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犬の肉球ブログ  作者: おのゆーき
【桃子編】 五 左手の革手袋
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第二話・その二

「バンドが解散したのは、ちょっと事件があったからなんだ。えーっと……一言で言うと、レイプ」

「れ、レイプ?」

「うん。バンドはそれなりに人気があって、固定したファンみたいな子もつき始めていてね。で、ライブが終わると、そういう子たちと遊んだり飲んだりすることがあって、たまに乱交状態になることもあった」


 桃子は思わず蓮と距離を取った。反射的に脇や股間をキュッと閉め、全身に力を入れる。

「大丈夫大丈夫。僕は乱交には一度も参加してないから。他のメンバーだけだよ」

「……ほんとうに?」

 蓮一人だけ不参加っていうのは、いかにも不自然な気がする。疑いの目で睨むと、蓮は笑い出した。


「僕って信用ないのかなあ。ま、いいや。とにかく僕はバンドの中では一番下っ端で、いつもパシリだったんだ。当時僕は十七だったけど、他の人は若くて二十四、一番上は二十九だったから、ずっとガキ扱いされてた。だからそういうのには混ぜてもらえなかったし、混ざりたいとも思わなかった。女目当てのメンバーもいたけど、僕は本気で音楽やっているつもりだったんだ」


「べ、別に疑ってないよお。それに蓮がやりまくりだって、別に私とは関係ないし」

 慌てて桃子は固まった姿勢をわざと崩し、その場を取り繕った。苦手意識があるとは言え、話にセックスの気配が漂うだけで過敏に反応してしまった自分がひどく恥ずかしい。平然と聞き流すだけの余裕が欲しかった。この程度で動揺しては、ただのウブなガキだと蓮に思われてしまう。


 そんな桃子の内心を知ってか知らずか、蓮は極めて自然体で話を続けた。

「だから、演奏してるときはすごく楽しかったけど、嫌なことも多かったな。それでも、ライブ後にくっついてくるファンのほとんどは、全部わかってて――つまり、そういうの目当てで来てたから問題はなかったんだ。でもあるとき、ライブの後、いつものようにくっついてきた子達の中に、僕のファンっていう女の子が一人混じってたんだ。それが乱交パーティだなんて知らずにね――」

 蓮はにわかに表情を固くしながらも、淡々と続けた。


「いつもと同じように、僕はさっさと帰るよう言われて、一旦はそれに従ったんだ。メンバーとファンの子たちは、初めは大抵どこかに飲みに行くから、いつでも自由に帰れるし、その子が僕のファンなら、僕がいなければすぐ帰るだろうと思ったし――でもやっぱり気になって、遅くなってから様子を見に行ったんだ。リーダーのマンションに。そうしたら、その子がいて、無理矢理酒を飲まされたうえ、メンバー全員に輪姦されていた」

 桃子は胸の奥から吐き気にも似た不快感が込み上がってくるのを覚えた。本当に吐き出しそうな気がして、思わず息を飲む。

 見ると、蓮の左の拳が強く握り締められている。


「僕、そういうの駄目なんだ。……その子、すごく泣いてて、僕を見て助けを求めた。今でもその子の顔、忘れられないよ。その子は僕のせいでひどい目にあったんだ。

 僕は、メンバーが許せなかった。僕の夢も汚されてしまったような気がしてさ。何もかもが終わったような感じだった。その子のことを助けようとしたけど、僕は喧嘩弱いし、それに四対一だったから、そのうちリンチみたいな状況になって、一方的にボコボコにされて、最後にココを、ナイフでグッサリ」


 蓮は左手を持ち上げ、ゆっくりと黒いオープンフィンガーの皮手袋を外して見せた。

 陽の光を浴びずに白くなった甲の部分には、大きな細長い傷跡が数本、不規則な形で刻まれていた。蓮が手首を反すと掌にも同じ形の傷跡が残っていた。手の甲から突き立てられたナイフが掌まで完全に貫いたことがわかる。


「結構厄介な傷でさ、リハビリもしたけど楽器を演奏できるまでには回復しなかったんだ。普通に生活している分には困らないけどね」


 桃子はほとんど無意識のうちに手を伸ばし、指先でそっと蓮の手の甲を撫でた。表皮の滑らかな感触を、傷跡の部分の不規則な凹凸が邪魔をする。傷跡に沿って指をなぞると、その大きさに驚く。


 そのままゆっくりと、蓮の左手を自分の胸元に引き寄せ、両手で抱きしめるようにぎゅっと包んだ。

 どれほど痛かっただろう。どれだけ血が流れ出たのだろう。そしてどれだけ悔しかっただろう。左手だけでなく、夢をも破壊したこの傷跡は、そのまま蓮の心に刻まれているように思えた。


