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犬の肉球ブログ  作者: おのゆーき
【桃子編】 三 オーディション
13/56

第一話

 東京は物騒だから気をつけなさい。

 両親は上京する際、心配そうな顔で桃子を見送った。

 その言葉を鵜呑みにして、常に警戒を怠らないように過ごしたのは、初めのひと月くらいだった。住んでみれば故郷とたいして変わらない。仙台にだって物騒な場所はあった。そして東京に来てからこれまで、身の危険を感じるような出来事は何ひとつ起こらなかった。


 強いて言えば、これが初めてなのかもしれない。

 相手が誰かわからない。相手も自分を知らない。ただネットで、ブログで脅されただけだった。

 しかし、相手の正体が不明であることの不安、書かれた内容の不可解さ、それらは自分の見知った世界の外側から干渉されたような違和感があった。そしてそれを払拭する術を持たない故、心の中にいつまでも、洗っても落ちない染みのようにわだかまりが残り続ける。


 うざい、しね、といった類の言葉だったら、ここまで気にはならないだろう。あちこちの書き込みでも見かけるから、そういう言葉の存在は承知済みだ。でも、「爆発」とは一体なんなのだろうか。桃子はその言葉の意味を全く理解できなかった。

 単純にミーナとは犯罪者で爆弾魔なのだろうかという飛躍気味な発想には、桃子自身何一つ得心できない。



「そういうのに出くわしたらね、相手にしないのが一番よ――」

 バイト先のコンビニで、たまたま現れた成美は不安がる桃子を励ました。

「相手するときりがないわよ。放っておけばいいの。下手なこと言うとかえって墓穴を掘ることになるわ」


 桃子は黙って頷いた。夕べも眠れなくて、亜衣に電話したら同じようなことを言ってくれた。

 亜衣は電話しながらパソコンで桃子のブログを細かく確認して、特に問題はないはずだ、と言ってくれた。ミーナのコメントを読んだ感想は、ちょっと思い込みが激しいだけだろう、桃子が応えたから調子に乗っているのでは、とのことだった。


 桃子はひとまず安堵した。何より夕べの亜衣も目の前の成美も、とりあえず自分の見解と同じであることにほっとした。

 ただ、桃子にはまだ一抹の不安が残っている。もしミーナが自分のことをよく知っている人物だったら、という場合だ。それを言うと、成美は心配しすぎだと笑ったが、ミーナが本当に桃子を知らないという証拠も保証もないことは事実でもある。


「ちはーす」

「ちーっす」


 成美との会話が終わりかけたとき、蓮と幸秀が現れた。思わず桃子の体がびくっと震えた。

 深夜勤がメインの彼らと会う機会はほとんどないと思っていたのに、彼らは桃子のバイト中、よく顔を出す。鬱陶しくもあるが、お陰で初日の気まずさはとっくに消えうせ、普通に会話できるようにはなっている。


「今日は一体何」

 桃子はわざとらしく無愛想な態度をとった。

「いや、まあね。ひまだし。あ、成美さんもいたんですね」

 幸秀は成美を見つけると同時に声のトーンが半音ほど上がった。桃子にすれば、下心見え見えである。


 蓮はいつも幸秀の斜め後ろ方向に立ち、ニコニコしている。口数は幸秀の半分くらいだ。

 幸秀が成美の傍に歩み寄っていき、桃子と蓮の間の遮蔽物がなくなると、彼は所在なさげに形のいい顔に愛想笑いを重ねて、ちょっとだけ幸秀を指差して「しょうがないやつだよね」という素振りを作って見せた。その左手は相変わらず黒い半指の皮手袋に収められている。

 その左手を確認しただけで条件反射のように引いてしまう桃子は、蓮に何のリアクションも示さない。

 すると、蓮の方から桃子に近づいてきた。


「あのさ、桃子さん、来週って空いてるかな?」

 レジの周りを整理していた桃子の手がぴたっと止まった。


 空いているか、と問われるということは、一般的には空いていたらその時間を使って何かしてほしいということだ。

 蓮は一体何を望んでいるのだろうか。いや、だいたい想像はつく。こういう場合次に何と言ってくるかは、決まっているようなものだ。

 単なるバイト先の知り合い、という現在の両者の関係から推測できるのは、三つの可能性だ。


 一、バイトを代わってほしい

 二、大勢での飲み会、または遊びの誘い(合コン含む)

