第二話
荷造りも大事だが、たった今からブログの方が遥かに大事になった。
次に鈴元から連絡が来るまでに、一つでも多く記事を書いておいた方がいいだろう。
実のところ、ネルモプロの合同オーディション以来、ブログは全く更新していない。「オーディションの模様を報告する」とその直前に書いたのだが、落選してしまったお陰で報告どころか、ブログ自体続ける意欲が失せてしまい、放置していたのだ。
桃子は早速パソコンを立ち上げた。パソコンを使用するのも、亜衣との連絡が途絶えたとき以来だった。
起動を確認し、自分のブログにアクセスする。
ディスプレイを眺めている桃子の眉間に、深い皺が刻まれた。
不可解なことに、新しいコメントが十二件ほど届いている。三日前に一件、その他は今日の九時から十一時までの間。
コメントの主は、全て「ミーナ」だった。
書き込み拒否をしておいたはずだが、どうやら向こうがパソコンを替えたか、IPを変更したのだろう。そのしつこさに呆れると同時に、不気味さを感じずにはおれない。
桃子は恐る恐る、一番古い、三日前のコメントから開いてみた。
【TOKOさん
せっかく指示したのに、未だにブログ名も変えないし、自分でやると宣言しておきながら、オーディションのレポートも一向に書く気配も見せない。挙句の果てに書き込み拒否ですか。なんとも子どもじみたことをしてくれますね。そんなことをしても無駄ですよ。通用しませんよ。
人の好意に対して、随分と無礼なことをしてくれますね。そんな自己中心的な態度では、そのうち誰も相手をしてくれなくなりますよ。
今なら、まだ間に合います。まずは反省して、それから謝ってください。今なら許してあげますから。そして、ただちに「ぷにぷに」とかいうふざけた名前をやめること。次にここを見たとき、何も変わってなければ、いい加減見捨ててしまうかもしれませんよ。
少しは頭を使って考えてください。一体誰のお陰でブログの内容が向上したと思っているんですか。人の忠告はちゃんと聞くように。何を言っても理解できない人って、本当にイライラします。せっかく親切にしてあげているのに。そのことを肝に銘じてください。覚悟してください。でないと、どうなっても知りませんよ。myna】
――超きもっ、早く見捨ててよ。またすぐ書き込み拒否しなきゃ。
そんな軽口を頭に浮かべ、動揺しそうになるのをなんとかコントロールしながら、桃子は次のコメントを開いた。これは今朝書かれたものだ。
【頭が悪い奴だとは承知していたが、まさかこれほどとは予想外だった。いったい自分が何をしたか理解しているのか?
謝れ低能。今すぐ謝れ。
自分の愚かさを自覚しろ。
謝らないと爆発させるぞ】
「……」最早桃子にとって、これは意味不明、理解不能だ。
その次のコメントを開いてみた。
【何様だと思っているんだ、甘えるのもいい加減にしろ!