「あのー、桃子さん」

「うわ!」

 蓮の声がして、我に返った桃子は慌てて手を離した。我ながら何をしていたのかと、うろたえながら目の前のグラスを取って中の酒を喉に流し込んだ。アルコールで焼ける喉よりも、遥かに熱い火が顔から吹き出ていた。

「ご、ごめん。なんだか変なことしちゃって。て言うより、変なこと訊いちゃって」

「いや、全然。今はもうすっかり立ち直ってるから」

「ここにいるみんなもその話、知ってるのお?」

「いや、この中では幸秀だけだよ」


 酒を飲み干した後、水も一杯飲んで、ようやく少し落ち着いてきた。落ち着いてくると同時に、ある悩みが浮上してくる。今の蓮の話に、なんとコメントすればいいのか。

 大変だったね、かわいそうだね、なんて台詞は的外れな気がする。このまま何も言わずに話題を変えるのも失礼な気がする。うまい言葉を探せない自分がもどかしい。


「それで、完全に諦めちゃったのお?」

 その場しのぎのつもりで発した言葉に、桃子は少し後悔した。今の訊き方は、諦めた蓮を非難するように受け止められたかもしれない。今の質問に他意はないことを示そうと、必死に次の言葉を探した。

「あ、別にどうこうって意味じゃなくてえ……そう、さっきの蓮の歌、すごかったし、私は音楽のことはよくわからないけど、歌で、ボーカルとかでやっていこうとか思わなかったのかなあって、ちょっとだけ思ったりしてえ」

 蓮は目をまんまるに見開いて、桃子を見つめたまましばらく固まった。返事を待つ桃子もつられて固まり、お互い静止したまま見つめ合う。


「そうだったかもね。そういう考えを持っていたら、続けたかも」

 蓮は突然、いつの間にか皮手袋をはめ直した左手の拳で右の掌をたたいた。

「思いつかなかったなあ。だって、僕は自分をギタリストだと思っていたから、自分にとっての音楽とか、夢とかは全部ギターとセットだった。それに、歌を褒めてくれるのって、大学の、ここにいる連中くらいだよ。前にいたバンドでも何回か歌ったことがあるけど、誰も評価してくれなかったよ」

「うそお、あんなに上手なのに?」


「よく考えてみれば、バンドの連中は僕の演奏も評価してくれなかったな。ライブハウスの掲示板でメンバー募集のチラシ見て、ギターで希望したけど無理矢理ベースやらされて、パシリやって、言われるままに流されてた。それでもバンドやってれば、夢を見られると思ってたんだ。僕の場合、夢を見ることに憧れてただけなのかもしれない。他のメンバーは僕を一時的に入れただけの、ただのガキくらいにしか思ってなくて、僕は一人で浮かれてたんだ、きっと。お陰で短い間だったけど、夢を見ることはできた。でも、もうその夢はとっくに醒めてしまったんだ」


「でもお、音楽が好きなら、これからだって――」

「もう、醒めちゃったからね。たぶんそこが桃子さんと違うんじゃないのかな。何が何でも、という気持ちになれなかったんだと思うよ。そういう覚悟みたいなものは全くなくて、ただ憧れてただけ。それも、ミュージシャンへの憧れじゃなくて、もっと漠然と、夢を持つこと自体に憧れたんだと思う。ほら、中学生くらいの女の子が『恋に恋する』みたいな、いい加減な、勘違いみたいな気持ちだよ」


 嘘だ。

 これはただの言い訳だ。そう自分に言い聞かせることで、蓮は諦めた自分を正当化し、無理矢理納得させているだけだ。その朗らかな話し方が何よりの証拠だ。さっきのファンの子の話の時と比べて、顔つきがまるで違う。

 桃子は話を聞きながらそう思ったが、口には出せなかった。蓮の場合は才能がないから諦めたのではなく、怪我が原因で諦めざるを得なかった。その辛さは、桃子の想像をはるかに超えて、蓮を傷つけ、苦しめただろう。


 蓮はきっと、どん底まで落ちた。そこから立ち直るためには「実は本気ではなかった」と自分の夢を否定し、信じ込むしかなかったのではないか。だから今さらボーカルで夢を追うことはできない。再び夢を信じれば、今度は今現在の自分が否定されてしまう。

 それは蓮の生きるための知恵なのか、それとも弱さなのか、逃げなのか、わからない。ただ、桃子にはそんな蓮を非難することはできないし、資格もない。


「私も、似たようなものだよお」

 自分は本気だと揺るぎない自信を持って主張する勇気は、桃子にもなかった。

「私も、ただの夢で、まだ醒めてないだけかもしれない」

「そんなことないよ。桃子さん頑張ってるじゃないか」

「でもお、蓮の言った、ただの夢とそうじゃない夢の違い、自分じゃ区別つかないもの」

「そうだなあ、夢に憧れてる自分に酔わないこと、そして夢を目標にできること、かな」

「なにそれ、難しくてわかんなあい」

「うん。僕も言っててよくわくかんない」

 二人でひとしきり笑った。


 いつの間にか、他の人たちは二人と距離を置くように、テーブルの対角線上にいる幸秀の方に固まって座っていた。そして幸秀を筆頭に、遠くから二人を面白そうに眺めている。蓮に気があるらしい二人の女は少々きつめの視線を投げかけている。

