第三話
桃子がマンションに戻ってきたとき、まだ時刻は正午を過ぎたばかりだった。部屋に入ると、キッチンとリビングには、荷造り途中の段ボール箱が二つずつ置いてある。
それらをしばらく眺めていたが、作業をする気にはなれず、ベッドに直行し、膝を抱えて座った。
どうも、気力というものが出てこない。
もとから自分には、力なんてものはなかったのかもしれない。
まったく無駄な一日だった。明日からも、こんな無駄な日が続いていくのだろうか。
今までは、無理なものや合わないものはあったが、無駄なものはなかった。無駄なものは予め全部、亜衣が省いてくれていたのだ。でも、その亜衣とは昨日から連絡がつかなくなった。
それでも大丈夫だと思っていた。ブロガーモデルの話が軌道に乗って、それが自分の新しいスタート地点になると思っていた。いや、そう予定していた。
その新しいスタート地点が、足をのせる前にあっけなく崩れ去ってしまった。
自分はいけている、正しい目を持った人と出会えれば、きっと道は開ける。そんな自信もあっという間に失われていった。
もしかしたら、自分はただのアホで、無力で、一人じゃ何も出来ないただの自惚れ屋だったのかもしれない。そんな自分を亜衣は支えてくれていた。いや、亜衣だけではなく、成美も美沙もいて、お互いに刺激しあい、励ましあうことが自分の原動力となっていたのかもしれない。
それに気づかずに、自分は自分だけの力で、自分の才能だけでこれまでやってこられたのだと錯覚していたのかもしれない。
もう独りになってしまった。無力で無知な自分には、これからどうしたらいいか見当もつかない。
――こんなことなら、成美のネイルモデル、引き受けるんだった。
いつの間にか陽は落ちて、部屋の中にも夜の闇が入り込んでいる。
どれだけ時間が経過したのかも、桃子にはわからなかった。
ただ、このまま暗い中でじっとしていた方が、無力で情けない自分自身の姿を見なくて済むと思った。
膝を抱え、顔を沈めたまま固まっていると、脇に置いてあるバッグの中から携帯の着信音が控えめに、籠もった音色を奏でた。
出るかどうか少し逡巡しながらも携帯を取り出し、画面を確認してみた。少しだけほっとして、通話ボタンを押した。
『もしもし、蓮です』
「うん……」力なく桃子が返事すると、そのまましばらく沈黙が続いた。蓮が何も言わないので、桃子の方から話した。
「今日は、バイト代わってくれてありがとう」
『あ、いや、そんなの全然構わないけど。そうそう、そのバイト、今終わったところなんだ』
「うん……」
そこでまた沈黙に。
桃子にはだいたいわかっている。今日の面接のことは蓮に話してあるから、結果を聞こうと思ってかけてきたのだろう。そしてこの沈黙によって、蓮も察しがついただろう。そういうときの蓮は、いつもおろおろ困ってばかりだ。気の利いた励ましや慰めの言葉は期待できそうにない。
『桃子さん、もしかして、今、あまり元気がないのかな』
「うん、元気ないよ」ほら、やっぱり気が利かないと、応えながら桃子は思った。
でも、何故か落ち着くような気がした。相手の反応が予想を外れないとわかっているから、変に構えなくていい。気力を失っている桃子にとって、蓮は一番話しやすい相手なのかもしれない。
「蓮」
『はい』
「あのね、今日、駄目だった」
『そっか……』
「それでね、マンションに戻ってから今まで、ずっと考え事してたの」
『考え事?』
「うん。今日のはね、ちょっとイタかったから」
『……』
「蓮」
『はい』
「……蓮」
『はい、聞こえてるよ、桃子さん』
「何か、喋ってよ」
『うん。そうは思ってるんだけど、なかなか……』
「なかなか、なに?」
『なんていうか、電話って相手の顔が見えないから、実は少し苦手で――』
「つまんないの」
『ごめん』
「謝んないでよ」
『うん。でもね、今、ちょっと、というか、かなり心配してる』
「蓮」
『はい』
「……私のこと、心配してくれてるの?」
『うん』
「どのくらい?」
『……今すぐそこに行きたいくらい……なんちゃって』
桃子が返答に少しためらう時間を、蓮は勘違いしたらしく、すぐに言葉を繋げた。
『ごめん、そういうつもりじゃないから』
「ばか」
『え?』
「いいよ。別に来ても」
『え? でも……』
「蓮」
『はい』
「私も、蓮に会いたい」
(第四話につづく)
お読みいただきありがとうございます。
ちょっと諸事ありまして、次回の投稿は来月になるかもしれません。




