表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
犬の肉球ブログ  作者: おのゆーき
【桃子編】 七 引越し
43/56

第六話

「これは、なんですかね?」

 桃子がブログ『犬のぷにぷに』を表示させたパソコンをしばらく眺めてから、鈴元は呟くように言った。「これ」とは当然、ミーナの気色悪いコメントのことだった。

 桃子は成り行きを簡単に説明した。写真が放り込まれたり、窓ガラスを割られたことについては細かく説明することを避け、単に「嫌がらせがあった」程度に止めた。


「それは物騒な話ですね。それで、何か対策は講じていますか? もし何もしてないなら多少は助言できるかもしれませんよ。こう言っては失礼かもしれませんが、木村さんよりは僕の方がパソコンには詳しいと思いますしね」

「一応友だちと相談して、コイツのアクセス拒否はしていますけどお。それに引越しもしたし、とりあえずこれで何とかなるんじゃないかって」

「そうですね。さしあたり、そんなところで様子見、が妥当かもしれませんね」

「これでまた迷惑かけてくるようだったら、このブログを一度閉鎖しちゃおうかとも考えているんです」


 鈴元は一瞬考え込むような表情を作り、数回視線を左右に泳がせてから口を開いた。

「うん。最終的にはそれでいいと僕も思いますよ。ただ、こちらの都合を言わせてもらえば、その判断はせめて年が明けてからにして欲しい、とも思いますけどね」

「はい、それはわかっています」

 年内に企画を提案すると言っていたのだから、鈴元がそう要求してくることは桃子にも十分予測できた。桃子のブログを幾つかサンプルとして紹介したところで、「現在閉鎖中」ではいかにも格好がつかないだろう。

 それに、たった今ブログを何日かぶりに見たところ、新たなミーナの書き込みはなかった。このまま嫌がらせが途切れてくれれば、ブログも今のまま続けるつりだった。


「ところで木村さん、このミーナって人のコメントにそんなに困っているなら、どうして削除しないんですか?」

「え、削除しちゃって大丈夫ですか?」

「問題ないと思いますよ、僕としては。とっとと消しちゃいましょうよ」

 コメントを削除すると、ミーナが怒って何をしでかすかわからない。その不安が常に付き纏っており、全て残してあった。本当に問題ないなら、今すぐにでも消してしまいたいというのが本音だ。


 鈴元はいとも簡単に「消しちゃえ」と言ってのけた。まるで桃子の抱いてきた不安が全て取り越し苦労だと言わんばかりだ。

「でもお、削除するのはちょっと恐い気がして」

「平気ですよ。アクセス拒否もしてるんだし、引越しもされたんでしょう。むしろ片っ端から削除した方が、相手も諦めると思いますよ。それに、こういうコメントばかりだと、他の――普通の人が見たときに気味悪く思われちゃうでしょ。中には面白がる人もいるでしょうけど、そういうのは大抵ロクな奴じゃないし、このコメントを残していることに何のメリットもありませんよ。マイナス効果ばっかりですよ」

「そうですか……」

 話を聞いて安堵すると言うよりも、いささか拍子抜けてしまった感がある。転居したのだから、ミーナにとって桃子は現在行方不明だ。確かにコメントを消すくらい、たいしたことではないかもしれない。気にしすぎだったのかもしれない。


「わかりました、削除します。私のパソコンの接続が済みしだい、やることにします」

「回線は何を利用してます? 接続はいつごろできるんですか?」

「ADSLです。手続きもこれからですし、確認してみないといつから使えるか……」

「こういうのは、早い方がいいですよ。今やってしまえばどうです」

「今、ですか?」

「そう。それ使って」鈴元はパソコンを桃子に向けた。「わからないことがあれば、今ならこの場でアドバイスできますしね」

「そうですね、そうします。じゃあ、ちょっとお借りします」


 桃子はパソコンを受け取り、IDとパスワードを入力してブログの管理画面に進んだ。

 過去から順にミーナのコメントを削除していく。初めは少し緊張したがすぐに慣れ、一つコメントを消すごとに気分が晴れやかになっていくようだった。

「……実際のところ、そのミーナって人をどう思います?」

 桃子が作業をしている間手持ち無沙汰になったのか、鈴元はメガネを外し、自分の着ているトレーナーの裾でレンズを拭きながら尋ねた。そういうのは少なくとも人前では勘弁してほしい、と桃子は改めて鈴元への距離感を確認しながら答えた。


「そりゃあもう、とにかくやめて欲しい、消えて欲しいって思いましたあ。とにかくうざいというか、きもいというか、言っていることほとんど意味不明だし、ものすごい自己中だし。鈴元さんもそう思いませんでした? この人、絶対普通じゃない、おかしいですよお。もう恐くて恐くて。だから今こうしてコメント消していると、楽しいっていうか、嬉しいっていうか、なんか、ざまーみろって感じですう」

 本気で毒づく桃子に怯んだのか、鈴元はこわばった笑顔をみせた。


「まあ、僕は男で木村さんは女の人ですから、僕よりも不安に感じるのはわかりますよ。でも必要以上に神経質にならないことが重要なんですよ、実は。今後、どうしても安心できないなら、コメント不可に設定して、誰も書き込めないようにしちゃえばいいでしょ。そうすれば、万一ミーナが再びこのブログにアクセスしても、読む以外のことはできないわけですからね」

