諦めない
合宿二日目。
生徒達は施設内にある魔法使用も可能なように結界が張られた訓練所に集まり、特別授業が行われていた。
誰もが実績を残そうと死に物狂いで頑張る中、バーハルでのお菓子だけが目的という不純な動機で参加したユイは全くやる気がなく、早速授業をサボり施設内を探検していた。
最初は不気味で怖がっていたこの要塞だったが、テオドールが遊びで作ったと聞かされてからは、単純ながらあまり怖さを感じなくなっていた。
まあ、不気味である事に変わりはないが。
サボっているのが見つかれば強制的に連れ戻されるので、まるでかくれんぼのように時々見かける教師から隠れながら探検している。
教師もまさか、選抜されるだけでも難しいこの合宿で、サボる生徒などいると思っていないのだろう。余り周囲に気を配っていない為に物陰に隠れればやり過ごすのは比較的難しくなかった。
そうしてユイが向かったのは昨夜テオドールが言っていた庭園。
ここは、王宮の優秀な庭師による毎日の手入れが行き届いた洗練された庭園とは違い、自然そのままのような庭だ。
かと言って放置されているわけではなく、バランス良く草花が生えているので、定期的に手入れはされているのが分かる。
生えているのは王宮のように華やかな大輪ではなく、どこでもよく見かけるどちらかと言うと地味目の可愛らしい花々。
歩いているとどこかピクニックに来ているような、そんな楽しさがあり、テオドールの言ったようにユイ好みの庭園だった。
植えられている草花には背の高いものもあり、身を隠すにも最適で、万が一授業に出ていないユイに気付き誰かが探しに来ても上手く逃げられそうだ。
ただ、昼間は良いが、夜は要塞の雰囲気と相まってかなり不気味になりそうなので、暗くなる前には帰ろうと心に決め、庭園を散策する。
しばらく歩き回り、大分奥まで入り込んで行くと大きな木を発見した。
そこには木陰が出来てちょうど休憩するのに良さそうだと木に近付いて行ったが、そこには既に先客がおり、ユイはその先客を目にすると少しの間体を硬直させた。
「…………エル」
「ユイ…………何だ、ユイもサボリか?」
ユイに気付いたフィリエルは目を細めくすりと笑いかける。
その様子はいつもと変わらないフィリエルだった。
しかし、ユイは上手く反応を返す事が出来なかった。
フィリエルと会うのは、あの告白以来これが初めて。
全く心の準備をしていなかったユイは、どんな顔でどんな態度を取って良いのか分からず、しどろもどろになりながら必死で言葉を紡ぐ。
「あ……えっと、そう……サボリ。エルもそう?
あの、じゃあ……邪魔しちゃ悪いから私……行くね」
ここはさっさと退散するのが良策だと、言いたい事だけ言い踵を返そうとしたが、そのユイの態度を非難するような声でフィリエルに名を呼ばれ足を止めざるを得なかった。
「ユイ」
「…………はい」
いたたまれなさそうにしているユイに、フィリエルは一つ溜め息を吐く。
「はあ……。
ユイ、気まずいのは分かるが、頼むから避けるような事だけはしないでくれ。
………寂しいだろ」
言葉の通り、眉尻を下げ悲しそうな表情を浮かべるフィリエル。
幼い頃から魔力の強さのせいで他人に避けられて過ごしてきたフィリエルは、いつか親しい人から避けられ自分から離れていくのではないかという事を必要以上に恐れていた。
いくら動揺していたとはいえ、そこまで考えが至らなかった事にユイは深く反省した。
「ごめんなさい、ちょっと動揺しちゃって…………」
「ああ、分かってる。
それより、そこは暑いだろ、こっちに来て座らないか?」
「うん…………」
正直まだ心の準備は出来ていなかったが、これ以上フィリエルに悲しい顔をさせたくなかったユイはゆっくりと近付きフィリエルの隣に腰を下ろそうとした。
しかしその時、フィリエルに腕を引かれ、隣に座るつもりがフィリエルの足の間に、後ろから抱き締められるような形で座っていた。
このフィリエルの行動にユイは激しく動揺する。
「エエ、エル!」
「何だ?」
