第一話
翌朝、蓮は早々と起きて、朝食も摂らずに出て行ってしまった。
大学とバイトのためだ。
「えー、学校なのお。サボれないのお?」と、桃子は半分寝ぼけたまま甘えてみたが、効果はなかった。
実は昨日、蓮は深夜にバイトが入っていたらしい。ところが、桃子から『WANTA』の面接があるから急遽昼間のバイトを代わってほしいと頼まれた。承知した蓮は昼のバイトに就き、もともと予定していた深夜勤は幸秀に頼んで代わってもらった。
その際、幸秀は深夜勤を引き受ける代わりに、今日の講義の代返を蓮に依頼した、ということだ。
要するに、今日蓮が大学をサボれないのは桃子が原因だ。説明を聞いて、納得せざるを得なかった。
納得したからといって、機嫌が直るわけでもなく、蓮が出て行くと早速ベッドに直行して不貞寝を始めてしまった。
二度寝しようとしてもなかなか出来ず、諦めて桃子は起き上がった。
実のところ、睡眠は充分にとれているのだ。夕べは明かりを点けないまま過ごしたので、夜中の長い時間起きていたような感覚があるが、よく考えれば蓮が来たのはまだ午後八時前で、おそらく日付が変わるまでには二人とも就寝しているはずだ。
よく寝たはずなのに、起き上がると何故か全身が気だるい。時計を見ると、時刻はもうすぐ午前十一時。放っておくとこのままベッドでもう一日ぼうっと過ごしてしまいそうだ。
コーヒーでも飲んで気分転換して、それから引越しの荷造りでもしよう、そう決めてキッチンに向おうとしたところで、電話のベルが鳴った。固定電話が鳴るのは最近では滅多にない。たまにあると、殆どが何かのセールスだ。
「もしもし……」速攻で切るつもりで受話器を取り、いかにも不機嫌で無愛想な声色を使って応答した。
その直後、受話器から耳に飛び込んできた声で、桃子の体は一気に覚醒した。
『もしもし、木村さんのお宅でしょうか。『WANTA』編集の鈴元と申します』
「は、はい、木村です。私、木村桃子です」
『あ、木村さんですか。その、昨日は大変失礼なことになってしまって、申し訳ありません』
「あ、いえ。なんというか、大丈夫ですから――」
鈴元からの謝罪の電話。予想外の相手に戸惑いながらも、これは単なる謝罪ではなく、別に何かがあるのではないか、そのような期待を抱かずにはおれない。反面、世の中そんなに上手く物事が運ぶはずがない、期待するだけ無駄だ、という思いも同時に湧き上がってくる。とにかく落ち着けと、桃子は自分に言い聞かせた。
『実は、木村さんにお願いというか、ご相談したいことがありまして。こんなことを今さらお願いできるような立場でもないことは充分承知はしているのですが――』
「な、何でしょうか」
『ブロガーモデルの件が一旦白紙になったことは、昨日編集長の谷口から説明があったと思いますが』
「はい、そのように聞いてますけど……」昨日はショックのあまり気が遠くなって、谷口の説明内容などほとんど覚えてないが、とりあえず桃子は鈴元に調子を合わせた。
『――しかし、それはウェブサイトの見直しを一からやり直す、という意味なんですよ。今後、ブログのコーナーを設けることは完全にあり得ない、というわけではないのです。改めていい企画を提案すれば、コーナーの設置もまだ可能です。そして、私はまだ諦めていないのですよ』
なんとなく、桃子にも話の主旨が読めてきた。徐々に鼓動が早くなり、体温が上昇を始めた。
『現時点では、まだ見通しが立てられるような状況ではないので、今後のことは何も約束できないのですけど、それでもよければ木村さんに協力してもらえたらと思うんですよ』
「は、はい。私でよければ」
『本当ですか、ありがとうございます』
鈴元の声も幾分明るくなったように聞こえた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」興奮気味に桃子は言った。
『では、近いうちに一度会って話したいのですが、構わないですか? 日時は追って知らせますから』
「はい、是非お願いします」
『大事なのは、木村さんのブログの内容です。企画として提案するときに、ブログが魅力的でなければいけません。今のうちからそれを意識して書くように心がけてください。勿論、お会いしたときには出来る限りのアドバイスをさせていただきますよ』
「はい、頑張ります!」
話が終わり、受話器を置いた。
桃子は一つ大きく深呼吸して、それから両の拳を握り締めて「よっしゃあぁ!」と叫んだ。
来た来た来た。ついに自分にも追い風が吹き始めた。
まだ何も決まっていない、不確定要素の多い話。だから、ぬか喜びはできないのはわかっている。でも昨日で全て終わりではなかった。まだ続きがあった。ぎりぎりのところで引っかかっていたのだ。
諦めるなんてとんでもないことだった。これを強運と言わずして、なんと言うだろう。
(第二話につづく)
お読みいただきありがとうございます。
久々の更新です。今後ものんびりペースで続けることになりそうですが、どうかよろしくお願いいたします。




