? 本当に?」
「ないです……」蓮は項垂れた。
落ち込む蓮に代わって、幸秀が自説を披露した。ほんの数時間前、蓮に語ったのと同じ、蓮が地雷を踏んだ説、実は面倒な性格だった説、実は遊ばれて捨てられた説、帰郷&人生リスタート説などだった。
「全部違うと思う」成美の反応はまさに袈裟切り一刀両断、いとも簡単に全ての説を否定してのけた。「桃子ちゃんは一途だもの」との理由で。
「そりゃあ多少は飛躍した考えも浮かびますよ。とにかく判断材料がほぼ皆無なんすから。でも、他にどんな状況が考えられるんですか? 彼女から連絡がないのは事実だし、蓮が何度電話してもメール出しても返事がないもの事実だし、付け加えるなら、バイト先のオーナーも電話していますが、返事はありませんでした。そこから推測できることは、理由はどうであれ、彼女にはこちらと連絡を取るつもりがない、ということでしょ?」
幸秀は少しむきになっているようだが、言われてみれば、今の状況からして、やはり桃子に無視されているか避けられている、という推測は当を得ているような気がする。成美がそれを否定するのは蓮にとって救いだが、明確な根拠が示されたわけではない。幸秀の推測がもし事実なら、その原因は蓮にあるかもしれない、という推測もまた正しいような気がして、益々落ちこむ。
「私はそうは思ってない」とやはり成美ははっきり否定する。だが、いくら待ってもその理由なり根拠なりを説明する言葉が続いてこない。
成美が何も話さないのは、成美の主張が単に彼女の勘や思い込みによるものだから、根拠を示すことができないのだろう。蓮はそんなふうに考えていた。
どうも様子がおかしいと、先に気付いたのは幸秀だった。
「どうしたんすか。何かあったんすか」
幸秀が、やや真剣味を帯びた声で尋ねたとき、ようやく蓮も成美の挙動に違和感を覚えた。
成美は口を噤んだまま、蓮と幸秀を交互に見つめ、時折視線を逸らし、部屋の中を見まわしている。何かを探すか、観察でもしているような用心深い目つきだった。そうかと思えば、急に瞼を閉じ、眉間に皺を作って唸るように考え事を始める。そんな動作を繰り返している。
成美が何も話さないのは、どうやら話せないのではなく、話すかどうか迷っているかららしい。
そのことを幸秀に指摘された形になり、成美は少しうろたえたようだったが、やがて覚悟を決めたように、「そうね。二人を信じるって決めたんだから」と、幸秀にこの部屋に誘われた時と同じセリフを口にして、それから、はー、と大きく息を吐いた。
目の前に置かれたコップのウーロン茶を一気に飲み干し、御代わりを幸秀に要求しながら、成美はゆっくりと話し始めた。
その内容は、蓮の知らないことばかりだった。ストーカーらしき人物の存在とマンションでの被害、桃子の引っ越し、ミーナという正体不明の人物の書き込み。
成美の考えはシンプルだが、蓮や幸秀の想像よりもはるかに深刻だった。
曰く、現在のところ桃子は、音信不通などではなく、行方不明になっているのではないか。
(第二話につづく)
お読みいただきありがとうございます。
なんか前置きが続いているような流れですね><
今後もゆっくりペースでいくと思いますが、よろしくお願いいたします。