「何だじゃなくて!どうしてこんな………離して!」
わたわたと慌てるユイにフィリエルはただ笑みを浮かべるばかり。
一向に離さないフィリエルに、暴れて無理矢理抜け出そうとするユイだったが、目の前に現れたフィリエルの手のひらに乗った箱にその動きを止めた。
「えっ……何これ?」
「開けてみるといい」
不思議に思いながら、綺麗な紙で包装されリボンまでされたその箱を開けると、ユイは驚いた。
中に入っていたのはライターだった。
しかもこれは、ランゲルト商会の店でユイが泣く泣く買うのを諦めたエルフィーの花が刻まれたあのライターだった。
「どうしたの、これ!?」
「プレゼントだ」
「プレゼント?」
「明日はユイの誕生日だろ?」
「あっ!」
すっかり忘れていたユイは、フィリエルの言葉で漸く思い出したが、明日はユイの十六歳の誕生日だった。
「忘れてたのか……。
本当は明日渡したかったが、明日渡せる機会があるか分からないからな」
何故フィリエルが欲しかったこのライターをプレゼントとして用意したのか疑問が過ぎったが、すぐに兄の顔が浮かび納得した。
ユイの予想通りカルロがフィリエルにライターをユイが欲しがっていたと話をしていたのだ。
思わぬ所でのライターとの再会に、嬉しさがこみ上げてくるユイだったが、ライターの値段を思い出し意気消沈した。
「………でも、こんな高価な物貰えないよ」
「そんな事気にしなくて良い。
これは誕生日だけでなく王宮での事のお礼も兼ねているんだ。
ユイがしてくれた事を思えば安いものだ」
「うぅぅ、でも………」
欲しいか欲しくないかと聞かれたら、もの凄く欲しいが、王宮での事はあくまで自分が勝手にした事なので、本当に貰って良いのだろうかとユイは躊躇してしまう。
「そうか………欲しくないなら仕方がないな。
俺は使わないからその辺に捨てるか」
そう言うとユイの手からライターを取り、草むらに放り投げようしたフィリエルに、ユイはぎょっとした。
「わあー!いる、いります!!」
そう叫びながらフィリエルの手から無事奪還した。
「最初からそう言えば良いんだ」
意地の悪いフィリエルに非難の目を一瞬向け、ユイは改めて手の中のライターを色々な角度から眺める。
それは、間違いなくユイが欲しいと思いながらも諦めた物で、大事そうに手で表面のエルフィーの花を撫でると、じわじわと喜びが込み上げてきた。
「エル、ありがとう」
ユイは本当に嬉しそうに喜色満面の笑みを浮かべながらフィリエルに顔を向けお礼を言う。
これほどユイが感情を表情に出す者は親しい者の中でも本当に限られていて、友人であるルエル達でも今のように笑うユイを見れば驚き、我が目を疑った事だろう。
そんなユイの笑顔を一心に受けるフィリエルもまた、他の誰にも向ける事のないとろけるような柔らかい笑みでユイを見つめていた。
フィリエルはユイの頬に手を添えると、こめかみに軽い口付けを落とした。
そのフィリエルの行動にそれまで笑顔だったユイは硬直。
次いで頬を紅潮させ抗議の声を上げた。
「エル!何するの!?」
「何ってキスだ」
「そういう事じゃなくて、どうしてそんな事するの!」
「ユイが可愛いと思ったから……好きだからしたんだ。
もう告白したのを忘れたとは言わないよな」
フィリエルのその言葉にユイはさらに紅潮する。
今までのへたれっぷりが嘘のような積極性だ。
それ故、今までと違う接し方をしてくるフィリエルにユイは戸惑うばかりだ。
「……っだって私ちゃんと断ったし、エルも分かったって言ったじゃない」
「俺は分かったと言っただけだ、諦めるとは一言も言ってない」
そんなの詐欺の手口だ!と思ったが、ユイは上手く言葉が出ず口を開いたり閉じたりしている。
「無理と言われて、はいそうですかと簡単に納得するわけがないだろ。
ユイがはいと言うまで俺は粘るぞ」
「そんな事言われても私には無理だよ……」
「結婚相手が俺じゃあ不服か?」
真剣な眼差しを向けるフィリエルに、ユイは気まずさと恥ずかしさから視線を逸らす。