 蓮も気づいたようだが、別段気にかける様子もない。


 桃子は少しだけ気持が軽くなるのを感じた。今まで自分の夢のことを誰かに話したことがなかった。亜衣や成美に対しても、本音を全て打ち明けることには抵抗を感じ、いつも強がっていたような気がする。

 泣きたいほど心細くなっても、それを他人に見せれば付け入られる。哀れみを受ければ弱くなる。強くあらねば、無理してでも強く見せなければ歩み続けることはできない。そんな思いが、いつしか自分の心を頑なにしていたのかもしれない。


 でも、蓮には話せそうな気がする。蓮は自らの弱さをさらけ出してくれた。そしてその弱さは、桃子にもある。蓮とは夢の中身も今まで経験してきたこともまるで違う。だが、胸を焦がすような憧れ、それを抱き続けることの不安、失うことの恐怖、そうした感情は共有しているのではないか。

 自分だけではない、誰もが不安の中で、独りで自分の道を探しているということに気づけたことが、桃子には嬉しかった。そして蓮もきっと同じように考えているだろう。それを確かめたくなって、桃子は先ほどと同じ質問をした。


「ねえ蓮、どうして応援しくれるの?」

「なんだか話が元に戻っちゃったね。うーん、そうだなあ」先ほどと同じように口をもごもごさせる蓮。

「いいから、教えて。何言っても怒らないから」

「なんとなく、じゃ納得しないよね」

「うん」桃子がせがむと、蓮は観念したようだった。上手く言えないけど、と前置きしてから話し始めた。


「夢追い人って孤独でしょう。夢を持つきっかけは人それぞれだけど、仮に誰かに『君はやれる』って評価されたり、太鼓判を押されたりしたことが発端であっても、それは絶対ではない。必ず叶うなんて保証はどこにもない。自分で信じるしかないんだ。自分には才能がある、その資格があるって信じられるのは自分だけでしょう。だから自分で自分を応援して頑張るしかない。夢ってそういう孤独の中で追い求めるものじゃないかな。僕が正しいのかどうかわからないけど、少なくとも僕の場合はそうだったと思う。だからかな、桃子さんを見てるとつい応援したくなっちゃう。おせっかいだよね」

「ううん、全然おせっかいじゃないよ」

 自分の全てを肯定し、受け入れてくれそうな蓮の答えが、桃子には嬉しくてたまらない。


「じゃあさ、応援してよ。私のために何か歌って。何か、グッとくるやつ。蓮、とってもいい声だったから、もう一回聴いたら元気になれそう」

「そう改まって言われると緊張するなあ」と言いながらも、蓮は承知してカラオケの曲目リストを開いた。

 蓮が中央のステージに向うと、曲の伴奏が流れ出す。さっき歌ったのと違って、ゆっくりとしたテンポの、静かな曲調だった。

 そしてそこに、蓮の優しい声が重なる。



【作者注:ここで蓮は歌いますが、歌詞は省略させていただきました。歌詞をご覧になりたい場合は、後書きを参照ください】


 

 誰にも気づいてもらえなかった自分、ようやく蓮という人が見つけてくれた。

 眩しくも見える蓮を見つめながら、歌を聴きながら、桃子は暖かい涙がこぼれないようにするのが大変だった。

 蓮が戻ってくると、桃子は入れ替わるように席を立ってトイレに向った。涙目を蓮に見られるのが恥ずかしかった。

 一息ついてから、桃子は携帯を取り出し、メールを打った。


〈蓮、ありがとう。元気でた。勇気でた。もう遅いからこのまま帰ります〉


 送信を終えると、桃子は席に戻ることなく、そのまま店を後にした。

 戻ってまた話をするよりも、満たされた気持ちを感じていたかった。今の気持ちのまま今日を終わらせたかった。


 荻窪駅に到着し、切符を買おうと財布を用意しているところで蓮が追いついた。一人だけで追いかけてきたらしい。

 切符を買うのをやめ、二人で歩いて帰ることにした。



(「五 左手の皮手袋」終了。次回から「六 ハスとモモ」です)



お読みいただきありがとうございます。

桃子編第五章はこれで終了です。次回から六章「ハスとモモ」になります。


今回は途中で作者注が入るなど、読み難くて申し訳ありませんでした。

なお、作中で蓮が歌った歌詞内容は、下記アドレスからご覧いただくことができます。「活動報告(6/5)」にもリンクを貼っておきます。


http://blog.livedoor.jp/onoonoyuki/archives/30972641.html


今後もよろしくお願いいたします。


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