第六話・その二
「ミーナと関係があるかどうかわからないけどお、今朝電話があってえ……」
「あ、もしかして、『WANTA』のブロガーモデルの話? 桃子ちゃんのところにもあったんだ」
「へ? 成美さんにもきたのお?」
「昨日の夜に電話がきたわ。私、断っちゃったけど」
「断ったのお? なんでえ?」
「私ブログやってないし。それに、もうモデル目指すのやめることにしたの。きっぱり諦めたわ。これからはネイリストの仕事に本腰を入れることに決めたから」
成美の突然のモデル志望引退宣言に、桃子の心中は益々乱れた。
ちょっと前なら、ライバルいなくなってラッキー、おばさんお疲れ、くらいしか思わなかっただろう。だがこれで美沙も成美もいなくなってしまった。完全に独りだけ取り残されたようだった。
「成美さん、それでいいのお、本当に?」
「随分悩んだけどね。昔から憧れてたし。でもそのためにいろいろ勉強したり、ネイルサロンで働いているうちに気づいたの。私、自分をどうにかするより、人をキレイにする方が性にあっているし、能力的にも向いているって。最近は自分で考えたデザインの評判も上がっているし、お店も任せてもらえるようになったわ。だからこのままデザイナー方面を目指していくことにしたの」
「そうなんだあ……」いいなあ、という言葉が喉から出るのをぐっと堪えた。
「それよりもどうなんだ、その話。どうも腑に落ちないな」
亜衣はいつの間にかバッグから小さなパソコンを取り出し、なにやら調べながら桃子と成美に尋ねた。
「どうって言われてもお――ねえ成美さん」
「うん。昨日の電話は特に不自然な感じはしなかったわ」
「先方は、名乗ったか?」
「えっとお、たしか『WANTA』の、鈴元とかいう男の人」
成美も黙って頷いた。彼女に電話したのも鈴元という男らしい。
「鈴元ね――」一瞬亜衣はパソコンを叩く指の動きを止め、再び動かしながら呟いた。「――『WANTA』のスタッフの名前は全員判っているが、確かにその中に鈴元という男はいるな」
「なあんだ。じゃあ問題ないじゃん。それより、そういう情報ってどうやって入手するのお?」
「そんなことより桃子、その『WANTA』の件、少し考えた方がいいと思うよ」
「なんでえ? 鈴元って人、本物の編集でしょ、なら問題ないじゃん」
「この前も言った気がするが、私が掴んでいる『WANTA』の情報には、そういうブログに関するライターもモデルも確保するような予定はない。どうも気にかかる」
「でもお、亜衣だって何でもかんでも全部知っているわけじゃないでしょお?」
「それはそうだが……。じゃあ、この件について詳しく調べてみるから、それまで返事は待ってよ」
「それが、あさってまでに返事することになってるのお」
「随分急だな。ますます気に入らない。そういうことなら桃子、私はその話、はっきり反対するよ。そういういい加減な話に釣られるより、目の前の成美の話をとりなよ」
「なに、なんでえ? 亜衣、言ってることわかんないよ。何がどういい加減なの? ちゃんと『WANTA』の人から直接電話があったのに。さっきその人は本物の編集スタッフだって亜衣が言ったんじゃん。だったら全然変じゃないじゃん!」
「だから、私が確認するまで待てって言ってるだけじゃないか」
「ひょっとして亜衣、私が亜衣より先に情報掴んだのが悔しいんでしょお」
「そんなこと一言も言ってないだろ」
「確かに亜衣の情報は助かってるけどお、私、一度も亜衣に情報くれってお願いしたことないもん。亜衣が勝手に集めてきただけでしょお。なのになんで亜衣の言いなりにならなきゃいけないの? 私、亜衣の情報以外で動いちゃいけないの? だいたいこれは私の問題なんだから、亜衣には関係ないじゃん。私のことは私が決めるのお!」
「ちょっと桃子ちゃん、どうしたの、落ち着いて」
成美が割って入ってどうにか桃子を抑えたが、重苦しい沈黙がテーブルを覆った。なんとか話題の転換を図ろうとする成美だが、声を出すことが憚れるような緊張感のお陰で、睨みあう二人の間で右往左往するだけだった。
「わかったよ。そういうことなら、好きにやれば? 私はもう余計なことはしないから」
数分の後、亜衣は小さく、しかしはっきりと言ってパソコンをバッグに戻した。
「うん。好きにやる。それでは、好きにやらせていただく私はこれで帰りますう。成美さん、モデルの話は悪いけど断ります。私は私で頑張っていくからあ」