「………そういうわけじゃないけど…………でも……」
そして、ユイが浮かべたのは王宮でユイが告白を断った時と同じ、表情を消した人形のような顔。
しかし、フィリエルは気が付いていた。
その瞳の奥に映るのは深い悲しみと恐怖。
その理由もフィリエルは知っている。
ユイが表情を消しているのは、感情を殺す事で悲しみに飲み込まれないようにしているから。
それの理由が分かるフィリエルには、ユイのその姿は拒絶ではなく、助けを求めているように見えた。
「(それに、ユイは気付いていないだろうな)」
フィリエルを受け入れられないと言う割に、決してフィリエル自身が嫌だとは一言も言っていない。
「(まだ可能性は十分にある。………まあ、今日はこれぐらいにするか)」
ユイの様子に、これ以上無理をしてフィリエルに心を閉ざしてしまっては大変だと追求を止める。
ユイを困らせたいわけでも苦しませたいわけでもないし、そもそも嫌われては元も子もないのだ。
そして、フィリエルは少しの好奇心から別の方向から攻めてみる。
「なあユイ。王宮に来た時にお祖父様が用意したお菓子はどうだった?」
突然変わったフィリエルの話に、ユイの表情も戻り、きょとんとした顔のまま答える。
「………お菓子?凄く美味しかったよ。あれなら毎日でも食べたいぐらい」
そのユイの言葉にフィリエルは口角を上げ不敵な笑みを浮かべる。
「俺と結婚すれば王宮の最高級のお菓子が毎日食べ放題だぞ」
「……お菓子……食べ放題……」
ユイの心が激しく揺れ動いた。
フィリエルにとっては好奇心からの、ちょっと試してみるかぐらいの言葉だったが、今までで一番良い反応が返ってきた。
お菓子に負けたと内心悲しみに涙しながらも、漸く訪れた好機を逃すものかと市場の叩き売りのごとく一気に畳み掛ける。
「そうだ、国内で最も腕の良い菓子職人がその技術を存分に使ったお菓子の数々!
ユイも王宮に来た時食べただろう?あれが毎日食べ放題。
その上、時折国外の使者が持ってくる、その国の特産物や一般では流通していないような貴重な果物を使ってお菓子を作らせる事だって出来るぞ!」
どうだ!と言わんばかりのフィリエルの話は、甘い物好きのユイに取っては聞き逃せないものだった。
思わず結婚しても良いかもと前のめりになって聞き入るユイに、好感触を感じさらに畳み掛けようと口を開こうとした時、フィリエルを遮る声が辺りに響いた。
「はーい、そこまで!!」
静かな庭園に突然表れ、後もう一押しという好機をぶち壊した邪魔者に向かって、フィリエルは鋭く睨め付ける。
「おい、どういうつもりだカルロ」
「どういうつもりも無いだろうが!何お菓子で人の妹誘惑してるんだ!」
「後もう一息だったんだぞ」
「だからお菓子で釣るなよ」
その悲しみを含んだ強い訴えと落ち込み具合に、カルロも呆れてしまう。
「漸くユイが乗り気になったんだ、この際方法など何でも良い!」
言い合うフィリエルとカルロの横でセシルがユイに向かって手招きをすると、ユイはフィリエルから離れ、手を広げて受け入れる体勢を取るセシルに抱き付いた。
「はい、お姫様奪還」
「あっ、こらユイ」
腕の中からすり抜けた温もりに気付き、咎めるような声を発するが、兄の登場で我に返ったユイは警戒するような視線をフィリエルに向ける。
「くっ、もう少しだったのに………。
大体、どうしてお前達がここにいるんだ!」
「お昼休憩だよ。
ルカとジークがフィリエルがいないって探し回ってたから一緒に探してたんだ。
そしたらこんな所で物で釣って誘拐しようとする犯罪者みたいに、人の妹をたぶらかしてるのがいたから止めたんだよ」
「人聞きの悪い事を言うな。れっきとした交渉だろ」
「父さんにチクるよ」
好機を邪魔され不満げなフィリエルも、レイスの名を出されては黙るほかなかった。
「ユイもお昼ご飯だから戻りな。さっき友達が探してたよ」
「うん、分かった」
怒るイヴォの顔が過ぎり、先ほどまでのフィリエルとのやり取りは何処かへ飛び、ユイは急ぎ建物に向かう。