本当にカウント始めるからな。
爆発させてやる10】
三つ目のコメントはそれだけだった。
桃子はその次、またその次と、古いものから順番にコメントを開いていった。
以後のコメントは一言だけの短いもので、次のように続いていた。
【爆発させてやる9】
【爆発させてやる8】
【爆発させてやる7】
【爆発させてやる6】
【爆発させてやる5】
【爆発させてやる4】
【爆発させてやる3】
【爆発させてやる2】
【爆発させてやる1】
これで全部だった。コメントの到着時間を見ると、カウントらしき数字は五分おきに刻まれている。現在の時刻を確認してみると、最後のコメントが書かれてから、ちょうど五分を過ぎたところだった。
いよいよ、嫌な予感がしてきた。
恐る恐るページを更新してみると、思ったとおり、新着のコメントが一件届いていた。
桃子は少し迷ったが、ここまで来て確認しないわけにはいかない。
【爆発させてやる0
……爆裂。もう終わりだよ】
ディスプレイを凝視しながら、桃子はゴクッと唾を飲み込んだ。妙に口の中が乾いていることに気がつく。
そのまましばらく固まっていたが、何も変わったことは起きない。さらに五分過ぎるのを待ってから、再度ページを更新してみても何も変わらない。更なるコメントも届いていなかった。
「……なあんだ」大きく息を吐き出しながら、桃子は呟いた。
何も起きない。というか、よく考えてみれば起きようがないじゃないか。緊張して損した。こんな危ない奴のことはもう忘れて、ブログの更新にとりかかろう。
桃子は先ず、手早くミーナのコメントの書き込み拒否設定を再度行った。それで一安心すると、急に何か飲みたくなった。
コーヒーでも淹れようと、椅子を引き立ち上がった時、強烈な破壊音が桃子の鼓膜をいきなり襲った。
一瞬、何が起きたかわからなかった。ただ音に驚いて、反射的に耳を塞いでしゃがみ込んだ。
額に痛みを覚えた。どうやら、しゃがんだときに机の角にぶつけてしまったらしい。痛みを感じる部分を指で触ってみると、少しだけ血が滲んでいるようだった。
桃子は立ち上がって周囲を見回してみた。リビングの様子はいつもと変わらない。
音は、浴室の方から聞こえた。ガラスの割れる音だった。
意を決して、浴室へと向った。
粉々に砕かれたガラスの破片が浴室の床に散らばり、とても裸足では歩けない有様だった。二枚ある窓ガラスのうち、一枚は殆ど全て砕けて、室内に向って飛び散っているようだった。
スリッパを履いて中に入ると、足元からパリパリと不快な音が鳴る。浴槽の中を覗き込むと、黒光りする鉄アレイが一つ、ガラスの破片と一緒に転がっていた。
誰かが外から投げ込んだことは、一目瞭然だった。
桃子の脳裏に、爆発というミーナのメッセージが浮上してくる。
浴槽の前で立ち尽くしていると、枠だけが残り、すっかり風通しの良くなってしまった窓の外から、微かに小刻みな足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
この鉄アレイを投げ込んだ奴かもしれない、ミーナかもしれない。
そう思うと、戸惑いや恐怖よりも怒りが真っ先にこみあげてきて、桃子は玄関に走った。
外の通路に飛び出して左右を確認する。人影はない。そのまま階段まで走り、そこにも誰もいないとわかると、一気に一階まで駆け下りた。
しかし、怪しい人物を見つけることはできなかった。
息は荒くなり、全身が熱を帯びている。額に浮き出た汗を拭おうとすると、先ほど打ちつけた傷が再び痛み出した。走ったせいか、鼓動を打つような断続的な痛みだった。
犯人の手がかりは得られなかった。これだけ全力疾走しても、人影さえ見つけることもできなった。ということは、あの足音の主は走ってここから逃げ去っていったことになる。つまり、奴が窓ガラスを割った犯人だったはずだ。
悔しくて仕方ないが、諦めてとりあえず部屋に戻るしかない。桃子は痛みを増してきた額を軽く左手で押さえながら、ゆっくりと階段を昇っていった。
部屋に入ろうとドアノブを握ったとき、手に妙な感触があった。
生暖かく、ぬるぬると湿った感触。桃子は思わずノブから手を離し、掌を見た。
そこには、白濁した粘り気のある液状のものが、べっとりと付着していた。
「うわ、何これ?」
それが精液であると思い至るのに、数秒を要した。
それまで全身を支配していた怒りの感情はあっという間に消え失せ、痺れるような寒気と恐怖が桃子を覆っていった。
混乱し、悲鳴をあげる。
今すぐに手を洗いたい。でも洗うには部屋に入らなければならない。部屋に入るにはもう一度このドアノブに触れなければならない。勢いで飛び出したから、ハンカチもティッシュも持っていない。
何が何だかわからなくなっていた。
(第三話につづく)
お読みいただきありがとうございます。
ゆっくりまったりいきます。