「そう言っていただくと、さらに安心です――っと。はい、終わりました。これできれいさっぱりですう」

 本当にすっきりした、と思った。長く続いていた便秘が一気に解消されたとか、目詰まりを起こしていた排水口があっという間に開通したような、邪魔なものを一気に押し流したような爽快感と開放感だった。


「終わりましたね」鈴元はメガネをかけなおし、小さく咳払いした。「それでは話を戻しましょう。早速ですが、今夜あたりからまた書き始めてくれますか。しばらくお休みしていたようなので、一日に一回と言わず、短くてもいいから何度も書いて、記事を溜めて欲しいところもありますしね。なにも長文である必要はありません。一回で書ける内容を、わざと数回に分けて書けばいいですから、それほど難しいことではないですよ。それで二~三日後、記事が五~六本溜まったところで、一度私から内容や書き方についての意見や感想を伝えますから、それを参考にしてもらって、さらに書く。そんな感じの繰り返しで十日間くらいやってみましょうか」


「あ、いや、あのそれはちょっと――」

「おや、ダメですか? 記事に自信がないなら、ブログに書く前に一度文案をメールで私に送ってくれてもいいですよ。少々ヤラセっぽい方法な気もしますが、木村さんがそうしたいのなら、できるだけ貴方の文案を崩さないように助言させてもらいますけどね」

「さっきも言いましたけど、まだパソコンの接続してませんから、今夜からというのは……」

「そのようですね。だから、これを使ってください。貸しますから」

 鈴元はたった今、桃子がコメント削除の作業に使ったパソコンを指した。


「え? でも……」パソコンなんてそう安いものではない。そして目の前のそれは見るからに新品だった。さすがに気が引ける。

「この際、仕方ないでしょう。今から回線の手続きをしたのでは、接続できるまでに何日もかかってしまいます。それを待っている時間がありませんからね」

「す、すみません……」

「いや、気にしないでください。僕からの連絡も急だったし。それにパソコンは職場にもあるし、家にもデスクトップがあります。モバイルの一台くらい平気ですよ、僕は。木村さんのパソコンが開通したら、直ちに返してほしいですけどね」

 鈴元はそう言いながら、パソコンを手元に引き寄せ、必要なファイルを抜き出し、不要なものを削除してから桃子に渡した。



「今日はいろいろありがとうございましたあ」

「僕の方こそ急に呼び出してしまって。引越しの最中なのに大変だったでしょう」

「とんでもないですう。パソコンまで貸していただいて」

 打ち合わせを終え、ファミレスを出た時には既に辺りは暗くなっていた。


 駅前で鈴元と別れた後、桃子は足早に帰路を進んだ。

 少しずつではあるが、状況は動いている。やらなくてはならないことも多い。自然と気持も忙しくなってくる。

 帰ったらまず、最低限寝起きくらいはできるように荷物を整理し、それからブログの書き込みだ。今日書く内容はとりあえず引越しのことでいいだろう。


 明日はどうしようかな。何を書こうか。新しい街を散策して、そのことを記事にしてみようか。それとも、かなり時間が経ってしまったけど、やはり宣言した通り前回のオーディションの報告にしようか――。

 頭の中はブログのことで一杯になっていた。


 やがてアパートに到着し、桃子は改めてその外観を眺めた。

 まだ馴染めない。ここが自分の新居だという実感はない。

 でも、ここが自分の新しい出発点になるのだと思うと、前のマンションよりもかなりグレードの落ちるこの小さな建物が、かけがえのない大切な宝物のようにも見えてくる。


「さて、作業の続きしなくちゃ」

 桃子は部屋に入ることにした。

 ところが、鍵がなかなか見つからない。

 暗いうえに、大家さんから貰ったばかりの鍵には、まだキーホルダーも付けていなかったため、バッグの奥底に入り込んでしまったらしい。

 桃子は部屋の前で立ち尽くし、バッグに顔を覗かせて、手を突っ込んで中をまさぐった。


 ふと、視界の隅に人影らしいものが入り込んだと思った。

 ここの住人かもしれないし、気になって振り返ろうとした瞬間、後ろから羽交い締めにされた。相手の顔は見えなかった。


 必死に抵抗しても、相手の力が強くて振りほどくことができない。

 声を出そうとした口も塞がれた。

 やがて腹部に強い衝撃と痛みを感じ、全身から力が抜けて動けなくなってしまった。

 朦朧とする意識の中で、桃子は自分の体が誰かに引き摺られているのを感じた。



(「桃子編」終了。次回より「蓮編」となります)



お読みいただきありがとうございます。

以上をもちまして、第一部「桃子編」が終了となります。

これまでの青春モノっぽい雰囲気ぶち壊しな終わり方ですが、本来はこんな感じのお話のつもりだったのです(汗)。


次回より第二部「蓮編」になります。後半という位置づけですが、「桃子編」よりは短いと思います。

今後もゆっくりペースになりますが、お付き合いいただければ幸いです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