走って行くユイに向かってカルロが言葉を投げ掛ける。
「途中でお菓子あげるからって誰かに付いていったら駄目だぞ」
「そんな小さな子供じゃないんだから大丈夫だよ兄様」
子供扱いされてむくれるユイだが、今まさにお菓子に目が眩んで、残りの人生を引き換えにしようとした人間に大丈夫と言われたところで全く説得力はなかった。
***
ユイが居なくなったその場でフィリエルは小さく息を付いた。
そのフィリエルの様子にセシルとカルロは苦笑を浮かべる。
「その様子だと、あまり状況は芳しくないみたいだね」
「ああ、かなり手強い」
元々簡単にいくと思っていなかったフィリエルだったが、思った以上の鉄壁の守りに頭を抱えた。
「………ユイは頭が良いからな。
今後起こり得る可能性を理解している。迷惑を掛けたくないってのもあるんだろ」
「分かってるさ」
「でも、それは解決出来る。
一番の問題はユイの心だ。
フィリエルと結婚するとなると嫌でも向き合わないといけなくなるから」
「ああ………でもそれは、ユイのこれまでを考えると、かなり酷な事を言っているんだろうな」
その場に沈黙が落ち、三人は沈痛な面持ちを浮かべる。
三人が考えているのは同じ事。
出来る事ならこのまま心穏やかに暮らしていって欲しいと。
しかし…………。
「………でもユイの今後の為には必要な事だ」
「そうだね、今はまだ良い。
だけど、ユイが望まなくともいずれ周りがユイを放ってはおかない。
その時父さんの力だけでは足りなくなる。
でも王族の伴侶なら、国がユイを守れる」
妹至上主義のセシルとカルロが、ここまでフィリエルと付き合う事に前向きなのは、何もフィリエルと仲が良いからだけが理由ではない。
たとえフィリエルが相手だろうと、こんなに早く妹を他の男に取られるのは正直腹立たしくて仕方がないのだ。
なのに、それでもフィリエルを応援するのは、ユイの為にそれが必要だと判断したから。
「だから、学園卒業までの一年半までには決着付けろよ、フィリエル。
卒業して軍に入ったら中々会う時間取れなくなるからな。
その間に誰かに横から浚われたら目も当てられないぞ」
「うっ……一年半か……全く自信がない……」
やはりお菓子で釣るか、今度は王宮の菓子職人も連れて誘惑するか、などとフィリエルはぶつぶつ呟く。
「おいおい、しっかりしろよ」
自信なさげなフィリエルに、カルロは本当にこんなへたれで大丈夫か?と心配になった。
「大丈夫だよ、きっと……」
カルロと違い、大丈夫だと確信したように話すセシルが思い出していたのは、四年前のフィリエルが継承位争いの余波でユイに会いに行けなくなった時の事。
いつになっても会いに来ないフィリエルに、ユイの落ち込みようは酷いもので、それはセシルとカルロですら声を掛ける事を躊躇うほどだった。
普段から乏しいユイの表情がさらに無くなり、家族には見せていた笑顔も全く見せなくなり、口数だけでなく食事に睡眠の量も減った。
母のシェリナは離婚で環境が変わった事による影響だと勘違いしていたが、明らかにフィリエルが原因だろうとセシルとカルロには分かっていた。
予想外のユイの変化に、何度真実を話そうと思ったが、フィリエルが心配する理由も分かる上、本人が望まない以上勝手な判断で言うわけにもいかなかった。
そんな日々が暫く続いたが、どうもユイは自身の中で折り合いを付けたようで、「次にフィリエルに会う時の為に、魔法を作ってフィリエルをびっくりさせようと思うの」。
そう言って少し明るくなり、研究に精を出し始めたユイに安堵した。
しかし、兄である自分達にすら心の内を話す事なく方向を見定めたユイに、寂しさと頼りにならない自身の不甲斐なさを感じたと同時に思ったのだ。
ユイをそこまで悲しませたのがフィリエルなら、悲しみの淵から動き出す理由もまたフィリエルなのだなと。
フィリエルに取ってユイが心の支えであるように、ユイに取ってもフィリエルはかけがえのない心の支えなのだ。
ユイは誰よりもフィリエルを必要としている。
だからきっと…………。