 三、一対一のデートの誘い


 桃子は蓮を見た。少し緊張した顔は、ほのかに上気しているようにも見える。

 一、はまずあり得ない。バイトの話なら事務的に進められるからこんなに緊張するはずがない。そもそも、蓮の勤務時間は基本的に深夜勤であり、わざわざ桃子に交代を依頼することは考えにくい。

 とすれば何かの誘いだ。答えはノーである。


 今は大事な時期。男と遊ぶ暇はない。変な男に引っかかりでもしたら自分が損するだけだ。蓮と幸秀が悪人だとは思わないが、二人がバイト中よく女の話をしていることは、他の店員から聞いている。遊ばれるつもりはない。もし何か企んでいて、やられちゃったりしたら、こいつら一生許さない。

 それに蓮の手袋。センスについていけない。格闘技とか刑事ドラマの話されても鼻くそほども面白くない。


「来週って、来週は七日間あるけどお?」

 たとえ何曜日であっても、用事があるからだめと答えるつもりで、桃子は尋ねた。

「火曜日。火曜日の夜、七時くらいかな」

 火曜日といえば、ネルモの合同オーディション当日だ。ラッキー、嘘をつかないで断れる。そんな大事な日に蓮と会うなんて言語道断だ。

「火曜日はあ、大事な用があるからあ――」

「うん、そうみたいだね。だからさ、その後でいいんだけど、よければ僕らと飲みにでも行かない?」

「――へ?」


 桃子は目を丸くして蓮を見た。その数瞬後、眉の端がが少しずつ釣り上がり、両足は蓮との距離をとり始め、完全警戒態勢に移行する。


 気がつくと成美と幸秀は店の外で何やら話している。

 声は聞こえないが、成美は笑顔で対応しているのに、細い流れるような眉がいつもより若干、八の字になっている様子から、困っていることが窺える。どうやら成美も誘われているらしい。

 成美に助けを求めようとするのは諦めて、蓮に向き直った。


 ――この人、どうしてオーディションのことを知っているのか。

 この店では、桃子は一度も自分の夢を語ったことはない。むしろ隠している。勿論桃子が喋らなくても、夢や来週のオーディションのことを知ることはできる。

 ブログ『犬のぷにぷに』だ。


 こいつ、見たな。パソコンを買おうか悩んでいるらしかったが、とうとう買ったのか?

 瞬間、ある人物の名前が脳裏に浮かんだ。

 よく考えてみると、ミーナが現れたのはここでのバイトを始めてからだいたい一週間後だ。妙に時期が合致してはいないか?


 桃子は蓮と外の幸秀を交互に見た。

 そういえば、ブログのタイトルのことを訊かれた記憶がある。どっちだったっけ?


「すいませんけどお、やめときます」

 そう、やばそうな気がしたら相手にしてはいけない。さっき成美から聞いたばかりだ。

 桃子は返事をするなり即座に仕事を再開した。

「そっかー……やっぱだめかあ……。じゃ、諦める。でもまた誘うから、暇なときはよろしくね」

 蓮があっさり身を引いたので、内心少し拍子抜けしたが、とにかく一切興味なし、という態度を崩さないように心がけ、蓮がよろしく、と言っても無視した。


 じゃ、と短く挨拶して蓮が店を出て行く。店先では成美と幸秀が話を続けていた。

 彼女が三つも年下の男の誘いを受けるとは思えないが、一応何と返事したか確認だけはしておきたい。

 間もなくその二人の会話も終わり、男二人は一緒に消えて行った。


 結果がどうだったのか、桃子は確認できなかった。成美も店内に戻ることなく、外から桃子に手を振った後、そのまま行ってしまった。



(第二話につづく)




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