止めようとする成美を振り切って、桃子は勘定を置いて店を出て行った。
*
「なーんか、大変っすね」
傍らで急に声がして、成美は驚きのあまり全身をびくっと振るわせた。
「み、美沙ちゃん、いつの間に戻ってたの?」
「いつって、随分前からいたっすよ」
「じゃあ、全部聞いてたのね」成美は両肩をがくっと落とした。
「そんなことよりなるネエ、モデル探してるんだったら、じぶんでよければやるっすよ」
「あ、ありがとう。でもいいわ」
「ふーん。ならいいっすけど。モデルなんていくらでも掛け持ちしちゃえばいいのに。センパイって頭固いっす。というより、単に意固地になっちゃったって感じっすか? センパイってナイーブすもんね。甘えん坊の焦りまくりのナイーブ」
「……そうかもね」
「でも、じぶんはセンパイがちと羨ましいっす」
「あら、どうして?」
「だって、なるネエにも亜衣さんにもこんなに愛されて、心配されてるっす。センパイはその辺りを全く気づいてないみたいすけどね」
美沙の言葉で、成美は笑いを堪えるように肩を揺すらせたが、耐え切れずに吹き出してしまった。
無表情だった亜衣の口元にも、微かに笑みが浮かんだ。
*
なぜあんな言い合いをしてしまったのか、自分でもよくわからなかった。
一つだけ確かなことは、これで彼女達とは縁が切れて、これからはもう独りだということだ。
それが一体何だというのだ。
もともと自分は独りだ。自分の夢も独りで掴まなくてはいけない。むしろ独りが当たり前なのだ。他人を当てにしてどうする。信じるのは自分、信じられるのも自分だけだ。
桃子は足早に阿佐ヶ谷駅に向った。周囲から見れば競歩でもしているんじゃないかと思われるくらいの速度だった。しかしそのペースは長続きせず、酒を飲んだせいもあって、無性に喉が渇き、呼吸も荒くなってきた。
立ち止まって周囲を見渡すと、前方に自動販売機を発見。ちょっと休むことにした。
「あれ、財布……」いつも入れているバッグの中に財布がない。焦ってあちこちのポケットを探ると、上着の右ポケットから財布と一緒に安産の御守りが出てきた。
しばらく御守りを見つめ、ぎゅっと握り締めると、思い立ったようにバッグの中に手を突っ込み、探し物を始めた。しかしいくら引っ掻き回しても目的のものは出てこない。
「そっか、あそこだあ」
桃子は自販機休憩を中止し、先程よりさらに速いペースで歩きだした。
阿佐ヶ谷駅に着いても中には入らず、そのまま脇を抜けて南下を続ける。やがて地下鉄の南阿佐ヶ谷駅が近づいてきたが、そこも通過し、最終的にバイト先のコンビニ店内でようやく立ち止まった。
「おう、木村さんじゃないか。ヒマならバイト入っちゃう?」
店内は杉内オーナーが一人だけだった。一体いつになったらこの店は人員補充が完了するのか。でも今はそんなことに気をとられている場合ではない。
「すみませんオーナー。ちょっと忘れ物しちゃっただけですう」
肩で息をしながらそう言うと、桃子は奥に入ってロッカーから自分のユニフォームを引っ張り出した。ポケットを探ると、一枚の紙切れが現れた。
「あったあ」
早速紙切れに書いてある番号を押したが、最後の通話ボタンの寸前で指が止った。
誘いを断っておいて、いきなり電話して、蓮になんと言えばいいのかわからなかった。携帯を閉じ、ふーっと大きく深呼吸して、気持を落ち着かせた。
しばらく考え込んだ後、再び携帯を開く。
通話は緊張してしまうから、メールにしとこう。
桃子は短いメールを送信した。
〈用事が早く終わって、時間が余ってしまいました〉
数分後、蓮から返信メールがきた。
〈よければ迎えにいきます。今何処?〉
「きちゃった……」
戸惑いと緊張で気分が高揚し、鼓動が早くなる。血流が体内を駆け巡り、手足や顔を熱くした。
まさかこんな返事がくるとは。それともこういう返事を期待していたのだろうか。蓮なら必ず相手してくれると、心のどこかで確信していた自分がいやらしい存在に思えた。
その思いが、蓮への返事を微妙に控えめなものにした。
〈私がそっちに行きます。今何処ですか?〉
(「四 残念会とお祝い会」終了。次回から「五 左手の皮手袋」です)
お読みいただきありがとうございます。桃子編第四章終了となります。
次回から第五章「左手の革手袋」を予定しております。
マイペースで進めていきます^^




